目的のないヒーロー

 鏡治郎にかけられた「精神が救われる」という普通ならば信じられない言葉が、和美には、どういうわけか実感を持って胸に迫ってくる。異常なことがついに我が身にも起きたのだが、それさえ宗教的な奇跡であるかのように感じられていた。

 そうなると、なおさら生き残らねばという強い気持ちが湧いてくる。

「ここから逃げないと……」

 和美は周囲を見回した。無機質な白色灯の光に溢れたショッピングモール内のスーパーはひどく冷たい無人の病院か牢獄のように思え、寒ささえ体に感じられてきた。

「まず服を着ないと」

 一方の鏡治郎は緊張感なくそう言うと、「おーい」と誰かに呼びかけるように手を上げた。

 トテトテ、モチモチという擬音とともに方々からケモミミたちが湧いて出てきた。それぞれ手にはショッピングモールのショップから持ってきたであろう服を抱えている。

 五、六人のケモミミが和美を取り囲み、ボディシートで上から下まで体をぬぐい、股間の血や羊水まで綺麗に拭き取ってくれる。アルコール分をタオルで拭い、ボディクリームまで塗布。サイズ違いの下着をいろいろ試してピッタリのものを選ぶと、今度は体型の目立たないベルトなしのサマーコーデを着せてくれた。乱れたボブカットのセットも忘れず、ほぼノーメイクだった顔にもさらりとナチュラルメイクを入れてくれる。

 和美は数週間ぶりに人間に戻った気がした。鏡治郎の方を見ると、彼もケモミミたちによってサマーリゾート風リネンスーツを着せられていた。髪型も良家の子弟風に決まっている。

 鏡治郎はやる気を出したように腕をぐるりと回した。

「可愛さも増したので逃げる……のはいいんですけど、逃げる方法を思いついていなくてですね。出ていくと警官が犠牲になるし、なんとか説得というのがいちばんいいんじゃないかな、と」

「説得なんて無理ですから! とにかく逃げるしかないです……」

 その言葉を和美は最後まで言い切ることができなかった。

 遠くで、スタッ、と人間が硬い床に着地する音がしたからだ。

 スーパーの向こう、モールの広場にヴェノム拓也が典型的ヒーロー着地のポーズで降り立っていた。そこは最上階まで吹き抜けになっており、上からスーパー一階に降りるのにはそうするのが最速だった。

「逃げるとかやっぱり無理でしたね」

 ぼやいてはいるが、鏡治郎は自信ありげにそちらに向かって歩いていく。

「危ないです!」

 和美は言ったが、鏡治郎は気にするなと手を振っただけだ。

「なんだ、どうやって生き返った? それともてめぇみたいなのがいっぱいいるってことか?」

 鏡治郎が再び現れたことにそれほど驚愕した様子もなく、ヴェノム拓也は口を大きく変形させてニヤリとした。鏡治郎も驚かなかったという意味では負けていない。本気で悩んでいるかのような口調で首をひねる。

「そこには僕も悩んでるんですよね。いっぱいいるって思いたいな。そうでないと認知してもらうべきなのかって問題が出てくるから」

「認知? なに言ってるんだ、てめぇ」

 ヴェノム拓也に理解した様子はない。

「まぁなんというかスワンプマン的な問題なので、どうでもいいです。それより、サクッと事態を解決したいと思うので、外に出て警察と話しません?」

 鏡治郎は外へ出ろと親指で示した。

「本当になに言ってるのかわかんねぇよ! てめぇも俺を邪魔する気か!」

 ヴェノム拓也の声には怒気があらん限りに籠もっている。さらに怒りを溜めるかのように、一気に距離を詰めるのでなく、ゆっくりと歩いて鏡治郎に向かってくる。

「邪魔と言えば邪魔なんでしょうね。ですが、あなたの可愛くない行動で和美さんの可愛さがこの世から消えてしまうことは止めなくちゃな、と思うわけで」

「だから俺の女とてめぇはどういう関係なんだよ!」

「まぁあなたが思ってるような関係ではないことだけは断言できますね」

 あはは、と鏡治郎は苦笑いを浮かべる。その態度がさらに拓也を怒らせた。

「……知らねぇが、ともかく一度殺したんだから、何度殺しても同じだよなぁ?」

「まずはその態度を改めましょう。なんでも殺すのは可愛くない」

「説教かよ! ずっと前から俺は説教ばっかり食らってた! 人を泣かすな、物を盗むな、遅刻するな、勉強しろ……。大きくなってからも、挨拶しろだの、掃除しろだの、嘘をつくなだの……。そういうのはもういいんだよ! 勝手にやってなにが悪い!」

 ヴェノム拓也は多数の血を吸ったことで得意技になっている例の槍を放った。いきなり射出されるそれは常人には避けられぬ速度であったが、鏡治郎は可愛らしく足をジタバタさせ飛び退いただけでそれを躱した。

「そこまで言われたことを覚えていて怒るってことは、そのお説教が本当は正しいとあなたも気づいているってことです。それなら素直に従うのが可愛さですよ」

「従えるか! 俺は他人より強ぇえんだ! だから悪いやつを殺してやった! それなのに、みんな感謝しねぇ!」

 言葉の自棄度合いと比例して攻撃も激しくなる。ヴェノム体のあらゆる部位が鋭い槍に変形し、複数の同時攻撃があらゆる角度から滅茶苦茶に飛んでくる。

「そりゃああなたがなんでも殺すし、殺したいから殺してるからですよ。悪いやつを選んでいるにしても、世間で言う悪いやつでしょう? あなたが本心から殺したい悪いやつだけ殺さないと、それはあなたが他人より弱いことの証明になってるだけです」

 鏡治郎はそう言いながら、やたらと走り回っている。その素早い動きにヴェノム拓也はついていけていない。滅多矢鱈と降り注ぐ黒い槍はどれも鏡治郎が先程までいた空間を薙いでいくばかりだ。

「なんなんだよてめぇは! 殺すことが悪いって説教じゃねぇのかよ!」

「僕は可愛いことしかわからないので、善悪がそういうところにはないですね。でも、殺すしかできないなら、せめて殺すことが善だと自分でも思っているという領域にまでいかないといけないでしょう。あなた本人が殺人を悪いことだと思っているんだから」

 可愛らしい顔でそういうことを言われ、ますますヴェノム拓也は逆上した。

「馬鹿にしやがって!」

「あなた自身が自分を馬鹿にしてるんですよ」

 鏡治郎はそう言って、逃げ足を段々とスーパーの奥へ進めていく。スーパーはモールを介さず外から直接入れる出入り口がある。今はシャッターが閉まっていたが、ヴェノム拓也の攻撃をそちらに誘導してぶち壊させれば、外から警官たちが干渉するチャンスになるだろう。警官がヴェノム拓也をどうこうできるとは思えないが、和美を逃がすチャンスは格段に上がるはずだ。

 和美は猫耳にこっそりと誘導してもらい、すでにスーパーとは反対側の出入り口に向かっている。もう少しヴェノム拓也がそれに気づかなければうまくいくだろう。

「うるせぇ! 和美みたいなことを言うんじゃねぇ! なんでどいつもこいつも俺を馬鹿にしやがる!」

 拓也を精神的に追い詰めすぎた。連想的に和美のことを意識させてしまった。ヴェノム拓也の目が和美を探し、すぐにそれが自分の後方、モールの大通りの反対側だと認識したのがわかった。

「そういうことかよ! 俺を怒らせたのも!」

 ヴェノム拓也は素早く振り返り、そちらに跳躍した。

 数十メートル離れた通りの端から端まで数歩で到達するほどの跳躍だった。

「だめだっ!」

 鏡治郎も負けないほどの足でで後を追うが、ヴェノム拓也より先に移動できたとしても、彼を止めるような力はない。

 逃げていた和美と猫耳がそれに気づき、振り返って悲鳴をあげる。

「きゃー!」

「にょー!」

 ヴェノム拓也が二人を確保すると思えた瞬間、銀色の線が空中に走った。

 ヒュン、という風切音がし、ヴェノム拓也の動きが止まっている。

 和美と猫耳は目を丸くしてその光景を見ていた。

 何者かがヴェノム拓也と二人の間に立ちはだかっている。

「警察方面から来た公務員だ。令状はないから、逮捕ではなく処分することになる」

 響いたのは、冷たく、美しい声。

 黒スーツにサングラス、長身長髪の美女が中世貴族が決闘に使うような剣を手に立っている。呆れているのか見下しているのか、表情はやはり冷たく、剣の切っ先を前に立つヴェノム拓也に向けている。

「誰だよ、てめぇは……!」

 叫ぶ声が、そこで止まる。一瞬遅れてヴェノム拓也の腕が、輪切りにした大根かなにかのようにボトリと落ちた。

「……うわぁああ! 痛ぇええ!」

 ヴェノム拓也は断面がむき出しになった腕の傷を手で抑えようとして、両腕が同時に切り落とされていることに気づいた。人間の腕である中身が血を吹き出しはじめてから、ようやくその周囲を覆うヴェノム体で腕を応急的に繋げれば良いと思い至ったらしい。落ちている両腕をヴェノム体を伸ばして拾い上げ、腕をとりあえず元の形に戻す。血の噴出は止まったが、それで本当に接続できているかどうかは傍目にはわからない。

「やりやがったな!」

 ヴェノム拓也は叫び、腹部を変形させた槍を眼の前の女性に向けて繰り出した。凄まじい速度は弾丸並みで、通常なら躱せるはずもない。

 が……。

 栗林衣吹の手が見えない速度で翻った。空中でヴェノム体の槍は縦と横に切り目を入れられ、四方へと散っている。

「う……嘘だろ」

 ヴェノム拓也はうめいた。

「現実だ。しっかりと体で受け止めてくれ」

 衣吹が前方へと歩を進めた。

「い、いや、ちょっと待ってくれ。話を聞いてくれてもいいじゃねぇか……」

 拓也は気弱な声を出した。眼の前の相手に勝てないと悟った不良の出す哀れな声だ。それはかつて自分が聞いた半グレたちの命乞いのそれだった。

「逮捕でなく処分と言ったんだ。撤回はない」

 衣吹は、剣をくるりと回転させると、ヴェノム拓也に大股に一歩踏み込んだ。

「ひっ!」

 ヴェノム拓也が後方に飛び退る。

「ほ、本当に待ってくれ……。俺は出頭しようとしてたし、それこそ……なんだ、政府に公認してもらって悪いヤツを退治する仕事をもらえないかって……」

 ヴェノム体が顔を覆っているため表情は見えないが、衣吹は拓也の顔が見えているかのように口を開いた。

「あなたのようなタイプは何人も見た。漫画みたいに私が背を向けたからといって襲ってきたりはしないが、この場をやり過ごして私の目に入らないところに逃げおおせたら、屈辱と恨みを弱者にぶつけ、非道な行いを再開する。あなたはそういう人間だ」

「い、いや、そう決めつけるのもどうかって思う。俺はこうして宇宙人に取り憑かれて人生が狂っただけで……ほら、宇宙人が引き剥がせるように助けてくれてもいいんじゃないか?」

「知らん。もう引き剥がせないし、そうなっては死というものも人間の死なのかどうかはわからん。とりあえず死を恐れるな。無抵抗の者を切り刻むのは好まん。戦って切り刻まれろ」

 衣吹は戦闘狂の侍みたいなことを言い、返答を待たずに切っ先から前方へ飛び込んだ。ヴェノム拓也はさすがに自棄になったように体のあちこちから触手を生やして振り回した。普通の人間なら触手の一撃で骨が砕けただろうが、それらの触手は振り回される傍から銀色の閃光によって切り離されていく。

「予想よりも弱いですな。これでは昂ることはできません……」

 その場にいないはずの男の失望の声がした。見れば、衣吹の持っている剣の巻き貝にも似た鍔に浮彫りされた男性の顔が声を発していた。これもいわゆる宇宙人なのであろう。

「ぼやくな。私はこれでも必死だ」

 衣吹が答えた。その言葉通り、戦いを楽しんでいる風もなく、鞭、あるいは槍、場合によっては盾と変形するヴェノム体を端から切り落とし、後方に逃げていくヴェノム拓也に正確について行っている。

「やめてくれ! 本当にもうなにもしないから……!」

 拓也は鳴き声をあげた。初手で敵わぬと見た彼の予想は間違いなかったが、ここまで無慈悲だとまでは予想外だった。心根から卑怯な人間は相手が他人を傷つけることに罪悪感を持っているかどうかを正確に見抜き、そこに付け込むことを行動原理にしている。そんな拓也から見ても衣吹は他人を傷つけることに感情を挟まないタイプだった。医療行為で他人の体に傷をつけることを躊躇する医者はいないという感覚に近い。

「その誓いが三日と保たないことを私は確信している」

 衣吹の剣が速度を増した。いや、後方に下がるヴェノム拓也の速度が落ちていた。目に見えて拓也の体を覆うヴェノム体の量が減っているのだ。

 細かく切り落とされたヴェノム体がこれまで移動してきた場所に点々と落ちている。その黒い小さなスライムの球体は、それぞれぷるぷると蠢き、近くの別個体と合体しようともがいていた。大きな個体に戻れればそれなりに力も奮えるのであろうが、いまそれは意思のないスライムのような物体に過ぎない。おまけに散らばったそれを鏡治郎のケモミミたちがいじくって無力化しはじめていた。どこから持ってきたのか寿司を炙るバーナーで焼いたり、イワタニの確実に食材が美味しく焼けるカセットコンロ『炙りや』で串焼きにしたり、コードレスのハンダゴテで文字を書いてみたりと地味ながら嫌な処分の仕方をしている。

 拓也の体を覆うヴェノム体はいよいよ体を守るように前に突き出していた腕からも尽きてしまい、切断された腕が剥き出しになって、再びボトリと床に落ちる。

「うわぁあああ……!」

 拓也は悲鳴を上げてへたり込んだ。その哀れみを覚える無惨な様子にも衣吹は怯んだ様子はない。冷静に犠牲者を見下ろしている。

「どうして……どうして、そんな風に殺せるんだよ!」

「楽しく殺すのでなく、義務的に殺すのがコツだろうな」

 衣吹は拓也の首を切り落とした。

 いきなり訪れた冷酷な終結。

 それを遠くで見ていた和美は思わず目を逸らした。脳裏は混乱し空白になっているし、鼓動ばかりが激しく感じられ、呼吸は一向に落ち着こうとしない。

 鏡治郎がそこに歩み寄った。

「とりあえずは終わったみたいですよ。これ以外の決着はなかったでしょうから、後悔よりはこれからのことを考えるべきでしょうね。少しでしょうが、あなたの望んだ通りにはなったんだから」

 困ったような顔で鏡治郎が言葉をかけた。慰めというよりは現実を突きつけているだけだが、それでも和美は、やや安心したように大きく息をついた。

「これは……なんだったんですか?」

「僕にもわからないですね。でも、公務員という言葉には嘘はなさそうですから、警察に協力する宇宙人もいるのかも」

 鏡治郎がそう言っていると、衣吹が拓也とヴェノム体の死を確認し終えてこちらにやってくるところだった。

「公式には私は文部科学省の局員となっている。法的には逮捕権と捜査権があるが、ご覧の通り法律適応外の事件ばかり扱ってきた。詳細は後で伝えるが、林檎谷鏡治郎さんは私と来てもらう。早瀬和美さんは残念だが法に従ってもらうことになる」

 衣吹は拓也を殺したときと変わらぬ無表情で言い、サングラスを外して胸ポケットにしまった。切れ長の目と美しい瞳が顕になる。

 どうやら殺されずには済んだらしい、と和美は一息つくが、改めて自分の身にこれから起きることを予感して、思わず体を震わせた。警察の取り調べを受けることになるのはまず間違いない。

「おそらくは従犯減軽で大したことにはならんさ。こちらの局からも検察に連絡させてもらう」

 衣吹は外見よりも一般的な感情があるらしく、和美を安心させるように言った。だが、次の言葉が別種の衝撃を和美に与える。

「ただ、これだけは今、答えてほしい。あなたの身の安全に関わることだ。財務大臣とうちの局長を狙った殺害は誰の指示だ?」

「え?」

 ということは、ターゲットは財務大臣がメインでなく、宇宙人に関係のある文部科学省の局長を殺すためのものだったということなのだろうか?

「……し、信じてもらえないかもしれませんが、宇宙人を名乗る人が来て……いきなりこちらのことを全部知っている風でした。その人はデビル朝霞とか名乗って、財務大臣の会合予定を詳細に書いただけのタブレットを置いていって……そのタブレットはいまここの二階の家具売り場に置いてあります」

 必死にあのことを思い出しながら和美は言った。

 衣吹は了解したと頷く。

「それを私に伝えたということが重要だ。知っていることをあなたはこれで私に伝えてしまったのだから、彼らがあなたを消す意味はなくなる。もっとも消すつもりなら、もう少し早くできただろうから、彼らは最初から口封じをするつもりもなかっただろうが」

「なんか危ないのがいるんですね」

 緊迫感のないのほほんとした口調で鏡治郎が言った。

 怒るでもなく、キッとした目を衣吹は鏡治郎に向けた。だが、鏡治郎は怯むことなく、さらにのどかなことを口にする。

「これでひとまずは解決ってことですよね? 外にいる警察を呼び込むことになるんでしょうが、彼女との約束があるので、少しだけ時間をくれませんか?」

 そう言った時には、すでにケモミミ軍団たちがカセットコンロとフライパン、ひき肉と野菜、包丁とまな板にボウルなどの調理セットを持ってモチモチワサワサと駆けてくるところだった。

「約束?」

 その光景に衣吹は怪訝な声をあげた。

「餃子を食べてもらう約束をしたんです。これから拘留されてしまうなら、今しかないでしょ」

 腕まくりした鏡治郎は、ケモミミたちの用意したセットで手際よく餃子を焼きはじめた。

 衣吹は表情からやや緊張を解いた。

「秘密裏にタブレットを回収せさてもらう必要がある。少しくらいなら時間はある」

 衣吹はゆっくりと歩いて二階へ向かい、タブレットを見つけて戻って来る頃には餃子が焼けていた。

 鏡治郎と和美が向かい合って餃子を食べている。ケモミミたちが横合いから餃子を盗み食いして、その熱さにハフハフしている。鏡治郎が酢に胡椒を振ったものをつけダレにしており、和美は醤油にラー油を垂らしていた。

 和美は泣いており、その複雑な感情までは衣吹には読み取れなかったものの、衣吹は和美を慰めなくてはならないと感じたようだった。

「どっちにしろこの世界は滅茶苦茶になっていく。あなたが自分でしたことをどう思っているかわからないが、総体的に世間でも大したことのうちには入らなくなっていくだろう。これから人はもっと奇妙な死に方をするし、絶滅するでもなく衰退していく終わり方をするんだ。だから気落ちする必要はない」

 衣吹は言ったが、その口調の冷淡さと内容の凄まじさに和美は肩を震わせて笑いはじめた。

「ふふ……ふふ……あなたは悪い人じゃないんですね。でも、慰めにはなっていないような気がします。普通なら、そんなことになって生きる希望がわく人なんてあんまりいませんから……。ただ、どういうわけか、わたしはその数少ない一人のようです」

 和美はケモミミがわざわざポットて入れてくれた熱い烏龍茶を飲んでから立ち上がり、鏡治郎に頭をちょこんと下げた。

「ありがとうございました。ひどいことをしたのに、こんなに良くしてくれて」

「ツキがなかっただけです。ただ、次に付き合う人は可愛さのある人にした方がいいですよ。僕ほどじゃなくていいんで」

 鏡治郎は言った。

 衣吹が電話で警官を呼び込み、機動隊員と制服警官が警戒しながら入ってくる。衣吹から何事か聞いて、手錠でなく保護として和美を連れて行ってくれた。振り返って手を振る和美に、鏡治郎は大きく手を振って答えた。

「……さて、君は私と来てもらう」

 衣吹は警戒するように、じっと鏡治郎を見下ろした。

 鏡治郎は衣吹の顔をきょとんとして見返した。

「どっちかっていうと犯人側で呼ばれているんです?」

「……いや、警察側の協力者になってもらうというところだな」

 衣吹はついてこいと先に立って歩き出す。鏡治郎はそれについていくが、警官たちは事情聴取等も必要だろうに、二人を咎める様子はないことに不思議そうな顔をした。

「警察には行かなくてもいいんです?」

「私が警官みたいなものだからな。文部科学省の特異事例対策局。宇宙人のことが判明してから作られた部署だ。仕事は宇宙人事件の解決と隠蔽」

「あー、特撮ドラマみたいでかっこいいですね」

 茶化しているような言葉だが、鏡治郎は子どもみたいな笑顔で言った。

 衣吹はその顔を見て、一瞬後、顔をそらした。

「残念だが、その局が無くなりそうだという話だ」

「局長さんが殺されたこと?」

「そうだ。局長はすげ替えればいいが、それで終わらないのは宇宙人対策の本部が日米合同委員会の一委員会に置かれることになったからだ」

「日米合同委員会っていうと、在日米軍と自衛隊?」

「そういうことだ。よく知ってるな」

「おもちゃメーカーで在日米軍ガチャを企画したことが」

「なんだそれは……ともかく、当然ながら我々もそちらに組み込まれるはずだった。しかし、局長が反対し、財務大臣に掛け合ったうえで、日本独自の機関として存続するはずだったのだが、その詰めの交渉が襲われたことにより、完全に我々は宙に浮いた形になってしまった」

「日本独自機関になるか、米軍に組み込まれちゃうかってことかー。どういうところで違いが出るのかわかんないけど」

「違いは宇宙人からの技術供与についてと、宇宙人とどこまでコンタクトできているかが国ごとにバラバラであることだな。それを米軍主導にされてしまうかは結構な違いがある」

「ネトウヨと陰謀論者が同時に喜びそうな話題ですねー」

「実質はそう気楽なものでもないがね」

 衣吹はショッピングモールから外に出て、路上を封鎖していたパトカーの横に停められていた旧プリウスに乗り込んだ。鏡治郎もちょこんと助手席に座る。

「気楽なものではない?」

「君も私も宇宙人と密接だが、彼らが何者で、どんな目的で地球に来ているか知っているか?」

 車を出した衣吹の言葉で、鏡治郎はそれをさして疑問に思っていなかったことに気づいた。

「そういえば……キミたちはなんなん?」

 鏡治郎は後部座席を振り返った。いつの間にやら座っていた猫耳がホワイトボードを掲げた。


 われわれはかわいい。われわれはかわいさのためにある。


 謎のスローガンみたいなことが書いてある。

「可愛いんです」

 鏡治郎はなぜか納得してうなずいた。

 と、猫耳の座席横から別の声がした。

「それもまた戦いの姿ではあるだろう」

 深いことを言っていそうな渋い男性の声だ。これまたいつの間にやら座席に立てかけられていた剣の鍔に浮き彫りにされた男性の顔がしゃべっている。

「私は剣の一族の女王になった。おそらく君も似たような経緯だろう」

 衣吹は言った。鏡治郎はやはり納得してうなずいた。

「ということは、やっぱりお姉さんもよくわからん、と」

 お姉さんと言われて、衣吹は名乗っていなかったことに気づいた。

「栗林衣吹だ」

「林檎谷鏡治郎」

「よろしく。ともあれ、剣の一族は少しは会話が成立する。それによれば、だ」

 衣吹の言葉に、横から剣の男が口を挟んだ。

「我らは戦いを求めてここに来た。この瞬間、実に多くの種族が集うからだ」

「目的がそれであるのは、いい。聞かれているのは来た手段と、どうして種族が集うのか? だ」

 衣吹が剣の男をたしなめるように言った。

「では細かいところは女王にお願いする。我々は場所を選択し、以前の思い出を持ったまま無数の生を再現する。そして種族が集うのはこれもまた無数に存在した選択が行われるがためだ。いずれにせよ感覚でなされるため、貴殿らにはわかりにくかろう」

「私も厳密に理解しているわけではないが、すべてはゾーザンテラと呼んでいるあの粒子に起因しているそうだ。ゾーザンテラは君も見ただろうあの黒い豆か虫のようなやつだ」

 衣吹が説明をはじめた。

「あ、見たことある」

「それは宇宙ができた頃からこの世界に満ちていて、最初は同じ一つのエネルギーの流動体だった。そのため分離し、距離を離れた今となっても、相互に情報を共有している。それは感覚的な言葉を使うなら、生物の魂に必須な要素と言うことになる」

「わからないような、でも、確実にその意味はわかる……。そりゃ生まれ直せるわけだ」

 鏡治郎は自分が和美の卵子を使って生まれ直したことを再認識する。できるような気がして、やってみたらできたというイメージがある。

「ゾーザンテラは実際には大きさはないと言っていい。それらが構成する情報の束こそが我々の魂で、それを持つ者には豆か虫のように見えているだけだ。ゾーザンテラを使いこなせるようになることが、生命体として一段上に登れる条件、というところだ」

「一段上と言われても、そういう上下関係って変じゃない?」

「そこは我々にもわかっていない。だが、これも感覚的なことだが、ゾーザンテラを使いこなすというのは、科学的に分析し、それを制御できるようになる、ということではない。本当に使いこなすというのは、超能力のように念じるだけでゾーザンテラを利用し、それによってゾーザンテラによって構成された魂を持つ生命体の存在する地域に生まれ直すことができるようになることだ」

「詳細はわからないけど、やっぱりわかる。僕もある程度使えるし、実際、体感しているわけで……」

「ただ、それを使っている私と君、そして消してしまったヴェノム的な彼らは、宇宙人と融合しているからそれを使えているに過ぎない。その能力を持つ者が人類に出現した時こそが人類進化の瞬間というわけだ。いわば霊体化して永遠の生を手に入れるというか、情報化した体を持ち惑星を渡り歩いて何度でも肉体を再構築できるようになるというか」

「幽霊みたいなものになるってのが、いちばんわかりやすいな。でも、人類全員がそうなったら、人口とか、新しい生命の誕生とか大変なことにならない?」

「そこに様々な種族がここに集まってくる原因がある」

 剣の男が声をあげた。

「進化が行われる種族の惑星に、いわば神たる意思が働き、生き残る者が選別される。それはこの惑星の者だけでなく、宇宙の全種族の中で生き残る者が選別される。そのような神話が全種族の中に残っている。そしてそれが実際に数億年に一度、どこかで起こる。我々はそれを魂で感じ、その場所を知る」

「人類が、その霊体みたいなもんになる瞬間、人類の何人かが霊体になって、現在いる霊体宇宙人の何人かが消える……でいいのかな?」

「そのようなものだ。そして、その選別基準を知りたがるもの、選別する神そのものに面会したがっている種族、個体はかなりの割合にのぼる。それが現在のこの惑星での状況だ」

 剣の男を車内のミラーでちらりと見た衣吹が、ため息とともに言葉を吐き出す。

「私と融合した剣の種族は、こちらの流儀で言えば武人としての生き方を何億年も追求しているということになる。武士道、騎士道の権化だな。混乱の中、戦闘が増えるだろうと勇んでここに来たわけだ」

 鏡治郎は気になって後部座席の猫耳を振り返る。

「どうして来たの?」


 いっぱいのひとにかわいさをみてもらえる!


 何も考えていないことがわかった。

 そうこうしているうち、虎ノ門駅隣の中央合同庁舎の駐車場にプリウスは滑り込み、衣吹と鏡治郎はエレベーターに乗り込んで上方の一室に向かう。事務所が並んでいるフロアの外れの扉の前で衣吹は止まった。

「事務所はここだ。もっとも、来るのは最初で最後だろうが」

 そう言って衣吹はドアを開けた。

 庁舎ではいちばん小さいであろう作りの部屋で、中小企業の事務所といった作り。デスクが四つと会議スペースがあるだけ。その会議スペースにスーツ姿の女性と男性が向かい合って座っていた。

「確かに最初で最後だろうけどさ、そういうこと言わないでよ栗林さん」

 ぼやいて男性が立ち上がる。ぼんやりしたメガネの文系男子がそのまま歳を重ねたような見た目をしている。官僚らしい鋭さのようなものはないが、ぼんやりした印象の割には油断のない動きで鏡治郎に近づき、名刺を差し出した。

 特異事例対策局次長 桜木真

 そう書いてある。

「事実でしょう。話はそちらで。私がコーヒーをいれます」

 衣吹が冷淡だが穏やかに言い、脇の棚に置かれたドルチェグストのカプセル式コーヒーメーカーに向かった。

 鏡治郎は会議用の折りたたみテーブルを中心とした簡素な会議スペースのパイプ椅子にちょこんと座る。

「うわぁ、ホンモノなんですね……あ、すいません、職員の片桐です」

 女性の方がキラキラした目で鏡治郎を見た。

「かわいい鏡治郎さんが来ましたよ」

 ふざけて鏡治郎は手を振った。

「いやぁ、可愛らしいところ申し訳ないんですが、栗林さんからどこまで聞いています?」

 桜木が率直に切り出した。

「宇宙人がわけのわからないテレポートで次々地球に来ていて、人間がそのテレポートができるようになる瞬間が近づいているから……ってな感じですね」

 鏡治郎が答えると、桜木は感心したようにうなずいた。

「わけのわからない状況なのに、すごい把握力です。そうなんです、我々もわかっているのはその程度のことでして。それでも、これまでは宇宙人接触者の記憶を消すことで対応できてきました。それが仕事だったんです」

「何年くらい前からだったんです?」

 鏡治郎が聞いた時、衣吹がコーヒーを運んできた。鏡治郎は喜んでそのコーヒーを一口。

 それを見てから桜木は説明をはじめた。

「宇宙人と判明したのは二十年ほど前です。奇跡的に一般で騒動になる前に文部科学省で対応できたんです。そこから研究が進められ、ゾーザンテラの実態把握と宇宙人協力者をスカウトできるようになったのが十年前。ところが今年から、対応できないくらいに宇宙人が出現するようになってきた」

「そうなると、この局を拡張するために局長さんは話し合っていたのに……」

「そうです。殺されました。そして、それはたぶん偶然じゃあない。米軍の支配下に宇宙人を置こうって算段でしょう」

「そのあたりも聞いています。そうなると、人間側の内紛は置いておくとして、人間がどうなるから日本政府はどうしようとしているってことです?」

 鏡治郎が聞いた。桜木が「改めて全体的な観点からもう一度」と説明をはじめる。

「まず我々の間で流通しているスラングで全体を説明します。ゾーザンテラ。これは魂を構築する粒子と考えてください。例えばAIはゾーザンテラを持っていないので、思考はできるが魂はない。そしてゾーザンテラ同士で量子もつれ的な同時性を持っています。魂を持つ生命体はゾーザンテラの情報を遠方に再構築することで、魂をテレポートできる。そして、その行った先で生命体としての肉体を再構築する」

「そのあたりは実感として理解しています」

「人類がゾーザンテラを使えるようになる瞬間を、スピリチュアル用語からの借用でアセンションと呼んでいます。そのアセンションが行われる瞬間、どうやらグレートリセットが起こるらしいんです。これもスピリチュアル用語からの借用ですが、つまり、ゾーザンテラを持つ種族すべてが選別され、生き残る種族が決まる。新たに人間が加わるため、消える種族がいるということらしいです」

「それがあるってのは宇宙人のカン以外に証拠ってあります?」

「ないですね。宇宙人の経験です。ある種族のアセンションは宇宙全体のスパンでは数億年に一度起こることのようです。そのサイクルを乗り越えた種族が記憶として知っていた、ということです。ただ宇宙に存在する文明同士の距離感を考えると、これらのことは有り得そうだと我々は考えていますね。グレートフィルター仮説みたいな」

「ああ、歴史上最近まで宇宙人との接触がなかった理由」

「そうです。我々人類が最近まで宇宙人に接触してこなかったのは、この仕組みが最後のグレートフィルターとして機能していたからです。もちろん人類がまったく生き残らない可能性もある。そして、その選別を誰がどうしてどのように行っているのかは宇宙人の誰も知らないようです」

「すると、その選別を誰がどうやって行っているか宇宙人も知りたくてここにやってくる……?」

「そういうことのようです。そして、多くの種族はその選別に参加したいと考えている」

「当然そうなるでしょうねー。そして人間もそう考えるわけで」

「はい。そういうことで、我が国は米国とともに人類の選別について考えていこうということになったわけです」

「でも、これまでの話からすると、この局の設立や情報収集に協力した宇宙人がいるわけですよね? その種族も米軍と組むことになったってことですか?」

「そうです。まさにそこが最後にお二方を頼る理由です」

 桜木はメモリーカードをテーブルに置いて、衣吹の方に滑らせた。

「これにデータが入っている?」

 衣吹が聞くと、桜木はニヤリとした。

「違法ですけどね。知っている限りの宇宙人の来訪データが入っています。ただ、設立に協力してくれたはじまりの宇宙人の情報だけはありません。その人物は向こうから接触してきて、局の設立とゾーザンテラをある程度制御できる機器の製作に関係した後、姿を消しています」

「僕らはその人物に会って……会ってからどうする?」

 鏡治郎は困惑して首を傾げた。

 説明の大枠は理解できた。しかし、人類の絶滅を救うとか、人類の選別基準に関わるとか、宇宙人の侵略を阻止するとか、そういうことを依頼されているのではないこともわかる。

「特にどうこうはしなくて良いと思います。こちらからお願いできることもなにもありません。ただ、これからなにが起きるとしても、国民が納得してそれに対峙できるといいと思いまして。それは個人的な思いです」

 桜木が官僚らしからぬことを言い、衣吹と鏡治郎を見返した。

 衣吹は無表情だったが、鏡治郎は軽く笑った。

「あはは。僕は、まぁ、自由ですからね」

 なるほど。なにが起きるか見てきて、それを世界に伝えればいいわけだ。

「私を野放しにして、そちらになにかペナルティはないですか?」

 衣吹が聞く。すると桜木は肩をすくめた。

「わからないですね。こちらは政治的には降参するのだし、向こうも忙しいでしょうから、手を出してこない可能性が高いと思っています。申し訳ないけれど、なにか降りかかるとしたらあなたの方でしょう」

「……いまそちらが答えられるかどうかわからないけれど、歴代の先輩方がどこかへ姿をくらませたのは、どちらサイドの差し金です?」

 衣吹が鋭い目をした。桜木は大丈夫、とうなずいた。

「局の設立に関わった方の指示ですよ。私達もどこに行ったのか、なにをしているのかは知らないんです」

「しかし、私はまだ呼ばれてはいない」

「そのようです」

 納得したのかしていないのかわからないが、衣吹はポケットからサングラスと記憶を消すための小型装置、貸与であったらしいスマホと車のキーを取り出し、テーブルに置いた。

「退職後、逃亡ということで」

「はい。お世話になりました。そして、もう会えないかもしれませんが、これからよろしくお願いします」

 桜木は衣吹と鏡治郎に頭を下げた。

「なんか変な感じですが、もう一度会えるといいですねー」

 鏡治郎は気楽に言って、立ち上がった衣吹に続いて事務所を出ていった。

 合同庁舎ビルのエレベーターに乗り込んでから、鏡治郎はふと気づいて声をあげた。

「そういえば、車、公用車でしたよね?」

「私の部屋に行く。そこで準備をして、後はデータを確認しつつ、宿を点々とした方が安全だろう」

 衣吹は合同庁舎を徒歩で出ると、地下鉄に鏡治郎と乗り込む。

「そちらの準備は?」

「僕はずっと旅をしてますからね。それに便利なのがいますし」

 地下鉄の座席で横を見ると、いつの間にやら猫耳が座っており、日用品の入ったリュックを渡してくれる。そこからスマホとカードの入った財布を取り出し、サマースーツの内ポケットにしまった。

「いつも思うが、そういう空間無視の方法も人類が身につけられるということなんだろうか?」

 衣吹が疑問を口にする。

「剣もいきなり出てくるんです? この謎を解明してたわけじゃないんですね」

「なにもわかっていない。私も巻き込まれただけだ。暴力を与えてくれたことには感謝しているがな」

 そう言った衣吹の表情の微妙な変化に気づいた鏡治郎が、話が聞こえる範囲に人がいないのを確認してから、「言いたくなければいいんですが」と断ってから聞く。

「わりと人殺しに躊躇ない生まれとかでした?」

「ずいぶん直接的だな。普通の子どもだったさ。だが、友人が悪いヤツにいろいろやられてね。私も危ないって時に剣の一族と契約できた」

 いろいろやられて、には様々なニュアンスが込められているのだろう。鏡治郎はそこについては聞かなかった。

「サクッとやったわけね。ともあれニュースになってないなら良かった」

「宇宙人の件は隠蔽されてたからな。騒ぎになるとばっかり思っていたが、周囲の記憶は消されていた。私も馬鹿でね。騒ぎにならないとわかったら、もう少し殺してもいいんだって思った。とにかくそういうタイプの男が嫌いになったんだ。盛り場で青少年の保護とかしているNPO系がらみの連中は普通にヤクザと繋がってて、居場所もやり口もわかってるからいっぱい殺せたな。私が今日殺したヤツとやってることは変わらない。ただ先輩にスカウトされて、この立場になれた。五年と経ってないよ」

 淡々と衣吹は話した。

「先輩って、さっきも話に出てましたね」

「どういうわけか江戸弁みたいな喋り方をする背の小さな人で、あんまり細かいことを気にしない人だったから有り難かった。あとは私より喧嘩っ早かったから、私が冷静になれたというのもある」

「恩人なんですね」

「いずれまた会えるはずだ。戦争になると言ってどこかに配置換えさせられていたからな」

「局を設立した人にスカウトされて行ったということでしょうね」

「即断はできないが、その人物と、米軍に協力する人物の二派があるんだろう」

 新宿で乗り換えて、京王線に乗る。

「米軍に協力する方はすぐに特定できるだろう」

 衣吹は話を続けた。

「官僚の筋なんだろうから、調べればわかるでしょうね。当然、事務所では明言されませんでしたけど」

 鏡治郎が言った。

「向こうもわかってはいるだろう。敵対するかどうかはこちら次第。私たちにはなにもしないという選択もあり得る」

 「君はどうする?」という意味合いを込めて、衣吹は鏡治郎に視線を送った。

 鏡治郎は微笑む。

「僕は流されるのが得意なんです。ただ信念もないので、先のことまでは保証できないですけどね」

「そういうことなら」

 衣吹はメモリーカードを個人のスマホに入れて、データを読み出した。

 二人でそれを読み始める。

「日米合同委員会に最近追加された分科委員会がある」

「地球外生命体に関する特別分科委員会……モロですねー」

「そして、分科委員会だけでなく、合同委員会にも参加しているのが、一ノ関岳人。この名前には覚えがある。一ノ関電気の社長だ」

「電気会社?」

「ゾーザンテラを限定的ながら操作する装置を作り出した会社の社長だ」

「特異事例対策局を裏切ったってこと?」

「そういうことだろうな」

 衣吹は仙川駅で降り、近くの自宅へ鏡治郎を連れて行く。

 アパートの一室は、ミニマリストと見紛うほどになにもなく、押入れに押し込まれた横開きのプラスチックケースに衣類や小物が詰め込まれているだけだった。寝具すらキャンプ用のエアマットが丸めてあり、衣吹はそれらをまとめてやはりキャンプ用の大型トートバッグに詰め込んだ。いつでも遠出できるように準備していたようだ。

 トートバッグをぶら下げ、近くに駐車場があると衣吹は先に立って歩き出す。

 車は青のDS3で、高級路線とされている車種だが、それほど値段は高くない。外見もいかつくはあるが、印象に残るほどではない。おまけに使い方が荒っぽいのが目に見えてわかる。野原を走り回った後のいたずら坊主みたいな印象の車だ。

 後部ドアを開けるとリアシートが倒されていて、キャンプ用品にあたるであろうものがぎっしりと詰め込まれていた。その隙間にトートバッグも押し込む。

「まずはどこに行くんです?」

 助手席に収まり、鏡治郎は聞いた。

「なにも決めていない。ただ行かなくちゃいけないことはわかる」

 衣吹は困ったように眉をひそめた。

「じゃあ適当に決めましょう」

 鏡治郎はスマホに倍率を低めにした東京の地図を表示し、なんとなくの地点を指でさしてから拡大。マークされた位置に行くことにする。

「練馬区美術館」

「どうしてそうなったんだ」

 衣吹は鏡治郎の前でははじめて声を出して笑った。

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