第20話 狂った精神科医の提案
ネルが友子の携帯電話番号メモを持っていたため、初田が電話をつなぎ、白兎が担当医として友子に説明をする。
友子が来るまでにネルの血液検査を終わらせた。
ナルコレプシー患者の場合、健康な人に比べると血液のとある成分が異常数値を示す。
少し時間があるため、初田はネルを連れて病院の食堂に赴いた。
昼食時からずれているため、利用者はまばらだ。
ネルの前に焼き魚定食を置くと、ネルは採血をした左腕をさすりながらおじぎする。
「ありがとう、初斗にいさん」
「どういたしまして。勝手に注文してしまったけれど、和食は好きじゃなかったかな」
「お魚、好き」
「それはよかった」
自販機で買った紙コップの紅茶を飲みながら、初田はネルが食事をとる様子を観察する。 クロス箸と呼ばれる間違った持ち方で、迷い箸もしている。
「ネルさん。普段お母さんとご飯を食べるかい?」
「ううん。お母さん、朝七時には仕事に行くし、十一時くらいまで帰ってこないから。いつもひとりで食べてるの」
「そう。ネルさんのお母さんは頑張り屋だね」
「うん」
ネルはにこにこと笑う。 やはり母子で過ごす時間をあまりとれていないようだ。箸の持ち方を正す機会もなく、顔を合わせる時間が少ないからこそ病変にも気づけなかった。
そして友子の出勤帰宅時間は、ネルの起床時間と就寝時間とも合致している。 ネルが少しでも母親と顔を合わせたくてそうしているのだ。
初田も母子家庭育ちだから、友子の苦労がわかる。 ネルと違って成人まで父が生きていたし、養育費を支払ってくれていたから、暮らしは幾分楽ではあったけれど。
「ごちそうさま」
食事を終えて、初田のポケベルが鳴る。友子が来たという連絡だった。
診察室に向かうと、すでにおおよその話を説明し終えたあとだった。
友子はひどく青ざめている。
「まさか、そこまで深刻な状態だったなんて。学校の先生からは授業中寝てばかりいて困ると電話がきていたから、私、てっきり……」
「多くの睡眠障害は怠けていると誤認されますから、気づかないのも無理はありませんよ。根津美さん。初田君が気づいてくれてよかったですね」
白兎に言われて、友子は初田に頭を下げた。
「ごめんなさい初田さん。あなたは本当にきちんとした医者だったのね」
「まあ、兄の話を知っていたら信じられないのも無理はないです」
友子の反応は至って普通の反応。
ネルを友子の隣に座らせて、いまいちど詳しい話をする。白兎の机には同意書が置かれている。
「白兎先生。検査して、病気がわかったら治るんですか」
「血液検査の結果と、それからPSGの結果次第ですが、多くの睡眠障害は何年も通院と投薬治療が必要になります。ネルさんは未成年ですし、普段の症状の変化を観察して報告していただきたい。外から見た症状は眠ってしまっている本人には確認しようがありませんので」
「……無理よ。できないわ。職場が簡単に休みをくれないわ。それに、今でもカツカツの暮らしをしているのに、仕事の時間を減らしたら生活できなくなってしまう。介助と仕事の両立なんてできない」
子どもが幼稚園児くらいならまだしも、高校生の娘だ。
中高生の子が介助が必要な状態だと説明したところで、職場の理解は得られにくい。
ネルの治療を優先させるには仕事を減らさなければならないが、かといって仕事を減らすと日常生活すら維持できなくなる。
友子は頭を抱えてしまった。
どの選択肢をとっても母に負担を強いてしまうので、ネルはうつむいてしまう。
沈んだ空気の中、初田が口を開いた。
「なら、ネルさんはわたしが預かります。これでも医者ですから、一般人よりは病気に対する知識が多い。変化があればすぐに対処できます。昼間にも言ったように、治療費はわたしが全額負担します」
「あなた、自分がなにを言っているのかわかっているの?」
友子はぽかんとして初田を見る。
親戚であるとは言え、初対面のネルを引き取り看護するなんて。
初田の提案は、頭がおかしい発言でしかなかった。
「わかっていますよ。今のあなたの経済状況では、ネルさんの扶養と看護の両立ができないということ。わたしならできます」
「……相変わらず変人だな、初田君は」
一連のやりとりを見守っていた白兎の感想に、初田は心外だとばかりに言い返す。
「先輩も学生時代と変わらず失礼ですね。わたしがネルさんを扶養することがそんなにおかしい提案ですか」
「そんな思いつきでホイホイ人を養っていたら、君は大家族になってしまうぞ」
「赤の他人なら助けないですが、ネルさんは
養う上に、どれだけの年数かかるかわからない治療費を全部負担すると言われて、ネルは縮こまる。
高校生の身でも、かなり高額になることは予想ができた。
「私がいると、初斗にいさんの迷惑になりませんか。それに治療費すごく高くなるんでしょう?」
「迷惑だなんて一言も言ってないよ」「私こんなだからバイトもできないし、初斗にいさんになにも返せないのに」
「睡眠障害をすぐそばで観察できることはわたしのメリットになる。君はわたし専用の
友子も白兎も、そして診察室にいた看護師たちも絶句した。
「初田君、そういうところだぞ」
「なにがです」
「君は紛れもなく変人だ。太鼓判を捺してやる。今日から
「なぜ」
狂人呼ばわりされ、初田は首を傾ける。
ほんとうに一切迷惑だと思っているそぶりがなくて、しかもそばにいればそれだけでメリットがあると言ってくれるのだ。
この人といればきっと良くなると信じて、ネルは深々頭を下げた。
「それじゃあ、よろしくお願いします。初斗にいさん」「任されました」
初田も笑ってネルに答えるのだった。
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