High school runaway!~アンデスから帰ってきた僕が捨てたはずの故郷と幼馴染み達に癒される話~

ぽにみゅら

帰郷

『県立杜兎高等学校』と書かれた校門をくぐると、新緑の桜並木が出迎える。


 桜の花はとっくに散ってしまっているけど、若々しい生命力にあふれた緑の並木道も悪くない。


「美しい」


 思わず言葉が漏れた。


 久々に帰って来た日本。


 杜兎とうさぎ市。僕が生まれ育った、僕の故郷。


 この春、僕は南米から帰国して、この杜兎高校へと進学した。


 木々の緑、花壇には色とりどりの花々。鮮やかな色彩に彩られた風景に心を奪われながら校舎へと歩みを進める。


 穏やかな春の昼下がり。既に授業は終わり、下校する生徒達や部活動に励む生徒達とすれ違う。


 春風に靡く髪。揺れるスカート。ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。


「美しい」


 世界が憧れる日本のhigh school! 青春の輝きに魅せられて、僕はもう一度呟いた。


「ねえきみ? 何してるの?」


 不意に声を掛けられたのでそちらを見ると、教師とみられる男性が、警戒するような視線を僕に向けている。


 男性教師は、前開きのジャージに首にはホイッスルという、ザ・体育教師という格好で、10人程の体操服姿の女子生徒を引き連れている。


 その場にいた生徒達も藤巻にこちらを伺っている。完全に不審者扱いだ。


 一応僕はこの学校の生徒である。だけど、登校するのは今日が初めてで、見知った顔はいない。おまけに私服姿だったのが災いした。


 色褪せたシャツとジーンズに、頭にはテンガロンハット。おまけにアンデスの民族衣装としてお馴染みのポンチョを羽織っている。肩にはパンパンに膨らんだ帆布の鞄。日本の学校という空間において、どう控えめに見ても不審者だ。


 慌ててテンガロンハットを脱ぐと、僕は男性教師に向かって深々と頭を下げる。


「この春入学した麻生彩昂あそうあやたかです。遅刻してしまって申し訳ありません」






 ここで、ちょっと複雑な僕の事情について説明しておこう。


 僕の父親、麻生星吉は東京の有名大学で民俗学の教授をしている。母親はいない。なんでも、世界中を飛び回ってほとんど帰ってこない父に愛想を尽かし、物心つく前の僕を置いて失踪したらしい。


 そういった理由で両親と離れて暮らすことになった僕は、ここ杜兎市に住む父方の祖母の家で暮らしていた。だけど、小学校2年生の時、祖母が身体を壊したことで、東京の母方の実家に預けられることになる。


 母の事はあったけど、祖父母は孫の僕に優しかったし、近所には母の兄である叔父一家も暮らしていて、叔父も僕の事を息子のように可愛がってくれた。ただ、叔父一家には僕と年齢の近いいとこの姉弟いて、ひとつ下の弟の方とは結構仲良くやっていたけど、ひとつ上の姉の方が僕にあたりがきつかった。たぶん、祖父母やご両親である叔父夫婦が、母の事で僕の事を気遣っているのが面白くなかったんだと思う。


 叔父夫婦が優しくしてくれるのはありがたかったけど、いとこ達との関係もあって、僕は叔父一家がちょっと苦手だった。


 東京に来て2年が過ぎた頃、面倒を見てくれていた祖父母が事故で他界した。


 葬儀が終わり、親戚一同が集まった中、これから僕を誰が預かるかという話し合いが行われた。


 流れ的に叔父夫婦の元に決まるだろうと思われた話し合いの中で、叔父夫婦は預かるのではなく正式に僕を養子にしたいと申し出た。どうやら海外に出ずっぱりの父を見かねたこと。僕をたらい回しにするような状況に憤慨してのことらしい。


 父はインカ文明を研究する国際合同チームのリーダーをしていて、距離的にも立場的にもそうそう日本に帰ることが出来ないでいた。祖父母の葬儀にも出席できず、話し合いもモニター越しという有様だ。


 叔父の言葉に流石の父も反省したのか、僕に一緒に海外で暮らさないかと提案してきた。


 たぶん養子という話が出なければ、僕はそのまま叔父一家の元に預けられていたと思う。叔父の一言が、僕の今後の運命を大きく変える切っ掛けになったといっても過言ではない。


 本来なら父の申し出を受けるのが筋だろう。叔父を始め親戚からはけちょんけちょんに言われていたけど、僕は父の事を尊敬していたし、幼少期に海外留学出来る機会なんて滅多に無い。勉強なんかは今の時代オンラインで可能だし、将来的にきっと大きなステータスになる。


 とはいえ、父が研究の拠点にしているのは、シシメル共和国という南米の途上国だ。それもアンデス山脈に囲まれた少数民族の集落で、治安、衛生状態を考えると、日本人の、ましてや10歳の子供が住みやすいとはお世辞にも言えないような場所だった。


 父も叔父も無理強いをするつもりは無かったようで、どうしたいのか決定権は僕に委ねられた。


 叔父夫婦の養子になれば、日本で安定した生活ができる。叔父は弁護士事務所を経営していて裕福だったし、父も養育費は払うという話だから、何不自由なく大学まで行けるだろう。


 父の元へ向かえば、滅多に無い貴重な経験を積むことができる。


 実のところ、父は第3の選択肢を用意していて、僕も一時期はそれを選ぶつもりだったんだけど……


 色々あって、僕は父と共に海外で暮らすことを決めた。


 それから5年。


 「高校、大学は日本の学校でまともな青春して来い」という父の勧めもあって、僕は日本に帰ってきた。そして、今日。入学式から2週間遅れで僕は初登校を果たしたのである。






「まったく。もう少しで警察を呼ぶところだったぞ?」

「お騒がせしてすみません。何分、制服をまだ持ってなかったので」

「ああ、君の制服なら職員室で担任の先生が預かってるよ。案内するからちょっと待て」


 本来、制服は上履きなどと一緒に、入学式前に受け取りに来なければならない。だけど僕は海外にいた為、制服は学校に預けっぱなしになっていたのだ。


「先生はこいつを職員室に連れて行くから、先に練習を始めててくれ」


 男性教師は様子を伺っていた女子生徒達に自主練を指示する。ラケットを手にしていることから、彼はテニス部の顧問のようだ。


「先生、その人は?」


 部長だろうか? 背の高い女子生徒が男性教師に尋ねる。


「こいつは麻生。帰国子女で、この春に入学する予定だったんだがずっと音信不通でな。それが今になって、なんか急に来やがった」

「あー! 幻の出席番号1番の人!」


 また別の女子生徒から声が上がった。運動部らしく日に焼けた顔にセミロングの髪。シューズもジャージもまだ新しい。たぶん、僕と同じ新入生だろう。体操服から伸びた健康的な足が眩しい。


「そういえば生駒いこまは同じクラスだったか?」

「はい! 前の席がずっと空席なので、私がずっと1番最初に当てられて困ってました!」


 部員の中から笑いが漏れる。


 出席番号は50音順だから、『あ』から始まる僕は出席番号1番だったとしてもおかしくはない。入学して間もないし、席順も出席番号順なのだろう。


「よかったな生駒。これでもう最初に当てられる事はなくなるぞ」

「はい!」


 にっと良い笑顔を見せる生駒さん。僕は出席番号2番のクラスメイトに小さく会釈する。


 新入生? 結構格好良くない?

 残念。年下かー。

 どこの国から来たんだろう?

 生駒同じクラス? いいなー。

 いや、あのファッションセンスはないわー。


 生徒達のひそひそ声と好奇の視線。最初のような不審者を見るような目は無くなったけど、品定めをされているようでなんともむず痒い。


 そんな視線を背中に受けながら、僕は男性教師によって職員室へと連行……いや、案内される。


 職員用の玄関から校舎に入って、そこでスリッパに履き替える。職員室は玄関のすぐ前にあった。


九鬼くき先生! 麻生が来ましたー!」


 職員室の扉を開けて男性教師が声を上げると、職員室から何やらざわめく声がする。


「みんな心配していたんだよ。俺は英語担当の米沢だ。また授業でな」

「はい。ありがとうございました」


 体育教師ではなかったらしい。米沢先生は僕の肩を叩いて入室するように促すと、自分は外で待たせている生徒達の元へと戻っていった。


 職員室に入ると、50代くらいのおじさん先生と、20代くらいのお姉さん先生が僕を出迎える。おじさん先生の方は校長先生か教頭先生で、お姉さん先生の方は担任の先生なのだろう。


 おじさん先生の方が、僕の顔を見るなり人のよさそうな笑顔を浮かべた。


「いやぁ、無事に日本に着いたようでよかった! 僕は教頭の大里です。こちらは君の担任になる、1年7組の九鬼先生。ようこそ、杜兎高校へ。入学おめでとう」

「ありがとうございます。麻生彩昂です。これからよろしくお願いします」


 日本に住んでいた頃の記憶を掘り起こして、僕は深々と頭を下げる。


「そこまで深く頭を下げなくても構わないんだよ?」

「すみません。日本は小学校4年生の時以来なので」


 小学校に入りたての頃、「先生さようなら」と言って礼をした瞬間、ランドセルのふたが閉まってなくて、中身を全部ぶちまけた記憶。あの時こっそりランドセルのふたを外す悪戯をしたあの子の顔は今でも忘れない。


「ははは! 海外との違いもあるだろうし、これから慣れていくだろう。それでは九鬼先生。後はよろしくお願いいたします」

「はい」


 少し緊張した様子で返事をする九鬼先生。


 着ているスーツも真新しくて、いかにも教師になりたてという感じだ。それに小柄で可愛いい感じの顔立ちだから、化粧を落として制服を着ていれば、生徒に紛れていても気づかれないかもしれない。


 ただ、壁際にある九鬼先生のデスクの後ろにだけ、段ボールやら紙袋やらが積み上げられているのが気になった。デスクの上は綺麗に整頓されていて、キャラ物のグッズなんかも置かれているのに違和感しかない。


 新人教師に対するいじめかと、ちょっと心配になった。


「あらためまして、私はあなたのクラスの担任を務める九鬼由梨奈といいます。よろしく麻生君」

「よろしくお願いします」


 今度は軽く頭を下げるに留めた。


「それで、明日から登校することは出来るのかしら?」

「はい。そのつもりです」

「確か、お父様はまだ海外なのよね?」

「ええ。向こうの情勢が悪くて、一度帰国してしまうと渡航許可が下りないだろうからって、父は向こうに残っています。僕と義妹だけが日本に来て、義妹は東京の寮のある中学校に入ったので、僕は祖母の家からこの学校に通うことになってます」

「そう……うーん。どうしようかしら?」


 九鬼先生が何やら困った顔をする。


「お婆様は車に乗られるのかしら?」

「いえ、7年くらい前から車椅子生活でして、今は介護施設に入ってますね」

「じゃあ、麻生君はこれからひとり暮らし?」

「はい。当分は」

「そっか。実は持って帰って欲しいものが結構あるのよ。ここにあるのは全部、麻生君の制服や教科書なんだけど」

「あ……」


 そう言って、九鬼先生はデスク周りに置かれた紙袋や段ボールの山を指さした。


 どうやらいじめなんかではなく、僕が原因だったらしい。


「すみません! すぐに持って帰ります!」

「それはいいのよ。でもひとりで持って帰れそう? この他にも課題や、保護者の方に見て頂きたい書類なんかも渡さないといけないし、大丈夫かしら?」

「え、ええ。なんとか」


 口ではそうう言ったが、内心ではやばいと考えていた。


 ロッカーがあるだろうから、体操服や上履きなんかは、わざわざ持って帰る必要はない。


 問題は教科書やら資料集やらが入った段ボールがふたつ分。中はぎっしり詰まっていて結構重そうだ。


 高校の教科書って一体何冊あるんだよ……


 駅から近かったから、そのまま歩いて学校の方に先に来てしまったのだが、早まったかもしれないと後悔する。


 帰国後、時差ボケやら義妹様の入寮の準備やらで数日を東京で過ごし、杜兎市に着いたのはついさっきだ。


 これから暮らす祖母の家は、学校から車で20分くらいかかる場所にある。通学にはバスを使う予定で、定期券を買わないといけないし、祖母の家はここ1年くらい空き家になっていて、寝床があるのかも未確認だ。電気や水道は使えるみたいだけど間違いなく食料は無いだろう。買い出しにも行かないといけない。


 既に夕方に差し掛かろうという時間だ。やはり足が無いと厳しいか。


「一度保護者に相談してみます」


 一応、こっちに帰るにあたり、父の友人に僕の保護者代理を頼んである。僕とも昔から面識のある人で、事情を話せば手を貸してくれるだろう。無理ならタクシーを呼ぶ事になる。


「あの、僕は今、携帯電話を持っていないので……」


 帰国の際色々あって、僕はそれまで使っていたスマホを向こうに置いて来ていた。日本で新しく買おうとしたけれど、未成年者が契約するには、親権者の同意書が必要ということで断念せざるを得なかったのだ。


「私からかけてもいいけど、確か保護者になっているのは宮津みやつみらいさんのお父様よね? みらいさんなら今部活中じゃないかしら? 彼女に聞いてみたら?」


 先生からその名を聞いて、心がざわめいた。それは僕にとって特別な女の子の名前だったから。


「みらいちゃ……いえ、宮津さんがこの学校に?」

「え、ええ。同じクラスよ? 知らなかったの?」

「はい。もう何年も会っていなかったので」


 宮津みらい。僕の幼馴染で、かつて好きだった女の子の名前だ。最後にあったのは小学校4年生の夏。それからずっと連絡も取ってなかったから、どんな顔していいものやらと僕は少し悩んだ。だけど、同じクラスならそうも言っていられない。連絡するにも学校からより娘さんからの方が良いだろう。


「わかりました。宮津さんは今どちらに?」

「宮津さんなら、南校舎の4階にある茶道部の部室にいるはずよ」


 そう言って九鬼先生は、窓から見える校舎を指さした。4階の外れの方だ。


「ありがとうございます。行ってみます」

「あ、ちょっと待って」


 先生は僕を呼び止めると、紙袋を押し付ける。中に入っているのは濃紺のブレザーとスラックス。


「そのポンチョも帽子も素敵だけれど、折角だから制服を着てみない? っていうか着なさい」


 まあ、生徒なんだから当然だ。


 僕だってまた不審者扱いはされたくない。






          ~~~~~あとがき~~~~~


 シシメル共和国は架空の国家です。位置的にはペルー、ボリビア、チリの国境からチチカカ湖あたりまで。面積は日本の本州くらい。本作ではストーリーの関係上、南米の地理や歴史が現実とは異なっている事をご了解ください。

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