第3話 進路
お隣同士なので玄関を開けるその瞬間まで他愛もない話で盛り上がっていた。すると帰り際にヤーリンが言った。
「それじゃあ、また後でね」
「え? 何かあったっけ?」
俺は頭の中で予定帳を捲ってみた。けれどヤーリンと何かを約束していた記憶などはまるで残っていない。
「…今日はヲルカの家で誕生会でしょ?」
「…誰の?」
「ヲルカのに決まってるじゃん!」
「あ…」
言われてみれば今日が誕生日だし、親もそんなことを言っていた気がする。俺の家族とヤーリンの家族は頗る仲がいいのでこうしてどちらかの家族の誕生日には二世帯が集まってパーティをやるのが通例だ。自分の事なのにすっかりと忘れていた。
ヤーリンは頬を膨らませ、ジトッと湿った視線をこちらに飛ばしてくる。
「もう…先月に私の誕生日会してくれたばっかりなのに」
「いやあ、ヤーリンは覚えていたんだけど自分のは忘れちゃうね」
「どっちも覚えててよ! とにかくパパが帰ってきたら行くからどっかに遊びに行っちゃダメだよ」
俺に釘を刺したヤーリンはスルスルと蛇の体を使って家の中に入っていった。
自室に入った俺は通学鞄を適当に置くとささっと部屋着に着替えた。もうちょっとピシッとした格好の方がいいかな? まあ先月のヤーリンの誕生日と違って今日の主役は俺だ。多少ラフでも問題ないでしょう。
まだまだ時間はあるので俺は机に座ると引き出しの中から例のじっちゃんの画集を取り出した。何か中毒性があるんだよな、この絵は。一年365日見てても飽きが来ない。見るたびに発見があったり、横に記されている事細かな背景世界にどっぷりと引き込まれてしまうのだ。
改めて考えなくてもこんな数多くのバックストーリーと容姿をじっちゃん一人で考えたとは思えない。誰か他にアイデアを提供する人がいたか、もしくは本当にこの怪物達が存在している別世界に行っていたとか…なんて流石に発想が突飛すぎるか。
そんな事を自室の机に向かいながら考えていると、驚くほど時間が進んでいたようで母から食卓にくるように呼ばれた。俺は返事と共に画集を引き出しにしまうと足早に階段を降りて下へと向かった。
いざダイニングに行ってみると、テーブルの上には見た事もないようなご馳走が並んでいる。そして両親と一緒に俺の誕生日を祝うために、ヤーリンと彼女の両親がいつの間にかやってきていた。
俺の姿を見つけるとヤーリンが改まってこちらに寄ってきた。あの後に着替えたのであろう、こじゃれたレストランにでも行くような余所行きの服を来てお祝いの言葉を伝えてくる。
「お誕生日おめでとう、ヲルカ」
先程別れ際に見せた不機嫌顔はどこ吹く風。眩しいくらいの笑顔で可愛らしく梱包したプレゼントを渡してきた。
…あれ? 何だかヤーリン、滅茶苦茶大人になってない?
「あ、ありがとう。ヤーリン」
お礼を告げると、ヤーリンは「へへへ」と更に初々しく笑う…あ、やっぱり子供っぽい。良かった、何だか俺だけ置いていかれたのかと思った。
そんな様子をお互いの親は、実に微笑ましく見ていた。
「さ、ヤーリンちゃん。ヤングウェイさんたちも席についてください。今年もウチの子のためにありがとうございます」
母の一言で俺たちはそれぞれ席につく。その時、食事の時にはほぼ必ずと言って差し支えない頻度で俺の椅子に座って寝ている飼い猫のテイサをどける。テイサは「ニャー」と声を出したが、きっと「誕生日おめでとう」と祝ってくれているのだろうと勝手に解釈し、頭を撫でた。
オレ達家族は普通に椅子に座ったが、ヤーリン達ご一家は器用にとぐろを巻いて、その上に上半身を座らせるようにしている。流石は蛇の特徴を持つラミア族といったところか。テーブルが高いので、ヤーリンだけは一つ台を噛ませてはいるが。
始めのうちは素直に誕生日を祝われ、料理の味を聞かれたりといった会話が流れたが、次第に俺とヤーリンの学校生活の話題へと変わっていった。
「いよいよ二人も中等部卒業…か、早いねえ」
「全くだな」
「ところでヲルカ君は進路は決めたのかい? できれば僕やヲーナッツやヤーリンと同じように『ヤウェンチカ大学校』を志望してくれれば、こんなに嬉しいことはないのだけれど。こればかりは君自身の選択だからね」
「そうだよ。ヲルカも『ヤウェンチカ大学校』に決めちゃえばいいのに」
「たはは…」
ヤーリンの父親であるユアンさんの言葉を愛想笑いでかわす。実を言うと俺はこの段階をもってして、未だに進路を決めかねているのが現状だった。
何となく踏ん切りが付かず、その上どこのギルドに対しても大きな興味や関心が持てないでいる。差し当たってやりたい事も特技もあるわけでないし、成績だって特筆すべきところはない。あるいはこの感覚は遂に亡くなるまで無所属のイレブンを貫いたじっちゃんの影響を受けているのかもしれない。
ヱデンキアに存在する十個のギルド、そのいずれにも所属しない者は通称で「イレブン」と呼ばれる。社会不適合者というと過言だが、ヱデンキアで生活する上で不利になる場面は多いと聞く。
「特に最近は物騒な…というか何とも奇妙な事件の話を聞くしね。騎士はお姫様の傍にいてほしいじゃないか」
俺は奇妙な事件と言う単語に反応したのだが、ヤーリンは騎士と姫という言葉に反応していた。
「パパ。もうお姫様って言われて喜ぶ歳じゃないよ…」
「何を言っているヤーリン。ヤーリンは何歳になろうとも可愛い可愛いお姫様なんだよ。そうか…屈強な騎士と言うのなら『ナゴルデム団』に入ると言う手も、」
「ダメ! ヲルカは喧嘩弱いもん!!」
ヤーリンが高らかに言い放つと食卓は途端に笑いに包まれる。俺は実に面白くない顔をしながらサラダをムシャムシャと頬張っていた。
◇
さて俺の誕生日から約三ヶ月後。
光陰矢の如し、とはよく言ったもので俺達の中等部学校生活もまもなく卒業が見えるところにまでやってきてしまった。ヱデンキアの義務教育制度は初等部は六年、中等部が三年と定められている。
高等部や大学にあたる機関は、『ヤウェンチカ大学校』を除く各ギルドにも存在しており、一般的には中等部を出ると、自分の価値観や得意な魔法に見合ったギルドの学校に進み、そこでギルド活動にも参加しながら研鑽を積む。
なのでヱデンキアの子供たちは割かし早い段階で、将来の職業や自分の夢を見据えているのだ。
初等部の六年と中等部の三年の日々の授業の中でヱデンキアの基礎的な知識や常識を習得できたし、得意な魔法系統というのも掴めてきた。どうやら俺という人間は緑と青の魔法が得意らしかった。その色の特に実践的な魔術の習得は教師陣が目を見張るほどの上達っぷりだったと自負している。
が、それも俺のいた環境を考えてみれば当然だろう。
俺がここまで魔法の技術が上達したのには二つの意味でヤーリンが絡んでいる。
一つ目にヤーリンが百年に一人の天才と称される程、緑と青の魔法に対する類稀なる才能の持ち主だったことが挙げられる。幸いにもこの九年の間、ヤーリンとの仲はすこぶる好調で学校の外でも中でも常に一緒にいるような間柄だった。当然、ヤーリンの魔法を間近で見る機会が一番多く、直々に魔法を教えてくれたこともあって、俺も飛躍的に青と緑の魔法が上達していったのだ。
そして二つ目の理由にヤーリンが年を追うごとに麗しく成長していったという事がある。
端的に言うと、アレだ。
ヤーリンに岡惚れをして、常に一緒にいる俺に嫉妬心を燃やし、ちょっかいを掛けてくるタックスのような連中が中学三年生になったあたりから爆発的に増えたのだ。
緑の魔法は生命や肉体に根強い関係性を持っている。体力を回復させたり、身体能力を向上させたりというタイプの魔法がカテゴライズされている。一方で青の魔法は風や水、精神力といった流動性が高かったり無形の物質を司る。無形という点では魔法を使うために必要な『魔力』そのものも含まれている。その為、青の魔法を突き詰めていくと相手の使ってくる魔法に対しての妨害が可能になるのだ。
俺に絡んでくる連中は人外がほとんどで、しかも大なり小なり魔法を使う。自己防衛の為に否が応にも魔法が上達するのは、正しく当然の事だった。
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