ソロツーとマスツー

 ツーリングにはソロツー派とマスツー派がいる。ソロツーとは一人でするツーリングで、マスツーとは仲間とのツーリングの意味だけど、ここにバイク乗りの解釈が入るんだ。英語的にどうかなんて知らないけど、マスツーとは二台以上であればすべてマスツーと言うんだよ。


 英語はお世辞にも得意とは言えないけどマスって大量の意味があるはずじゃない。だからマスコミっていうはずじゃない。けどバイク用語的には二台でも十台でも百台でもマスツーになるんだよね。


 ここなんだけどソロツーやってる連中にも温度差はある。まずソロツー絶対主義者はいる。これもわかる部分はあって、誰かと一緒に走れば相手に合わせた走りをやらないといけないじゃない。それを嫌って自分の走りを楽しむぐらいかな。


 次はソロツーもマスツーも楽しむ二刀流だ。ソロツーでも楽しめるけど、マスツーも嫌いじゃないし楽しめるタイプだ。なんでもそうだけど仲間がいる方が楽しいじゃない。気分でどっちも楽しめるぐらいかな。


 最後は二刀流の変形だ。マスツーもしたいのだけど相手が見つからないグループだ。そう書くとコミュ障とか、ボッチを思い浮かべるかもしれないし、そういうのもいるとは思う。でもね、マスツーの相手を見つけるのは実際のところハードルは高い気がしてる。どうしてかって? そんなものバイク人口が少ないからだよ。


 バイクってね、一九八〇年代には国内で六百万台ぐらい売れてたらしいんだよ。これじゃ、わかりにくいか。現在のクルマの販売台数は軽自動車も含めて四百万台弱ぐらいなんだよ。なんとかつては今のクルマよりバイクが売れてたんだ。


 これは親父に聞いた話だけど一九八〇年代はバイクのCMがクルマ並みにごく普通に流されていたって聞いて驚いたもの。有名俳優や有名女優を起用したCMだって作られてたんだって。


 今じゃ、テレビどころかネット広告だって見たこと事がない。千草が買ったモンキーも納車をあれだけ待たされるぐらい人気があるはずだけど、あれだってCMで知ったわけじゃなくネット動画で知ったもの。


 そうなってしまったのは国内販売台数の落ち込みだ。かつては六百万台だったのが今や六十万台になってしまってるんだよ。そうなった理由で一番大きいのは三ない運動の成果じゃないかと親父も言ってた、三ない運動とは、


 ・バイクの免許を取らせない

 ・バイクに乗らせない

 ・バイクを買わせない


 これは暴走族対策のために行われたのだけど、結果として高校生でバイクの免許を取るのはほぼ不可能になったらしいし、大型免許の取得もむちゃくちゃ難しかったらしく、教習所で取れなくて一発勝負の試験場のみだったとか。


 この一発勝負も難関なんてものじゃなかったそうで、あっちは大型免許はなるべく取らせまいってスタンスだったから、合格率が三%なんて話も残っているとか。そこまでになると、まるで司法試験並みの難関じゃない。


 親父はそれだけじゃないとも言ってた。三ない運動は高校生からバイクを遠ざけるだけじゃなく、若者からバイクを遠ざける結果にもなってるって。シンプルには、


『バイクの乗るやつは不良』


 こういうレッテルを貼りまくったとか。当時の暴走族はそれぐらいの猛威を振るっていたかららしい。これも親父から聞いた話だけど、当時の暴走族は今なら半グレみたいな連中が多くて、なんて言うか、暴走族から暴力団への裏のエリートコースみたいな側面もあったとか無かったとか。


 だから臭い物には蓋の政策を徹底的かつ延々と繰り広げたで良さそうだ。この辺はそういう政策を推進した連中にとってはバイクなんて乗らないし、この世からバイクが無くなってもかまわないと考えていたんだろうな。


 それでも大型二輪免許と普通自動二輪免許の保有者は合わせると千八百万人ぐらいはいるのはいる。けどさ、その中で現役ライダーがどれぐらいいるかとなるとデータはなさそう。


 ここなんだけどバイクの販売台数はニアイコールでバイク人口と考えて良いはずだから、かつての一割程度になってるはずだよね。それだけ減ってるからバイクのCMも無くなるし、暴走族だって同じ比率で減ってると思うよ。


 暴走族は今だって生き残ってるはず。もっとも千草は見たことないけどね。生き残ってるらいしいのは小説とか、マンガとかに今でも出て来るから知ってるぐらい。でもさぁ、でもさぁ、暴走族と言ってもバイクに乗ったから不良になったんじゃないだろうが。


 あれは不良がバイクに乗っただけの話だよ。その証拠にバイクに乗らなくても不良や半グレは変わらずにいるじゃないの。そうは言っても三ない運動のお蔭で平和にツーリングを楽しむバイク乗りでさえ色眼鏡で見られる風潮は今だって確実にあるのよね。



 かつての一割に減ってしまったからバイク乗りを見つけるのも大変になってるし、バイク乗りも自分がバイク乗りであることを隠す傾向があるんだ。これは千草も他人のことを言えないけどね。


 どう言えば良いのかな。人に知られたら何を言われるかわかったものじゃないのがバイクの気がする。オタク趣味を隠すのに似てるかも。バイクに乗ってるとまだ言えるのは、通勤とか通学、買い物用にスクーターに乗ってるぐらいだ。


 バイク仲間を見つけるのも学生の頃ならまだしもだった。千草の友だちもそうだったし、学内でも隠しもせずに乗ってるのはいたもの。でもこれが社会人になるとハードルはひたすら高くなる。


 千草ぐらいの歳になるとバイク乗りであってもすでにリタイアしたのも多いんだよね。千草だってリタイアしてたもの。もちろん生き残ってるのもいるだろうけど、さらなるハードルがモンキー乗りにはある。


 マスツーするには相手も同じぐらいのバイクである必要があるんだよ。学生の頃から生き残ってるバイク乗りって筋金入りだから、どう考えたって大型かせめて中型に乗ってるのが殆どのはずなんだ。


 小型と中型だけでも走りで別世界ぐらい違う。高速とか自動車専用道を走れるか走れないかも大きいけど、下道だって小型じゃ付いて行くのに時に悲鳴が上がる。それぐらいの性能差は余裕であるもの。


 下道なら中型とマスツーは不可能じゃないけど、そのためには中型に合わせてもらわないと成立しない。わかるかな。中型は本来の走りを我慢しないといけない、小型は我慢してもらっている中型に必死こいて付いて行くになってしまうもの。


 だからマスツー相手には小型乗りが欲しいんだ。そんなものどうやって見つけると言うんだよ。社会人になってよくわかったけど、学生時代に較べても世界が狭くなってると思うことが多いんだよね。


 これは勤める会社の規模とか職種によって変わるのだろうけど、人間関係と言っても同じ職場が中心で、せいぜい同じ社内までだ。それ以外になるとホントに狭い気がする。ない事もないけど、それこその仕事上の付き合いだけだもの。


 見渡したところ、バイク乗りは見当たらない。隠れもいるかもしれないけど、どうやって見つけたら良いかわからないし、もしバイク乗りでも中型以上ならアウトだ。だからソロツーに専念せざるを得ない状況でもある。



 話は少し変わるけど、マスツー派は増えてる気がする。昭和の頃のマスツーは集団で走ってるだけだったと思うけど、今は会話ツールがある。インカムってやつ。あれを使えばツーリングをしながら話も出来るんだよ。


 トコトコ派のツーリングって走っていて目に見える風景を楽しむのがあるじゃない。思いっ切り気取って言えば花鳥風月を楽しんでるのよ。その感想を誰かとリアルタイムで話したいのよね。なんかそういう会話が好きじゃないのがソロツー派の気がするぐらい。


 それとさ、走ってると古い建物とかあるじゃない。そういう歴史的な由緒あるものも好きなのよ。言っとくけどババ臭い趣味とは言わせないよ。レトロってやつだ。明治レトロとか、大正レトロとか、昭和レトロだって人気あるじゃないの。そろそろ平成レトロも出て来そうなのは嫌だけど。


 そういうのも千草は好きなんだ。古民家レトロも好きだよ。ついでに言えば歴女じゃないけど歴史も好きだ。学校の授業の歴史は大嫌いだったけど、楽しみとしての歴史は好きなんだ。ツーリングであれこれ見て回りながら、そういう話をするのは楽しそうじゃない。


 歴史的な名所旧跡と言ってもメジャーなところは基本的にパスかな。だって混んでるし、京都や奈良なんてバイクで行くところじゃないとないと思ってる。バイクで行くならマイナーからマイナーメジャーなところだ。


 人にも歴史はあるけど、土地にだって歴史はあるはず。それが歴史ロマンだよ。マスツーするならそういう相手が欲しいんだ。これも単なる歴史オタクはパスだ。歴史の話だけをしたいのじゃないからね。


 自分で言いながら、どれだけハードルを上げてるんだの世界だけど、ヒョンなことから見つかってくれた。百点満点には程遠いけど、あれなら辛うじてぐらいで合格点をあげても良いかも。

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