怒りと鬼火 3

「お館様‼」


 青葉が血相を変えて部屋にかけ込んできた。

 そろそろ昼餉の時間だが、食事を報せに来たにしては乱暴だなと千早は眉を寄せる。


「どうした」

「ユキが、何者かに連れ去られた可能性が……」


 青葉が最後までいう前に、千早は立ち上がった。


「どういうことだ」


 青葉によると、火桶の炭を用意すると言って裏庭に向かったユキが、忽然と姿を消していたと言う。

 裏庭には何故か野菜が散乱しており、薄く積もった雪の上に複数人の足跡があったらしい。


「通用口も開いたままです。おそらく、そこから連れ去られたと思われるのですが……」


 それを聞いて、千早は裏庭に向けて走り出した。

 青葉も慌てたように跡をついてくる。

 裏庭に向かうと、青葉の言う通り、確かに野菜が散乱していて、男のものだと思われる草履の跡が複数人分見つかった。

 ギリ、と奥歯を噛みしめて、千早は開け放たれたままの裏口を睨む。


(……どこのどいつだ!)


 ユキがいくら道間家出身であろうと、自分の邸の中にいたら安全だと思っていた。

 それに、ユキの外見は道間らしくない。一目見ただけでユキが道間家の娘だったと気づくものはいないだろう、そう思っていた。


「……通用口の奥の道には、女の足跡はない」

「抱えられたか、何かに入れられて運ばれた可能性がありますね」


 千早はひとつ頷く。

 悲鳴も聞こえなかったことから、気を失っていた可能性もあるだろう。

 野菜が散乱していると言うことは、これらを入れていたものの中にユキを入れて運んだか。


「青葉、俺は足跡を追う」

「しかし……!」

「俺の足が一番早い。第一、この里にいる鬼で俺にかなうものはいないだろう」


 だからこそ、解せなかった。

 鬼は縦社会だ。隠れ里に住む鬼の中に、千早の決定に否を唱えるものなどいない。

 もっと言えば、千早が暮らす邸で狼藉を働こうなどと考える鬼がいるとは思えなかった。


(ならば、外部の鬼か?)


 しかし、現世からこちらへの道を開ける鬼は限られる。

 よほど力の強い鬼でなければ無理だろう。

 里の中で言えば、青葉か牡丹くらいしか思い浮かばなかった。


(今はそんなことを考えている場合ではないな)


 相手がどこの誰であれ、ユキを連れ去ったことは確かだ。ユキが自らついて行くとも、この場から逃げるとも考えられない。

「牡丹に報せて捜索隊を指揮させろ。お前は邸の中に手掛かりが残っていないか調べてくれ」

 千早は、青葉の返事を待たずに走り出す。

 雪の上に残された足跡を追いながら、千早は自分の腹の中で、怒りの感情がとぐろを巻くのを感じていた。


(俺のものに手を出すなんて、いい度胸だ……!)


 こんなに感情が乱れたのは久しぶりだった。

 それこそ、父が道間の女狐に殺されて以来かもしれない。

 しばらく走り、石畳の道に出る。

 さすがに人通りが増えるこのあたりでは、無数の足跡の中から同じ足跡を見つけるのは不可能だろ――普通ならば。


(舐めるな)


 すぅっと千早は目を細める。

 すると、無数に点在する足跡の中から、千早が追って来たものだけが赤く光った。足跡にわずかに残っていた妖力を可視化したのだ。


(あっちか)


 千早は再び走り出す。

 走る千早が珍しいのか、道行く者たちが驚いたような顔で振り返っていく。


 石畳の道を走り抜け、都の外壁を出て農村地にたどり着いた。

 雪に埋もれた田畑の間を走っていた千早は、灰色の煙がもくもくと立ち上っているのを見つけて足を止める。

 田畑の間に置かれていた、農工具を入れるための小屋が燃えているようだ。

 周囲に他に建物もないため、炎が燃え広がることはないだろうが……と考えてハッとする。

 赤く可視化していた足跡がその小屋に向かって伸びていたからだ。


「ユキ‼」


 まさか、と千早の顔から血の気が引く。

 小屋の周りには誰もいない。

 赤い炎に完全に飲まれている小屋の戸を、千早はためらいもなく蹴破った。


「ユキ‼」


 お願いだから、勘違いであってほしい。


 そう願った千早は、炎に包まれた小屋の中を見て、ひゅっと息を呑んだ――




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