第5話 青年と聖女1

イスタロス大陸暦1127年。

ガギア帝国領最東端、オールドツリー戦線。イドリア共和国とは100年前に和平を結んだガギア帝国であったが、その摂理の成り立ちからどうしても相容れぬ者たちもいた。


その筆頭格と言えるのが、原初に近い神々の民たちで結成された「オールドツリー自治区」の者たちである。

世界の中心に聳え立つという巨木「オールドツリー」から伸びる、イスタロス大陸の中心を貫く枝。それ自体も人間からしたら途方もない大きさの大木である。「イスタロスの根幹」と呼ばれるその大木の周りに集い共同体を形成しているのが、通称五大元素の民と呼ばれる人々。鉱石資源を求めるガギア帝国と国境線を争う大敵である。

火、水、風、土、雷の神を信奉する彼らは使える魔法の多様さではイドリスの民に遠く及ばないが、その扱う魔法一つ一つが小さな災害と言っていい威力なのである。その源となるのは、彼らの神へ対する強い信仰心である。


言ってしまえば、誰でも恩寵が受けられるイドリスの民は、余程の魔力量が無ければ強い力を生み出せない。それは愛の女神イドリスが、多くを愛しているが故に個々への恩寵が軽くなってしまうからである。魔力量とは言いかえれば、どれだけ神に気に入られるかの素質である。高い魔力量でイドリスの恩寵を受けられる者は希少なのだ。

対し、五大元素の神はその民に負けず劣らずの強い気持ちで自らの民を愛している。数が少ない分、1人に与えられる恩寵の濃度が濃いのだ。五大元素の民たちは、皆一様に魔力量が多い。


主にイドリア共和国と戦うために生み出されたガギア帝国の機械では、五大元素の民に対しせいぜい戦闘力を拮抗させることが精一杯だった。

神を悉く滅ぼさんとするガギアと、神を愛し神に愛される五大元素の民。反目する運命にあるのは当然と言える。

それでも戦が起きぬよう、水面下で慎重に交渉が進められていたが…交渉の席での言い争いが殺し合いに発展。交渉が行われていた地名から、後に「ニーズの大喧嘩」と呼ばれることになる事件を発端に始まった此度の戦争。

既に戦端が開かれてからはや3年。その戦況は、泥沼の様相を呈しているのだった。


「目を閉じるな、気をしっかり持てよ!」

そんなオールドツリー戦線にて、負傷兵に肩を貸しながら前線から退却する男が1人。

魔機兵器の輸送任務中の強襲。衛生兵もおらず、本部からも遠い場所の出来事だった。

魔機鎧を身にまとった負傷兵は、息も絶え絶え。対して腕にのみ魔機を装着した男は、殺伐とした戦場にあってなお溌剌としていた。


魔機とは、機械の神ガギアの摂理の賜物である。ガギアの民は頭の中に正確に機械の設計図を描くことが出来、材料さえあればそれを魔法で組み立てることが出来る。その組み上がった機械を魔機と呼ぶのだ。

また、魔機はガギアの民の魔力でのみ動き、それ以外の魔力では動かない。魔機こそがガギアの魔法である。

魔機鎧はガギアの兵士が身に纏う魔機で、防御力や身体能力を跳ね上げてくれる代物だ。戦場において魔機を纏わぬガギアの兵は、ごく一部の変わり者たちだけである。


しかしそんな便利な魔機であるが、その摂理には大きな代償も組み込まれている。それは、いかなる他の摂理も扱えないということである。

かつては理外の民と呼ばれた彼らからすれば過ぎた恩寵だが、怪我人や病人が出ようとも自分たちで回復魔法や浄化魔法なども使えないということだ。自らが排斥され、後に排斥した歴史のある、別の摂理を扱う民に頼る他ない。


さて、つまり負傷しているこの兵士を救うには、設備の整った場所まで迅速に送り届けなければならない。イドリスの摂理を扱える者がいるとなお良い。幸いここから少し行ったところに村があるはずだ。

のしかかる重みに男は改めて決意を固め、歩む速度を上げる。

そんな男の背後を追いかける、燃ゆる影が1つ。身体のあちこちから炎を上げながら、その推進力で空を翔け男に迫る。

「お前たちの作った玩具と遊ぶのも飽きちまってな。相手してくれよ!」

燃ゆる影は人の形を成すと、男と負傷兵の前に降り立った。10代後半くらいの少年であった。ニヤニヤと品定めするような顔で二人を見ている。

負傷兵を守っては逃げきれぬと観念した男は、背負った彼を近くの塹壕に寄りかからせる。そのままの流れで大きく敵に近づき、構える。拳を体の正面に、フットワークは軽く。およそ魔法戦の構えとは思えぬ…より原始的な、徒手空拳の構えであった。


「近接戦闘...?いいねぇ、他の兵士とは違う…ステゴロ戦法ってとこか?

面白すぎるな、お前!名前くらい聞いといてやるよ」

興奮した様子で語りかけてくる相手に、男は答える。

「ガギア帝国軍アトラ三等機兵。悪いが急いでいるんでな、そちらの名乗りは要らない!」

言うが早いか、アトラは塹壕の壁を拳で砕き、負傷兵と二人の間に土砂の壁を作った。

「おいおい、心配しなくても倒れてるヤツを狙うなんて冷めたことしねぇよ」

心外だ、という風に肩をすくめる少年。

「君は炎を操るんだろう?念のため、燃え広がらないようにしただけだ」

今の一撃で近くの塹壕の壁は隆起し、さらに高さを増している。アトラの一撃が素早く、そしてとてつもなく重いことの証左である。

それを傍目に見ながらしかし、少年は余裕を崩さない。なぜなら、彼は自身を炎と化す事ができるからだ。物理的な攻撃はほぼ無意味に等しい。


「ステゴロに自信があるだけあってすげぇ威力だな!んじゃあ今度はこっちから!」

少年は小手調べに火の玉を放り投げる。火の民にとっては幼い頃に魔法の練習に使うような技だ。だが才能と経験を持ち合わせた少年のそれは、城壁を打ち壊すほどの威力を持っている。

対し、アトラは踏み込むとその火球を思い切り殴り、先程と反対の壁に押し付け威力を相殺した。だが少年が気になったのは攻撃を無力化されたことでは無かった。

「…お前、今炎を殴ったかよ…?」

先程の火球は何か核になるようなものがある訳でなく、純粋に炎の塊である。本来であれば拳をすり抜け、今ごろアトラは灰になっているはずなのだ。

驚いた様子の少年に対し、アトラは熱くなった拳を冷ますように振りながら答える。

「もちろん、殴ったぞ。いるなら幽霊だって殴ってやるさ。」


魔機はその作製時に、作製者の望む付帯効果をつけることが出来る。これは言うなれば個々人が物に付与する恩寵のようなものであり、ガギアから賜った恩寵を自らが生み出した魔機に分け与える行為である。

つまりは神の恩寵とその性質は同じであり、呪いのようにデメリットがある代わりに強力な恩寵を与えることも出来れば、祝福のように汎用的な力をノーリスクで与えることも出来る。

…もちろん、アトラのような特殊な付帯効果を魔機に付与する者は多くない。防具の強度や魔法への耐性を上げたり、剣の鋭さを上げた方が普通は生き残りやすいからである。

アトラは他の魔機を全く纏えなくなる代わりに、万象を殴れる効果を拳の魔機に付与していた。先述の変わり者の1人である。

「へぇ、お前……すげぇな!それで今まで無事なのかよ!こりゃお前がこの戦場で有名になるのもすぐかもな!」


そんなアトラの啖呵を聞いてなお、少年は楽しそうな笑みを浮かべた。その素直な様子は、彼が純粋に戦いを楽しむために戦っていることが窺える。信条がどうの利権がどうのという話はこの少年には関係ないのだ。つまりは、この戦争で犠牲になるべき人種ではない。

殺してはならないな、とアトラは思う。だからこその拳。アトラにとって、それは活殺自在の象徴であった。殺すべきでない相手は殺さずに済む。

「…いいか、危ないと思ったらすぐに炎を消すんだぞ。君を殺したくはない」

それは純粋な善意から放たれた言葉だったが、少年は自分の力が侮られたと感じ激昂する。

「はあ?ちょっと褒めてやっただけで、調子乗るなよお前!俺様を下に見たこと後悔させてやる!」


そう一声上げると、少年はアトラに対し猛攻を加える。対しアトラは飛んでくる火球を次々に逸らし、相殺し、避けていった。地面を次々アトラが殴ったことにより、周辺の地形が少し変わってしまっている。

数分間そんな攻防が続いた後、一呼吸入れながら少年はアトラに問う。

「あと一時間は今と変わらずやれるぜ?そっちは体力持ちそうかぁ?」

事実、余裕なのであろう少年はニヤついた顔を崩すことも無く浮いている。対するアトラもそこまで疲弊した様子はなく、声を張って応えた。

「一時間なら付き合ってやれるが、生憎そうも言ってられなくてな。少し趣向を変えよう」

そう言うと、アトラは隙をついて地面を殴る。殴った方向には瞬時に衝撃が伝わっていき、結果大きな縦穴が形成された。そして一直線にできた縦穴に、アトラは迷わず飛び込んでいくのだった。


「はは!なんでもありかよ!」

そう笑いながら少年はアトラに追従する。その行動は浅はかであったが、今まで戦ったどのガギア兵とも違うアトラの戦いぶりに、すっかり興が乗ってしまった故の行動だった。

だからこそ、気づくのが遅れた。かなり深くまで穿たれた穴の中ほどまで至った時…底までにアトラの姿がなかったのだ。

刹那、横から浴びせられるとてつもない衝撃。樹齢百年の丸太に打ちつけられたかのようなその衝撃は、横穴から飛び出したアトラの拳から放たれた一撃だった。


拳をまともに受け壁に激突する少年に、アトラは叫ぶ。

「死にたくなければ炎を消せ!」

混濁する意識の中、火力を強めたのは少年の意地だった。その様子を見て大きな溜息をついたアトラはーーー否、溜息をついたのではない。その後深く息を吸うために大きく息を吐いたのだ。

肺いっぱいに空気を取り込むと、自身の真上に向かって拳を放つ。

数瞬の後、その結果は縦穴へとなだれ込んできた。アトラが地上にて隆起させていた多量の土砂が、今の一撃で崩落し穴を埋めようと侵入してきているのだ。

それと同時に、新たな空気が供給されなくなった縦穴では、燃え盛る炎がゆえに酸素が欠乏する。そんな「自然の摂理」を知らぬ少年は、急激な酸素量の低下に意識を失い嘔吐した。


アトラが直上に向けて開いた穴から這い出ると、地上は先ほどまで地形が破壊されたとは思えぬほど平坦になっていた。

それであってかつ、塹壕に寄りかからせていた負傷兵は無事である。アトラの空間把握能力、戦闘センスの賜物であろう。

アトラは負傷兵の元に駆け寄ろうとして、今しがた這い出た穴を見やり逡巡する。

「…すまない、もう少し待っててくれよ。」

負傷兵にそう声をかけると、アトラは再び下に向かって拳を向ける。


少し後、ようやく近くの村へ歩み出したアトラの背には、2人分の重みがのしかかっているのだった。



また少し後、アトラはようやく村に辿り着いた。名をピニオン・シックス。ガギア帝国北部国境付近に位置する小さな村だ。前線に行く前に上官から聞いていた通り質素な村であったが、幸い見える範囲にも村民が複数名いる。人が全くいないという風でもなく、これならば怪我人2人を治療出来るスペースもあるだろう。

アトラは玄関先で農耕用の魔機を調整する男性を見つけると、急いで駆け寄って尋ねた。

「すまない、そこの方。この村に診療所か...教会はあるだろうか?イドリスの信徒がいるとなお助かるのだが...」

男はアトラの様子を見ると、慌てたように作業を止め立ち上がった。

「こりゃ大変だ!へい、もちろんです!ささ兵隊さん、ご案内いたしますぜ!」

そう言うと、男はアトラの少し前を歩みながら村の中心の方へ向かっていく。


ピニオンと名付けられた村は、帝国による区画整理の手が入った村だ。各地に点在していた理外の民の集落を区画毎に合併し、広場を中心に円状に広がる村に住まわせた。

上空から見ると歯車のように見えるその村は、中心部に日用の魔機を動かすためのリアクターが配備されている。

こういったピニオンの整備を行ったのは、帝室とその直下である帝国軍。そうした背景もあり、ピニオンの住人は辺境の地にありながら総じて愛国心が強い。

アトラは男の案内で、広場中心のリアクターを横目に広場に面した診療所へと訪れた。


「ありがとう、とても助かったよ。これは、少ないが取っておいてくれ。」

診療所に着くなりアトラは懐からガギア金貨を1枚取り出し、男に礼として渡した。

「滅相もない!あっしは簡単な道案内をしただけでさぁ…!受け取れやせん!」

対し、あまりの謝礼の大きさに恐縮しきる男。ガギア金貨1枚は、ピニオンの農夫がひと月かけて稼ぐ額だ。

「貴方は背中の2人の命と、俺の名誉を救ってくれたんだ。少ないくらいさ。」

そう言うと、アトラは金貨を親指で弾き、宙に高く打ち上げる。条件反射で男が金貨を掴んだことを確認すると、アトラは何も言わず診療所へ入っていくのだった。

男は、アトラの後ろ姿を眺めるしか出来なかった。


「すまない、誰かいないだろうか!重症が2名いるんだ!」

木製のフレームに白い漆喰で塗られた壁。診療所はピニオンのスタンダードな建物であった。アトラが入口で大声を上げると、裏から女性が現れる。

白い装束に身を包んだ、小太りな中年の女性だ。

「はいはい、すぐにお連れしますよ。……ってあら、軍人さん!運がいいですね、今日は聖女様が来てくださっていますから、すぐに良くなりますよ!」

女性は、テキパキと裏で作業をしていた男性たちに声をかけると、2人を奥へと連れて行った。

「聖女、か……」

待合室で1人になったアトラは、独りごちる。内地でも噂になっていた。各地のピニオンや小さな村村をまわり、医療行為をして去っていく者がいると。

その者は見返りを求めぬ高潔な精神、イドリスの摂理とその美しい容姿から「ピニオンの聖女」と呼ばれていると。

皆一目見てみたいと言っていたが……まさかその栄誉が、戦いに明け暮れ女性にさして興味のない自分に回ってくるとは。世の中とは皮肉なものだとアトラは笑う。

とにかく、男二人を担いで戦場を潜り抜けてきたのだ。アトラは体力を回復するため、診療所の端で座りながら眠りにつく。



遠い昔の夢を見た。今から20年ほど前、ガギア帝国帝都カルディオにて、アトラは2つ年下の妹に手を引かれ中央公園を目指していた。

当時10年ほど続いていた盗賊の国との戦の余波が、国内で最も裕福な帝都にまで届いていたあの時期。戦争の終結を訴えるデモに参加するために、アトラは妹に着いていった。

「わたしのゆめは、せかいへいわ!」

口癖のようにそう語る妹を思い出す。当時6歳だった妹は、生まれてこの方自国が戦争状態であり、大人たちが語る平和や書物に書かれた平穏に強い憧れを抱いていた。

そして、生来の聡明さや前向きさを持ち合わせていた。だからこそ、平和を叶えるためのデモに向かったのだ。喧嘩ばかりの日常を送っていた、不出来な兄を引き連れて。

「戦争を終結しろ!和平を結べ!」

決して少なくない大人たちの怒声が聞こえ、場面が移り変わった。

……ああ、だとすれば恐らくあの光景だろう、とアトラは嫌な気持ちになる。

「レーネ!」

妹の名を叫ぶ幼い自分の声に振り向く。

すると周りの光景は一変し、軍部とデモ隊の衝突の後だった。

軍部によるデモの制圧に呼応し、暴徒と化した一部のデモ隊。その際に生まれた大混乱に陥る人の波に飲まれ、幼きレーネは内臓破裂に全身の骨折を負っていた。

「わたしがおきなかったら……へいわをおねがいね、おにいちゃん……

わたしの、せいぎのヒーロー……」

軍人に助けられ病院に運ばれるさ中、交わした言葉。その時から20年、未だに昏睡状態にある妹に代わり、アトラは見定めようとしていた。

平和とは何か。それは実現するに足る崇高なものなのか。

自分たちを助けた軍に属し、戦に身を投じて10年余り。未だアトラには平和というものが分からなかった。

だからこそ彼は己の正義を貫き、選定するのだ。唯一信用に足る己の拳をもって……


「レーネ……」

不思議な温かさを感じたアトラは、そう呟きながら段々と覚醒していた。

「それはどなたですか。私はエイレーンです。」

自身の呟きに返答があったことに驚いたアトラは咄嗟に背後に飛び退こうとするが、壁に後頭部を強打する。

「何をやってるんですか貴方は……患部を増やさないでください」

そう言われ、改めて声の主を見たアトラは目を見張った。色素の薄い肌に金髪をたたえ、今まさに自信を治癒するその相手こそピニオンの聖女だと一目で理解したからだ。それほどまでに、彼女は美しかった。

「…ああ、すまない。俺の治療はしなくていいぞ。ほか2人の治療で疲れただろう。」

気を取り直しアトラがそう告げると、エイレーンは無言で治療を止めアトラの脇腹をぐっと押し込んだ。

「…っ!?」

アトラは声にならない叫びをあげる。鈍くそれでいて鋭い痛みが脇腹を中心に身体に駆け巡った。

「骨にひびが入っているようです。貴方が連れてきた二人も重傷ですが、意識があるだけで貴方が一番重傷ですよ。」

そう言われ、痛みで完全に覚醒した頭で改めて自分の身体を見る。擦り傷に切り傷、打撲に火傷。怪我の大盤振る舞いであった。

「…治療を頼むよ、聖女サマ」

アトラは観念したように診療所の長椅子に背を預ける。エイレーンはそれを見ると、一つため息をついて治療を再開した。


―――これが、後に北方の英雄と呼ばれる男と、ピニオンの聖女の初邂逅であった。

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