昔に婚約破棄した男がまた現れて、再び恋に落ちる

@eye168nisi

第1話


 俺の住むアパートから歩いて五分ほどの場所にある消防署の裏に、市立図書館がある。ガラス張りの建物で、モダンな造りになっている図書館だ。よくある白いのっぺりとした壁の図書館は威圧感があって入りにくかったが、ここの図書館は入りやすい。子連れの親子が自動ドアをくぐり抜けていくのをよくみかける。

 学校の帰り道。借りた本の返却期限だったこともあり、学校帰りに一週間ぶりに図書館に行ってみた。返却ボックスに本を放り込んだ後、入り口から入ってすぐにある階段の横の長机に向かった。ここには新入荷の本が何冊か立て掛けるように並べられている。ので、何か先週と並べられている本が変わっていたので面白い本はないかと物色するしてみると、本の表紙にかけられた赤い帯に目が留まり、手に取ってみた。帯に書かれた「母子家庭を突然襲った悲劇」というキャッチコピーが一瞬で俺の心を一瞬で鷲掴みにした。母子家庭とか、うちと一緒だ。「シングルマザー」というタイトルもそそられる。

 母子家庭とか、うちと一緒だ。迷わず借りることにし、受付に持っていった。


 家に帰ると鞄を部屋の隅に放り投げて、借りた本を机に置く。き、本を開いて早速読み始めてみた。

 最初に手を取った時の期待とは裏腹に、小説はの出だしはやや退屈だった。ここにきて俄然面白くなり、全く先の展開が読めなくなった。時間が経つのも忘れて文字を追っていった。

「宿題終わったの?」

 母さんが隣の台所から声をかけてきた。かなりの時間が経っていたようで。台所からは鉄板で油の跳ねる音が聞こえてくる。

「……後でするよ」

 中学の期末の成績が予想以上に悪かった。昨日母さんからしっかり勉強するようにねちねちとお小言を言われたばかりだ。宿題を済ませてからこの本を読まなくちゃいけないのは頭では分かっている。だけど面白い本をいったん読み出すと俺の手の方が言うことを聞いてくれないやめどきがわからない。指が勝手にページをめくってしまう。

 いまとてもいいところだ。ストーリーも中盤に差し掛かって、母子家庭で育つ主人公の少年が、自分の誕生日に自分の父親の秘密を知るところまで来た。ここまでのんびりとした母子家庭のことが書かれていたのに、何と自分の父親はが強盗殺人を犯した確定死刑囚だったというストーリーだことが発覚した。平和な日常を送っていた少年がいきなりどんでん返しを食らってしまった。ここで中断するのはあまりに酷ってもんだ。

 少しすると油の跳ねる威勢のいい音が徐々に大きくなった。肉の焼けるいい匂いが漂ってくる鼻を通り抜けたのでと、ページをめくる指をが自然と止まっためて振り返る。

 マスク姿の母さんが時々咳き込みながら鉄板お店にあるような小型の鉄板を持ってくる。きて、鉄板を丸いちゃぶ台の上に置いた。小さな鉄板の上にこんがりと焼けたおいしそうなステーキがが載って鎮座している。

「できたよう。今日クリスマスでしょ」

「うまそ」

「その代わり勉強頑張るんよ。来年中三でしょ? 県立行きたいんでしょ?」

「大丈夫だよ。県立ぐらい楽勝だって」

「食べたら勉強するんよ」

「食べる前にお小言はいいって。大丈夫、ちゃんとするよ」

 小説に栞(しおり)を挟んで一旦小説を閉じた。

 うちは貧乏だがからクリスマスプレゼントとかケーキとかはないからクリスマスらしくはないかもしれない。実際、俺にとってもクリスマスは年に一度の毎年クリスマスにはご馳走をが食べさせてくれるられる日くらいの印象だ。去年はお寿司だった。

 母さんは山崎翔子、今年で四二歳。になる。俺の母さんだ。父親のいない僕俺のにとってたった一人の家族だ。仕出し弁当の会社で働いている。一五五センチの華奢な体で女手ひとつで俺をこれまで育ててくれた。


「雄太、あんなに溜まっちゃってるよ」

「本当だ。朝置いたばっかりなのに」

 天井から落ちてきた雨水が部屋のタンスの前に置かれたバケツに天井から落ちてきた雨水がけっこうな量、溜まっている。ピチョンピチョンと跳ねた水がバケツの外に跳ねることもある。あと2、3時間もしたら溢れ出しそうだ。

 バケツの水を捨てるよりも先に、母さんが俺の向かいの座布団に座ってり、すりおろしニンニクの瓶を開けた。スプーンでがばっとにんにくをステーキの上に載せてくれる。離れていてもこの襲ってくる鼻をつくようなニンニクが焦げるの独特な香りがたまらない。

 ステーキを載せた鉄板の上では、時折油がパチンと小気味のいい音で弾けている。ステ

ーキの横には俺の好きなポテトとピーマンが添えられている。

「いただきます」

 俺はいよいよ我慢ができなくなって鉄板の左右手前に並べら置かれたフ

ォークとナイフを手にしてステーキを切った。

「何、その持ち方」

 母さんの視線の先が俺の手に持ったナイフとフォークらしいのは分かった。が、俺には何が

悪いのか分からなかった。

 母さんが俺の後ろにやってきて、俺の手を持つ。ナイフを持ち直させてくれた。久しぶ

りに触れた母さんの手はガサガサしていたけど、温かかった。

「ナイフは右で持たなきゃ」

「別にいいじゃん。どんな持ち方しても」

「駄目駄目。人前でそんな持ち方したら笑われちゃうよ」

 普段使うことなんてないからんで難しい。持ち替えたフォークで一口大に切り分けた肉を口に運ぶ。

 やっと肉が口の中に入ってきた。口の中でとろけるみたいだ。普段食べる肉とは同じ肉とは思えないは雲泥の差だ。なんというか、いつも食べている肉は筋張っていて、飲み込むまでに何度も噛まなきゃならない感じだ。それに引きかえ、この肉は簡単に噛み切れる。しかも肉とを噛めば噛むほど口の中にあふれる油の旨味をが出てくる堪能する。

 食べて飲み込んでからも、肉の旨みの余韻がまだ舌の上で踊っているようだ。

 母さんが机の上の小説を見た。

「シングルマザー?」

「母子家庭の話なんだ。うちと同じだろ? 主人公の父親ってさ、警察官だったんだよ。

いろいろあって強盗して人を殺しちゃったんだ。嫌だよね、自分の父親が人殺しなんて。その事実を主人公が知ったところまで読んだ」

 小説に出てくる父親の話をするうちに、ふと俺の父親のことが気になった。この小説の

主人公の少年は父親に会ったことはなかった。が、父親の写真だけは見たことがあった。それに引き換え、俺は父親の写真すらまだ見たことがなかった。

「母さん、俺の父さんってどんな仕事してたのさ?」

 俺の質問に母さんが戸惑いの色を見せる。つい俺の父さんへの思いが口を出た。昔から父さんのこ

とを母さんに聞いても適当にはぐらかすだけで、教えてくれなかった。いつもは深入りせずに話を切り上げていたが、本の影響からか食い下がってしまった。

 母さんが神妙な顔で何か考えている。

「やっぱり父さんのこと知りたい?」

 母さんが俺と目を合わさずに聞いてきた。

「そりゃまあね。どうして別れちゃったのかも知りてえよ」

 母さんがまた考え込む。

「……いつか教えてあげるわよ。ずっと隠すつもりもないし」

 昔から父さんのことを母さんに聞いても適当にはぐらかすだけで、教えてはくれなかった。

「早く教えてほしいな」

「早く知ってもいいことないわよ。ショッをク受けるだけだと思うし。しばらく立ち直れな

いかも」

 本気とも冗談ともとれる言い回しだ。毎週のアニメと一緒で続きがきになるところで話を切り上げるのはやめてほしい。俺の中には母さんの「ショックを受ける」という言葉だけが木霊した。

 どういうことだろう? さっきの小説みたいに父

親が死刑囚だったりとか? まさか。昔亡くなったおばあちゃんが父さんはすごく真面目

な人で、父さんと母さんが凄く愛し合っていたと話していたのを覚えている。なのに僕俺が

立ち直れないくらいのショックを受けるってどういうことだろうか…………。?

 頭の中で母さんの言葉を反芻していると父さんの話になって母さんの顔がだんだんと曇ってきた。またそして、咳き込み出す。

 いけない、クリスマ

スなのに母さんを困らせちゃってしまった。せっかくこんなステーキを出してもらったのに悪いこ

とをしちゃった。

…………話を聞いたところで会えるわけでもないしもう、いつか話してくれるっていうし、いまはいいか父さんのことなんてどうでもいいや。と無理やり頭の片隅に父への疑念を押し込めた。

「ね、母さんも食べようよ」

「私お腹すいたんで先にステーキ食べたちゃったんよ」

 母さんがリモコンでテレビを点けて、テレビを観始めた。

「そっか?」

 俺はコーラを取りに隣の台所に向かった。母さんに気づかれないように台所にある棚の二番目の引き出しを静かに開けた。母さんは毎月家計簿をつけるために、買い物したのレシートはをここにまとめて置いている。一番上に今日の日付が書かれたお肉屋さんのレシートを見つけた。

「早く食べんと冷えるよ」

「…………うん」

 俺はレシートをそっと引き出しに戻して、何事もなかったかのように和室へ戻った。


                   2

    

   翌日 の早朝、     

 激しい雨音で目が覚めた。昨日の雨は激しさを増して、なお降り続いていたいた。部屋はまだ暗かった。

 近くで母さんの咳き込む音がする。薄暗い。顔を横に向けると布団が畳まれていたる。近くで母さんの咳き込む音がする。布団から起き上がって鏡台の咳の聞こえる方に顔を見る向けると、タンスの近くで母さんが窮屈そうな雨合羽(あまがっぱ)のズボンを穿こうとしていた。

「おはよう母さん」

「あっ、ごめんね、。起こしちゃったかな」

 先月末に人が辞めたせいで朝食を作る仕事にシフトさせられたらしいと聞いた。朝が早くて大変そうだ。話を聞くと朝は特に人数が少ないので、体調が悪くてもなかなか休めないみたいだ。

こんな薄暗い夜更けに雨の中を自転車で仕事に行く母さんのことを考えるとなんとも言いがたい気持ちになった。

「無理しちゃダメだろ」

「大丈夫。休んだら他の人に迷惑かかるから。うちの店長うるさいんよ。朝トースト焼いて食べてね」

 朝は特に人数が少ないので、体調が悪くてもなかなか休めないとも言っていた。

 母さんは朝ごはんを食べたのだろうか。俺は知りたくなくて聞くのをためらった。 

「行ってくるね」

 母さんは雨合羽を着ると合羽の裾を揺らしながら玄関を出て行った。

「行ってくるね」

 布団から出てカーテンを開けた。そして窓を開け、二階から激しい雨に激しく痛めつけられ晒され続けている道路が街灯に照らされている様子あたりを見下ろした。合羽姿の母さんが立てかけてある自転車を合羽姿の母さんが押し出しているきた。

 思わず窓から身を乗り出した。

「母さん、気をつけなよ!」

 雨の音にかき消された俺の声に母さんは気付くことこちらを振り返ることなく、自転車を漕いで雨の中に道路の向こうへと消えて行った。

 なんとなく重い気分で窓を閉めるた。が、今度は部屋の中に響く雨漏りの音が耳を突き刺したてくる。カーテンを閉めて布団にもぐる。

 目を閉じてもさっきの母さんの姿が頭にこびりついて離れない。この雨じゃ道は大分濡れているだろうな。この時間は暗くて見通しが悪いから、滑らないか心配だ。登校の時間まであったことを忘れるように眠ることにした。

 激しい雨はまだまだ音が相も変わらず続いているきそうであった。


      

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