43、クリス兄様の行方

「クリスティアーノ様がお戻りになりました!」


「お兄様が!? すぐお母様にお伝えして!」


 侍女に指示を出してから、私はマリアと共に急いで階下へ降りた。


 ドレスの裾をつまみ上げて大理石の階段を駆け下りると、玄関ホールが人であふれているのが見えてきた。旅装の兄を囲んでいるのはわが家の使用人だけではない。見慣れぬ私兵たちがかぶった揃いの帽子には、セグレート侯爵家の紋章が縫い付けられている。


 どうやら兄は、エルヴィーラ嬢の生家であるセグレート家の私兵たちに護衛されて帰って来たようだ。


 同時に運河の方から、


「通してくれ! わしだ!」


 と、お父様の声も聞こえてくる。知らせを聞きつけた父もまた、侍従たちを従えて戻って来たらしい。


 階段に立ったまま、元気そうな兄の姿に安堵していると、セグレート家の私兵に囲まれた兄がこちらを振り仰いだ。


「リラ、久しぶり。心配をかけてしまったね」


農家の青年のような服装をした兄は、私を見るなり困ったように笑って頭を掻いた。


「いやー、連れ戻されちゃったよ」


「お兄様、ご無事にお戻りになられて良かっ――」


「馬鹿もん!」


 私の言葉はお父様の怒声にさえぎられた。いからせた両肩でセグレート家の私兵やわが家の使用人を押しのけて、大股で歩いてくる。


「セグレート家の方々にさんざん迷惑をかけやがって!」


 兄たちを見つけ出せたのは、ひとえにセグレート侯爵家の尽力あってこそ。人を雇い、方々ほうぼうを探し回ってくれたのだ。


 お父様は騎士団の仕事に忙しく、お母様はふさぎこんでしまったから、本来なら私が兄捜索の指示を出すべきだった。だが私は兄とエルヴィーラ嬢に、アルと私が叶えられなかった夢を重ねていた。どこか遠い土地で、貴族社会から解放されて気ままに暮らす――そんな未来を贈りたかった。


 私が婚姻の儀の準備で忙しいことを知っている侍女マリアも侍従長も何も言わなかったので、わがプリマヴェーラ家はほとんど兄の捜索をしていない。


「えへへ、父上。すみません」


 兄は、へらっと謝罪した。


「エルヴィーラ嬢はセグレート家の私兵の皆さんが、ちゃんと侯爵邸に送り届けてくれました」


 訊かれてもいないことを答える。事態を重く受け止める気のない兄に、父は壮大な溜め息をついた。


「陛下はリラの働きに免じて、お前も無罪放免だとおっしゃっている」


「ありがとう、リラ」


 お兄様が気の抜けた笑顔を私に向けた。


「いいえ、クリス兄様のおかげですわ」


 あの夜、私が屋敷を抜け出せたのは、兄の手紙が背中を押してくれたから。


 ――どうか自分の心に忠実でいてほしい。どんなに厳しい状況でも、君自身の幸せを追い求める勇気を失わないでくれ。


 クリス兄様が心を込めて綴った言葉は、今も私の宝物だ。


 だが兄はぽかんとしている。お父様が疲れた声で言葉を続けた。


「十年前の事件が解決したという目出度い時期の恩赦として、陛下はお前とエルヴィーラ嬢の結婚まで認めて下さったのだ。お心の広い陛下に感謝しろ!」


「まあ!」


 兄より先に私が驚きの声を上げて、片手で口を押さえた。


 私がアルと協力して事件を解決したことになっているとはいえ、大変な温情だ。でも考えてみれば、王家は王国誕生以来、仕えてきたセグレート家との仲をこじらせたくないのかも知れない。大切な娘を「飼い殺し令嬢」などと不名誉な二つ名で呼ばれ、陰口をたたかれていたセグレート侯爵夫妻は、その原因を作った王家に不信感を募らせていたのだから。


 セグレート家の私兵長らしき壮年の男性が進み出て、お父様にうやうやしく一礼した。


「わが奥方様は、エルヴィーラ様を愛して下さるクリスティアーノ様との婚姻をお喜びです」


 侯爵夫人はエルヴィーラ嬢を愛さない王太子なんかのところへ、大切な娘を嫁にやりたくないのだろう。


 私が納得したとき、階段の上から駆け下りてくる複数の足音が聞こえた。振り仰ぐとお母様とチョッチョがドレスの裾をひるがえして、大理石の階段を下りてくる。


 壁に寄った私の横をすり抜けて、お母様は兄のもとへ突進した。


「お顔を見せて頂戴、私の可愛いクリス」


 両手を伸ばして、背の高い兄の頬を両手のひらではさむ。


「よかったわ、あなたが無事で。若い職人さんみたいな服装も似合っていてよ。さすが私の息子。何を着ても美男子だわ」


「お帰りなさいませ、クリスティアーノ様!」


 続いてチョッチョの甲高いソプラノが玄関ホールに響いた。苦虫を嚙み潰したような顔をしている父に構わず、チョッチョは今日も安定の女装姿で階段から飛び降りる。


 プリマヴェーラ邸に、いつもの笑い声が戻って来た。




 二日後、騎士団詰め所から戻って来たお父様が、私とクリス兄様を執務室に呼んで、驚くべき報告をした。


「大変だ。陛下がリラとアルベルト殿下の婚姻の儀と日を同じくして、クリスとエルヴィーラ嬢の式を執り行うようにと命じられた」


「えぇっ、もう二週間切ってますわよ!?」


 驚きの声をあげる私に、お父様は片手で額を押さえた。


「参列者の顔ぶれは同じようなものだろうから、一度に済ませてしまおうという陛下の案だ」


 だがお兄様は飄々と言い放った。


「うちはリラのために用意しているんだから、大丈夫でしょう。大変なのはセグレート侯爵家ですね」


 陛下の決定が覆されることはなく、四月二十二日、二組の結婚式が執り行われることとなった。




─ * ─




次回のエピローグで第一章完結となります。最後まで見届けていただけると嬉しいです!

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2025年1月11日 11:11

初恋はリラの花のように~私を溺愛する秘密の恋人は暗殺されたはずの王子様!?刺客から逃れて幸せになるために立ち向かいます!~ 綾森れん@初リラ👑1月11日完結予定 @Velvettino

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