ケース2 根津美ネルの場合 〜眠り病の同居人〜

第18話 帽子屋と眠りネズミの出会い

 出会いはいつも突然。


 初田が三十になったばかりの七月、曾祖母サチの葬儀に出席したときのこと。

 僧が読経しているさなか、隣に座っていた少女が倒れかかってきた。


 紺のセーラー服に青いスカーフ。髪は肩につく長さ。しかし肩の左右で長さがばらばら。もしかしたら自分で切ったのかもしれない。


(珍しい子だな)


 兄の平也が父を殺害して現在逃亡中のため、父方の親戚とは絶縁状態。今回の葬儀は母方の親族だが、平也のことを知っている。


 普段から顔を合わせていた祖父母以外の親族はみな、初田のことを遠巻きに見ていた。


「まさかあれ、初音はつねんとこの嘉神平也かがみへいやか? なんで殺人犯が葬儀に」

「いんや、あれは双子の弟の方だってよ。でも同じふうに育てられたんなら、弟も何しでかすかわかんねぇよな」

「滅多なこと言うな、殺されたらかなわん」


 聞こえないとでも思っているのか、ちらちらと初田を見ながらささやきあっている。


 曾祖母を弔いに来ただけなのに、殺人犯呼ばわりされるのは気持ちがいいものではない。




 そんな状況の中、少女は空いていた初田の隣に座り、読経が始まって五分と経たないうちに初田にもたれかかった。



「あの、お嬢さん。眠たいなら隣の部屋を使ったらどうですか」


 仏間の隣は現在、余った座布団やらなにやらが置かれている。

 初田が小声で声をかけるが目覚めない。


「ネル! またあなたは! 恥ずかしいまねをするんじゃないの!」


 少し前の座布団に座っていた女性が初田たちの方に来た。

 たしか初田の母の従妹、根津美ねづみ友子ともこといったか。

 僧は一瞬こっちに気をとられたものの、すぐに経を再開した。


「いえ、かまいませんよ。若い子には退屈でしょうから」


 友子はいらだちを隠そうともせず、ネルの頬を叩く。数分でぱっちりと目を開いた。


「おはよう」

「おはようじゃないわよ。おばあちゃんに失礼だと思わないの?」

「おばあちゃん、さっき絵本を読んでくれていたよね」

「また変な夢でも見たの? ったく。最後まで起きていられないなら連れてこなければよかったわ」


 ネルは今さっきまで寝ていたのが嘘のようにシャンと座り直す。友子は深く溜息を吐いて元の席に戻った。

 初田はネルの肩を指でつつき、小声で話しかける。


「眠いなら隣の部屋を使ったらどうだい?」

「ええと、あなたは?」


 ゆっくりまばたきして、スローテンポなしゃべり方で聞いてくる。


「わたしは初田初斗。サチおばあちゃんのひ孫だ。君とははとこ・・・関係ってことになるのかな」

「はとこ?」


 高校生になるかならないかといった少女では、親等の遠近などわからないかもしれない。


「初斗にいさんは、帽子屋さん」

「ん?」

「はっと」

「ああ、確かに英語だとHAT。帽子だねぇ。それじゃあ君は眠りネズミかな」

「私、根津美ネル」


 大人たちは平也と似ている初田を遠巻きにしていたのに、ネルは気にした様子もなく会話をしてくれる。

 それがなんだか心地よかった。

 経が終わったあと、僧が退席してすぐにまた友子がネルのもとにきた。次は出棺のため外に出なければならない。無理矢理ネルの腕を引いて立たせた。


「ネル、あなたもう高校生になったんだから、いいかげんに甘えるのはよしなさい。授業中に寝たのだって恥ずかしいのになんでよりによって葬儀の最中にーー」

「ご、ごめんな、さ」


 母に怒鳴られたネルは一瞬肩をはねさせ、崩れ落ちるようにその場にうつ伏せになった。

 まるで全ての糸が切れたマリオネットのように。

 ネル本人も、突っ伏す気なんてなかったのか驚いて目を丸くしている。


 さっき急に眠りに落ちたこと、そして急な脱力。

 いくつかの疾患の可能性が頭をよぎり、初田はすぐさまネルの肩を支えて抱き起こし、手首をとった。脈がやや早い。


「ネルさん。お母さんがまた・・と言ったね。君は普段からこんな風に突然倒れたり眠ったりするのかい?」

「うん。ちゅうさんの、ときから。しゅっせきにっすう、たりなくなりそう」


 さっきまでまともに受け答えできていたのに、舌っ足らずになっている。舌の筋肉にすら力が入らないらしい。

 初田が支えていないと自分で上体を保てないくらいだ。


 高校一年の夏で出席日数が危ういなんてよほどのことだ。


「ちょっとあなたなんなんです。この子のは仮病だからそんな優しくする必要なんて」

「わたしは初田初斗。あなたの従姉、初田初音はったはつねの次男です。わたしは医者として、あなたに警告します。ネルさんを今すぐ病院に。精密検査を受けた方がいい。これはなまけ癖なんかじゃない。さっきから見ていたら、ネルさんの症状はなんらかの疾患である可能性が高い」


 友子は息をのんだ。

 それはネルが病気だと聞いたからか、それとも初田が殺人犯の弟だと気づいたからか。

 あるいはその両方か。


「わたし、びょうき、なの?」

「少なくとも、学業に支障が出るくらいの頻度で日中眠りに落ちるのは正常な状態ではない。わたしの務めている総合病院なら都合をつけやすい。今からでも検査の申し込みを」

「冗談じゃない。検査ってお金がかかるんでしょう。そんなお金うちにはないわよ」


 精密検査が必要だと聞かされて第一声が金の心配。

 初田は内心で溜息をつく。


「高校生になったばかりと言うことは、十五、六才でしょう? 放置したら間違いなく悪化するでしょうね。呼吸器系の疾患だった場合、命に関わることもあるんですよ」

「あなた若いし、どうせ研修医か実習生でしょ。見立て違いに決まっているわ。無駄に検査でお金が飛ぶだけだわ」


 言い争いに近い言葉のやりとりで、参列していた親類たちが騒然としている。


「前期研修課程は修了していますので、正式な医者です。あなたが検査を受けさせたくないというならわたしが検査費用を全額払います。入院が必要ならそれも負担します。ネルさんには精密検査と症状に対応した適切な処置が必要だ」


 友子は腕組みしたまま初田とネルを見比べる。


「あなたが決めなさいネル。その嘘つきについていくなら、もう一生うちにいれてあげない」

「おかあさん。わたし、おもうの。初斗にいさんは、うそつきなんかじゃ」


 刺すような視線を初田に向けて、友子は足早に場を去った。

 ネルが話しかけても一切返事をせず、曾祖母の家にネルをおいたまま帰ってしまった。

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