第13話

 今日は待ちに待った定期演奏会だ。


 吹奏楽部、オーケストラ部、軽音部など……音楽系の部活の発表会が年に一度だけ、この時期にある。

 

 どの部活も今後のコンテストや発表会に向けて勢いをつけるために、この定期演奏会に本気で取り組んでいる。


 そんなレベルの高い中、私たちは少人数で発表しなければいけない。


 緊張のオーラに包まれながら第二音楽室に向かっていると、響花ちゃんを見つけた。


「響花ちゃんやっほー!」


 私たちの少し前を歩く女の子に話しかけると、ぶるぶると体を震わせ始める。


「今日、み、みんなの前で歌うのですか……」

「緊張するよね! 夏鈴は緊張する?」

「普通かな」


 夏鈴はどんな時でも肝が据わっている。

 響花ちゃんはどんな時でも挙動不審だ。

 不思議な空気が漂う中、三人で廊下を歩いていた。


 音楽室では水嶋先輩がすでに歌の練習をしていて、私たち三人は急いで準備をして、練習を始めた。


 今日の喉の調子は良さそうだ。

 夏鈴も響花ちゃんも楽しそうに歌っている。


 練習していると自分たちの順番が回ってくるのはあっという間で、生徒会の人たちがステージに案内してくれた。


「合唱部さん準備お願いしまーす!」


 案内人の掛け声でステージに出る。


 顔を顰めてしまうほど眩しい光が顔に差し込み、光に目が慣れると、びっしりと埋め尽くされる観客席に言葉を失った。


 暑くもないのにじっとりと汗が滲み、しっかりと足に力を入れないと、ふるふると体が揺れてしまう。

 

 ステージの上は、夏鈴と数メートルも離れていないはずなのにとても遠くに感じ、一番端っこにいる水嶋先輩の顔がどんどん遠くなる気がして、意識も遠のきそうになる。


 人前で緊張することはわかっていたつもりだが、大勢の人の前に立つことがこんなにも怖いことだとは思わなかった。


 誰も何も言っていないのに視線が怖い。

 今すぐにここから逃げ出したい……。


 足の震えが抑えきれなくなった時にバチンっ! という音が鳴り響く。


 なんだろう……? と理解しようとすると、背中にジンジンとした痛みと熱が広がった。何が起こっているのかわからなくて、とりあえず痛い場所を摩っていると、夏鈴と響花ちゃんも同じことをしていた。


「私たちに期待してる人なんていないんだから、好きなように歌いな。今日は失敗していい」


 水嶋先輩はふんと鼻を鳴らして、顔を背けてしまった。

 

 夏鈴と響花ちゃんと目を合わせると笑みがこぼれていく。


 先輩に容赦ない気合いを入れられて、緊張や不安はどこかに飛んでいた。


 今は合唱を楽しみたい。


 音源が流れ始めると体が音楽に乗り始めて、胸が、喉が、口が、早く歌いたいと訴えてくる。

 

 自分の今の感情を精一杯込めて――。


 まだ、部員は四人で、ここまで苦しいことも辛いこともあったけれど、諦めなかったからきっとここに立っていられる。まだまだ問題も多く、未熟な部ではあるけれど、ぶつかる度に何度だって諦めず解決方法を探していけばいい。


 この合唱はその決意表明でもあると思っている。


 一番遠くにいる水嶋先輩の表情が見えて、歌うことを止めてしまいそうになった。


 水嶋先輩が嬉しそうに笑っていた――。


 その光景にグッと体の奥に熱いものが込み上げる。

 

 合唱部は廃部だと諦め、絶望に満ちていた水嶋先輩の顔からは想像もできないその笑顔は、私が初めて彼女をこの学校の文化祭で見つけた時と同じ顔だった。

 

 もう一度、水嶋先輩のその顔が見れて良かった。


 胸を張り、観客席の方を見て歌声を届ける。

 

 知らない人たちの顔が鮮明に見える。

 何を感じているのかはわからないけれど、私たちを見てくれる人たちに精一杯の歌を届けた。


 歌い終わると会場内を歓喜で満たすほどの拍手が鳴り響く。


 そのことに安堵し、体の力は抜け、体内はいろいろな感情が暴れ回っていた。観客を見渡すと、多くの人が私たちを見つめてくれている。


 あれ――。


 私のよく知る、ツインテールの少女が目元をゴシゴシと拭いている気がした。暗かったので見間違えかもしれない。



 私たちはステージから降壇して、第二音楽室まで戻ってくると、気が抜けて床に雪崩れ込んでいた。


「疲れたー!」

「結楽も響花もお疲れー。楽しかったね」

「夏鈴もおつかれ。めっちゃ楽しかったね。響花ちゃんは?」

「た、たのしかったです」


 みんなが楽しいと思って合唱をしてくれたことが嬉しかった。

 私が強引に引き連れた二人だったので、もし無理をさせていたら申し訳ないという気持ちもあったからだ。


 わーっと大声を出しながら笑っていると、夏鈴と響花ちゃんも笑顔になっていた。


 三人で雑談をしていると、水嶋先輩が音楽室に戻ってきた。水嶋先輩は難しい顔をしながら「お疲れ様」と淡々とした声で告げて、ヘッドホンを耳に当てようとしている。


「美音先輩、それだけですか?! 頑張ったんだからもっと労ってください」

「夏鈴はうるさい。でも、何かしてほしいことあるの?」

「やっぱり、頑張ったのでハグとかじゃないですか?」


 夏鈴の本気か冗談か分からない言葉に体がピクリと反応して、一気に力が入る。彼女の肩をグッと押しながら水嶋先輩と夏鈴の間に割り込んだ。


「夏鈴、打ち上げに行こう」

「お、うん?」

「響花ちゃんと水嶋先輩も行きましょう?」

「だから、私はそういうの行かないって」


 水嶋先輩は不機嫌そうに背を向けている。

 響花ちゃんはコクコクと頷いてくれた。


 一年生のみんなで帰る準備をしていると、水嶋先輩は何思ったのか、私たち三人の顔を見渡し、拳を握っていた。


「まだ、廃部の事実は変わらないんだからね。明日からもっとしごくから」


 その言葉に私たち三人は目を合わせた。


「美音先輩、素直じゃないんだからー」

「そんな水嶋先輩も好きですけどね! ね! 響花ちゃん!」

「う、うん!」

「あー、うるさい! 早くどっか行って!」


 水嶋先輩はバタバタと防音室に入ってしまった。照れ隠しも下手な先輩がかわいくて、胸はふわふわとした気持ちで満たされる。


 なにより、明日もここで歌える。

 どうやら、そのことがとても嬉しいらしい。


 水嶋先輩にもう一度ちゃんと挨拶をしてから帰ろうと、音楽室に夏鈴と響花ちゃんを残して防音室に入った。


「水嶋先輩、お疲れ様でした」

「助かった」

「へ?」

「私ひとりだったら、一年の皆と上手く合唱できなかった」


 水嶋先輩は背を向けていてこちらを向いてくれない。照れているのはわかるけれど、顔を見て言って欲しかったなと思う。


「水嶋先輩、こっち向いてください」

「いやだ」

「いいからいいから」


 私がちょっかいをかけると不機嫌そうな水嶋先輩はこちらを向いてくれた。


 唇をむっと尖らせている。


 私はそんな水嶋先輩にかまわず、両手を広げた。


 恥ずかしくて体中の水分が蒸発してしまいそうだ。


「定期演奏会、頑張りました――。だから、ぎゅってしてください……」


 顔から火が吹き出そうになり、ちらっと彼女のことを見つめ様子を窺った。


 水嶋先輩は目をぱちぱちさせたあとに、私の方へ寄ってくるので、どくどくと鼓動が速くなっていく。


「定期演奏会はみんな頑張った。永野だけ特別扱いできない」

「そうですよね……」


 私は自分の言ったことが恥ずかしくなり、下を向いた。しかし、次の瞬間柔らかなものに包まれる。


 あまりにも強すぎる力でぎゅっと抱きしめられるので、心臓がポロリと取れそうになった。


「せんぱい……?」

「人との関わり方を教えてくれた。それは永野が頑張ってくれたことだから」


 とくとくと速まる心臓が騒々しい。

 外からは夏鈴と響花ちゃんが楽しそうに話す音が聞こえる。


 こんな所を二人に見られたらと思うと、焦りが生じるのに、私は後先気にせず水嶋先輩をぎゅっと抱きしめた。


 密着しすぎて、水嶋先輩が呼吸をする度に小さく揺れる体の動きまで鮮明に感じ取れる。


 何の花かは分からないけれど、お花の香りがして、とても落ち着いていく。


 あまりにも長い時間そうしていて、恥ずかしくなって水嶋先輩を離した。


「すみません……」

「なんで謝るの……」


 急に気まずい雰囲気になり、彼女の顔を見れない。

 さっきまで水嶋先輩に触れていた部分は簡単に冷たくなるのに、体の中心はぐつぐつと煮えている感じがする。


「明日からもよろしくお願いします」

「うん」


 水嶋先輩の顔も見ずにお辞儀をして、防音室を出た。


 帰り道は何事もなかったふりをして、夏鈴たちと話していたが、話は上の空でしばらく耳が熱かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る