【短編】氷菓姫の恋の仮定

抹茶菓子

第1話 氷菓姫


 春の暖かさを感じる教室では、休み時間ということもありクラスメイトが入り乱れている。

 そんな中、ただ座っているだけなのにも関わらず圧倒的な存在感を放っている少女がいた。

 

「やっぱり可愛いな甘宮さん」

「だよなー」


 ヒソヒソと話し合っている男子二人に、俺――芦屋秋斗あしやあきとは心の中で大きく同意する。


 甘宮千菓あまみやちか

 愛らしい顔立ちに、腰まで届く黒髪。そこらの有象無象の女子たちと同じ制服を着ているはずなのに、まるで違って見える。

 華奢で細い体躯は小動物を彷彿とさせ保護欲をくすぐり、控えめな胸元すらも少女の清楚な美しさをいっそう際立たせていた。

 駅前にある和菓子店『あまみや』の一人娘であり、特技はお菓子作り、好きな食べ物はつぶあん。


 甘い容姿に甘い生い立ちと、まさに甘さに愛された美少女であった。


 そんな彼女に心を溶かされた男子は多く、もう何度も告白を受けていると噂には聞いたが、彼女のハートを射止めた王子様はまだいないらしい。


「甘宮さん。もしよかったら放課後カフェでも行かないかい? 雰囲気の良い店を見つけたんだ」


 いつのまにか上級生が教室に侵入しており、机で優雅に佇んでいた彼女の前に立つとそんなことを言い出した。

 そんな彼を、甘宮さんは宝石のように美しい瞳に映す――ことはなく、一瞥もせずに口を開いた。


「お断りします」


 耳をくすぐるような甘い声音は、一切の迷いも躊躇もない。

 もはや常套句じょうとうくとなったその拒否反応にクラスメイトは「やっぱりか」といった反応だ。


 しかし上級生はそれとは違い、予想外の対応に困惑しているようだった。

 それでも自分に自信があるのか、その爽やかなキザったらしい顔を作り直すと歯を見せながら笑う。


「そ、そうだね。いきなりカフェは早急過ぎたよ。放課後に少しお話しするくらいならどうかな。自販機で好きなものを――」

「お断りします」


 その断罪にも似た言葉は、むしろ彼女なりの優しさなのではないかとも思う。

 意味のない会話を続けるのはお互いにとって時間の無駄でしょうという、そんな気持ちすらも伝わってくる。

 上級生もそれを感じ取ったのか、トボトボと教室を後にした。


「やっぱり一刀両断だったな」

「さすが氷菓姫ひょうかひめ!」

 

 その甘さをふんだんに盛り込んだ容姿とは裏腹に、性格だけは冷め切っている。

 とろけるほどに甘いお菓子のような可愛らしさと、クールが泣いて逃げる程のドライアイスのような冷たさ。


 そんな彼女はいつからか『氷菓姫ひょうかひめ』と呼ばれるようになった。


 甘宮さんは机からノートを取り出すと、一枚一枚丁寧にページをめくる。

 まるで先ほどのことなど覚えていないといった様子だが、それすらも気品に溢れて見えてしまうのは男の弱みというやつなのだろうか。


「氷菓姫の心を溶かすのはどんな王子様なのかね」

「俺たちじゃ想像も出来ないような立派な人だろきっと。泣きたいよ」

「あーあ、好きなタイプくらい知れたらなー」


 俺はそんな他愛もない話を聞き流しながら、読みかけの本に目を移す。

 目線だけは文を追うがその内容は全く頭に入ってはこなかった。


 ……そんなの、俺が一番知りたい。


 とはいえ、俺の気持ちはライク以上ラブ未満と言ったところだ。

 例えるならテレビのアイドルを見ているような、遠い人という想いが強い。

 ちょっと気持ちの悪い言い方かも知れないが、見ているくらいが頂戴良いのだ。

 彼女の世界に入りたいなんて思わないし、彼女からしても俺は背景の一部でしかない。


 真剣な眼差しでピンク色のノートに何かを書き殴っている甘宮さんを見ると、不思議と心が洗われる。

 たまにこの行動を起こす彼女だが、何を書いているのかを知る人はいない。

 授業中に使っているノートにピンク色は無いし、そもそもそのノートを使っている頻度もまばらなのだ。

 休み時間になるたびに使う日もあれば、一日中手に取らない日もある。

 しかもそのノートを盗み見しようもしても何故か見ることは出来ない。まぁ単に甘宮さんが隠すだけなのだが、その危機察知能力はずば抜けていた。


 それが『氷菓姫七不思議』の一つ、隠されたノートだ。

 ちなみに残り六個は特に無い。


☆☆☆☆☆☆


 船を漕ぎながら午後の授業を乗り切ると、最後の授業を終えるチャイムが響いた。

 HRも終わると、どんどんと教室から人が消えていく。

 部活に入っていない俺は、いつも通りに下駄箱へ行き家路に着こうとした時。


「机の中にスマホ忘れた……」


 俺の所属する教室は二階の最奥に位置するため、移動するだけでも結構疲れる。

 忘れた物が教科書や筆記用具なら取りに戻る必要は無いのだが、これがスマホとなると話は変わる。

 俺も令和に生きる高校生。一夜でもスマホが無いのは普通にキツい。


「はぁ……、戻るか」


 重い足取りで無駄に段差がある階段を登る。

 踊り場にある小窓からは夕陽が差し込み、校内からは人の気配を感じない。

 耳を澄ませば校庭から運動部の声はするが、少なくとも教室の周囲には誰も居ないだろう。


 昼間では考えられない程に静かな廊下を歩く。聞こえるのは自分の足音だけだ。

 まるで世界に俺しか居ないのではないのかと錯覚するこの状況に、無駄な優越感を覚える。

 なんなら俺がこの世界の神だとか叫んでみたい。絶対言わないけど。


「失礼しまー……す」


 誰もいないことは分かった上で、小さく呟きながら教室のドアを開く。

 俺の席は窓側の一番端。

 いわゆる主人公席というやつだ。


「えーと、スマホスマホ。て、なんだこれ?」


 机の中に手を突っ込みスマホを捜索していると、見覚えの無いノートが椅子の上に置いてあった。


「ノート? ……ん、これまさか」


 それはピンク色のノート。

 タイトルは無く、しかし使われた形跡のある、どこかで見た覚えのあるノートだった。


「七不思議の一つ、隠されたノートだよな……」


 なんで俺の椅子に?

 これがラブレターなら速攻で中身を舐めるように拝読するが、このノートはそういった物ではないことは明らかだった。

 ここに置いていく訳にもいかないので手に持ってみると、不思議と甘い匂いがした。いや俺の勘違いかもしれないが、そう感じてしまったのだから仕方がない。

 さすが甘宮さんの私物。


「どうするかなぁこれ」


 中身が気になるかと問われれば、当然気にはなる。

 しかし俺にはそんなことをする勇気も度胸も無いのだ。

 

 彼女の席の中に入れておけば、とりあえず安全だろうか。

 適当に置いていくと、明日クラスメイトが勝手にページをめくる可能性もあるので、ここは慎重に考えたいところだ。


 一応、彼女の住所にあたる和菓子屋『あまみや』の場所は知っているが、そこまで行くのは気が引ける。

 しばらく熟考した後、最初の案で行くことにした。

 さすがに朝一で女子生徒の机を漁るような変態はいないだろう。


 その刹那――後ろから耳を刺すような高い悲鳴が聞こえた。


「うわぁぁ! え、なに!?」


 驚きのあまり振り返ると、そこには甘宮さんがワナワナしながら細い人差し指をこちらに向けて。


「え、あ……。なんで……」


 そこで俺は気づいた。彼女はきっとこのノートを探しに来たに違いない。


「えっと違うからね!? 俺はこのノートの中身は……」


 あれ、そのノートはどこに行った?

 俺の両手には何も握られていなかった。

 どうやら悲鳴に驚き、情けないことに俺はノートを落としてしまったらしい。

 そう、落としてしまったのだ。


 ページが開かれた状態で。


 俺は何度も目をこすり、瞬きしても光景が変わらないことを確認する。


「え?」


 ノートの中には『もし彼氏ができたら!』という見出し。

 その下には『夢のシチュエーション♡』『デートでやりたいこと!(絶対)』等、それぞれの項目に分かれて具体的な案が箇条書きでびっしりと埋まっていた。

 色ペンを使い可愛い丸文字でキュートさを演出しており、所々にはアニメティックなイラストまで乗っている。


 あまりの衝撃にノートから目を離せずにいると、甘宮さんがダッシュで近寄り、ノートを奪い取る。

 そして顔を真っ青にしながら。


「み、見た……?」

「……うん」


 ここで嘘を言ってもバレるだけなので正直に白状する。

 すると真っ青だった顔は、一瞬で真っ赤に染まった。


「あ……あ……あぁぁぁぁあ……」

「待って。落ち着こう。ね、一旦ここに――」

「あああああああああああああああああああ!!!!!」


 悲痛な叫び声を上げながら、その場に倒れこむ甘宮さん。


「もう無理です、死のう、今すぐ死にます。殺して下さい! むしろ一緒に死んで下さい!」

「む、無理ですごめんなさい……」

「あぁ終わりました……」


 あまりに普段とギャップが有りすぎて思わず否定してしまった。

 いやそもそも肯定は出来ない相談ではあったのでそれはいいのだが、言うべき言葉が間違っていた。

 今の状況で一番大事なのは、何よりも彼女を落ち着かせることなのだから。

 俺は脳みそを回転させて言葉を探す。


「甘宮さん」

「なんですか? クール気取ってたくせに脳みそお花畑だった私のことを笑うんですか?」

「い、意外と卑屈だな……。ってそうじゃなくて、そのさ」


 俺は深呼吸をしてから口を開く。


「普通だから!」

「……え?」

「そういう妄想するのは普通だから! 俺だって毎日妄想してるから! なんなら授業中とかほとんどしてるから!」

「……それは、真面目に受けたほうがいいですよ?」

「いや、うん。そうなんだけどさ」


 話が逸れた気もするが、まぁもうなんでもいいや。

 甘宮さんは落ち着けたみたいだし。

 ひとまずこれで安心して帰宅できる、そう思ったが、なかなかどうして上手くはいかないらしい。


「ということはつまり、あなたも妄想に妄想を重ねた理想のシチュエーションがあるということですよね?」

「え? あ、あぁうんそうそう。あるある、ありまくるよ!」


 そんなものは無いが、素で返しそうになった途端に悲しそうな顔をされたので全力で肯定する。


「分かりました。では協力しましょう」

「うん?」

「私とあなたで、お互いの理想を体験しましょうということです」

「はぁ!?」


 いきなり突拍子もないことを言い出した彼女に驚愕する。


「私には彼氏が、あなたには彼女が出来た時のための練習ですね」

「練習って……」


 いや待て待て待ってくれ。

 それはつまり、あのノートに書いてあったシチュエーションを俺と甘宮さんでやるってことか?

 全部は見れてないが、凄い量あったし、なにより内容が結構攻めていたような。

 俺の焦りは顔に出ていたのか、彼女は不思議そうな表情を浮かべて。


「さっきの言葉、まさか嘘だったなんてこと……」

「そんなまさか! いやー、楽しみだな!」

「よかったです」


 甘宮さんはそう言って立ち上がると、気品あふれる手さばきで制服を正した。

 そして将来的に黒歴史になるであろうノートを鞄にしまう。

 その表情はいつも教室で見ている彼女そのものだった。先ほどまでの乱れっぷりが噓のようである。


「それではまた明日。芦屋君」

「え、名前」


 クールな表情は崩さず、それでも決して教室では見せなかったその甘い笑顔は、俺の心臓を揺らすのに十分すぎるほどの衝撃であった。


 教室に一人残された俺は思う。

 

 ドライアイスのように冷たく、触れたら火傷すると思っていた彼女。

 しかし実際は。


「なるほど。確かにあれは氷菓あいすだわ」


 冷たくて甘い。

 そんな普通の女の子なのだ。

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