マーリン

 目を覚ますと、そこは見知った場所ではなく、暗闇だった。

 何度か瞬きをしたあと、アリーシャは身体を起こし、辺りを見渡した。どこを見ても暗闇が広がっていて、果てがないように思える。唯一の灯りは、アリーシャ自身。全身がぼんやりと光っているのだ。

 ここが現実ではないのだとすれば。夢でも見ているのか。それとも──命が尽きてしまったのか。

 じく、と胸が痛む。置かれている状況がわからないため、ついよからぬことまで考えてしまう。ここがどこか、それを判断するには情報がなさすぎるというのに。

 落ち着こう、と息を吐き出し、両膝を抱えた。

 あれから、どれだけの時が経っているのか。意識を失う直前に見たノアの顔が浮かぶ。身体を抱き起こしてくれたとき、彼は今にも泣き出しそうになっていた。それに、レオやルカ、兵士達、街の者達も気になる。戻れるのであれば、今すぐにでも戻りたい。

 そもそも、どうして意識を失ったかだ。

 両膝を抱える腕に力が入る。ノアの手によって、グウィバーが倒される前のことだ。身体の内側から力が湧き上がってきたかと思えば、それは全身から光となって溢れ出した。

 あの光は、街全体を包み込んでいたように思える。傷ついた者を癒し、壊された建物が元の姿を取り戻していた。そして、グウィバー自体をモルガンから追い出そうとしていたが、魔力の枯渇によりできず。幸い、ノアが仕留めてくれたため、塵となって消えていく姿を確認し、彼の腕の中で意識を失った。


(……魔力が消費されていく感覚はありました。光は、魔法だったということでしょうか)


 そう思ったとき、背後から両肩に手が置かれた。


「そのとおり、魔法だよ」

「ひゃあ!?」


 心に語りかけてくるような、少し高めでどこか優しい男性の声が耳元で聞こえた。

 先程見渡したときは誰もいなかったはず。一体、どこから現れたのか。声も感触もはっきりとしている上に、背後に気配も感じる。

 まさか、ゴーストのたぐいだろうか。だとすれば、今いる場所は夢ではなく死後の世界なのか。

 どうか、夢であってほしい。ノアの元へ戻りたいのだ。バクバクと心臓の音を激しく鳴らしながら、おそるおそる振り向く。

 そこには、白いローブを身に纏った、妖艶な雰囲気を持つ若い男性が立っていた。視線が交じると笑顔になり「やっ」と右手が上げられた。

 ライラックに似た色のアーモンドアイに、ラピスラズリの色をした長い髪。よく見ると、後ろで三つ編みにしてまとめてある。白皙はくせきの肌は暗闇でも眩しく感じてしまうほど美しく、彼が醸し出すこの雰囲気にも頷ける。

 特に気になるのが、長く尖った両耳。一目で人間ではないとわかる風貌だが、この男性は何者なのだろうか。


(天使や死神ではないといいのですが)


 男性の薄い唇に弧が描かれる。


「どちらもハズレ。僕は天使でも死神でもないよ」

「よかっ……え?」


 今、声に出していただろうか。数十秒前のことを思い返してみるも、心当たりがない。


「僕は夢魔との混血だからね、夢の世界にいる間は君の心が手に取るようにわかるんだ」

「夢魔との、混血……?」


 どこかで聞いた覚えのある言葉。それも、つい最近だ。男性から視線を逸らし、出来事を思い返す。意識を失ってから日付の感覚がないため、グウィバーが襲来した日から昨日、一昨日、と思い返していき、アリーシャは顔を上げた。


「……のマーリン様、ですか?」


 レオとストックの花畑に行ったときだ。マーリンの話をした際に、この世界にも同名の者がいると教えてくれたのだ。

 その者は夢魔との混血で、不思議な術を使い、アーサー王の補佐をしていると。

 男性は目を丸くしたかと思うと、クスクスと笑い始め、アリーシャの両肩から手を離した。そのまま隣へやってきたかと思うと、よっこいしょ、とおもむろに腰を下ろす。アリーシャと同じように両膝を抱えると、こちらを見て首を傾げながら微笑んだ。


「そう、僕はマーリン。この世界の、なんて面白い言い方をすると思ったけれど……君は、異なる世界からやってきた魔女だったね。名は、アリーシャ」

「そ、そこまでわかるのですか」

「うん。記憶を覗かせてもらったから。眠ってくれていると僕はその辺り楽なんだよね、魔法を使わなくて済むし」


 夢魔との混血であっても、そこまでできるとはすごい能力だ。が、知らないうちに記憶を覗かれていたというのは、アリーシャを知ろうとしたにしてもあまりいい気分ではない。

 どこまで覗いたのだろうと訝しげな目で見ていると、マーリンが口を開いた。


「覗かせてもらったのは、僕が見ていない部分の記憶だよ」

「見ていない部分?」

「おとぎ話の聖女の話は、ブリテンにも回ってきてね。そのときからずっと、アリーシャを見てた。で、魔力の使いすぎで倒れたでしょう? やっと回復したみたいだけど、これはいい機会だと思って、こうして夢の中に引き留めてる」


 その言い方に引っ掛かりを感じていると、両手を合わせて、パン、と鳴らし、眉尻を下げながら謝ってきた。


「本当なら、もう目覚めてるはずってこと! ごめんね! 僕の都合で眠り続けてもらって!」


 謝罪の言葉を口にしつつも、顔は笑っている。全然笑えない話だ。

 けれど、アリーシャは生きていて、今はマーリンのせいで眠り続けているということはわかってよかった。何も知らないノアには、心配をかけてしまっているだろうが。早く戻りたいが、マーリン次第か。


「さて、さっきも言ったとおり、僕はアリーシャを見てきたし、記憶も覗いた。なかなかに興味深いね。なおのこと、話しておきたくなったよ」

「それは、どういう意味でしょうか」

「魔法が失われた世界にやってきて、魔法を知ったから」

「え……?」


 ここは、魔法がない世界ではなく、失われた世界なのか。だが、魔法を知ったとは。


「アリーシャがいた世界は、残した魔法だけを魔法と呼んでいるんでしょう? 僕の弟子を名乗っていた奴がいたみたいだけど、まったく……余計なことをしてくれたなあ」

「ま、待ってください。僕が残した魔法とは」

「ん? ああ、アリーシャの世界にいたマーリンは、この僕だよ」


 曰く、夢の世界は一つしかなく、それは数多の人々と繋がっているそうだ。夢魔やマーリンは、夢の世界へやってきた人の意識を辿り、世界を渡り歩くことができるらしい。

 しかし、原初の魔法使いと呼ばれているマーリン本人だとは思わなかった。実年齢は数百歳をゆうに超えているはず。それなのに見目も若々しく、これらも夢魔の混血というのが関係しているのだろうか。


「魔法は不思議を体現させるもの。詠唱は、こう言っておけば想いを込めやすいかなあって付けただけで、別に必要ないんだよね」

「そっ、そうなのですか!?」

「そうだよ。なのに、自称僕の弟子が文献なんかにしてしまったから、アリーシャがいた世界の魔法は停滞した。……見ていて」


 マーリンが右手を出すと、白い花が現れた。五枚の白い花びらの中心には、多数のめしべがある。


「これはリンゴの花。アヴァロンではリンゴがよく実るんだけど、実になる前はこんなにも可愛らしい花なんだよ」


 ふ、と息を当てると花びらが宙を舞い、すうっと消えてしまった。


「今、僕はアリーシャにリンゴの花を見せたいと思った。だから、魔法で見せることにした。……ここまで言えば、わかるよね」

「……魔法には、想いが必要なのですね」


 アリーシャの言葉に、マーリンは嬉しそうに頷いた。


「そのとおり。想いが魔法になり、想いの強さが魔法を強くする」

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