3章 呪いと共に⑧
病院から徒歩十分県内にある浜沿いのラウンジバー『
「乾杯!」
声を揃えて、各々グラスやジョッキをぶつける。
「まさか大王が、こんないいお店を知ってるとはねー」
エリクはデッキから見渡せる夜の海を眺めて、しみじみとこぼす。
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。私も驚きよ、和佐ちゃん群れるの嫌いなんじゃなかった?」
料理を運んできたのは、赤い口紅と制服のミニスカートの下に穿いている黒タイツが蠱惑的なマスターの
「わあっ、美味しそう」
目の前に並べられた生ハムサラダに、マルゲリータピザ、ステーキ……見た目もお洒落な料理に思わず声が弾んだ。
「うふふ、ありがと」
語尾にハートがつきそうな声で、明美が頬に口づけてくる。
「◎$♪×△¥○&?#$!?」
火照る頬を押さえている一叶の隣で、翔太が呑んでいたカクテルを吹き出した。
「真っ赤になっちゃって、可愛いっ」
明美は一叶に笑いかけて、腰をくねらせながらカウンターへと戻っていく。すると翔太がおしぼりで口元を押さえながら、焦ったように顔を覗き込んできた。
「だ、大丈夫?」
カクテルグラスを手に放心しながらこくこくと頷いていると、エリクがつまみのフライドポテトを口に運びながら、仕切り直すように言う。
「まさか、みんなで来れるなんてびっくりだよね」
「二時間だけ、親睦会で抜けることを許してもらえたんです。もちろん、オンコールがあれば行かなければなりませんので、お酒はほどほどにお願いしますね」
霊病科は毎日オンコールの状態なので、さすがに三六五日二十四時間、お酒を飲んではいけないとは言いづらいのだろう。患者からしたら飲酒している医者に診られるのは嫌だと思うので、皆も一杯だけで済ませるはずだ。
「特にこれから夜勤に戻る黄色くんは、私と仲良くノンアルコールで」
京紫朗はノンアルコールのハイボールが入ったジョッキを持ち上げる。
「うう、今度は僕が夜勤じゃないときに行こうね! 僕もぐでんぐでんに酔いたいよ!」
エリクはノンアルコールのレモンサワーのグラスに頬を寄せて、しくしくと涙ぐんだ。
ビールを煽っていた和佐はジョッキを置き、エリクに呆れたような目を向ける。
「いや、話聞いてたか? 俺たちも、ぐでんぐでんにはなれねえぞ?」
「わかってるよー、でも、今日はいろいろあったじゃん? ぱーっとやりたかったんだよ」
エリクのグラスの氷が、カランッと寂しく音を立てる。
「七海ちゃん、これからどうなるんだろうね」
あの黒いアニサキスの摘出後、七海は一時間ほどで目覚め、児童相談所のスタッフに連れられて退院した。
「その件に関して、梓刑事から連絡がありました。光子さんは子供に虫を無理やり食べさせたとして、心理的虐待の強要罪にあたり、量刑は三年以下の懲役になるだろうとのことでした」
京紫朗の報告を聞いた和佐は、ジョッキの取っ手を強く握り締める。
「部長、
「七海ちゃんは意図せずとはいえ、その呪いで人を殺めていますから、児童養護施設で生活しながら、特Sによる保護観察処分となるみたいです」
もう呪いの影響は受けないとはいえ、この世のあらゆる出来事において、絶対に大丈夫だと言い切れることはない。仕方がないことではあるが、七海はただの被害者なのに、という気持ちは拭えない。
「あいつ、子供のくせに変なとこ大人だからな。自分の責任もちゃんとわかってて、ずっと背負って生きていくんだろうな」
和佐の目が少しだけ遠くなる。
七海は自分が同級生の雄を死なせてしまったから、死ななければと言って、実際にその命を絶とうとした。
「けど……あいつなら、大丈夫だ」
霊病科の全員で、退院する七海を病院のエントランスで見送ったときのことだ。彼女は児童相談員に手を引かれながら出ていく際、和佐を振り返って約束したのだ。
『私が死んだら、お兄ちゃんの腕が悪かったってことになっちゃうから、頑張って生きてくよ。ばいばい、私の先生!』
あのときの七海の清々しい顔は、皆の記憶にも鮮明に刻まれたはずだ。
「ふふ、そうですね。七海ちゃん、『またね』じゃなくて『ばいばい』って言ってましたし」
一叶の言葉に、和佐は目を丸くする。
「病院に戻ってくるつもりはないってことだと思うので、その意思表示だったのかな、と」
「そう……か。母親って呪いに、あいつ挑むつもりなんだな」
「子供って、私たち大人が思うよりずっと、強いのかもしれないですね」
和佐は「だな」と言って、ジョッキを近づけてきた。一叶もグラスを当てて、それに応える。
ふと、どこからか視線を感じた。斜め前の席を見れば、エリクがじとりとこちらを眺めている。
「なーんか、ふたりとも距離縮まりすぎじゃない? 怪しぃー」
「あ、怪しい?」
一叶が目を瞬かせると、翔太も「俺も思った」と同じように疑いの目を向けてきた。
「おい、勘ぐるんじゃねえよ」
和佐は親指で一叶を指す。
「こいつには隠してたもん見破られて、もうなにも隠さなくてよくなっちまったからな、話してて楽なだけだ」
「……それって、呪いのこと?」
踏み込んでいいものか悩んでいる様子で、翔太が躊躇いがちに尋ねた。
「ああ、俺の呪いのこと、ちゃんとお前らには話してなかったな」
和佐は呪いの影響で悪い未来の予知ができること、同僚の生霊に呪いをかけられたと思い込んでいたが、実際は自分自身だったことを掻い摘んで説明した。
「やっぱり、未来がわかってたんだ。勘がよすぎると思ったんだよねー」
すっきりした、とエリクは伸びをした。
「前よりピリピリしてないっていうか、焦ってる感じがしないし、いろいろ吹っ切れたみたいだね」
小さく笑う翔太に、和佐は頭を掻く。
「似たようなこと、兄貴にもメッセージで言われたわ」
「でもさ、呪いの根源を握り潰すなんて、やっぱ大王だよね!」
エリクが茶化すと、和佐は目を眇める。
「あ? 意味わかんねえ、人間語話せよ」
「そういう傍若無人なとこが大王なんだよ!」
黙れボンボンが、と突っ込む和佐もどこか楽しそうだ。
「で、摘出した黒いアニサキスって、うおちゃんたちが処分したんだよね? 焼却炉なんかで、ちゃんと焼却でき――」
エリクが全部を言い終わる前に、彼の隣に座っていた和佐がその胸倉を掴んで鬼の形相で迫る。
「てめえ、思い出させんじゃねえよ。せっかく忘れかけてたのによ」
「なんでっ、聞いちゃまずかった!?」
八つ当たりを受けているエリクは可哀想だけれど、和佐の気持ちはよくわかる。
「焼かれながらあのアニサキス、『痛いよーう』って叫んでたんですよね」
京紫朗が苦笑しつつ説明すると、翔太は「怖っ」と顔をひきつらせた。
「あの断末魔の叫びが、耳にこびりついてんだよ」
げんなりした様子で、和佐は耳を押さえる。
「そう思うと、僕たちの担当患者さんは平和だったよね」
エリクの視線を受けた翔太は、咥えたピザのチーズに苦戦しながら「うん」と答えた。
「フィギュアが自分のお嫁さんだって話してた患者さんだよね」
一叶が小皿に自分のサラダを取り分けながら尋ねると、翔太は「そう」と頷いた。
「魚住の霊視でも、エリクの念写でも異常はなかったし、あの人から辛いとか苦しいとか、悩んでる様子も感じ取れなくて、すごく幸せそうだった。ただのフィクトセクシュアルなのに病人扱いされるなんて、ちょっと可哀想」
そこへ明美が追加で頼んだチーズ盛りを運んできて、ちゃっかり話に加わる。
「架空のキャラクターに性的に惹かれたっていいじゃない、ねえ?」
翔太はこくっと首を縦に振る。
「自分がつらいとき、支えてくれたのがそのキャラクターなんだって。恋をするには十分な理由だと思う」
「あらっ、本当にいい男っ」
一叶のときと同じノリで、明美は唇を突き出しながら翔太に迫った。
「ま、間に合ってます!」
しがみついてきた翔太に一叶が苦笑いしていると、エリクがおもむろに立ち上がる。
「ごめん、ちょっとトイレ!」
エリクが席を離れると、なぜか翔太がじっと見送っているのが気になった。それを不思議に思っていると、テーブルの上のスマートフォンが震えた。画面を確認してみると、母親からのメッセージだった。
【仕事を辞めないなら死んでやる】
息ができなくなった。楽しい気持ちが一気に萎んでいき、ここにいることになぜか罪悪感を覚える。
「不安……?」
一叶を案じるような表情で、翔太が軽く首を傾げた。
「あ……ごめんね、お母さんから……連絡が来てて。その、今朝、言い合いになっちゃって……まだ、怒ってるみたい」
「そっか」
翔太の視線がスマートフォンに落ち、怪訝そうに眉をひそめる。内容が内容だけに、一叶はスマートフォンを握り締めて、咄嗟に席を立った。
「あ……ちょっと、電話してきます」
皆の視線が自分に集まり、一声かけた一叶は逃げるようにデッキの端まで歩いていく。けれど電話をかける気にはなれず、ひとりでため息をついていると――。
「うーおちゃん」
お手洗いに行っていたはずのエリクが隣にやってきた。
「エリクくん、席に戻らなくていいの?」
「うーん」
エリクは困ったように笑って、手すりを掴む。
「なんか、ちょっと今は……静かなところにいたくて」
賑やかな空気が好きな人だと思っていたので、意外だった。海を眺めるエリクの表情は少し切なげに見える。
「……そういうときも、あるよね」
楽しい空気に水を差したくない。けれど、うまく取り繕う自信がなくて、一叶も母親のことを追及されないようにと逃げてきたところだ。
「うん、僕さ……みんなと仲良くなっていくのが、辛いんだ」
どうして? と聞きそうになった口をすぐに閉じる。
一叶と同じように、彼も誰にも触れられたくないから、ここへ逃げてきたのではないだろうか。だとしたら、今はただそばにいるだけでいいのだと思う。
「今は……なにも考えずに、ぼんやりとしていよう」
エリクが「え?」とこちらを振り向いたのがわかったが、一叶はあえて前を見ていた。
「ご飯はおいしいし、夜の海は綺麗だし、今は忘れよう、いろんなこと」
いつも悩んでいるのだから、今くらい解放されたって許されると思うのだ。
エリクが息を呑んだのがわかった。それから彼は再び海に視線を戻すと、小さく笑う。
「うん、確かに」
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