第46話
水嶋先輩と横並びに道を進んでいく。
とっくに日は沈んでいて、辺りは暗くなっていた。外気が冷たくて、肌の出ている部分をできるだけ少なくしようとポケットに手を入れて、顔をマフラーに隠す。
横にいる水嶋先輩も寒そうにポケットに手を入れていた。
その服に隠れている手を握りたい。と思っても叶わないのは、私と水嶋先輩が部活の先輩後輩だからだろうか。
どうしたら彼女に触れるための正当な理由を得られるのだろうか。
もうすぐ冬休みに入って、年が明けて、春が訪れれば、水嶋先輩と歌える最後の合唱コンクールがやってくる。
水嶋先輩と過ごせる時間はもう長くはないのだ。
何故か胸がざわついて、暑くもないのに背中に汗が滲む。
私はそのまま水嶋先輩の腕に手を回した。
水嶋先輩はきゅっと身体に力が入っていて、のったりと首を回してこちらを見てくる。
「どうしたの?」
「寒いなぁって思いました……」
大嘘つきだ。
身体は溶けてしまいそうなくらい熱くなっている。なんとか水嶋先輩に許してほしくて、優しい彼女に甘えて、拒否できないような言い方をする。
私が嘘をついたおかげで、水嶋先輩にくっついたまま家に着いた。
家に着いてから水嶋先輩は前と同じように手際よくご飯を準備してくれて、夕飯を一緒に食べて、順にお風呂に入って、水嶋先輩と過ごす幸せな夜の時間はあっという間に終演を迎える。
水嶋先輩の部屋に入ると、ベッドがこっちにおいでと手招きしているように感じた。
「おじゃまします……」
当たり前のように水嶋先輩のベッドに入り、彼女の匂いで包まれる。頭がクラっとしてしまうような危ない香りがする。
横に寝転がる水嶋先輩は私に身を寄せてきた。
それだけで、私の心臓はトクトクと分かりやすく動き始める。
彼女の匂いが、体温が、私の歯車を少しづつ狂わせていく。
服の裾をぎゅっと握られて水嶋先輩の方に体を引かれた。
「さむい……」
水嶋先輩はもっと密着するように身を委ねてくる。私は焦りを悟られないようにそっと彼女を抱きしめた。
「これなら寒くないですか?」
「うん……」
珍しく弱々しい水嶋先輩を優しく包み込むように腕を回す。水嶋先輩の体には力が入っていたけれど、少しづつ力は抜けていった。
しかし、彼女の困った表情は健在で、まだ寒いのだろうかと思ってもっと水嶋先輩を抱きしめる。
「ながの……」
「どうしました?」
「永野は奏のこと好き?」
急にどうしたのだろう。
「好きですよ?」
「穂乃歌は?」
「好きです」
「私のことは――?」
「……」
もちろん、水嶋先輩のことは好きだ。
それもみんなとは違う特別な好き。
だから、彼女の問いに少しも戸惑う必要なんてない。
水嶋先輩への好意を自覚していない少し前の私なら「だいすきです」と言いながら彼女を抱きしめていただろう。
今はそうしようと思うと、胸に石が埋められたみたいに苦しくなる。
いつの間にか水嶋先輩はぎろっと私を睨んでいて、背中がひんやりした。
「す……すきです」
「嘘だ。すごい間があった」
「すみません……」
水嶋先輩の表情はみるみる弱くなっていき、悲しそうな顔をしている。彼女を悲しませたくないのに、最近そういう顔をさせることが多くなってしまったと思う。
「私の何が嫌いなの?」
「嫌いじゃないですよ」
「嘘だ。口が悪いから? 馬鹿っていうから? 表情豊かじゃないから? 何がだめなの?」
水嶋先輩はぎゅっと腕を掴んできて、腕に指が食い込むくらい強く掴んでいる。
どうしたらいい?
どうしたら水嶋先輩への特別な好意が伝わらないように嫌いじゃないことを証明できるだろう。
「ほんとに好きです。ちょっといろいろ考えごとしてました」
「ほんとに?」
心配そうにこちらを覗くので、真面目な顔をしてコクコクと頷いた。水嶋先輩は鼻からすぅっと抜けるような空気を出して、真顔に戻っていく。
「じゃあ、私の好きなところ言って」
「え?!」
「言えないの?」
先ほどから水嶋先輩の声に活力がない。
そんな状態が続くのは初めて見るかもしれない。
ただ水嶋先輩の好きなところを伝えるだけ。
それならば、いくらでも出てくる。
肩を揺らしながら深呼吸を繰り返した。
「……声が好きです」
「あとは?」
「字が綺麗なところ。部活に真面目なところ。不器用だけど優しいところ。……か……かわいいところ……」
「あとは?」
「変なところでいじけるところも好きですよ」
私はそこまで言って顔から火が吹き出そうだったので、誤魔化すように水嶋先輩を抱き寄せた。
生きてることがしっかりとわかるくらい心臓がうるさい。
もう少し静かにしてくれたっていいと思う。
「それ、悪いところじゃん」
「水嶋先輩にとっては悪いところでも、私にとっては素敵だなって感じるんです」
「ふーん」
「信じてもらえますか?」
水嶋先輩は私の腕の中でもぞりと動いて、私を見上げてくる。
「ちょっとだけね」
「意地悪ですね」
慣れないジト目で彼女を見つめると、二人同時に笑いをこぼした。
会話が途切れれば、部屋の中には私たちの息づかいの音のみが広がり、不思議な感覚に襲われる。
「水嶋先輩は?」
「ん?」
「私の好きなところあるんですか?」
「……」
水嶋先輩は黙ってしまった。
私だけ答えて、水嶋先輩は答えてくれないなんて少し意地悪だ。
私は水嶋先輩のことを好きだと想うだけでは満足できなくなっている。
彼女に同じ気持ちを持っていてほしい。
同じ気持ちでいてほしいと強く願ってしまっている。
しかし、水嶋先輩は何も答えてくれない。
水嶋先輩に気が付かれない程度にむっと唇に力を入れていると、彼女のおでこが肩の辺りにぐいぐいとくい込んできた。
動きが収まると、さっきよりも水嶋先輩の息遣いが耳に鮮明に流れてくる。
「全部……すき……」
「え……?」
「うるさい。黙って。真に受けないで馬鹿永野」
「えぇ……」
「うるさい。もう寝て。おやすみ」
私の体に顔を押し当てて、肩に添えている手はぎっと痛いくらいに私を掴んでくる。
これ以上聞いても彼女の機嫌を損ねてしまう。
わかっているけれど、聞きたいことが沢山あり過ぎて、それなのに思考は停止していく。
我慢できなかった。
水嶋先輩の滑らかな頬を撫で、顎に手を添え、軽く上に押し上げると、薄目にこちらを見つめてくる。
加速する想いを止めることはできなかった。
彼女の唇にそっと自分の唇を当てる。
ずっと我慢していたことが、ここに来てほろほろと崩れていく。
水嶋先輩は目を丸めていたけれど、俯いて何も言わなくなってしまった。
体内のあちこちで脈を感じていると、私の腕の中で体を小さく上下に揺らす少女の気息を感じ始める。
本当に酷い人だ。
私の心も体もこんなにも乱して、それで、目の前で寝てしまうなんて――。
彼女の柔らかな唇をそっと指で撫でると、しっとりとした感触が指に広がる。
さっき触れたばかりなのに、もう一度触れたいと欲があぶれる。
寝ている相手に対して湧いてはいけない欲を抑えるように、彼女の唇に触れていた指を自分の唇に押し当てていた。
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