第15話

 音楽室に入ると、すでに響花ちゃんがいた。

 しかし、見慣れない人物がもう一人いる。その人は、ずかずかと私の方に歩いてきて目の前に立ち塞がった。


「響花は渡さないから」

「は、はい?!」


 目の前にいる人は、朝に響花ちゃんから「りっちゃん」と呼ばれていた人物だ。


「り、りっちゃんやめて」


 ぐーぐーと響花ちゃんが腕を引いているが、スタイリッシュな少女は微動だにしない。


奥山おくやま律季りつき。よろしくライバル」


 すっと手が前に出される。

 握手を求めているようだ。って、ライバル!?

 

「おー。結楽が知らない間に喧嘩してたなんてびっくりー」


 夏鈴が嬉しそうに微笑んでいるが、全然面白くないと思う。

 明らかに第二音楽室でおかしなことが起きている。


「響花があんたの歌声が好きだと言った。私の歌声しか好きじゃなかった響花が……」

「り、りっちゃん! りっちゃんの歌声も好きだよ」


 響花ちゃんが何とか律季ちゃんを抑えているが、あまりに勢いがすごいので抑えきれていない。

 もちろん律季ちゃんについても驚きだが、律季ちゃんの前だと普通に喋る響花ちゃんにはもっと驚きだった。


 と混沌状態な所に水嶋先輩と奏先輩がやってきた。


「何やってんの一年」

「わぁ、合唱部って思ったより人数いるんだねぇ」


 二人が入ってくると、律季ちゃんはずかずかと水嶋先輩のもとに駆けつける。


「奥山律季です。今日から合唱部に入ります。よろしくお願いします。目標は永野結楽を歌でぶっ潰すことです」


 なんてことを先輩に宣言しているのだと思ったけれど、合唱部の人数が増えるのはありがたい。

 

「永野、なんでまた変なの連れてくるの」

「待ってください! 連れてきたの私じゃないです!」


 そういうと、横からぎりぎりとした視線が飛んでくる。

 

「あぁ? 私は眼中に無いってか?」


 もうだめだ。

 

 夏鈴と奏先輩は楽しそうにニヤニヤしているだけだし、響花ちゃんはおどおどしている。

 さらに、水嶋先輩は私の顔すら見てくれない。

 

 誰一人として話を聞いてくれそうな人はいなさそうだ。


 定期演奏会が終わって楽しみだったはずの部活が憂鬱な部活になってしまっている。


 とりあえず、律季ちゃんと私の距離が離されてミーティングが始まった。


 律季ちゃんからはじりじりと睨まれている。

 正直、怖い。

 身に覚えのない罪を着せられた人の気持ちが、今なら少しだけわかる気がする。


 水嶋先輩はそんな中、真剣なトーンで言葉を発し始めた。


「今の部員は伴奏を含めて六人。コンクールに出るには歌う人が最低六人だから、あと一人で人数の条件はクリアなんだけど……」


 水嶋先輩の言葉にみんなは「んー」と唸りながら悩んでいる。


 今から入ってくれる人はいないだろう。

 むしろ、律季ちゃんはおこぼれだった。

 私が恨まれているのはよく分からないけれど、響花ちゃんには感謝しなければいけない。


 そんなことを真剣に考えていると、一人だけ入ってくれそうな人が思い浮かんだ。


島田しまだ穂乃歌ほのか先輩を誘えばいいんじゃないですか?」

「は?」


 水嶋先輩からは冷たい一文字が飛んできて、他の部員は目を丸くしてこちらを見ていた。


「ほのちゃん誘うとか、やっぱりこの子最高だよー!」

「穂乃歌を誘うとか、どんな馬鹿だったらそんな発想に至るわけ」


 奏先輩は一人だけすごく嬉しそうに微笑んでいるのに対して、水嶋先輩はみるみる顔が怖くなっている。


 他のみんなの視線も痛くて、今日は胸がきゅっとなる思いばかりしている気がする。


 そんな中、水嶋先輩がちりちり睨みながら私に話を始める。


「穂乃歌は私がいるかぎり合唱部に戻ってこないよ」

「そこをなんとか説得すればいいじゃないですか」

「あの頑固者を説得出来たら、穂乃歌よりも頑固者認定してあげるよ」


 それは嬉しくないけれど、島田先輩くらいしか合唱部に入ってくれそうな人物は思いつかなかった。


「結楽はそれでいいの?」


 夏鈴が心配そうに顔を覗き込んでくる。


「なんで?」

「結構酷いことされたと思うけど……」

「確かにそうかもだけど、悪い人ではないと思うんだ」


 きっと、島田先輩には彼女なりの理由があるのだと思う。なにより、定期演奏会の時の彼女の顔を見て、私はもう一度、声をかけると既に決めていた。


「とんでもない馬鹿だね」

「水嶋先輩はもっと私に優しくしてください!」


 あははっとみんなの笑い声が響いて、ミーティングが終了した。

 残りの時間はみんなと仲良く話して帰る予定だった。


 そのはずだったのに……。


「永野結楽! 響花にどんな色仕掛けをした! よっぽど、卑怯な手を使わないかぎり、響花が好きなんて言うわけがない」

「りっちゃん、落ち着いて」


 律季ちゃんが響花ちゃんに押さえつけられている。

 相変わらず、水嶋先輩はヘッドホンをしてこちらは向いてはくれないし、夏鈴と奏先輩は楽しそうに私たちの攻防を見つめていた。

  どうしようと悩んでいると思わぬ声が飛んでくる。


「りっちゃん、いい加減にして!」


 響花ちゃんが急に大きな声を出すから、みんなびっくりして固まってしまった。その様子を見て、響花ちゃんはかなり焦り始める。「ごめんなさい」と何度も言いながら、顔を赤くしてペコペコと頭を下げていた。


「響花と律季はどういう関係なのー?」


 夏鈴の一言のおかげで、その場は何とか落ち着いた。


「りっちゃんは、幼稚園からの幼なじみで……。りっちゃん、すごくて、小さい頃ミュージカルやってたから……」


 響花ちゃんはもごもごと恥ずかしそうに話していた。彼女が誰かの話をしているのは初めて見たので、きっと律季ちゃんのことが大好きなのだろう。


「り、りっちゃんの歌声ってね、すごく綺麗で、耳が癒されてね。だから、真似して私も歌が好きになったの」


 必死に頑張って語る響花ちゃんを見て、心が癒されていく。

 なんて可愛い生き物なんだ……。


 その言葉に満足したのか、律季ちゃんはかなり落ち着いていた。


 また、雑談タイムになって楽しくすごしていると、今度は奏先輩にちょいちょいっと手招きされる。


 そのまま音楽室の奥にある防音室に連れられて、奏先輩と二人きりになった。


「奏先輩どうしたんですか?」

「ほのちゃんを合唱部に入れるって本気?」

「本気です」

「また、美音が何か言って、ほのちゃんが傷ついたらどうするつもり?」


 奏先輩の顔はにっこり笑っているのに、声がとても冷たく感じた。

 

 奏先輩の意図が掴めない。

 奏先輩はいつも水嶋先輩といるからてっきり水嶋先輩と仲がいいのかと思っていた。


「なんで、私がほのちゃんのこと、そんなに気にしてるか気になるんでしょ?」


 奏先輩はニコッともっと笑顔になっていて、寒気がした。そんな怯える私にかまわず、彼女は話を続ける。


「ほのちゃんとは一年生の頃に同じクラスだったの。ほのちゃんが美音のこと大好きで憧れてたから、私も美音のこと人として好きになった。だからこそ、ほのちゃんを沢山泣かせた美音のことが許せないとも思った」

「でも、島田先輩も……」

「ほのちゃんは心に傷を負ったんだよ?」


 不気味な笑顔を向けられ続け、足が少し震える。


「でもね、美音に悪気があって言ったわけじゃないんだって言うのもわかるし、ほのちゃんがあんなに憧れて美音のこと追いかけてた理由もわかったんだ」

「どういうことですか?」

「美音もどうしようもないくらい馬鹿で、歌うのが好きなんだってことを知ったから」

「そうですね」


 とりあえず、奏先輩が心から水嶋先輩のことを嫌いじゃないことを安堵するべきだろう。


 奏先輩は今度は優しく微笑んでいた。

 それは自然な笑顔に感じられた。

 

「美音とほのちゃんが仲良いのがまた見たいの。ほのちゃんが嬉しそうに美音のことを語る姿が見たい」

「奏先輩は島田先輩のことが大好きなんですね」


 私も彼女に負けないくらいの笑顔を作ると、奏先輩は驚いた顔をした後にぷっと吹き出していた。


「後輩に頼るのは申し訳ないけど、拗らせた私たちでは修復できない関係なんだ。だから、結楽ちゃんに頼ってもいいかな?」

「任せてください!」

「よろしくお願いします」

 

 奏先輩に頭を下げられ、急いで顔をあげさせた。


「二人で何してんの?」


 防音室の中に、水嶋先輩が勝手に入ってきて、怒った表情をしていた。基本、水嶋先輩は私の前だと不機嫌な顔しかしていないと思う。


「結楽ちゃんと隠れてえっちなことしてた」

「な!? そんなことしてたの!?」

「え!? いや、してませんよ!」


 何故か私が怒られていて、その隙に奏先輩はるんるんと防音室を出ていくので、どんと重めの扉が閉まり、水嶋先輩と二人きりになった。


「何してたの?」


 ばんと壁に先輩が手をついてくるから逃げ場がない。水嶋先輩の顔が近くて心臓がどくどくと音を鳴らす。


「せけんばなしを……!」

「だったらここでする必要なくない?」


 ぐっと顔が近づけられ、水嶋先輩の整った顔が近づく。まつ毛が長くてお人形さんみたいだ。


 防音室の外は騒がしいはずなのにその音は聞こえず、私たちの息遣いのみが聞こえる。


「教えてくれないの?」

「ほんとに何もしてないです。奏先輩の冗談ですよ」

「ふーん」


 不服そうな水嶋先輩のしなやかな手が伸びてきて、人差し指で私の喉をすっとなぞってくる。急な出来事に心臓が跳ねそうになり、呼吸を止めてしまった。


 しかし、水嶋先輩はそれ以上は何も言わず何もしてこなかった。


 気まずい空気の私たちは防音室から無言で外に出る。部員の声で喧騒に包まれる第二音楽室に馴染むように、私たちは無言でその後もすごしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る