第85話 辺境伯別邸へ

 乗り込んだ馬車の室内は、大人が2人乗っても、まだかなりゆとりがある広々としたものだった。

 車内も車外同様で、決して華美では無いが細かい所まで手を抜かず丁寧に仕上げられているのが、素人が見てもわかる上質さだ。

 太一は思わずほぅと感嘆の声を上げる。


「素晴らしい馬車ですね」

「ありがとうございます。ダレッキオ家は代々質実剛健を旨にしており、あまり派手な装飾を好みません。ややもすれば、地味だとの誹りを受けることもございますので……」

 御者台にいるノルベルトから、そんな答えが返ってくる。


「それは何とも残念な……。天井の装飾やひじ掛けの彫り込み一つ取って見ても、素晴らしい出来栄えではないですか。見た目が派手なだけの装飾など、ただの無駄でしかないでしょうに。そう言う方は余程見る目が無いのですね……。おっと、これは失礼しました」

「ふふ、面白いお方ですね。主とは気が合うかと思います。では、そろそろ出発いたしますね」

 御者席にいるためノルベルトの表情は見えないが、きっと驚いた後良い笑顔をしているだろうことが、声色から伺える。


 その後、小さく「出してください」と言うノルベルトの声が聞こえ、ゆっくりと馬車が動き始めた。 

 静かに動き出した馬車はサスペンションが効いているのか、依頼時に乗る乗合馬車とは乗り心地が段違いだ。


「ロマネスクとゴシックの中間くらいの感じかしら? でも所々、アールヌーヴォーっぽい有機的なモチーフも混ざってるし、やっぱり独特の美術体系があるのねぇ」

 文乃は、興味深そうに車内の装飾をじっくり鑑賞しては様式を分析して楽しそうだ。

 その横で太一は、カーテンの隙間から外を眺め現在地の確認をしていた。


 馬車は西商業区を北に進み大きな広場へ差し掛かる。

 太一達はほとんど足を踏み入れたことが無いが、この辺りから旧住宅街と呼ばれる古くからある住宅街だ。

 広場はロータリーの役割も兼ねており、そこで東へ進路を変え旧住宅街を進んでいく。


 旧住宅街は建物の一軒一軒が大きいが、ルームシェアのように使っている所もあるため、富裕層ばかりが住んでいる訳ではないらしい。

 馬車は旧住宅街の中央にある広場で再度北側に進路を取る。少し進むと、建物の大きさがさらに大きく豪華になっていった。

 

「雰囲気が変わったわね。高級住宅街って感じかしら?」

 いつの間にか一緒に外を見ていた文乃が呟く。


「はい。この辺りは仰る通り高級住宅街で、通称“貴族街”と呼ばれております。中央に王宮がございますので、やはりその周りにご自宅や別邸を構えられる貴族の方が多うございます」

 文乃の呟きを聞いていたのか、御者台のノルベルトから答えが返って来た。


「そうなんですね。この辺りは初めて来ましたよ」

「左様でございましたか。確かに冒険者の方は、あまり訪れる機会は無いかもしれませんね。さて、それでは間もなく到着しますので、ご準備をお願いいたします」

 

 貴族街を進んだ馬車は、王宮前大広場から東へしばらく進んだ所で一度停車した。

「お帰りなさいませ、ノルベルト様」

「ご苦労様です。お客様をお連れしました」

「はっ。どうぞ、お通り下さい!」

 衛兵だろうか、誰何を済ませた馬車は邸宅の敷地内と思われる前庭へと入っていく。

 館へと続く道沿いには立派な木が何本も植えられており、林の中を抜ける小道のようで、街に居ることを忘れてしまいそうだ。


 木立の中をしばらく進むと、石造りの立派なファサードが見えてきた。

 馬車と同じくロマネスクともバロックとも表現できない、力強く美しい造りの邸宅だ。


 馬車はそのまま玄関前の馬車寄せで停車する。

 外を覗いてみると、護衛と思われる衛兵を従えて、辺境伯本人とフィオレンティーナ、そしておそらく家族であろう男女が出迎えに出て来ていた。

 ホストの家族全員が出迎えに来ているのだろう。大層な歓迎ぶりだ。


「いやいや、盛大なお出迎えだね、こりゃ……」

「レッドカーペットが無くて良かったわね」

 その光景に太一と文乃がやや引いていると、ノルベルトから声が掛かる。

 

「お疲れ様でございました。ご準備できましたら扉をお開けしますので、お声がけください」

「ええ、もう準備は出来ています。心の準備はまだですが……」

「ほほ、かしこまりました。では、失礼いたします」

 外側からガチャリと扉が開き、太一が先に降りて文乃に手を貸す。

 2人が降りると、辺境伯がその横にいた小柄な女性と共にこちらへ近づいてきた。


「よく来てくれた、タイチ、久しぶりだな。そして初めてお目に掛かるな、アヤノ。今日は家族だけの楽な場だ、是非楽しんでいってくれ」

 辺境伯が挨拶をすると、それに続いて全員が一斉に会釈をする。


「お招きありがとうございます、閣下。平民の身故、至らぬ点もあるかと存じますが、なにとぞご容赦ください」

「なに、気にせずとも良い。と言うかそなたの所作はこれまでも特に何も問題など無かったのだから、安心すると良い。おっとそんなことよりまずは家族を紹介させてくれ。妻のキルスティだ」

「初めまして!ロマーノの妻、キルスティよ。娘を助けてくれて、本当にありがとう!! タイチにはお礼が言いたくて仕方が無かったのよ。今日は楽しんでいってね!」

 キルスティは、待ちきれないとばかりに笑顔で前のめりな挨拶をしながら、両手で握った太一の手をブンブンと上下に振り回した。

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