第2話 この世界(表)

 俺の名前は天野金星。埼玉県にあるごく普通の公立中学校に通う中学1年生だ。

 俺が通っていた小学校の卒業生はほとんどこの中学校に進学する。

 さらに他の小学校からも生徒が集まるため、一学年のクラスは全部で七クラス。

 一つのクラスにつき男19人、女19人がいて、合計38人だ。クラスの数が多いので、全員の顔と名前を一致させるのに時間が掛かった。


 今日で入学してから二か月が経つ。最初の頃は新しい環境に戸惑い、授業や課題、部活などに追われる日々だったが、今ではすっかり慣れた。


 この中学校では、お昼ご飯を食べ終わった人から、45分間の昼休みに入る。学校の施設内なら何をしてもいい自由な時間だ。

 けれど、友人作りに失敗した俺は、教室で居場所がない。

 だから昼休みは、図書室で小説を読んで過ごしている。

 別に図書室でなくとも、校舎は広い。昼休みを潰せる場所はたくさんあるのだが、毎回考えて移動するのは面倒だ。

 だがら、最初から図書室にいると決めたほうが圧倒的に楽だと思った。

 ただ、難点があるとすれば、この学校の校舎の構造だ。

 校舎は三つあり、川の字のように並んでいる。左から『教師舎』『学生舎』『室舎』と分かれており、それぞれ三階建てだ。

 一年生の教室は学生舎の一階にあり、俺は一組なので校舎の端にある。

 ちょうど川の字の二角目を書こうとペンを置いたあたりと言えば、わかりやすいだろう。

 一方、図書室の場所は三角目の終わり、つまり室舎の隅だ。

 そう、移動にはそれなりに距離がある。というか長い。

 しかし、図書室も一階にあるのは唯一の救いだ。


 今日も昼飯をさっさと済ませ、教室から空気のように抜け出し、図書室に向かう。

 お気に入りの本棚の前に立ち、気になる本を手に取る。そして、誰も座らない定位置へと持っていく。

 ここは部屋の隅であり、机の前には壁のように本棚が立っている。図書館に入って来る人は、本棚を回って来ないとこの席は見えない。それに、この席の周りの本棚には古い本ばかりが並んでいて、人が来ることはほとんどない。だがら、いつも空席だ。

 この静かな空間で本を読むのが、俺の日課だ。


「あぁそういうことか」


 予想外の展開に思わず声が出していまい、静かな図書室で微かに響いた。本棚の隙間からちらりと図書室内を確認する。幸い、誰もいないようだ。少し安堵する。

 俺は息を吐きながら次のページを開いた。その時、図書室のドアが開く音がした。

 続きを読みたかった俺は気にせず、本に目を戻そうとする。だが、足音がこちらに向かってくる。音はどんどん近づき、すぐそばで止まった。


「金星」


 名前を呼ばれ、驚いて本から目を離す。体ごとそちらに向き直ると、幼馴染の渡良瀬千明と、落合春歌が立っていた。

 幼馴染が小学校一年生からの付き合いというのなら、俺にはそう呼べる人が三人もいる。そのうちの二人が、千明と春歌だ。彼女たちは小中学校と同じで、今でもこうして会うたびに話しかけてくれる。中学校で友人を増やすことに失敗した俺にとって、この二人は貴重な存在だ。


「二人が図書館に来るなんて珍しいな」


「そんなことないよー、私は昼休み行かないだけで10分休みに借りに来るんだー。でっ!これは昨日借りた漫画。おもしろくて、一日で読んじゃった!今日は続きを借りに来たんだー」


 自慢げに胸を張り、持っていた本を俺の目の前に差し出してくる。


「おっおう、たのしそうだな。春歌も一緒に本を借り来たのか?」


「違うよ、千明の付き添いってだけ。てか聞いて!ピアノのテストが一か月後に急に決まったんだよ。今回の曲、すごく難しくてさ。毎日練習しているけどなかなかうまくいかないんだよね」


「大変ってあと一か月もある。春歌なら余裕だろ」


 春歌は幼い頃からピアノを続けていて、友人になってからは、彼女の家に遊びに行くたびに腕前を見せてもらった。俺もピアノを弾けるため、彼女の実力がどれほどのものかは理解している。だからこそ、春歌なら簡単にこなせるだろうと、素直に答えたのだが・・・


「ちょっと、私の上達速度をなめないでよ。本当に遅いんだから」


 どうやら感に障ったらしい。春歌は大きなため息をつき、暗い表情になる。


「そうなのか?」


「そうだよ!ピアノ教室で大体課題曲が完成するのが遅いし、完成してもみんなより汚い音しか出ないし!あー私にも才能があれば・・・」


「そんなに謙遜しなくてもいいと思うぞ」


「みんな励ましてくれるけど、どうしても悪い方向に考えちゃうんだよね~。金星、私の心を強くする催眠術でもかけてよ」


「無茶言うなよ」


「相変わらずお似合いだねー」


「千明?何か言った?」


 春歌の視線が千明に向けられる。殺気を感じるほどだ。今にも何かしでかしそうな目で、千明を見つめている。そんなに俺と仲良く見えるのが嫌なのか、さすがに傷つくぞ。


「あははー冗談冗談」


 他愛もない話を数分間続けていると予鈴が鳴った。


「あっそろそろ昼休み終わるから先に教室に行ってる、授業に遅れないようにねー」


 千明はその場から逃げるように、手を振りながら走り出した。


「ちょっと待ってー。金星、さっきの話は真に受けないでよ!ばいちー」


 春歌も同じく手を振り、千明を追いかけていった。


「はいはい」


 その日から、俺が図書館に行く度に、千明が現れて話しかけられるようになった。そんなことが一週間近く続いたある日・・・。


「やっほー、またあったねー。」


 千明はそう言いながら俺の右隣の席に座る。

 俺は本から視線を外さず読み続ける。

 俺は机に向かって本を読んでいると、千明も同じように本を開くのだが、なぜか肩をぴったりと合わせてくる。それに体重が乗っているため、右肩は常に重い。本当にこの図書館には人が来ないので、誰かに見られる心配はない。

 だが、別の意味で心配になる。

 もし千明が他の男子にも同じような距離感で接しているのだとしたら、いずれ彼女を奪い合う戦いが起きてもおかしくない。


 千明は、この学校でもトップクラスの美少女。なぜ、モデルのスカウトが来ないのか不思議なくらいだ。テレビに出てくるモデルと同じくらい整った容姿をしている。

いつも元気で、少し天然で周りを明るく照らすのが千明だ。

 そんな彼女が所かまわず男子に無意識にアピールし続けたら、勘違いした男子たちによる争いが起きることだろう。

 まぁ、千明はそんなこと思ってもいないだろうが。


「ここで会うの、何回目だろうな」


「うーん、、、わかんないw」


「今日も一人か?」


「金星もでしょ?w」


「・・・言うな」


「今日はどんな小説を見ているの?」


「恋愛小説だ」


 千明の顔がにやりとした。


「何?恋でもしたのー?」


「違う。最近この本が有名になっているから、読んでいるだけだ」


「なぁーんだ、つまんないー」


 会話というのは難しい。事実を言っただけなのだが、相手は面白い返答を期待していることが多い。そして、この『面白い』という感覚は人それぞれで、場の雰囲気や状況を考えて発言しなければならない。考えなしに面白いことを言える人は、すごい才能だと思うし尊敬する。 

 俺は自分の言葉を面白くするのが苦手で、よく会話を終わらせてしまう。だがら、こういう時は新たに話題を出して、会話を続けることにしている。


「悪かったな。そういえば、春歌は最近何している?」 


「今日は外で駿斗君たちとバスケしていると思うー」


「春歌、バスケ得意だっけ?」


「多分、駿斗君のかっこいい姿を目の前で見たいだけだと思う。まぁ好きな人が活躍しているところを見たいのは当然でしょ?」


「え?春歌、駿斗のこと好きなの?」


「そうだよ。あ、もしかして知らなかった?」


「おう」


 このことを知った俺は、自分の人脈の狭さに驚いた。長く付き合っている幼馴染の情報すらまともに持っていない俺の情報網の狭さに。


「えーーー結構有名なのに」


「そうか、詳しく聞かせてくれ」


 友人の恋事情は把握しておかないとならない。理由は、誤解やトラブルを避けるためだ。例えば、駿斗と春歌の関係について知らずに何か発言してしまった場合、意図しない言葉が誤解を生む可能性がある。

 そうした事態を防ぐためには、事前に知っておくことが重要だ。相手の気持ちを尊重することで、友人との関係を良好に保つことができ、自分の行動を慎重に考えることができるからだ。


「仕方ないなー」


 千明は嬉しそうに話してくれた。

 どうやら、春歌は小学二年生の時、百メートル走で一位になってガッツポーズを挙げた駿斗を見て好きになり、今でも好意を抱いているらしい。

 そんなことを知らなかった俺は、なんだか複雑な気持ちになった。

 本名、宵宮駿斗とは、小学三年生の時に同じクラスになり、それ以来友人として接している。

 最近、駿斗は好きな人に振られたばかりで恋愛関係は避けていたいと言っていた。

 春歌のことを応援したい気持ちもあるが、今は駿斗の気持ちを優先してやりたい。

 このことを伝えるとややこしくなる気がして、胸の内にしまっておいた。


「一途だな」


「そうなんだよー春歌かわいいよねー」


 そういった直後、千明が妙なことを始めた。

 本を置き、席を立ち、両手を広げ大きく息を吸い、吐いてその場で数回ジャンプした後、自分の顔を手で叩いた。


「あのね。今日、私と、紫苑と弟の翔くん、春歌と妹の李菜ちゃんと一緒にお泊り会するんだけど、金星もどう?」


 突然の誘いに驚いたが、考えてみれば千明とは小学二年生の頃によく遊んでいた。

 しかし、三年生に上がってからは遊ぶ機会がかなり減っていた。

 俺は小学一年生から始めた習い事が忙しく、誘いをほとんど断っていたからだ。

 少し考えて答えを出した。


「いいよ」


「ほんと!よかったー。妹さんも一緒に来る?歓迎するけど」


「あいつは習い事があるから、来れないと思う」


「うーん、残念。じゃあ五時くらいにうちに来て、待ってるから」


「分かった」


『バイバイー』と言って手を振りながら、どこかに走っていった。

 俺は千明が置いていった本を棚に戻し本を借り教室に戻って午後の授業を受けた。


「はい今日の授業はこれで終了です。私は一度職員室に行くので、戻ってくる前に帰りの会の準備を済ませてください~ふぁ~」


 担任の三上玲子先生は教職歴二年の女性で、連絡が早く、生徒一人一人をしっかりと見ているいい先生と評判だ。しかし、いつも眠たそうな顔をしているため、一部の生徒からは眠り姫と言われ、からかわれている。


 俺の席は廊下側で後ろから二番目だ。一号車とも呼ばれている。少し左を向けば教室全体が見渡せる。

 俺は目立つのが好きではないから、いつも他の生徒が動いてから行動することにしている。今日も、先生が合図をした後、クラスメイト達が一斉に帰り支度を始めたのを横目で確認し、ロッカーからリュックを取り出している五人以上がいるのを見てから立ち上がろうとした。

 その時、教室の窓から、隣のクラスの風間良太が声をかけてきた。


「なぁなぁ今日、団地で遊ばないか?」


 良太は駿斗と幼馴染で親友と呼べるほど仲が良い。水泳が得意で、小学校全国水泳大会では二位という成績を持つ。

 俺が良太と仲良くなったきっかけは、小学三年の頃、駿斗と公園で遊んでいたとき、別グループで遊んでいた良太と偶然会い、一緒に遊んだときだろう。

 それ以来、暇があればこうやって誘ってくる。

 しかし、千明と同様に大体の誘いは断っている。そんな俺にいつまでも遊ぼうと誘ってくれるのは、有り難い。良い友人を持った。同時に誘いを毎回のように断っている俺の心の狭さを感じる。


「すまん、今日は別の約束があるんだ」


「ほほう、まさかかの」


「違う」


 これはいつものと思い即答した。


「はやいはやい」


「良太はすぐ恋愛関連の話に持っていこうとするからな」


「さっすが僕の右腕だな!よく僕のことを知っている!」


「前から言ってるが右腕にはならんぞ」


「わかったわかった」


 笑いながら、両手を上下に振った。


「ところで、誰から誘われたんだ?」


 ここで、正直に答えたほうが早く解放されるのはわかっている。だが、言ったら言ったで色々と聞かれるのがおちだ。


「今日は、佳の家で読書をする約束なんだ」


「佳って誰?あぁーお前と同じ陸上部の奴か」


「あいつも俺と同じで小説好きらしい。家にたくさん本があるから、部活が終わった後に一緒に読もうって誘われたんだ」


 実は嘘だ。本名、佐藤佳とはそんな約束をしていない。

 俺は陸上競技部に所属している。佳は同じ陸上部の仲間だ。しかし、まともに話したことはほとんどない。嘘をいかに本当のように思わせるかが重要だ。俺の経験上、迷わず誘われた相手の名前を出せば、相手は大抵それ以上追求してこない。


「そうなのかー仕方ないなーじゃあ、また明日誘うからな!」


「明日は土曜日だ。」


「あっそうだった!スイミングか・・・てへ」


「可愛くしても可愛くないからな」


「とほほん」


「帰りの会を始める席についてー」


 ドアを開けて入ってきた三上玲奈先生がみんなに指示を出した。


「おっと眠り姫が来た。俺も教室に戻るわ、じゃあまた誘うからなー」


「分かった。水泳頑張れよ」


「うっす!」


 良太は自分のクラスに戻り、泊まりに必要なものを考えながら帰宅の準備をし、帰りの会が終わった。


 この中学校には五つの面倒なルールがある。そのうちの一つが集団下校班だ。

 ここ数年、学校周辺で誘拐や殺人などが増えたため、学校側が生徒を近くの家ごとにグループ化し、その班で帰らなければならないルールを作った。

 ここまでは安全を考えれば必要だと思うが、中学生にもなってこんなルールが必要かとも思う。

 問題は、下校中の会話が禁止されていることだ。

 下校場所に各先生たちが配置されていて、話をしていると怒こられる。

 理由は車の音や、助けを求める声などを聞こえやすくするためらしい。面倒だと思いながらも、先生に怒られる時間が無駄と考え、この学校のルールには従っている。


 今日は職員会議があるため、全ての部活が休みになった。下校班で家に帰り、父に泊まることを伝えてから必要なものをリュックに詰め、自転車で目的地に向かった。

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