真っ黒パンケーキ
「志乃ちゃん、ちょっと話いい?」
私は待ち侘びていたようなキリヤ君の声に呼ばれて、振り返った。
「素人に背中取られるなんて、また反省しなあかんわ……」
キリヤ君がにっと笑って私の背を押して座敷へと誘導する。促されるまま座敷に上がった私は、ちゃぶ台の前に座り口を曲げた。
「りっくんが行方不明になった日。私が受け身取り損なうなんてヘマせえへんかったら、あんな騒ぎになれへんかったのに。私はどこまでも未熟やわ……」
「もう百回くらい聞いたんだけどその反省」
キリヤ君はくすくす笑いながら私の向かいに座って、ちゃぶ台の上で両手を組んだ。どうもそわそわしているように感じる。
「志乃ちゃん、前から考えてたんだけど」
正座して改まるキリヤ君の狐面を見つめる。キリヤ君はたっぷり沈黙してから、話を切り出した。
「俺が、臣くんって可能性がどれくらいあるか、聞いて欲しくて」
「あ……私もそれ、考えたことある」
私もちゃぶ台の上に手をついて前のめりになる。その可能性については半鬼の正体がわかってから言及しようと思っていたのだ。
半鬼の正体が衝撃的過ぎて、まだそこまで考えが及んでいなかった。
ちゃぶ台の向かいに座ったキリヤ君がひとつひとつ整理していく。
「りっくんが臣くんの記憶を全食いして消滅の呪いで消したのが十年前でしょ。同じ時期に東京で、消滅の呪いを受けた証の狐面をつけた臣くんが現れる。キリヤと名付けられておとさんに育てられた。この推測、どう思う?」
「合ってたら嬉しいと思う」
「志乃ちゃんらしい真っ直ぐな感想をありがとう」
私は意見ではなく感想を答えてしまったようだ。責めないキリヤ君は懐が大きい。私は言い直した。
「辻褄はあってると思う。そんな偶然、いくつもないやろ……でも決め手がない。断定はでけへん」
「だよね。俺もそう思う。あまりに……希望が強すぎて」
二人で見合って、はぁと息をつく。
そうあって欲しいという希望的観測が私たちの間にある。
キリヤ君の狐面の呪いを解くには本当の名前を呼んで「見つけた」と言うこと。もし間違った名前を呼んだら、キリヤ君が消えてしまう。
一度だって間違うことができない。ハイリスクなのだ。
臣くんが生きていることはお守りの紐の効力でわかっている。でも臣くんがどこにいて、今どうしているのかの手がかりにはならない。
「お守り……」
「お守り?」
「臣くんが持ってるはずの、美月さんとお揃いの藍色のお守り!あれがあったら、キリヤ君が臣くんっていう証明になるんちゃう?」
「なるほど……」
「キリヤ君はお守り、持ってる?」
「持ってない!」
「せやろな!」
にっと笑うキリヤ君に、私もにっと笑い返した。
きっちり整理整頓されて無駄のない彼のキッチンを見ていれば、彼の部屋も片付いて持ち物を把握しているだろうことは想像がついた。
どん詰まりだ。
夜の三軒長屋の自室で、私は一人、腕を組んで首をかしげていた。
「何でこうなったんやろ?」
八畳の部屋の真ん中。小さな丸い木の机の上に、黒焦げのパンケーキの残骸が鎮座している。
今まで食事をするときは何もない部屋で床にお盆を置いて食べていたのだが、木の丸机が可愛いと思って買ったのだ。
この何もない部屋に最近は少しずつ物が増えている。丸机に、小麦粉、フォークにナイフも増えた。
私は黒焦げパンケーキにざくっとナイフを突き刺して、雑巾でも切るようにぎこぎこして切り取った塊を口に入れた。
「まっず」
キリヤ君がつくったふわふわきらきら滑らかなパンケーキを食べ慣れている私にとって、これほどまずいものはなかった。
自分がしでかしたことなので責任をとって食べるが、苦行だった。なんとか焦げ固まりを半分だけ食べ終わって、畳に大の字で寝転んだ。
天井から釣り下がる裸電球を見つめて唸る。
「そりゃ私じゃうまくいかへんよなー」
キリヤ君が手を変え品を変え次々にパンケーキを編み出すのは、もちろん楽しいからだろうが、思い出のパンケーキ探しにも繋がっている。
キリヤ君が昔食べたパンケーキを見つけられたら、それがキリヤ君が臣くんだという根拠になるのではと考えたのだ。
試しに私一人で作ってみたが、惨敗の結果。でも動き続けるしか私には能がないのだ。私は立ち上がってお隣を訪ねた。
「こんばんは」
「志乃ちゃんだー!」
玄関を開けたりっくんは、私の腰にぎゅうと抱きついた。私がりっくんの頭を撫でると、りっくんがもじもじおねだりをくれた。
「志乃ちゃんの時間、食べて良い?」
「ええよ。約束は守ってや」
「キリヤ兄ちゃんといやらしいことしてる午後二時は食べたらダメってやつね!」
「いやらしいことなんてしてへんわ!」
「僕が食べるの睡眠時間だからご心配なく!」
りっくんは少しずつ時間の食事に慣れて、私を頼ってくれている。私がりっくんの頭を撫でるだけで食事は終わった。過去の睡眠時間がなくなろうと何も感じない。
「ごちそうさま!」
私の腰に抱きついたままのりっくんの後ろから、美月さんが顔を出した。
「志乃ちゃんいらっしゃい。りっくんにご飯をあげるために来てくれたの?」
「いや、それはついでで。美月さんに相談があって。ちょっと家に来てくれへん?」
私はりっくんと美月さんを家に招いた。美月さんは私の部屋の中がすっからかんで机しかないので仰天していたが、それよりも机の上の黒い塊にさらに仰天した。りっくんが呟く。
「志乃ちゃん、焼き魚とみそ汁しか作らないからこうなるんだよ……」
「パンケーキの修練は足らんわ」
「志乃ちゃん!がんばろうね!」
美月さんが私の肩をばんばんと叩いて慰めにならないことを言う。私は二人を座らせてお願いを口にした。
「実はキリヤ君が探してるパンケーキがあって、それが母の味やねん。だからそれを作ろうとしたんやけどこの有様や」
私は両腕を組んでどんと黒焦げを見せつけた。美月さんは鉄壁の笑顔だったが、りっくんは床を転げ回ってげらげら笑う。りっくんが生意気元気に戻って私は嬉しい。
「理由はわかったけど、母の味を再現なんて難しいと思うわ」
「美月さんのパンケーキ味でええねん」
「母さんのパンケーキ大好き!」
りっくんは正座した美月さんの背中に抱きついてぎゅうぎゅう甘える。
「臣くんに食べさせてあげてた味を、キリヤ君に食べさせてあげて欲しい」
「臣くんに?」
私は熱を持って頼むが、美月さんの返事は色よくなかった。
「私がキリヤ君にパンケーキをご馳走するなんて大それたことするのも気が引けるけど、もっと問題があるのよ」
美月さんは指を一本上げた。
「臣くんにパンケーキを作ってあげていたときよりも、私は腕が上がってるの」
「え?」
「よく考えてみて志乃ちゃん、母親は毎日料理の腕を振るうわ。りっくんがうちに来てからも私はたくさんパンケーキを作ってる。だから臣くんに作っていたときより上手にできちゃって、あの頃の味なんて出せないと思う」
これは複雑な課題だった。美月さんが言うには臣くんが食べていたパンケーキのレシピはあり、材料も同じものを用意することはできる。
でも美月さんは下手になることはできないというのだ。
「レシピを教えるから志乃ちゃんが作ってあげたら?」
「私が?」
「キリヤ兄ちゃん、腹壊すんじゃない?」
私はりっくんの首根っこを捕まえて、脇に挟んで締める。りっくんがぽんぽんと腕を叩いてギブアップした。私に喧嘩を売るなんて十年早い。
美月さんのもとに逃げていったりっくんを見逃してあげて、私は考えた。
「私やったら下手やから、臣くんが食べてた味に近いかもってことやな」
「平たく言えばそうね。レシピ教えてあげるわ」
美月さんは台所に立って、楽しそうに私にレシピを教えてくれた。
そういえば、美月さんが臣くんに失敗作を何度も食べてもらったと言っていた。その状態を、私なら再現できるのかもしれない。
下手だからこそ生まれる価値もある。
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