第9話
それからの試験は大きな問題もなく、無事に終了した。教室に戻ると、案の定全員がボロボロでいすや机に体重を預けることで何とか自分を支えていられるような状態の奴がほとんどだった。
試験の結果が出るまでには一週間ほどかかると言われている。今日はホームルームをして帰れるはずだったのだが、俺だけはそうもいなかったようだ。
「ヲルカ・ヲセット。君はこの後、教務員室までくるように」
先生の呼び出しにクラス中がざわついた。やはり俺がウィアードと対峙して退けた事は周知の事実なのだろう。がやがやと帰り支度をしながらも、みんなが奇異の目で俺を見てくる。そんな中、ヤーリンだけが心配そうに声を掛けてきてくれた。
「ヲルカ…」
「大丈夫だよ、ヤーリン。きっと今日の怪物の事について聞かれるだけだから。一番接触していたのが俺だったって話で」
「うん…」
「先に帰っていてもいいよ」
「ヤダ。待ってる」
「わかった」
かと言って、正直ヤーリンだけを残しておくのは心配だった。今日のタックス達を思えば、卒業というタイムリミットがあることも重なって、余計なちょっかいを出してくる奴も必ずいるだろう。
俺はチラリとフェリゴを見た。フェリゴは何も言わず、ただ俺に向かって親指を立ててきた。やっぱり持つべきものは友達だな。アイツの場合は、定期的に酷い目に遭わされたりもするが、悪友だって立派な友達なのだから問題はないはずだ。
◇
言われた通り教務員室に行くと、すぐに別室に案内された。会議室のような部屋の中には見た事もない十人が厳格な顔つきで腰かけており、濡れた服の代わりに体育の授業用の服を着ているのが、とても場違いで悪い事をしている様な気になってしまう。
「失礼します」
「掛けたまえ」
「…はい」
そう言って、一脚だけ用意されていた椅子に腰かける。これはアレだ、就活での圧迫面接の雰囲気に似ている。怖い。
「そんなに畏まらなくても平気だよ」
「はあ」
と、愛想笑いと共に返事をしたが、この状況で畏まらない生徒がいるんなら会ってみたい。こういう時は畏まれと、逆に説教してやる。
「今日呼ばれた理由に心当たりはあるかな?」
「…『ウィアード』の事ですよね?」
「やはりあれは『ウィアード』だと?」
「他に思い当たりません。少なくとも事前に聞いていた『ウィアード』の特徴は見受けられましたから」
「君は『ウィアード』に関心が強い生徒だと聞いているが、どこまで把握しているのか?」
「どこまで、と言われても…噂で聞くような事しか知らないです」
これは真実だ。さっきのウィアードがたまたま知る妖怪・蟹坊主だっただけで、それ以外の事は何一つ分かっていない。むしろ俺が聞きたいくらいだった。
「では様々な干渉をモノともしなかったウィアードに、剣での一撃を入れられたのは?」
それはきっと、蟹坊主の質問に答えたからだ。伝承でも問いに答えられ、独鈷(仏具の一種)を頭に刺されて絶命するという話が残っているから、俺はそれを真似たに過ぎない。
けれど、それをどう説明する? まさか馬鹿正直に自分は前世で妖怪オタクだったんですという訳にはいかないだろう。俺は結局、ヤーリンの時と同じようにごまかして答える選択をした。
「…無我夢中だったので、よくわかりません」
「そうか…わかった、もう結構だ。何はともかく君の活躍によって、他の生徒に甚大な被害が広がることはなかった。今回の騒動も不測の事態とは言え、それに対応を試みた生徒は評価すべきという声が多い。試験結果を楽しみにしていなさい」
「はい…失礼します」
実際には五分程度の面談だったが、体感的には三時間くらいに思えた。魔力も気力も尽きていたのが影響していたかもしれない。
「疲れた…コーラ飲みてぇ」
ヱデンキアにはそんな物はないと分かっていてもあの爽快感の記憶はあるのだから仕方ない。とにかく無性に甘い物を口にしたい衝動に駆られながら、俺はヤーリンの待っている教室へ戻って行った。
学校からの家路を歩いているとヤーリンが色々と教えてくれた。
何でも俺が呼ばれている最中に試験と今後の事についてアナウンスがあったそうだ。
査定の結果は一週間後の卒業式と同時に学校の掲示板に張り出されるらしい。それは合格発表というよりも、誰がどのギルドに進むのかを明確にする目的があるそうで、卒業した後もギルドの垣根を越えて友情を育んでほしいという計らいだという。
が、友人のフェリゴに言わせれば、それは表面上の安っぽい理由だそうで、『ヤウェンチカ大学校』の水面下でのギルド侵略の一環だそうだ。
その証拠にギルドからの合否の連絡は個人に先立って届くので、わざわざ開示する必要性がないというのがフェリゴの弁だった。あれは誰がどこに行ったかを明確にして個人同士での繋がりを持たせると同時に『ヤウェンチカ大学校』との関わり切らせないための措置であり、さもなくば希望が叶わなかった不合格者を嘲笑うためにやっているかのどちらかだと言う。
とはいえ、できれば『ヤウェンチカ大学校』のどこかに入って、ヤーリンと会える機会が増えたらいいな…くらいの意気込みしかない俺にとってはわりかしどうでもいいことだった。
そんな騒動を済ませて眠りについたのが昨日の事。
明くる日に目覚めた俺は今、人気のない早朝の公園の隅っこでかつてない程に興奮し、舞い上がっている。
何故そこまで喜び勇んでいるか。当然ながら理由があった。
元を辿って行けば、俺が見た夢の話まで遡る。
◇
卒業査定が行われた日の夜。つまりは昨日の晩。
俺は正しく泥のように眠ってしまった。知っての通り、あの日は魔力も気力も精根も尽き果てていたので、両親が病院に行くことを提案するほどに青い顔をしていたらしい。それでも食欲は普段の倍以上あったので、一日だけ様子を見ようという事で落ち着いていたのだ。
ベットに横になるのとほぼ同時に意識を手放す。
ムカつくことに、夢の始まりにはタックスが出てきた。
いつものように俺に向かって挑発的な事や罵りを遠慮なくぶつけてきていたのだが、不意に吹っ飛ばされ消えていった。するとそこには、山頂で出くわしたウィアードこと、蟹坊主が取って代わって鎮座していた。
蟹坊主からは不思議と敵意を感じず、何故か動けない俺の背後に回り込むと気配を消した。
必死に後ろを振り向こうともがいていると、左腕に違和感が走る。見てみると、俺の人間としての左腕は消え失せており、代わりとばかりに大蟹の腕がくっ付いていたのである。蟹の手は自分の意思で自在に動かす事ができ、その腕を使って俺は他の妖怪をばったばったとのしていた。
そこで目が覚めたのだが、俺は自分の部屋に広がっている光景を見て、短い悲鳴を上げた。
ベットからだらしなく落ちていた俺の左腕は、夢で見たのと全く同じ蟹の手になっていたからだ。
そんな魂消た事が起こったのだ。
その時の蟹の手は必死に念じる事で元に戻ったのだが、俺の中に奇妙な感覚を残していった。その感覚を頼りに、夜な夜な人目を忍んでは蟹の手を自在に出し入れできるように練習を始めた。
それは前世で小学生の時、一輪車に乗るためにした練習と似ていた。
頭の中では乗っているイメージが湧くのに、実際にやってみるとうまく行かない。何度も姿勢を変えたり、力加減を調節してみたりしてこなしてりと試行錯誤を繰り返していった六日後の夜。
俺はとうとう完璧に自分の意思で蟹坊主の腕を出し入れすることができるようになったのだ。それも左腕だけでなく、左右両方の腕を変化させる術も体得できるようになっていた。
これはつまり、妖怪・蟹坊主の力を部分的に扱えるという事だ。
さらに驚くべき発見もある。
まず、ヱデンキアで近年になって発生している怪奇現象の類。ウィアードと称されるモノの正体は、ずばり『妖怪』であることが分かった。訓練場で蟹坊主と出くわす前は、魔法と亜人が跋扈するヱデンキアにおいてすら妖怪は存在しないのだという固定概念と先入観があったせいで見落としていたが、よくよく調べ直してみると、ウィアードがらみの様々な事件の概要が既存の妖怪の伝承・逸話と酷似しているのだ。
俺は学校がないのをいいことに、昼間はウィアードの調査、夜は蟹の手への変容術に寝食を犠牲にして明け暮れた。奇しくも前世での生活と同じ轍を踏んでいる。しかし、まるで疲労感がない。体が十代のそれになっているのもそうであるし、何よりも妖怪のためにだったらどんな事でもやり遂げられるのは前世からの折り紙付きだ。
そしてもう一つ。
ウィアードの調査をしている中で重大な事が分かった。
どういう理屈か妖怪は全てにおいて魔法が通用せず、さらに妖怪によっては物理的な干渉も不可能なモノも存在する。しかし、新しく会得した蟹の手を用いれば接触は勿論、妖怪にダメージを容易に与えられるのである。
これはつまり、アレだ。俺はヱデンキアの鬼太郎を名乗っても過言ではないのではないか?
いや、妖怪を封じた手で戦うんだからヱデンキアのぬーべーか?
鬼の手ならぬカニの手…つまらねえ洒落だな。
卒業査定からの一週間をそんな調子で浮かれて過ごしていた。その結果、俺は卒業セレモニーがある登校日に盛大に寝坊したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます