37、グイードの過ちと海上の激闘

「ありました。このメダルを使いましょう」


 ジュストコールの内ポケットから、守護聖人の彫られたメダルを取り出す。


 アルも、グイードの手下たちも、息を吞んで成り行きを見守っている。


 海を渡る冷たい夜風が時折、三艘の小舟を静かにゆすった。


「では投げますよ」


「よかろう」


 グイードが偉そうに答えたのと同時に、私はメダルを宙に放った。小舟の中に座ったまま、左の手の甲でメダルを受け止め、すぐに右の手のひらを重ねる。


「表でしょうか、裏でしょうか」


「裏だ!」


 グイードが叫ぶ。実際、裏だった。


 だが私は平然とのたまった。


「外れです。表ですわ」


 堂々と右手を外すと、当然ながらグイードは声を荒らげた。


「嘘をつけ! 裏に見えるぞ! 今夜の月は明るいんだからな!」


「ではこちらへ近づいていらっしゃいな」


 私は右手を腰のうしろへ回し、こっそり短剣を握った。


 月光がメダルを照らし、「まことの愛、汝が道を照らせり」と刻まれた文字に反射する。


 グイードは手下に命じて小舟を近づけさせた。


 彼が小舟から身を乗り出すと、ぷんと酒の匂いが鼻をかすめた。グイードは私を舐め腐り、完全に油断しているようだ。メダルの真上まで首を伸ばして、勝ち誇った声を出した。


「ほら見ろ、裏じゃないか」


 その瞬間、私の右腕が動いた。短剣の刃が月明かりを受けて銀色の光線を描く。光の線はグイードの首元を切り裂いた。


「ぐわっ」


 のけぞったグイードの首が見る見るうちに染まってゆく。小舟のへりにうつぶせになったグイードは、苦しげにうめいた。


「う、嘘だ! あの真面目くさった堅物令嬢が刃物で人を刺すなど――」


 だがその言葉も終わらぬうちに、アルがグイードの船に飛び移った。小舟が大きく傾く刹那、剣がひらめく。


「ギャッ」


 漕ぎ手の男が悲鳴を上げ、暗い海へと落下した。 


 だがもう一艘の舟が私の方へ近づいてきて、男の一人が乗り移ろうと手を伸ばす。


「来ないで!」


 私はグイードの血がついた短剣を振り回した。


「リラ!」


 叫んだアルが剣を鞘に納め、櫂を握る。


 だが賊は私の右手をひねり上げた。


「キャーッ」


 痛みに思わず悲鳴が漏れる。


「その女性を放せ!」


 アルが櫂を操り、小舟をぶつけるも、


「それ以上近づいたら、この女の顔を切り刻むぞ!」


 私の舟へ飛び移った男が怒鳴った。


 アルの動きが止まる。


「素直じゃねえか、王子さんよ。いいぞ、おとなしく剣を海へ捨てるんだ」


「だめよ、アル!」


「うるせえ、てめぇは黙ってろ!」


 男が私の腹を蹴った。


「痛いっ」


「リラに手を上げるな!」


 必死で懇願するアルに、男は楽しそうに答えた。


「お前さんが剣を捨てれば、これ以上女を傷付けたりしねえよ」


 男たちのボスであるグイードさえ倒せば、雇われただけの彼らは逃げてくれると考えたのだが、甘かった。グイードに怪我を負わせることはできたが、命を刈り取るには至らなかった。


 アルは腰から剣を抜くと、表情ひとつ変えぬまま、夜の海へと放り投げた。


「おとなしいじゃねえか」


 私のうしろで男が嗤う。


「やれ」


 小舟に残っていたもう一人に命じた。


「おうよ」


 短く答えた男は櫂を操り、アルの乗った舟へと近づく。


「や、やめて」


 私は震える声で哀願した。このままではアルが殺されてしまう! なんとか状況をひっくり返す方法はないの?


 私たちは王都のある島から、まだそれほど離れてはいないのだから――


「アル、海に飛び込んで逃げて!」


「そうはさせるかよ」


 絞り出すような声は、アルの足元にうずくまっていたグイードのものだった。首筋から赤黒い粘液を垂らしながら、アルの足に絡みつく。


 そうだ、大声を出せば島にいる人々に聞こえないだろうか?


 私はアルカンジェロの声楽レッスンで培ったよく通るソプラノで、力の限り叫んだ。


「嫌ぁぁぁっ!」


 アルの乗る舟に移ろうとしていた男が驚きのあまり固まった。


「うるさいぞ、このアマ!」


 私を後ろから羽交い絞めにした男が、腰の剣を抜く。


「た、た、助けてぇぇっ!!」


 私は恐怖で気が触れた演技をして、陸地に向かって大声を出し続ける。


「殺されちゃうー!」


「リラ、俺のリラ!」


 しまった、アルまで取り乱しているわ。迫真の演技が効いたらしい。アルは必死の形相で、血まみれのグイードと組み合っている。彼らの舟に飛び移った男は、アルがグイードを盾にするため、攻撃しかねていた。


「誰かぁぁぁっ!」


 再び叫んだとき、陸地から灯りが近づいてくるのが見えた気がした。


「黙らないとお前から殺すぞ!」


 男の持つ剣が私の首筋に当たった。冷たい感触に息が止まりそうになる。だがそのとき、


「見ろ、あそこだ!」


 島のほうからお父様の声が聞こえた。


「全船急げ! 最高速度だ!」


 幻などではない。明かりを灯した船がいくつも近づいてくる。


「なっ、騎士団だと!?」


 耳元で男が叫んだ。


「まずい、逃げろ!」


 慌てた声と同時に私の体には自由が戻った。男は自分の小舟に飛び移ると、櫂を握り、仲間を置いて逃げ始めた。


「リラ、本土へ向かって漕ぐんだ! 俺はあとから行く!!」


 私に向かって叫んだアルは、グイードの剣を手に、賊の一人と切り結んでいる。だが足元に倒れたままのグイードがアルの邪魔をするので、思うように動けない。


「そんな――」


 逡巡する私に、アルの自信に満ちた声がかかった。


「俺を信じろ!」


「分かったわ!」


 私は櫂を握った。だが騎士団の船は次第に近づいてくる。


 必死で櫂を漕ぐ私の目に、アルが男に向かってグイードを突き飛ばしたのが見えた。


 だが男は舟の舳先へ飛んで、体勢を崩すことなくこれをかわした。再度アルへと剣先を突き出す。だが一瞬早く、アルの回し蹴りが男の腰を打った。


「おわっ」


 体勢を崩した男は派手な水しぶきを上げて夜の海に落下する。


 アルは続いてグイードを海へ落とそうとした。だが――


「キサマっ」


 海に落とされた男が小舟のへりをつかんだ。


「危ない!」


 私は歯を食いしばって櫂を動かしながら、思わず叫んだ。


 海に落ちた男が小舟に這い上がろうとしたせいで、バランスを崩した小舟はアルとグイードを乗せたままひっくり返った。


「アル!」


 海に落ちたアルを助けに行かなくちゃ! このままでは騎士団に救助されてしまう!


 海面に伏せた小舟に近づこうと、反対方向に櫂を動かす。


 暗い海の中から三人の男が浮かび上がった。グイードは死にたいでひっくり返った小舟によじ登ろうとしているが、出血多量で力が出ないようだ。アルと賊は左手で小舟につかまったまま、まだ右手に持った剣で攻防を繰り広げている。


 騎士団より先に近づいて、賊の頭を櫂で殴って沈めるしかない!




─ * ─




アルの命は助かるのか?

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