お守りの紐
「あれ?」
美月さんはふと自分の手が猫になっていることに気がついて、ばっと立ち上がった。
「え、え?!どうして?!」
「キリヤ君の力やねん。化けの皮を剥ぐって力」
驚いて尻尾をぴゅんと尖らせる美月さんに、私はできる限り優しく届くように声を出した。
「美月さん、化け暮らしやったんやね」
美月さんがキリヤ君と私を何度も見比べて口元を猫の手で塞いだ。美月さんは白と薄いベージュ色が美しい色の毛をぴんと立てた。
「化け暮らしを知ってるの?」
「キリヤ君に教えてもらってん。キリヤ君も化け暮らしや」
美月さんは脱力してすとんとスツールに座り込む。猫の尻尾がくたりと力を失くして垂れた。
「私の化けの皮を剥いで、どうするの?」
「話したいんや。なんも化けてない美月さんと」
美月さんは顔を上げて私の真意を測るように、じっと美しい瞳を私に向けた。
「ここは化け暮らしの休憩処やねん。ほんまの自分になって弱音吐いてもええところ」
私は美月さんの大きな猫のふわふわした手に手を重ねた。
キリヤ君が美月さんの緊張を解して、隠し味が美月さんの心の化けの皮を薄くしてくれているはずだ。美月さんが口を開いてくれるか。
最後の一押しは、私の誠意次第。
「美月さん、ほんまにごめん……」
美月さんのふわふわ猫の手に触れると、ぐっと喉に涙がこみ上げた。美月さんの目が大きく見開かれる。
「あやかしの世界のこと何も知らんくて……一緒に臣くんのこと探してるつもりやったけど、私は全然役に立ってなかったな」
「違うの志乃ちゃん……私に勇気がなくて言えなかっただけ……」
「美月さんが私に言えんかったんは、私が未熟やからや。美月さんは悪ない」
美月さんは鼻先が猫になっても美々しい顔で、首を細かく横に何度も振った。
「でもこれからはほんまに美月さんの役に立ちたいんや。だから美月さんのこと教えてくれへん?」
「志乃ちゃん、私のこと……怖くないの?」
「怖いわけないやん」
私は美月さんのもふもふの手をぎゅっと握って、涙を飲み込んで溌剌と笑った。
「どんな姿でも、大好きな美月さんや」
美月さんはきゅっと形良い唇を噛みしめ、頬に綺麗な雫が一筋落ちた。美月さんはふわふわな猫の手で私の手を握り返してくれた。
「ありがとう、志乃ちゃん……」
しばらく私の手を握ったまま涙を零した美月さんは、座敷で眠るりっくんを優しく見やった。
「何から話せば……」
「美月さんの話したいことを、何でも聞かせて」
私が答えると、美月さんは花びらのような唇をゆっくりと開いた。美月さんが語るのはやはり、臣くんのこと。
「臣くんはね、私が若い頃に人間との間にできた子で。私のこれがバレて……離婚したの」
美月さんは私と握ったもふもふの手を揺らして、大きな猫の手が元旦那さんに拒否されたのだと示した。
「結婚前に言い出せなかった私が悪いから、仕方ないのよ」
結婚した相手が化け暮らしだった。受け入れられない人間がいてもおかしくない。美月さんは鼻をすすってから、溶けたパフェをまた一口食べ始めた。
「臣くんも……化け暮らしってことでいい?」
私がつい見逃しそうなところを、キリヤ君の質問が埋めてくれる。
「臣くんは猫又でね。尻尾が二本あって……可愛いのよ」
美月さんは長い髪を耳にかけながら、スプーンでパフェの底をかいた。
「猫又って個々ですごく能力が違うから、どんな力を持ってるのか楽しみにしてたの。でも、臣くんはまだ力が上手に発現してなかったから。私、それを知ることはできないままで」
パフェが空っぽになり金色のスプーンを置いた美月さんは、私にまっすぐ向いて座り直す。
「臣くんがいなくなって、亀岡中のあやかしに聞き回ったり、化け暮らしのツテを辿ったけど……何も見つからなかった。でもね、でも聞いて志乃ちゃん!」
美月さんは私の手を強く握った。
「臣くんは、絶対に生きてるのよ!」
美月さんからそんなに強い断定を聞いたのは初めてだ。美月さんはいつも唇を噛みしめていたから、本当はもう諦めてしまっているのかとすら思っていた。
美月さんはもふもふの両手で座敷に置いてあった鞄から、お守りを二つ取り出しして見せてくれた。
「このお守りね。特別な力があるの」
「特別な力?」
「化け暮らしの友だちには血の約束を物に宿すことができる力があってね。臣くんが生まれたときに、このお守りに親子の契りっていう約束を宿してもらった」
美月さんがお守りの紐を揺らして見せる。
「親子の契りが終わったら、このお守りの紐が切れるの」
「死んだら……紐が切れるってこと?」
「そうよ!」
お守りの生地自体は色褪せてしまっているけれど、その紐は太く、千切れる気配がない。美月さんは大きくてふわふわの猫の肉球でお守りを包み込み、胸に当てた。
「このお守りが教えてくれてる。臣くんは生きてるの……!」
美月さんの熱い声に私の鼓動が強まった。霧の中を闇雲に探し続けてきた私にとって、こんなに嬉しい知らせが今まであっただろうか。
臣くんが生きている確証を初めて得たのだ。目頭が、熱かった。
「でもね、このお守りを根拠に臣くんは生きてるって世間に主張して……憐れな目を向けられたり、気が触れたって色んな人に言われるのはもう辛くて。言えなかった」
美月さんは物分かりよく臣君の失踪を受け入れる母に化け続けてきた。美月さんはお守りを握り締める猫の手に額をくっつけて涙を零した。
「ごめんね、臣くん……お母さん、弱くてごめん」
卑劣な男から酷い扱いを受けた美月さんを見たばかりだ。今まで私の想像を絶するような心無い言葉に、傷つけられてきたのだろう。
「美月さんを弱いなんて言う奴は、私が投げ飛ばしたるわ」
泣き崩れる美月さんを抱き寄せると、彼女は私の肩にもたれてわっと泣き声を上げた。私は彼女の細い肩を抱きながら、臣くんが生きている事実を噛みしめた。
「こんなにたくさん泣いたのは久しぶりだわ……すっきりしちゃった」
やっと嗚咽が止むと、美月さんの目は赤く腫れ上がり化粧も崩れてしまっていた。
「私ね、志乃ちゃんを本当の娘みたいに思ってるの。だから今日、一緒にパフェを食べられて嬉しかった。」
化粧が乱れた美月さんは私の手を猫の手で包んで、素顔の笑みをくれた。
「臣くんのために節制してくれているのを知っていたから、今までお茶にも誘えなかったんだけど。また一緒に食べましょうね」
美月さんの優しい笑みを見て、胸がずんと重くなった。臣くんが生きていると知ってとても嬉しいけれど、同時に、私の十年間の愚かさに圧し潰されそうだ。
「母さん変化しちゃってるよ?!」
私がはっと座敷をふり返るとりっくんとなっちゃんが起き上がっていた。涙を拭いた美月さんはりっくんに手を向けた。
「志乃ちゃん、紹介が遅くなったんだけど。りっくんも化け暮らしなの」
「え!」
私だってもちろん驚いたが、一番最初に響いたのはなっちゃんの声だった。りっくんも目を瞠った。
「母さん、言っていいの?!」
「この店は化け暮らしの休憩処でね。本当の姿になって良い場所なんだって!」
「本当に?!え、でも……」
りっくんが隣にいるなっちゃんを見て気まずそうに口を噤むと、なっちゃんがくるんと宙返りして耳と尻尾を生やした狸娘になってしまった。
「りっくん、私も……化け暮らしなの」
「ほ、ほんとうに?!ウソみたい!本当にウソみたい!」
りっくんもなっちゃんと同じようにくるんと宙返りする。りっくんの変化はほぼ人間で、側頭部からぐるんと巻いた羊角が二本ぴょこんと飛び出ただけだった。
「なっちゃんの変化、可愛い!」
「本当?ありがとう!りっくんも角!かっこいい!」
りっくんとなっちゃんは両手を繋いできゃっきゃ座敷で飛び回る。
静かに話を聞いていたキリヤ君が美月さんに問いかけた。
「りっくんは何の化け暮らし?」
「りっくんはね……」
「あ!ごめん!」
美月さんが答えようとすると、りっくんが美月さんの鞄を蹴とばしてしまった。はしゃぎ過ぎだ。美月さんの鞄の中身が散乱してスマホがまろびでた。
転がり落ちたスマホは一生懸命、着信を告げていた。美月さんが慌てて電話に出る。すると押し間違えたのかスピーカーになり会話が筒抜けた。
「ごめんなさい、想太さん!帰りが遅くなる連絡を忘れてしまって」
『いえ、私のことなどどうでもいいんです。美月さんとりっくんが元気なら』
想太さんはデートの付き添いができなかった代わりに、りっくんとゲームをする約束をしていたそうだ。
想太さんの連絡を受けて、りっくんと美月さんは急いで帰ることになった。私も立ち上がってお暇する。
なっちゃんを抱っこしたキリヤ君が玄関までお見送りしてくれた。
「志乃ちゃん、大丈夫?」
「何が?」
私が振り返るとキリヤ君が小さい声で言った。
「元気ないよ」
「志乃ちゃん早くー!」
私はキリヤ君の鋭い指摘に答えないまま、りっくんに呼ばれて店を後にした。キリヤ君は人の心を察し過ぎる。
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