巫女ならば撃て、さもなくば散れ
海猫
01 西部戦線の巫女
【1918年 フランス北部 西部戦線】
一発目の砲弾が直撃したとき、誰かの生首が空から降ってきた。
二発目の砲弾が炸裂したとき、塹壕から飛び出したイギリス兵たちが一斉に突撃を開始した。
「殺せぇ!」
リー・エンフィールド小銃に着剣したイギリス兵たちが、数百メートル先のドイツ兵たちを殺すために走り、叫び、撃ち続けている。彼らの大半は砲撃で吹き飛ばされ、重機関銃の射撃でミンチにされ、複葉機の機銃掃射で蜂の巣にされていく。それでも運良く生き残った者たちは、引き金を引いて7.7mm弾を撃ち込みながら、敵兵に飛びかかって銃剣を突き刺していく。
「
誰かが手榴弾を投げ込み、揉み合う男たちをまとめて吹き飛ばした。無数の肉片が塹壕に飛び散り、鮮血と泥濘が混じり合う。発狂した誰かがシャベルを振り回し、誰彼構わず頭蓋を叩き割る。両脚を失った男が泣き叫びながら拳銃を撃ち、心臓を突き刺されて絶命する。
どんな地獄絵図も、もはや日常になりつつあった。
後方から戦況を確認したイギリス軍の士官たちが、第二陣の突撃命令を下した。絶叫のようなうなり声が一帯を包み込み、血眼になって焼け野原を走る男たちを駆り立てた。彼らの恐怖心は狂気的な興奮に上書きされ、新しい屍をいくつも積み上げた。
その真っ只中を、少女は駆け抜けていった。
紅白の装束に身を包んだ少女が放つ銃弾は、確実に敵兵の心臓を貫いていった。引き金を引いて敵を殺し、コッキング・レバーを引いて排莢し、すかさず次弾を装填する。弾倉の半分を消費したタイミングで、少女は近くの窪みに飛び込んだ。砲弾が穿った大きな窪み。少女は弾薬ポーチに手を突っ込み、銃弾を一発ずつ押し込んで装填し、勢いよくレバーを押し戻した。
塹壕から脱出したドイツ兵たちが一斉に退却を始めていた。
その背中に向けて、少女は一発も外すことなく射撃を続けた。フロントサイトに敵兵を捉えて撃ち殺し、すかさず次の標的を捉える。引き金を引くたびに反動が肩を叩き、敵兵が足元から崩れ落ちる。硝煙の匂いを嗅ぎながら、何千回も繰り返してきた動作を続ける。
奇妙な出来事が起きたのは、その時だった。
退却していたドイツ兵の一部が、不意に踵を返してイギリス軍と正対した。
彼らは再び小銃を構え、追撃するイギリス兵たちに向かって突進し始めた。
「狂ってやがる」
一人のイギリス兵が呟いた刹那、彼の額を銃弾が貫いた。
どよめきと恐怖が、辺りに広がり始めた。
「ひるむな! 殺せ!」
反撃してきたドイツ兵たちの様子は、明らかに常軌を逸していた。焦点の定まらない目つき、ふらつく足取り。にも関わらず、彼らの銃弾は確実にイギリス兵たちを貫いていく。火炎放射器をもった兵士が彼らをまとめて焼き殺そうとする。ドイツ兵は火だるまになりながらも、突撃を敢行しようとする。
イギリス兵の一人が味方から重機関銃を奪い、狙いも定めずに射撃し始めた。蜂の巣にされたドイツ兵は、それでもなお血走った目で突撃を続けている。両腕を吹き飛ばされながら、腹部から腸を垂らしながら、体一つで走り続けている。狂気的な彼らの突進に、イギリス兵たちが後ずさりし始めた。
銃声が響いた。
阿鼻叫喚の只中で、少女だけが冷静に射撃を続けていた。
狂ったように反撃を続ける敵兵の一人が手榴弾を放り投げる。放物線を描きながら落下してくるその軌道を、少女は見逃さなかった。少女は銃口を空に向け、また一発、引き金を引いた。
手榴弾が空中で爆発した。
「なんなんだ……」
凄惨な撃ち合いを続ける男たちが、怪異と遭遇したかのような目を少女に向ける。
「なんなんだ、あいつは!」
伏せ撃ちを続けていた少女はおもむろに立ち上がると、目の前の塹壕に向かって狼のように駆けだした。泥まみれの死体をいくつも飛び越えた先、男たちが白兵戦を繰り広げる只中へ、少女は銃剣を突き出しながら鷲のように飛びかかった。
「やめろ……!」
敵兵の顔が恐怖に染まった直後、その眼球を銃剣が貫き、後頭部まで貫通した。
仁王立ちする少女の周囲から、男たちが一斉に後ずさりした。
反撃を続けていたドイツ兵たちが、我に返ったかのように塹壕から這い出て、再び退却し始めた。イギリス兵たちが追撃しようとするものの、ドイツ軍の砲弾が時間差で撃ち込まれ、爆発と共にいくつもの土埃が舞い上がった。生き残ったイギリス兵が土を払いながら立ち上がった時、すでに敵の姿は消えていた。
戦いが終わったのだ。
今日のところは。
イギリス兵の一人が軍用水筒を口に含み、不意に視線を感じ取った。傍らに立つ少女の視線だった。どことなく薄気味悪さを感じながら、イギリス兵は少女に向かって水筒を差し出した。
「あんたも飲むか?」
「……ありがとう」
少女はこくりと頭を下げると、水筒の残りをラッパ飲みした。その横顔が東洋人の顔つきであることに、イギリス兵はようやく気が付いた。
「……あんたが例の、日本から来た少女兵か」
「私だけじゃない。何人も、何十人も、何百人も来ている」
少女は水筒を返すと、頬の血を掌でぬぐった。すらりと伸びた長身に似合わぬ、あどけない顔つきだった。
白い衣と赤い袴をまとったその姿からは、戦場に似合わぬ可憐さすら感じられる。
彼女の英語が思いのほか流暢であることに驚いたイギリス兵は、興味本位で「名前は?」と問いかけた。
「……リツコ」
「何だって?」
日本語の発音を聞き返されるのも、少女にとってはいつものことだった。灰色の雲が垂れ込める空を見上げながら、独り言を呟くような口調で少女は答えた。
「ツシマ・リツコ。帝国陸軍『従軍巫女』の、津島律子」
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