404 Wonderland -ノットファウンドワンダーランド-

秋川サク

第一章 アクセス編

第1話 アクセスポイント

「なあ、店長。おれ思うんだけどさ」

「はい、なんでしょう」

「やっぱりこの店変じゃない?」

 ルーンはカウンターに座り、店長は黙々と注文のドリンクを作っている。レモンシロップと氷が入ったグラスにソーダが注がれる。店内の雑音とソーダのパチパチと弾ける音だけが、店長とルーンの間を飛び交った。

「ルーン、それを聞くのは今回で12回目ですよ。記念すべき13回目は誰と聞くのでしょうね」肯定も否定もしない。いつも通りだ。

「なんで誰かと聞くのが前提なんだよ。店長がすんなり教えてくれたら、こんなにくどく聞かないよ」

「誰かと聞いて欲しいから教えないんでしょうが。レイブンはどうです? いつも一緒にいるでしょう」

「レイブンは——いいんだよ。おれが一人で知りたいんだ」

「やっぱり子どもですね」


 カラン。


 後ろで店のドアのベルが鳴る。店内に外の光が入り、ドアに立つ少年の黒い影を落とした。肩に担いだ釣竿が細く長い影を作っている。影の持ち主もまた、上から下まで全身が真っ黒の身なりだった。

「噂をすればだ。やあ、レイブン。ルーンの隣、空いてますよ」

 レイブンはルーンの隣のカウンター席に座ると、右手人差し指の爪でテーブルを5回叩いた。

[コツコツコツコツコツ]

「アセロラソーダだね」そう言うと、店長はグラスに氷を入れ、アセロラソーダをつくり始めた。

「レイ、今日は釣れたか?」ルーンはレイブンに聞く。

 レイブンは小さく首を縦に振ると、カバンからホワイトボードを取り出して

[8ひき]と書いた。

 つい浅く溜息をついてしまう。

「やったね。8匹で3200シード」

 アセロラソーダがレイブンの前に置かれた。ルーンもレモンソーダが入った自分のグラスを手に持つ。食器棚のガラス戸が鏡となって、地毛の明るい髪が目立つ、頼りなげな自分と目が合う。

「今日の釣果に乾杯!」

 カチン。


 カラン。また、店のドアが開いた。


 ドアの外には、赤色のフード付きのマントを着た小柄な人が立っていた。目元までフードを被っていて顔がよく見えない。鼠色のショルダーバッグを提げている。

 赤色マントは店内をきょろきょろ見ながら、ルーンたちの座っているカウンターまで入ってきた。

「ここって、喫茶 Alone であってる?」カウンターの中に立つ店長を見上げるように、赤色マントは言った。小さな口元と白い肌が見えた。

「ええ、あってますよ。いらっしゃい。お嬢さん」

「同業者から、ここがノットファウンドワンダーランドへのアクセスポイントって聞いたんだけど」

「ええ、そうですよ」

 店長は表情を変えずに淡々と答える。

 ルーンとレイブンは顔を見合わせて首を傾げた。

「今すぐ行きたいの。潜り方を教えてくれる?」

「なるほど。どうやらあっちの世界に行ったことあるみたいですけど、残念。この店のルールで、一人では通すことができないんですよ。誰か連れはいないのですか? その同業者とか」

 赤色マントは分かりやすくじれったそうに、膝を曲げ伸ばしした。

「どうして一人ではだめなの?」

「魅惑のループに嵌って帰ってこられない人が多いからですよ。君も帰還者なら解るでしょう」

「うん。えっと、その同業者はね、兄なんだけど。夢泳病むえいびょうに罹ってしまったの。だから来られないわ」

 夢泳病という言葉を聞いて、ルーンの耳もレイブンの耳も、ピクッと動いた。

「あの、どうしても一人ではだめですか? もう時間がないの」

「そうでしたか、あの流行病の——。だけどそれなら、なおさら一人で行かせる訳にはいかない」

 赤色マントは肩を落として、今度は分かりやすくがっかりした。

「まあ、そうがっかりせずに。そうですねえ——」そこまで言うと、店長はルーンたちの方を見て悪そうに微笑んだ。

「僕からの依頼なのですが、ここの行き詰まっている二人と、一緒に行って貰えないでしょうか? 経験者ではないし、知識も皆無なので心許ないと思いますが。僕は二人には素質があると思っているんですよ」

「ふーん」赤色マントは初めてこちらに興味を示した。

「それに今回の君のダイブは、誰かからの依頼とかではないのでしょう?」

「うん、そうだけど」そう言うと、赤色マントはフードを脱いだ。

 整った目や鼻だけをみると、一瞬男かと思わせたが、肩まで伸びた白く柔らかい髪が、さらさらと少女の雰囲気へと和らげた。銀のピアスがつるりと光る。初めて見る綺麗さがあった。

「わたし、ハンナ・プランツ」

「ルーン・ヴォイニッチ」

[レイブン]

「え——、ヴォイニッチ? ねえ、君もしかして、」

「ちょっ! ちょっと待ってくれ! 話が読めない! 今おれたちは何に誘われたんだ。ノットファウンドワンダーランド? なんだよそれ。揶揄ってるのか?」

「店長さん、だめだわ。本当に無知!」

 なんて失礼なやつ。ルーンはむっとした。

「まあまあ、落ち着いてハンナ。それにこれは相談でも提案でもない。僕からのダイバーとしての依頼ですよ」

 また、二人が知らないワードが出てきた。

 ハンナは腕を組んでふむふむと頷いた。

「報酬は?」

「そうですね、喫茶 Alone のフードとドリンクを一生無料でいかがでしょう?」

「引き受けたわ。ダイバーとして」

「よかったです。ありがとう」

「だーかーらー!」ルーンは頭の端っこでイライラの種が芽生えるのを感じた。

「ルーン、そしてレイブン。二人ともよく聞いてください。これは、カンパニーに占拠された君たちの故郷、タネの島に関わることでもあります」

 なんだって? 店長の口から出た言葉に、二人は息を飲む。

「この世界にはね、、ノットファウンドワンダーランドという、もう一つの世界が並んで存在しています。並行世界があることも、ノットファウンドワンダーランドのことも、すぐには信じられないと思いますが、とにかく、あるのです。人が、探したいと思った瞬間に、その対象物はノットファウンドワンダーランドに認識され、存在するようになります。そしてその世界では、時が流れていません。時が重なっています。だから、たとえ過去のものでも、時間を辿って探すことができるのです」

 呆然とするルーンたちを置いて、店長は続けた。

「二人はいつも言っているでしょう。カンパニーから故郷を買い戻したいと。僕は素晴らしい心意気だと思います。しかし、買い戻すには莫大なお金が必要なのも事実。魚を売ったり、街で力仕事を引き受けたりするだけでは、一生かけても貯まりません。その莫大なお金を手に入れる方法を、ノットファウンドワンダーランドでなら探せます。もしかしたら、大金そのものかもしれないし、お金ではなく別の手段が見つかるかもしれない」

 真っ直ぐに見つめてくる店長の目には、ルーンの弱そうな姿が映っていた。

「大事なのは、何を探すかです。目的を見失わなければ、必ず答えに辿り着けます。これは君たちの運命を好転させるためのチャンスですよ。こんなところで油を売っていないで行ってきなさい」

 ルーンはどう答えるのが正解なのか迷った。まさに闇雲に出かけるそのものだ。それに、さっきのハンナの反応はなんだったのだろう。

 その迷いが拭い切れないうちに、レイブンがルーンの肩を叩いて呼んだ。

[行こう ぼくは行きたい]

「レイ——、本気か?」

 レイブンは瞳の中を熱くして深く頷いた。

「オーケー、行こう。故郷のためになる可能性さえあれば、行く理由になるからな」

 ルーンはずっと感じていた違和感を、レイブンと一緒に聞くことにした。

「店長、これはただの勘なんだけど、その並行世界っていうのは、この店から感じるおかしな雰囲気と関係があったりするのか?」

 店長はニコリと微笑むと店の一番奥のテーブルに目をやった。ルーンたちもそのテーブルに目線を飛ばす。あそこは普段誰も座らない埃っぽい席だ。だがその時、二人の男がそのテーブルに座り、ノートパソコンを開いた。するとノートパソコンが淡く光り、瞬きをした次の瞬間、二人の男の姿は荷物もろとも消えていた。

「わっ!」「っ!!」

 レイブンも理解不能といった表情でルーンを見てくる。

 客の人数が減ったり増えたり、待ち合わせの客が多かったり、時々クラっと意識が飛びそうになったり——。異様な雰囲気の原因がやっと掴めた気がした。

「そうです。君たちが何度も聞いてきたこの店のおかしな雰囲気。それは、この店がノットファウンドワンダーランドへの入り口になっていることと関係しています。あっちの世界に行きたいと思えば、その門戸は誰にでも開く。しかし、存在を知らなければ行きたいとも思えないし、行く方法を知りたいとも思えない。だから存在を認識することが、まず高難易度なのです。先ほどのようにダイブは一瞬ですから、なかなかそれを目撃することは難しい。それでも君たちは、得体の知れないなにかに期待して、飽きもせず、毎週通ってくれていたのでしょう?」大人が子どもに対して向ける優しさを灯して、店長が語りかけてくる。

「期待もあるけどさ、おれたちにとって身近な大人は店長だけなんだ。いつも知らないことを教えてくれる。通っていれば、新しいことが始まるんじゃないかと思ってたんだ。まあ、レイの方が決断早かったのはちょっと悔しいけど」

「いえいえ。十分ですよ」店長は満足げに微笑んだ。

「どうやら意見はまとまったみたいね」ハンナが言う。

 さっきまで急いでいた様子だったが、会話が終わるのを待っていてくれたのか。優しいのか冷たいのか分からないやつ。

「改めてよろしくね、二人とも」そう言ってハンナは両手を出してきた。

 ルーンは右手で、レイブンは左手で握手した。

「こちらこそよろしく。せいぜい足手纏いにならないように気をつけるよ」

「安心して。これは店長さんからの依頼だから、二人の安全は守ると誓うわ」

 おいおい、やけに上から目線だな。ルーンは、女の子に守ると言われて悔しいような恥ずかしいような、複雑な気分になった。横目で店長の顔を見るとクスクス笑っていた。ああ、大人のこういうところ、腹立つ。

「それじゃあ店長さん。さっきの続きだけど、ノットファウンドワンダーランドへの潜り方を教えて貰えないかな」

「いいでしょう。ただし潜るための鍵だけです。奥のテーブルで待っていてください。ゲスト用のノートパソコンを持ってきますから」

 そう言うと、店長はSTAFF ONLY の部屋に消えて行った。


 三人は店の奥に移動した。カウンター席があるドアの近くよりも広い間取りになっている。ルーンは店の奥まで踏み込むのは初めてだった。自然光がギリギリ届く場所にガジュマルの木が置いてあって、そこを超えると一層異様な雰囲気が増した。入ってすぐのテーブルで男女の客がタブレットを見ながらが話し込んでいるが、声がものすごく遠くに聞こえた。というより、人間の声以外の音量が上げられているように感じる。食器がぶつかる音、コーヒーを啜る音、服が擦れる音が先に聴こえてくる。

 そして、今日見た客は、

「ところで、さっきおれの名前を聞いた時に何か言いかけたと思ったんだけど。なんだったんだ?」

「えーっとね」ハンナはちらちらと他のテーブル席の客を見た。二人用のテーブル席にも小太りの男がひとり、座っていた。ものすごい勢いで携帯電話を弄っている。

「ここでは誰が見ているか判らないから、あっちに行ったら詳しく教えてあげる」

 見る——、なるほど読唇か。だけどそんなに秘密にすべきことだろうか。

「解った。けどすごいねあんた。おれたちのこと何も知らないのによく受け入れたな。相当変わってる」ハンナはおそらく同い年くらい。年齢に似合わない落ち着きと利発な印象があった。

「わたし、あんたって名前じゃないから。ちゃんと名前で呼んでくれないと困る」ハンナは頬を膨らませて急に拗ねた。

 前言撤回。まだまだ子どもじゃん。

「悪かったよ。ハンナ」

「二人を受け入れたのは、店長さんを納得させてすぐにでも潜りたかったからよ。仕事と思えば受け入れるのは当然」そこまで言うとハンナは少し微笑んだ。

「それに、多分わたしたちの目的は重なる部分が多いと思うの」

 やっぱり分からないことだらけだ。

「わたしからも一つ質問」ハンナがレイブンの方を向くと柔らかな白い髪がふわりと揺れた。

「単刀直入に聞くけど、レイブンは声が出せないの? 今後一緒に行動するから、できれば答えて欲しいな」歯切れの良い質問だ。

 レイブンは、カチッとノック式のマーカーのインクを出して返事を書き始めた。キャップ式は持ち歩くのに不便らしく、いつもノック式を使っていた。今どき、タブレットがあれば筆談も楽なのだろうが、二人には自由に使えるお金が限られていた。

 カチッ。インクを仕舞ってペンを置く。ホワイトボードをこちら側に翻した。

[事情があってしゃべれない]

「——解った。答えてくれてありがとう」

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