キリヤ君の夢


「キリヤ君も……捨てられたん?」


 キリヤ君はふくふく膨らんだパンケーキをゆっくり返してから、私に狐面を向けた。


「いや、俺はもっとわけがわからなくて……これ」


 キリヤ君は鼻から上を隠す狐面を指さした。


「このお面が顔につく前の記憶が全くない。おとさんが言うにはこの狐面は呪いの証だって」

「呪いって……ほんまにあるんや」

「なっちゃんは狸娘になるでしょ?でも俺は、自分がどんなあやかしかわからない」

「わからんってどういうこと?」

「力は使えるけど変化ができない。この狐面は顔に貼り付いていて取れなくて……」


 キリヤ君がにっと大きな口を広げる。


「俺は自分の顔も知らない」


 彼はなぜか狐面という化けの皮を被らされ、本当の自分の姿もわからないという。彼の不必要に明るい笑みに、侘しさが見え隠れした。


「こんな狐面の顔だからね。学校には通えなくて、家でおとさんに勉強を教えてもらって育った。あ、これ寂しかったって話じゃないよ?」


 なっちゃんの生まれも厳しかったが、キリヤ君の生い立ちも相当に酷だった。


 自分の顔がわからず、記憶もない。自分が何なのか、全くわからないのは足元がおぼつかない感覚だろう。


「おとさんは優しくて、可愛い妹もいて、俺は今の暮らしに満足してる」


 キリヤ君はフライパンの上で甘い香りを立てるパンケーキをじっと見つめ、誰が聞いても完璧に明るい声を出した。


「俺は今のままで幸せだから、呪いのことは詳しく知らない。呪いを解く気もないよ」


 今あるもので十分だとする彼は立派だろう。でも多くを望まない彼の声が自分に言い聞かせるようで、痛ましくも聞こえてしまった。


 キリヤ君がパンケーキと遊んでいるように見えるのは、学校に通えず友だちも作れなかった子ども時代の名残のように思えた。


 キリヤ君は堅物の私にも気さくに接する軽やかな人柄だ。店を開いて、困った子を放っておかないと公言する彼は、他者と交流するのが好きなのだ。


 そんな彼が一人で過ごした時間はさぞ、長かったことだろう。


「まあそんな感じで化け暮らしは大体みんな事情があって、孤独になりがち。ストレスも溜まりがち」


 キリヤ君はフライ返しで焼き目を見ながらパンケーキをゆっくり育てていく。私はやっと調理器具を洗った泡を水で流した。


「だから化け暮らしはこの休憩処に集まって、化けの皮を剥いだ本当の姿でさ。愚痴でも言いながら甘い物を食べてくれたらって思ってる」


 キリヤ君がこの休憩処にかける想いは、自分が実際に抱えていた孤独から生まれたものだ。キリヤ君が一人だったときに、化け暮らしの居場所が欲しいと強く願った。


 秘密を抱えて息苦しい化け暮らしが、本当の姿に戻れる場所をつくりたい。


 そんな夢を持って一人でパンケーキ作りに励んできたのか。


「できた!志乃ちゃんおかわり食べるでしょ?」

「もう下校時刻やから見回りに行かんと」

「えー!今度はもっとゆっくり来てよ」


 大きな身体のキリヤ君がしゅんと肩を落とす。いちいち反応が大きい。


「俺さ……この狐面で」


 私は洗い物を終えた手を拭いて、キリヤ君をふり返る。言い淀んだキリヤ君がぼそっと言った。


「友だちいなかったから」


 まじまじと狐面を見上げると、キリヤ君はさっと顔を逸らす。彼はすっと色がついた首筋をぽりぽりと指でかいた。


「最近は志乃ちゃんと遊ぶの、すごく楽しい」


 キリヤ君の首筋にますます色味が増すのを見て、私はぷっと笑ってしまった。


「私らって遊んでたんや?」

「笑うの酷くない?!」

「いや、馬鹿にしたんちゃうよ……同じやなと思うたんや」

「志乃ちゃんも友だちいないってこと?どうして?」

「あんまり強情やから……やな」


 臣くんがいなくなった時。当時の同級生たちは私が食を絶ってまで臣くんの捜索に執念を燃やす姿に引いていた。


 同じ理由で、その後も私の周りからはどんどん人が遠ざかった。一緒にチラシ配りや見回り隊をする地域住民すら私とは距離がある。


 私が臣くんしか見ていないからだ。

 でも私には、臣くんの事件解決が全て。


 そんな私に、今ではもう友だちと呼べるような人は誰もいない。


 臣くんを追いかけ続け、常に霧を掴むような空虚さはあれども、寂しさなど感じる余裕はなかった。


 しかしまた、友だちなんて彼が呼んでくれて、笑みが零れた。


 欲しがっているつもりはなかった。


 けれど、私は誰かと一緒に美味しいものを食べて、ゆっくり話をしたかったのかもしれない。


「キリヤ君は人の懐に入るんが上手で、人に美味しいもん食べさすんが好きやろ?それに化け暮らしの孤独が誰よりわかる。化け暮らしの休憩処の店主として、キリヤ君ほど適任はおらんな」


 私が笑いかけると、キリヤ君はまた色づいた首筋をかりかり指でかいて照れ隠しする。


 そういえば臣くんも、同じ仕草で照れ隠しをした。


 そんなことすっかり忘れてしまっていたけれど、私はその仕草を見ると嬉しくなったものだった。


「……そんな嬉しいこと言って、俺を喜ばせてどうする気?お金取る気?払うよ?」

「友だちにお金払ったらあかんやろ」


 キリヤ君が私を見つめて口ごもるのでまた笑ってしまう。鼻から上が狐面の顔でもキリヤ君の反応が伝われば、愛嬌がある。


「キリヤ君の夢のためにも。臣くんのためにも。休憩処に化け暮らしのお客さんを集めなあかんな。私しかおらんやん、この店」

「絶賛募集中、化け暮らしの最初のお客さん」


 キリヤ君が営むこの店には、頑なな私をも緩ませてしまう力がある。大らかなキリヤ君がくれる癒しを必要とする化け暮らしは亀岡にいるはずだ。


 キリヤ君が私に協力してくれるように、私もキリヤ君の力になりたい想いが自然と生まれた。


 私は軽く手の平を持ち上げてキリヤ君に向けた。


「私に人脈はあらへんけど、休憩処を心から応援するわ」

「ありがとう、志乃ちゃん!」


 キリヤ君はまだ色味のついた首筋のままだったが、にっと快活に笑って、私の手の平に手をぱちんと合わせた。

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