モルガン・ル・フェ
アリーシャの言葉に、女児がぽろぽろと涙を溢す。こんな幼い子どもが、周りの大人に迷惑をかけられないと痛みを我慢していたのだと思うと胸が痛む。
女児の左手首を両手で優しく包み、魔力を込めた。
「癒しの光よ、ここに来たれ」
淡い光が女児の左手首を包んでいく。その光はゆっくりと怪我を癒していき、紫色になっていた手首は元の色を取り戻した。
「どうですか? まだ痛みますか?」
光が消えると、女児に声をかけた。女児はおそるおそる手首を動かすと、顔を綻ばせる。
「ありがとう、お姉ちゃん! もう痛くない!」
「よかったです」
「お代は? 僕、お小遣い少ないから払えるかわからないけど、絶対に払うから」
「必要ないですよ。わたしに何かできることがあれば、また言ってください」
ありがとう、と嬉しそうに微笑みながら、二人は宿屋を出て行った。
何かあればまた言ってほしいとは言ったが、さすがに調子に乗ってしまっただろうか。気を付けなければと肩を落としていると、髪の毛を布で拭きながらノアが風呂場から出てきた。
「アリーシャの話はもう出回っているんだな。まあ当然か」
布を首にかけると、近くにあった椅子を持って来てアリーシャの向かいに座る。
「驚かせようと思っていたが、もういいか」
「何ですか?」
「今、広場で宴の準備をしているんだ」
そう言って、ノアは窓の外を見た。
「魔王の手下を倒したこと。そして、アリーシャが傷ついた者達を治してくれたこと」
その礼を込めて、村の住人達と兵士達が手を合わせて宴の準備をしているのだと話してくれた。では、男児や女児が手伝っていたというのは。
本当に、総出で宴の準備をしているのか。自分ができることをしたまでだというのに。もっと言えば、そこまで褒められた力でもないのに。他の魔法使いなら、魔女なら。何よりも、僧侶なら。もっと、うまく。
『どうして、アリーシャはそんなにも自分を卑下するんだ』
──そうだった。ノアの言葉を素直に受け取りたいと思ったのだ。
俯こうとしていたが、アリーシャは顔を上げる。そのアリーシャの前に、手が差し出された。視線を動かすと、椅子から立ち上がり、目を細めて優しく微笑むノアがいた。
「行こう。まだ準備中だと思うが、
アリーシャは差し出された手にそっと触れる。
もう、これ以上自分自身を卑下しない。卑屈になったりしない。したくない。
これからもこういう場面は何度も訪れるだろうが、ノアの言葉を思い出そう。時間はかかるかもしれないが、いつかは、ノアだけではなく、周りの人々の言葉も、想いも受け取れるように。
そう自分に言い聞かせながら、ノアと共に宿屋を出た。
* * *
宴の会場は、ティンタジェルの村で一番広い広場だった。
いくつものテーブルが並び、そこにはたくさんの食事と飲み物が置かれている。どうやら立食形式のようだ。
ノアとアリーシャが姿を見せたことで、会場は大盛り上がり。ノアは赤紫色の飲み物が入った木製のジョッキ、アリーシャにはオレンジ色の飲み物が入った木製のジョッキがそれぞれ渡された。兵士達も村の住人達も、同じジョッキを手にしている。
「では! ノア王子とアリーシャ様に乾杯!」
乾杯、と誰もが声を揃え、手にしていたジョッキを空へ掲げた。すぐに口元へ持っていき、ごくりと喉を鳴らしながら飲み干していく。アリーシャも見様見真似でジョッキを上げ、少しして口元へと持っていった。傾けて一口分を含むと、爽やかなオレンジの味が口いっぱいに広がる。
これはオレンジジュースだ。この世界にもあるのかと嬉しくなっていると、子ども達が駆け寄ってきた。
「お姉ちゃんは、おとぎ話の聖女様なの?」
「でも、目が赤くないね?」
「聖女様の力見せて!」
見たい見たいとはしゃぐ子ども達に困惑していると、山盛りの料理が乗った皿を何枚か乗せたトレイを持ったノアが割って入ってきた。
「話を聞きたい気持ちはわかるが、アリーシャを困らせるな」
「だって、聖女様の力が見たいんだもん」
頬を膨らませて拗ねる子ども達。何か見せてあげなければ可哀想な気もする。しばし考えたあと、アリーシャはジョッキを持つ手とは反対の手を伸ばした。その先にあるのは、水が入った木製の容器だ。
魔力で容器から水だけを取り出して浮かせると、膜を作って溢さないようにする。扱える魔法が少ない分、魔力を自在に操れるようになろうと特訓もしていたのだ。どうにか攻撃魔法の代わりにできないかと。何の意味も成さないと、両親やウィリアムからは一蹴されたが。
魔力の膜に覆われた水は、ふわふわと空中を漂う。子ども達は目を輝かせてその水の元まで駆け寄った。
「水が浮いてる!」
「すごいすごい! どうなってるの!?」
「そういえば、おとぎ話の聖女様もいろんなものが操れたって!」
聖女様と同じだとはしゃぐ子ども達に、何だか新鮮な気分になる。
アリーシャがいた世界では魔法は至極当然のものであり、マジックアイテムもありふれていた。珍しい魔法や威力が凄まじいものであれば驚くことはあるだろうが、それ以外は特に何の反応もない。
横目でノアを窺うと、彼もまた子ども達と同じように目を輝かせている。何故だろうか、胸の内が騒がしい。反応が嬉しかったのか、もっとその顔を見たいと思っている自分がいる。
そうだ、とアリーシャは水をどの家の屋根よりも高く浮かせ、ぐっと手を握った。ぱん、と膜が割れ、水が四方八方に散っていく。ノアや子ども達が驚きの声をあげるものの、その水に太陽の光が当たり、綺麗な虹が姿を現した。
「虹だ!」
「わあ! 綺麗!」
「喜んでいただけましたか?」
「ありがとう、お姉ちゃん! 私、ママとパパに自慢してくる!」
俺も、私も、と子ども達は一斉に駆け出して行った。虹は偶然の産物なのだが、喜んでもらえたのなら幸いだ。
「困らせるなと言いつつ、俺も見入ってしまった。すごいな、魔法とは」
「い、いえ、これは魔力を操っただけなので、魔法とは程遠いです」
「だが、俺達にはできない。いいものを見せてもらった」
ノアは手に持っていたトレイをアリーシャに見せた。
「腹が減っただろう? ここでは落ち着いて食事はできないだろうし、日陰にでも行こうか」
宴会場は今も盛り上がっており、二人がいなくても大丈夫そうだ。少し離れたところに腰を掛け、ノアが持ってきてくれた料理を各自で食べる分だけ小皿に移す。いただきます、と呟いてからぶつ切りにされた肉を口に入れるが、ほろほろと崩れ、あっという間になくなってしまった。
なんて柔らかさなのだろうか。味付けもこってりしつつもホッとする優しさがあり、非常においしい。目を丸くし、左手で口元を押さえていると、ノアがくすくすと笑みを溢した。
「うまいだろう。きっとすぐに馴染める」
空腹だったということもあるが、おいしくて小皿に盛った分はすぐになくなってしまった。
そこで一度皿をトレイに置き、ジョッキを口元に持っていくとオレンジジュースで口の中を潤す。ふう、と小さく息を吐き出し、隣でサンドイッチのようなものを頬張っているノアを見た。
「ノア、おとぎ話の聖女様は、目が赤いのだと子ども達からお聞きしました。ノアのその目は、もしかして」
ごくんとサンドイッチを飲み込み、ノアは「そうだ」と頷いた。
「俺は、おとぎ話の聖女である、モルガン・ル・フェの子孫だ」
「モルガン・ル・フェ?」
「ちょうどいい、ここの世界の話をしようか」
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