第4章 忘れたくないこと


 第4章「忘れたくないこと」


 記憶とは何なのだろう。

 意識と精神が死後もなお霊としてこの世に留まり続けるのはわかった。わかってしまったと言ってもいい。

 では記憶とは。

 それらに付随するものなのだろうか。

 僕には忘れたくないことがある。

 それこそ死してなお、である。

 死んでしまって、意識と精神はあっても記憶が抜け落ちてしまっているのならば、それは本当に僕自身と言えるのだろうか。

 人として人生を紐解くにあたり、意識と精神などでは語れないものが多い。人は記憶で構築されている。

 「うーん、そうね、記憶?」

 参月は僕の質問に少し困ったようだった。

 「私自身当事者じゃないからどうかわからないけれど…麻乃実ちゃんを見る限りにおいて記憶は抜け落ちているみたいね。

 ねぇ麻乃実ちゃん、昔のことって思い出せる?」

 参月はゆるゆると首を横に振った。

 「駄目ね、亡くなる直前の様子くらいはうっすら記憶しているようだけれど、他のことはほとんど忘れているって言っていいわね。名前とか、年齢とか、その程度のことは覚えているみたい」

 ほぼ予想通りの結果だった。

 じゃあさ、麻乃実ちゃん。

 僕は、相当酷いことを聞いた。

 記憶がないのならば、君は何を理由に君自身だと言えるの?

 「ちょっと…」

 参月が制止しようとしてきたが、僕は構わず続ける。

 名前とか年齢とかしか覚えていないのならば、君はたまたまそれが自分のものだと思い込んでいるだけじゃないのかな。

 「…最低ね」

 参月はそれだけ言うと、足早に去っていった。


 自分を自分たらしめているものは何なのだろうか。

 言うに及ばず、過去の蓄積である。記憶、経験。

 名前など、記号だ。

 いつどこで何をして何を思って…そういう繰り返しで人間は構築されている。

 それがないならば、自分であることなどできないし存在の証明もできない。

 あぁ、だからか、幽霊とはだからそうなのか。

 記憶がないから幽かにさ迷い歩く単なる思念体。

 そうであるならば、僕は死んでも幽霊になど、幽霊にだけはなりたくない。

 僕にはそう、忘れたくないことがあるのだから。


 「…空さん」

 日の沈んだ公園、ここはいつも参月と待ち合わせに使っている場所である。…参月はやっぱりここだったと言いながらやってきた。

 他に行く当てもないしね。

 「それだったら帰ってもよかったのに」

 一際風が強く吹いた。僕と参月の間を吹き抜けていく。

 一言謝らないとと思ってさ。

 「なんだ、悪いことしたってわかってたのね。…わかってて言うなんてあなた、よっぽど性格悪いけれど」

 僕は参月の脇に向けて頭を下げた。

 ごめんね麻乃実ちゃん。酷いこと言ったね。

 「…許さない、一生呪ってやるそうよ」

 ………マジか。

 「まぁそれは冗談だけれど」

 参月が言うと冗談に聞こえない。

 幽霊はいるのだから呪いだってある。

 「…でもね、空さん。あなたの言う事が全部間違っているというわけでもないとは思うわよ。意識や精神だけではその人を語りえないのはそうだしね」

 わかってくれて感謝するよ。

 僕にはどうしても忘れたくないことがあるからさ。

 「それは死んでも…ってことね」

 死して墓場まで持っていくのでは足りない、それ以降も引きずるような記憶。そんなものを得られるならば、喜んでこの命差しだそう。


 僕の忘れたくないこと。

 散々引っ張っておいてあれだが、本当に大したものでない。

 些末なことだ、記憶が自分を構築するとか嘯いておいてなんだが、なんなら自分自身のことですらない。

 参月綾音のこと。

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