青の世界に、溶けてゆけ!

離風

第1話 突然の青

 「染料のpH値は色素の吸着度合いに影響を与える…」


 僕は実験室の窓の前に立ち、手に持ったノートを見つめていた。陽光がガラスを通して、黄ばんだ紙のページに降り注いでいる。クラスメートより一つ年下の飛び級生として、放課後に化学実験室にこもることはすでに日常となっていた。


 しかし今日は、いつもと違う青い色が僕の目に飛び込んできた。


 「ああ!やばい、やばい!」


 その叫び声は、静寂に包まれた実験室の空気を一瞬にして切り裂いた。慌ただしい足音が廊下に響き、まるで青い風のように、一人の少女が駆け抜けていった。


 深い青色の制服の袖は高くまくれ、細い腕が露わになっていて、そこには青藍色の痕跡がたくさん付いていた。彼女の目は陽光の下で琥珀色のような暖かさを帯び、染料に浸された絹のように柔らかく光沢を放っていた。なぜか右手の人差し指には目立つ青色の包帯が一周巻かれていた。


 「その…助けが必要ですか?」


 思いがけず口をついて出た言葉だった。普段は誰かに声をかけることなど決してない自分が、なぜこんな衝動的な行動を?しかし、その後悔の念は、彼女の立ち止まる足音とともに宙に凍りついた。


 「え?」彼女は振り向き、鋭く輝く大きな目で僕を見た。「蓼藍たであいを浸す温度がインジゴの抽出にどのように影響するか知っていますか?」


 この質問は突然で、僕はその場に呆然としていた。蓼藍たであい?インジゴ?これまでそのような化学知識に触れたことがなかった。


 「すみません、自己紹介をし直すべきですね。」彼女は抱えていた植物の姿勢を変え、照れくさそうに笑った。


 「私は藍川千紗あいかわちさ、工芸研究部のメンバーです。これらは学校の隅から見つけた野生の蓼藍で、後で染色実験を行う予定です。」


 陽光が廊下の窓から差し込み、やや乱れた黒髪に暖かな光の輪を作っていた。ヘアバンドも青色で、制服とよく調和していた。


 「柊原奏多ひいらぎはらそうた、高校二年生です。」思わず自己紹介した。「もし染料の化学原理についてなら、興味があります。」


 彼女の目が一瞬で輝いた。「本当ですか?素晴らしい!実は私たちの部は伝統的な藍染あいぞめのプロジェクトを準備しているんです。」興奮して話し、数枚の蓼藍が地面に落ちるのに気づかなかった。


 その時、廊下の反対側から優雅な声が響いてきた。


 「千紗さん。」


 音の方を見ると、銀灰色の長い髪を持つ女性が歩いてきた。一挙一動に年齢に似合わない成熟した優雅さがあり、胸元の生徒会のバッジが陽光に輝いていた。


 「白銀先輩!」千紗は礼儀を尽くそうとしながらも、抱えていた植物を落とすのを恐れて、ぎこちなく会釈した。


 「また藍染を研究しているようですね。」白銀先輩は意味深な笑みを浮かべ、僕と千紗の間を行き来する視線を送った。「こちらは…?」


 「あ、これは柊原さんです!彼は染料の化学に詳しいんです!」千紗が先に紹介した。


 興味があると言っただけなのに、どうして突然専門家扱いされるのだろう。


 「柊原奏多…ですね、聞いたことがありますよ。」白銀先輩は考え込むように言った。「あの飛び級の天才生徒ですね。」


 突然の展開に少し戸惑い、思わず視線をそらした。


 「それなら、」白銀先輩が突然言った。「工芸研究部に参加してみませんか?私たちは科学に詳しいメンバーを必要としているんです。」


 「え?」今度は千紗と同時に驚いた声を上げた。


 陽光は依然として暖かく、廊下の窓際にはいつの間にか落ちた蓼藍の葉がそよ風に揺れていた。


 「工芸研究部?」無意識に繰り返した。


 工芸のような芸術的なセンスが必要な活動にはあまり興味がなかった。辞退しようとしたその時、白銀先輩が意味深な笑みを浮かべた。


 「柊原さん、知っていますか?藍染は化学変化の生きた教材なんですよ。」


 「え?」


 「そうですよ!」千紗が救世主を見つけたかのように同調した。「私たちは酸化還元反応、pH値の変化、そして…あと…」彼女は白銀先輩に助けを求めた。


 「染料分子の構造ですね。」白銀先輩が優雅に続けた。「これらは大学入試の化学科目にも非常に役立ちます。」


 呆然とした。この説明は確かに興味を引いたが、どこか怪しい感じがした…


 「そして、」白銀先輩は続けた。「毎年の大学入試でも染料に関連する問題が出題されます。」


 「本当…ですか?」


 「もちろんです。」彼女は微笑んだ。「去年も『藍染』に関連する問題が出題されました。」


 「そうなんですか…」僕は考え込んだ。


 過去数年分の入試問題を全部解いたはずなのに、そんな記憶はなかった。


 千紗は一生懸命頷き、その大きな目には期待が満ちていた。「それに、私たちの部にはおいしいお菓子がたくさんあります!」彼女は口を滑らせ、すぐに白銀先輩に軽く突かれた。


 「コホン、」白銀先輩は優雅にそれを隠した。「とにかく、まず見学に来てみませんか?今日の午後は実験をする予定です。」


 彼女たちの真摯な眼差しを見て、どう見ても仕組まれているように感じたが、全く拒否する勇気が出なかった。


 「う、うん…わかりました。」


 「よかった!」千紗は歓声を上げて前に走り出そうとしたが、抱えていた蓼藍がまた散りそうになった。


 「あ、やっぱり持ってあげます。」僕は慌ててそのほとんど崩れそうな植物を受け取った。


 白銀先輩は満足そうな笑みを浮かべた。「新メンバーは本当に頼りになりますね。」


 「まだ入部を決めてないのに。」


 「きっと気に入ると思いますよ。」彼女は確信に満ちた口調で言った。


 こうして彼女たちと一緒に旧校舎にある工芸研究部の部室へと向かった。年代物の木製ドアを押し開けると、淡い藍染の香りがふわりと漂ってきた。


 部室はそれほど大きくはなかったが、きちんと整頓されていた。壁には様々な藍染作品が貼られており、どれも藍染の独特な魅力を見事に表現していた。


 「ねぇ、見て!」千紗が暖簾の前で立ち止まり、「この部分、まるで波のように見えない?祖母のノートにも似たようなデザインがあったの。」


 しかし、最も目を引いたのは部室の隅にあった展示ケースだった。ガラス越しに見ると、一見古びた着物が展示されており、その上の青色の模様は精緻で息を呑むほどだった。


 「それは…」


 「これは私の曾祖母の作品なんです。」千紗の声が急に柔らかくなった。「若い頃、大事な場に参加するために、三ヶ月かけて作ったって。家の宝物なんですよ。」


 「工芸研究部はこの作品の染色技術をずっと研究してきましたが、今までその独特な青色を完全に再現することはできませんでした。」白銀先輩が補足した。


 僕は思わず展示ケースに近づいた。陽光が窓から斜めに差し込み、着物の上の青色がまるで生きているかのように光と影の中で動いていた。頭の中で化学式が高速で回転し、もしかしたら、これは科学と伝統工芸が出会う絶好の機会かもしれないと感じた。


 「柊原さん?」千紗の声で現実に引き戻された。彼女はすでに工芸部のエンブレムがついたエプロンに着替え、実験用具を準備していた。


 彼女の忙しそうな姿を見て、ここに居てもいいのかもしれないと感じた。時には、科学と工芸、理性と感性の間に橋が架かるべきだからだ。


 「手伝いましょうか?」僕はリュックを下ろし、袖をまくって彼女の元へ歩み寄った。


 工芸研究部の活動室は小さいが、独特の雰囲気が漂っていた。年代を感じさせる窓枠から差し込む陽光が、空間全体を暖かな色調に染めていた。隅の展示ケースの中の藍染着物は、まるで遠い物語を語りかけてくるようだった。


 「柊原さん、こっちです!」千紗の声で再び思考が現実に引き戻された。


 彼女は工芸部のエンブレムがついたエプロンに着替え、複雑そうなガラス容器を手際よく扱っていた。僕は素早く手を差し伸べて支えなければ、その容器は床に落ちてしまうところだった。


 「気をつけて!」


 「あ、ごめんなさい…」千紗は恥ずかしそうに舌を出した。「私、いつも急ぎすぎちゃうんです。」


 その言葉には申し訳なさと、同時に藍への純粋な情熱が滲んでいた。彼女の目は、まるで藍染めの深い青のように、様々な感情を湛えていた。


 「千紗さんの情熱は時に適度な…調整が必要ですね。」白銀先輩がいつの間にかエプロンに着替え、笑顔で近づいてきた。「でも、それも彼女の可愛らしいところですよね?」






藍染あいぞめ


藍染は、藍色の染料を使用して布や繊維を染める伝統的な染色技法です。蓼藍たであいやインド藍(インディゴ)などの植物から抽出した藍色素を用い、これらの色素は酸化還元反応によって独特の鮮やかな青色を発色します。染色過程では、布を染液に浸し、空気にさらすことで徐々に深い青色が現れるのが特徴です。この技法は、古くから多くの文化圏で実践され、手工芸や伝統工芸の一環として広く親しまれています。


蓼藍たであい


蓼藍とは、藍染に用いられる植物の一種で、インジゴ色素の供給源として重要な役割を果たしています。この植物は発酵工程を経て藍の染液に変換され、藍染の美しい青色を生み出します。また、藍染の技法は世界各地で独自の進化を遂げており、地域ごとに異なる特色が見られます。


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