蜜月 1

 目を覚ますと、千早様が眠っていた。

 途端にどきりと鼓動が跳ね、かあっと顔が熱くなる。


 千早様と夫婦になって五日。

 まだ……慣れない。


 わたしをしっかりと腕の中に抱き込んで眠っている千早様は、とても穏やかな表情をなさっていた。

 千早様の妻となって、わたしは下女ではなくなっているけれど、朝の弱い千早様を起こすのは変わらずわたしの役目である。

 だけど毎朝、千早様の腕の中から出たくないとも思ってしまって、ここのところ、ずっとあと少し、もう少しだけと葛藤している。


 そーっと千早様の胸の耳をつけると、とくとくと鼓動の音が聞こえてきて安心する。

 千早様の腕の中でもうひと眠りしたいところだけれど、あんまり遅いと青葉様……青葉さんが困るだろう。

 名残惜しいような気がしつつも、わたしは、千早様の腕の中から声を上げた。


「千早様、起きてくださいませ。朝ですよ」


 一度の声かけで起きてくださらないのもいつものことだ。

 声をかけても、軽く揺さぶっても、千早様は眉一つ動かさない。

 根気よく何度も何度も声をかけ続けると、ようやく、千早様の眉がぐぐっと寄った。

 同時に、わたしを抱き込む腕に力がこもる。


「……ユキ、まだ夜だ」

「夜ではございません、朝ですよ。ほら、窓の外も白んでいます」

「知らないのか、陽が完全に上るまでは夜というんだ……」

「何をおっしゃっているんですか千早様」


 寝ぼけているのだろうか、千早様がよくわからないことを口走る。


「お日様が完全に登れば、朝ではなくお昼だと思います」

「俺が朝と言えば朝なんだ……」


 無茶苦茶な。

 わたしを抱き込んだまま再び深い眠りに落ちようとする千早様に、わたしは慌てる。


「千早様、青葉さんが困ってしまいます。起きて――んむぅ?」


 ゆさゆさと千早様を揺さぶれば、何かお気に召さないことでもあったのか、少しだけ乱暴にわたしの口が塞がれる。

 少し長い口づけに、わたしはうっとりと目を閉じかけてハッとした。


 ……このままだとこのまま寝ちゃう!


 千早様の策略にはまってなるものかと、わたしは彼の胸をぽんぽんと叩く。

 ようやく口が離れると、千早様がうっすらと目を開けていた。


「褥の中で他の男の名を呼ぶな」


 どうやら、青葉さんの名を呼んだのが気に入らなかったようだ。

 だけど、千早様がようやく目を開けてくれたので、ひとまずこれでよかったのかもしれないと思うことにした。


「おはようございます、千早様」

「……まだ早いじゃないか」


 髪をかき上げながら、千早様が仕方なさそうに上体を起こす。

 昨日は千早様を起こすのに一時間くらいかかったので、それに比べれば今日はかなり短い時間で起こすことに成功したようだ。

 青葉さんから、いっそのこと枕元に鍋とお玉を置いておくかと問われ、真剣に悩むくらいには、毎朝千早様を起こすのは根気がいる。


「春眠暁を覚えずという詩を知らないのか?」


 ……千早様の場合、春だけでなく年中ですよね。


 という言葉は飲み込んでおこう。

 眠いのか仏頂面の千早様が、ちょっと可愛い。


「知りません、よかったら教えてくださいませ」

「そうか。それなら今度、漢詩を教えてやろう。だから俺はもう少し寝る」

「いえいえダメですよ!」


 だから寝るって、なにが「だから」なのだろう。

 起きて起きてと背中を押すと、千早様はようやく諦めたらしい。

 まだ半分眠そうな千早様のお着替えを手伝って、わたしも支度を終えると、お布団を片付ける。お布団を置いたままにしておくと、千早様が再び横になる危険があるためだ。


「お食事の前にお茶をお持ちしますね」


 お茶を飲んでいる間に、朝餉の用意が整うだろう。

 わたしが部屋を出てお台所に向かうと、途中の廊下で青葉さんとすれ違った。


「お館様はもう起きたのか?」

「はい。今日はいつもよりお早いですよ」

「それはよかった。この調子で頼む」


 今日千早様が早く目覚めてくれたのは偶然だと思うけれど、青葉さんに期待を込めた目で見つめられると、無理ですとは言えない。

 頑張ります、と答えて、わたしはお台所でお茶を用意すると、千早様の待つお部屋に向かい――


「千早様、ダメですよ! 起きてくださいませ!」


 お布団がないにもかかわらず、畳の上で二度寝をしようとしていた千早様を、慌てて起こしにかかったのだった。



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