第30話 暗雲垂れ込めて

 本当なら、馬車を乗り継ぎながらロッシュ侯爵領を抜けて国境を目指すほうが早い。


 けれど、私たちはトマというこの元気な御者と軽快な馬車が気に入ってしまって、馬車を替えようという気にはならなかった。


 最初こそ夜道を走ってもらったが、その後は日中走り、夜は一緒に宿を取って馬にも御者にも休んでもらうことにした。


 途中で泊まったのは、忘れもしない例の「町一番の宿」だ。


「あらまあ! アデリーヌさんと坊っちゃん!」

「坊っちゃんじゃない。レイモンだ」


 赤毛の受付嬢に、御主人様は容赦がない。


「今回は馬車付きなのね。馬はうまやに入れて、馬車は馬車溜まりに置けるわ。別料金がかかるけど」

「俺が払う。あと、飯と酒」


 ジャックが銀貨をカウンターに投げた。


「食堂へどうぞ。あと、部屋はみんな一緒?」

「いいえ。私と御主人様、あと男二人、別々で」


 受付嬢は鍵を二つ渡してくれた。


「……早く逃げて正解よ。うちもまもなく避難民でいっぱいになるわ」

「どういうことかしら?」

「戦争よ。セントレ・エ・シエル王国に攻め込むらしいわ」


 そんな……。

 ヴェルセラ王国の侯爵夫人を病魔から救ったばかりだというのに!


「お嬢さん、情報通を気取るのも良いが、滅多なことを言って侯爵様の耳に入ると、首が飛ぶぜ」


 御者のトマが凄んだ。

 かわいそうに受付嬢は青くなって固まってしまう。


「大丈夫、私たちは誰にも話さないから。忠告ありがとう」


 私たちは部屋の鍵を持ったまま、食堂へ向かった。

 定食の時間を過ぎているから、ガラガラだ。

 花火職人のジャックが、旅慣れた口調で、


「ジンとソーセージ、ジャガイモを茹でたやつ」

「俺も」


 御者もならう。

 壁に掛かったメニューを見ると、パンに線を引いて消してあった。


「御主人様、何になさいますか?」

「ジャガイモと、ミルク。暖かいのはあるかな?」

「頼んでみましょう」


 私もソーセージとジャガイモ、水を頼んだ。


 それぞれが注文の品を受け取り、食堂の固いベンチに座る。


「さっきはあんなことを言ったが……」


 御者は景気付けの強い酒をすすりながら、


「どうも、きな臭え。小麦の値段が極端に上がっているし、どうも我が国は隣国に戦争を仕掛けようとしてるんじゃないかと、噂で持ちきりだ」


 それでパンが無かったのね。

 そう言えば花火職人のジャックも、戦争が近いようなことを言っていた。


「僕を人質にして、国王夫妻に脅しをかけるつもりだったのかもしれない」


 湯気の立つミルクのマグカップを両手で包み、御主人様は大人びた口調でつぶやく。


 ええっ、七歳児が気付く違和感に、十七歳の私が気付かなかったなんて……。


「『猛獣』侯爵なら、やりかねない」


 それでハッキリしましたわ。

 あの、湖上の一軒家は、やはり私たちを軟禁するため。


「でも、肝心な王子様が逃げ出しちまったんだ。ざまあみろ、侯爵の野郎」


 ジャックが怪気炎を上げている。


 おお、神様、侯爵の息子のマルク男爵の美貌にだまされなかったことに感謝いたします。

 結婚していたら、フレールサクレ伯爵家は、侯爵に乗っ取られていたことでしょう。


「俺たち敵国人は早く逃げるに限る。下手すりゃ捕らえられて強制労働だ」


 平民のジャックはそうだろう。

 私たちは……私はマルク男爵と強制的に結婚させられるだろうし、御主人様は人質として利用された上に……いや、考えたくない。


「俺はどうすりゃ良いんだ。セントレ・エ・シエル王国の王都にまで行くのは良いが、帰れなくなっちまう」

「大丈夫だ。身の安全は王子である僕が保証する」


 御主人様が言うなら間違いない。


 翌々日、私たちは見通しが甘かったのに気付いた。

 

 街道は、すでに馬車や荷車に家財道具を積んだ人や、手に大荷物を持った人たちでいっぱい。

 ユッサユッサと揺れる山のよう。

 でも、どうしてこちらへ向かって来るの?

 国境の検問は向こうに見えてるでしょ?


「国境が封鎖されんだ。一足遅れたな」


 御者が舌打ちした。


「道を開けろ!」

「どけ!」


 逃げまどう避難民を追い散らしているのは、真っ赤な軍服を着た騎兵たち。


 その後を、軍隊らしい一団が街道を通って進軍して来る。

 その様子は赤い波が進んでくるよう。


「ヴェルセラ国王の軍隊だ」


 御主人様が興奮気味に叫ぶ。

 男の子ってやっぱりこういうのが好きなのね。

 あいにく敵側ではありますが。


 軍隊を目にした避難民は、街道から外れて麦畑の方へ逃げていく。


「ふおっほっほほー。これはちょうど良い。敵国人をまとめて確保だ」


 たくましい鹿毛の馬に乗った中隊長らしいのが、嬉しそうに高笑いした。

 真っ赤な軍服に金色の階級章が目に付く。

 隊の旗らしいライオンを描いたのを持った兵隊が、後ろに控えている。


「捕らえろ!」


 命令されるままに、二百人ほどの兵隊が、本隊を離れて、羊をまとめる牧羊犬のように避難民を追い立てていく。

 私たちもその中だ。


「ちきしょう! あたしたちをどうするつもりだい!」


 聞いたことのある声がして、そちらを見ると、


「オリビア姐さん!」


 たった一日しか働かなかった、ジャンの酒場で良くしてくれた先輩。


「……アデリーヌ?」

「はい、お久しぶりです。姐さんも生まれはセントレ・エ・シエル王国だったんですね!」

「ああ、そうだよ。あっちの国で農家をやっているのが嫌になって一旗上げようと思ったのに、このザマさ」


 忌々しそうに言って、つばを吐く。


「結局は酒場の女給……それも敵国人だと追われておしまいさ」

「アデリーヌ、この女性は?」 


 御主人様がけげんな顔をして私に訊く。


「その……仕事先でお世話になった方です」

「仕事は家庭教師じゃなかったのか?」

「……ごめんなさい、嘘をつきました」

「アデリーヌ、あんなに嘘はつくなと言ったのに……」

「ごめんなさい」


 私は平謝りだ。


「何言ってんだい、女給だって立派な仕事さ」


 オリビア姐さんが、すごい剣幕で怒鳴り散らす。


「それを言うなら、侯爵夫人の病を治してもらった隣国に不意打ちをかけるような、この国の国王のほうが、よっぽど恥ずかしいんじゃないかい?」


 確かに……。

 セントレ・エ・シエル王国の大事な王子を人質にしたうえでの不意打ちは、ひどすぎる。


「御主人様、なんとしても切り抜けましょうね」

「うん」


 そうしている間に、前の方から悲鳴があがった。


「やめてくれ! これは俺の全財産なんだ!」

「奴ら、略奪をはじめやがった!」


 御者がたまりかねたように、


「申し訳ねえが、ここまでにしてくれ。俺は逃げる。馬や馬車を奪われちまったら、御飯おまんまの食い上げだ」

「それもそうね」

「仕方ねえ」

「よし降りるぞ!」


 ジャックの荷物しか荷物の無い私たちは、急いで馬車を降りた。


「元気でね、トマ」

「おう、すまねえな」


 馬車は反対側を向いて走り始めた。

 

 これで敵と味方ね。


 がたがた……どすん!


 四輪馬車の車が一つ外れた。


「御主人様、何かなさいましたか?」

「これ」


 天使の顔がニマアァと笑って、ネジを一本取り出した。


「まあ! 良くしてくれた方になんてことを!」

「甘いぞ、アデリーヌ。戻ったところで敵国人に協力したとして投獄されるのが関の山だ。僕たちと一緒の方が絶対良い」


 御者は、馬を壊れた馬車から離して、スゴスゴと戻ってくる。

 ごめんなさい! でも私、御主人様を信じるわ。


「おまえら、略奪はいい加減にして、レイモン王子が紛れ込んでいないか探せ! 見つけた者には金貨十枚が与えられる!」


 中隊長の声に私は御主人様をぎゅっと抱きしめた。

 そして、心のなかにわいてくるモヤモヤを整理しようとした。


 聖女の守護があるセントレ・エ・シエル王国をおそれて手出しして来なかったヴェルセラ王国が、なぜ?

 人質に取ったはずの王子にも逃げられているのに。


 侯爵夫人の治癒で、聖女の力は分かったはずでしょう?


 赤い軍服がだんだん近付いて来る。


「レイモン王子! おとなしく人質になってください!」

「逃げ隠れしてないで、出て来なさい!」


 ああ、神様、どうしましょう。






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