万年課長の異世界マーケティング ―まったり開いた異世界広告代理店は、貴族も冒険者も商会も手玉に取る

ぱげ

プロローグ

第1話 広告代理店最大手「電博通信」

 東京都港区汐留。2000年代初頭に再開発された複合都市の一角に、日本最大の広告代理店「電博通信」の本社ビルは建っている。

 時間は21時。かつての不夜城と呼ばれた時代であれば、煌々と明かりが灯っている時間だろうが、昨今のテレワーク推進の波に押され、いくつかの窓から灯が漏れるにとどまっていた。

 そんな静かなビルの上層階にも、灯のともる部屋があった。

 「企画2課」と書かれたプレートが掲げられた部屋の中、管理職席と思われる窓際のデスクに一人の男が座っていた。


 この部屋ただ一人の住人は、PCのモニタに向かって作業をしているようだ。

「ふぅ。これで今回のイベント企画もひと段落か。やれやれだ」

 溜息とともに軽く背伸びをして一人ごちる。

 清潔感のある短髪、それとは裏腹な無精ひげが、ここ数日の忙しさを物語っていた。


 伊藤太一(いとう たいち)、42歳。ここ企画2課の課長を務める男だ。

 部下はテレワークをしているのだが、管理職である太一は週3日程度の出社を続けている。

 太一が課長を務める企画2課は、大規模なイベントや大手企業のCMプランニングなどを手掛ける花形部署企画1課とは異なり、小規模なイベントや中小企業のCM、果ては商店街の店舗プロデュースにゲームの企画までこなす、企画の万屋(よろずや)集団だ。

 手間がかかる仕事が多いわりに派手さはないため、お世辞にも人気の部署とは言えない。

 「ふぁぁぁ」と豪快にあくびをしながらPCをスリープモードにしてから席を立ってロッカーへ向かうと、大型のカバンを取り出し部屋を後にした。


 ガチャリ

 静まり返る廊下を歩いていると、ちょうど通りがかった一室のドアが開いた。

「あら、伊藤さんも今お帰り?」

 人事課、とプレートが掲げられた部屋からキャスター付きのキャリーケースを引いて出てきたフォーマルなスーツの女性が、そう声をかけてきた。

 肩甲骨まであるややウェーブのかかったダークブラウンの髪を後頭部でまとめてバレッタで止めている。


「ああ、文乃さんも出社してたんだ。遅くまでお疲れ様」

 足を止めて太一が答えた。

「ここの所随分根を詰めてたみたいだけど大丈夫?」

「まぁね。何とか片が付いたよ」

 すまし顔で語り掛ける文乃に太一は疲れた表情のまま答える。

「そ。それは良かったわね。お疲れ様」

 相変わらずのすまし顔に微笑を浮かべながら文乃がそう言うと

「もうちょっと労ってくれてもいいんじゃない?」

 と苦笑しながら太一が言う。


 見方によってはトゲのあるやり取りだが、二人の間にそんな空気は無い。

 それもそのはずで、文乃と呼ばれた女性、東雲文乃(しののめ あやの)と太一は大学の同期で同期入社、かれこれ20年来の付き合いになる。


「文乃さんのほうはどう? 新卒のインターンが佳境でしょ?」

「お陰様でこっちもひと段落つきそうよ」

「そっか。そっちもお疲れ様。だったら久々に飲みに行かない?」

「これから?」

「これから」

「二人で?」

「二人で」

「う~~ん、やめておくわ。今日はこれから前乗りなのよ。明日のインターンイベントが朝早いから前泊しなくちゃならなくて」

 引いているキャリーケースを指さしながら答える文乃に、太一が目に見えて肩を落とす。

「そう。そりゃ残念。じゃあまたの機会に」

「伊藤さんも随分大荷物だけど、どこか行くの?」

「ああ、俺はこのままレンタカー借りて釣りキャンプに行く予定。ようやくまともな週末休みだし」

「だったら飲みに行ってる場合じゃないんじゃないかしら??」

 並んで歩きながら益体も無い会話を続けていると、ほどなくエレベータホールについた。


 下向きの矢印ボタンを押しながらも会話は続く。

「インターンに来る子でさぁ、ウチの課第一希望の子、いる?」

「……残念ながら、いないわね」

「……そっかぁ」

「仕方がないわよ。新卒の子には、一課のほうが目立つもの」

「そりゃそうなんだけどね。二課長の俺を目の前にしてそれを言っちゃダメでしょ?」

「ふふ。何を今更。電博最速で一課長になった男でしょ」

「まぁね。ただし……最速で二課長に異動になった、ってオマケつきだけど」

 いたずらっぽく笑いながら言う文乃に対して渋い顔で太一が答える。


 そう。今でこそ二課長の太一だが、元々は花形部署一課の課長であった。

 しかも入社5年目という異例のスピード出世で、会社の最速記録をぶっちぎりで更新していた。


 新卒で一課に入社した太一は、すぐに頭角を現し、次々と大規模イベントや大手のTVCMを成功させる。

 そしてついに入社4年目に作った飲料メーカーのCMがその年のCM大賞に、CMのコピーが流行語大賞を受賞したのだ。

 その成果と、チームを仕切ってクオリティの高い仕事を続けていた手腕を見込まれ、5年目の春ついに一課長に抜擢された。


 しかし転機は急に訪れる。

 元々、若い太一を課長にすることに対しては、社内から反発の声も多かった。

 そこを押し通したのが、企画一課のある営業部で当時部長を務めていた大熊だ。

 大熊は太一の大学の大先輩で、太一の祖父が開いていた武術道場に通っていたこともあり、入社来何かと気にかけてくれていた。


 そんな大熊が突然左遷された。

 色々な憶測が社内で飛び交ったが、後釜に座ったのが新しく副社長となった男のお気に入りであったことから、権力闘争のあおりを受けた、との見方が有力だった。

 そのせいか、新しい部長と太一はそりが合わなかった。


 今の穏やかな太一からは想像もつかないが、当時の太一は自信に溢れ上司にも平気でかみつく扱いづらい若者だった。

 当然新しい部長ともぶつかった。その結果、わずか半年で二課長へ異動と相成った。

 懐の深い大熊と違い、独断を嫌う新しい部長から厄介払いされたのだろう。

 以来15年、二課の万年課長である。

「あらいいじゃない。二つも記録があるなんて。うらやましいわ」

「……」

 くすくす笑いながら言う文乃に、太一が首をすくめた。


 そうこうしている内にエレベーターが到着し、ポーンという機械音とともに銀色の扉が開く。

 まず文乃が乗り込み、開くボタンを押した時、それは起こった。

 ドーーーーンという轟音とともに激しく建物が揺れる。


「きゃっ!!」

「うおっ!? 地震か??」

 一瞬の間をおいて今度は文乃の乗ったエレベーターが激しく光を放つ。

 眩しさに目を凝らすと、エレベーターの床に三角形を二つ重ねたようなマークがあり、そこから青白い光が溢れていた。

「文乃さんっ! すぐにエレベーターから降りてっ! なんかヤバそうだ!」

「ええ! って、なにこれ、出られない!?」

 内側から文乃が手を伸ばすが、まるで光が壁になったようにそこで手が止まってしまう。

 エレベーターからの光はどんどん強さを増していき、そしてついには文乃の姿がかすみ始めた。


「い、伊藤さんっっ!!」

 ドンドン! と光の壁を内側から叩きながら、文乃が叫ぶ。

「文乃さんっ! くっ、なんだこの壁!」

 太一も必死で文乃の手を取ろうとするが、光の壁に阻まれ触れる事が出来ない。

「だぁぁっ、硬すぎだろ!!」

 業を煮やした太一は、今度は光の壁に全力で肩からぶつかる。


「こ、の!! いいかげんに、しろ、ってのっ!」

 ピシッ!

 何度も体当たりを繰り返していると、文乃がほとんど光に飲み込まれそうになった時、ついに光の壁に小さな亀裂が走った。

「よし。ヒビが入った! これで・・・どうだっっ!!」

 そこに渾身の力を込めて拳を繰り出すと”パキンッ”と乾いた音を立ててついに光の壁を突き破る。

 そのまま必死に手を伸ばし、太一の手がかすかに文乃の手に触れる。


 その瞬間だった。

 光はさらに輝きを増し膨張を始める。エレベーターを突き抜け、激しい光の柱が汐留の夜空に向かって真っすぐに立ち昇る。

 そして――


『シタヘマイリマス』

 初めから何事もなかったかのように静かなエレベーターホールで、誰も乗っていないエレベーターの扉が電子音と共に閉じていった。

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