蜜月 4
夕食を食べたのち、千早様はお風呂に入りに脱衣所へ向かった。
中居さんがお隣のお部屋にお布団を敷いてくださり、綺麗な所作で頭を下げて去っていく。
いただいた夕食もとても美味しかった。
春の山菜を使ったご飯は品のいいお味がして、蛤のお吸い物は香りづけに柚子の皮が散らしてあって、口に含むと鼻から香りが抜けていって、口当たりもさっぱりしていた。
天ぷらも、お刺身も、箸休めの酢の物も……すべてが美味しくて、ちょっと食べすぎてしまったくらいだ。
千早様のお邸では、お休みを取っていた下女の方が戻ってこられたので、わたしはお台所に立つ機会は減ったけれど、今日の夕食を美味しそうに食べていらっしゃった千早様を見たら、お料理のお勉強もするべきだろうかと考える。
千早様はお出汁がよく効いた、けれども薄味のものを好まれるので、今日のお夕食は口にあったのだろう。
縁側の椅子に座って、すっかり夜の闇に覆われた空を見上げる。
金色の綺麗な月と、無数の銀色の星が煌めいていた。
こうして、穏やかな気持ちで夜空を見上げることなんて、道間で暮らしていたときは考えられないことだった。
月は、星は、美しいのだなと、誰でもわかることを改めて思う。
――子宝の湯って言われているから、新婚にはもってこいでしょう?
ぼんやりしていたからだろうか、ふと、牡丹様に言われたことを思い出した。
……子宝の湯、かぁ。
千早様と祝言を上げたのだから、いつかは……とは思う。
千早様は、わたしの父のように、生まれた子がどんな色を持っていたとしても、落胆し処分しようなどとはしないはずだ。
だけど……、親の愛情を知らずに育ったわたしが、子供を立派に育てることができるだろうか。
子供ができてもいない今からそんなことを考えても仕方がないとはわかっているけれど、自分がちゃんとした母親になれるかどうかが心配で仕方がない。
わたしはどうも、物事を後ろ向きに考えてしまう。
わたしはもう道間ではなく、千早様の妻になったのだから、もっとしっかりしなくてはと思うのだけれど、こればっかりは油断しているとすぐに表れてしまう悪い癖だった。
いつかわたしも、牡丹様のように自信にあふれた素敵な女性になれるだろうか。
わたしは、母を知らない。
乳母も、わたしが五つか六つくらいのときにいなくなったので、ぼんやりとした記憶しか残っていなかった。
だから、わたしの身近な大人の女性は、牡丹様だ。
牡丹様のように、優しくて温かくて、自信にあふれている、素敵な女性になりたい。
「……がんばろう」
「何を頑張るんだ?」
ぐっと拳を握り締めたとき、頭上から千早様の声がして、わたしは思わず「ひゃっ」と飛び上がった。
顔を上げれば、浴衣姿の千早様が立っている。
湯上りの千早様は、ほんのり頬が上気していて、直視できない色気が漂っていた。
「え、ええっと、その……、牡丹様をお手本に、千早様の妻として立派に、なりたいと……思っていました……」
なんだか気恥ずかしくて声が尻すぼみになるわたしに、千早様はぐっと眉を寄せた。
「ユキがしたいことに異論を唱えるわけではないが、牡丹を手本にするのはあまりお勧めできない」
「どうしてですか?」
湯上りの千早様に冷ましたお茶を用意しながら訊ねると、千早様が縁側の椅子に腰を下ろしてため息をつく。
「母親に振り回されている青葉を見ていて気づかないか? あれは、面倒くさい女だ」
そうだろうか?
千早様の前にお茶を置きつつ首をひねると、千早様がわたしの頬に手を伸ばした。
「何かを手本にする必要はない。ユキはユキのままでいればいい」
「わたしの、ままで……」
千早様はどうして、いつもわたしを肯定してくれるのだろう。
至らない点ばかりなのに、わたしのままでいいなんて。
頬を撫でられるのが気持ちよくて目を細めると、千早様がひょいとわたしを膝の上に抱き上げる。
こんなことをされたのははじめてで、恥ずかしくておろおろしてしまったけれど、湯上りの千早様の体温が心地よかった。
千早様の手が頭に伸びて、地肌をくすぐるように撫でられる。
「お前はあれこれ考えすぎるきらいがある。もう少し肩の力を抜いて生きろ」
「……はい」
わたしの小さな不安を、こうやって千早様は一つ一つ溶かしてくれる。
千早様の胸に甘えるように頬をつけると、つむじのあたりに口づけが落ちてきた。
こういう、穏やかで優しいふれあいが、その時間が、わたしは好きだ。
「千早様、今日の山菜ごはんが美味しかったので、お邸に帰ったら挑戦したいです」
「そうか、それは楽しみだな」
千早様が楽しみにしてくださるなら、頑張って美味しいものを作らなくては。
この日、わたしたちは、夜遅くまでぼんやりと夜空を眺めて過ごした。
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