全人類異世界転移:俺のスキルは15日ごとに変わる!

@Vrilith

第1話 - プロローグ

日光がブラインドを通り抜け、古びた机の上に不規則な模様を描いていた。


教室内では、生徒たちの声が組織的な混沌を形成していた。笑い声、叫び声、行き交うコメントで溢れる喧騒。彼らは蜂の群れのようで、それぞれが会話という小さな巣に没頭していた。


彼を除いて。


教室のリズムを破る、孤独な音がした。


須川翔(すがわ しょう)の指が、机の木部を規則的なリズムで叩いていた。彼の視線は壁掛け時計に釘付けで、その時計は耐えられないほどゆっくりと秒を刻んでいた。周囲では、時間がまるで世界全体が疲れているかのように、ゆっくりと流れているようだった。


短くて真っ直ぐな黒髪、少しぼさぼさ。暗くて深い、ほとんど無関心のような目。どんな人混みの中でも、影のように溶け込んでしまう顔。須川翔は目立たなかった。


ブーンッ...!


不意に、彼はポケットの中でわずかな振動を感じ、素早い動きでスマートフォンを取り出した。


[母からの新着メッセージ:もうおやつ食べた?家に帰る前に食べておきなさいよ。でないと、もう二度と料理作らないからね。]


母のメッセージを読みながら、彼は軽く鼻を鳴らした。面倒なことになるのを避けるため、素早く返信を打った。


最後にスマホの画面を消し、ポケットにしまった。


深く息を吐き、目を閉じた。周囲の騒音から遮断しようとしたが、クラスメイトの話し声は執拗なささやきのように彼に届き続けた。


「このランク『A』の剣、見てみろよ!」


「どうやって手に入れたんだ?」


「ダンジョンに行って…!」


須川翔はその言葉を聞いて眉をひそめた。


『またあのバカげたゲームか』 と思った。


彼は少し頭を別のグループに向け、また同じような会話が聞こえてきた。


「パーティーに参加させてくれない?」


「うーん…レベルは?」


「69だよ!」


「えっ?!そんなに高いの!?」―嘲るような声だった。


須川翔の眉間の皺はさらに深まり、顔を一瞬のいらだちが走った。


『他に話すことないのか? プリメラオンラインがリリースされてから半年も経ってるのに、まだそれしか頭にないのか!』


チッ…!


舌打ちの音は一瞬で、周りの笑い声や叫び声にかき消された。


彼にとって『プリメラオンライン』は、単なる集団的な妄想に過ぎなかった。時間とエネルギーを吸い込むブラックホールのようなものだ。


純粋に理解できなかった――どうしてゲームのようなつまらないもので、全世界が夢中になれるのか。


数字は途方もなかった。25歳以下の人口の98%がプレイし、26~59歳の成人の80%もハマっている。さらに60歳以上の20%までが夢中になっている。


これは一国の統計などではない。全世界の現象だった。


「史上最も流行したクソゲーだ。いや、世紀のゲームかもしれない…」


彼は首を振り、そんな無駄な考えを払いのけた。


『皆がこのバカげたものに時間を浪費している間に、俺は重要なことに集中できる…プリメラオンラインの開発者に感謝すべきかもな。大学入試のライバルを減らしてくれてるんだから』


かすかな笑みが唇に浮かび、彼は再び目を開いた。


そして、彼は気づいた。


時計が。


先ほどまで怠惰に這っていたはずの針が、今は完全に止まっている。彼は片眉を上げ、不審に思って周りを見回した。


普段は騒がしい教室が、完全な静寂に包まれていた。


誰かがスイッチを切ったかのように、会話はぱったり途絶えた。


クラスメイトたちの表情は硬く、困惑していた。


「何が起きてるんだ…?」

彼は問いかけようとしたが、言葉が喉で詰まった。


長い間停止していた機械が動き始めるような、耳をつんざく轟音が耳に響き、数秒間ほぼ聴覚を失った。


そして突然、青白い光が教室を照らした。


一つのメッセージが空中に浮かび上がり、彼の目の前に現れた。


【セーブデータが検出されません】


【プレイヤー:須川翔、新規キャラクターを作成しますか?】


その文字を読んだ瞬間、背筋に冷たい震えが走った。


【はい】【いいえ】


「なんだこれ…?」

彼は座席で身を引いた。まるでメッセージが物理的に襲ってくるかのように。


『俺が…幻覚を見るはずがない。そんな病気じゃ…ないはずだ』


周囲を見回し、答えを探そうとした。


そこで目にしたものは、さらに恐ろしかった。


教室の全員の前に、メッセージが浮かんでいた。しかし内容は同じではなかった。微妙に異なる文章――須川翔にとって理解しがたいものも混ざっている。


【プレイヤー…、あなたのキャラクター「…」が見つかりました。使用しますか?】


囁きが静寂を破った。


「これ…俺の『プリメラオンライン』のキャラだ」


不安げなざわめきが教室を包んだ。


須川翔は唾を飲み込んだ。喉は砂漠のように乾いていた。


「やったぜ!」

誰かが叫びながら【はい】を選んだ。


【プリメラ世界へ転送開始。しばらくお待ちください…】


次の瞬間、その生徒の全身が眩い光に包まれた。まるでデータ化されるように、無数の光の粒子へと分解し、教室から消えていった。


重い沈黙が支配した。


「あいつ…本当に消えたのか?」

声が震えていた。


誰かが無言で頷いた。答えなど必要なかった。


さらに新しいメッセージが全員の前に浮かび上がった。


【2,000,300,001名がプリメラオンラインの世界へ入場しました。転送を開始するには、キャラクターを選択してください】


須川翔は、足元の地面が滑り落ちるような感覚に襲われた。


「…20億?」

かすかに呟くのが精一杯だった。


その数字は急速に増え続けていた――数千、そして数百万単位で。彼が恐怖で見守る中、


1分も経たないうちに、カウンターは30億を超えた。


彼は怒りで拳を握り締めた。


周囲を見回しながら、心臓は戦の太鼓のように激しく打っていた。


教室はほとんど空っぽだった……


自分を含め、残っていたのはたった六人。


耐えがたいほどの激しい頭痛に襲われ、彼は頭を押さえた。


『わ…わからない……何……いったい何が起こっているんだ……?』


自分のメッセージを見つめ、周囲の空気が重くなっていくのを感じた。


震える手で、【いいえ】を選択した。


【須川翔、選択に確信がありますか?この選択後、プリメラ世界への転送は不可能となり、地球ごと消滅します】


【はい】【いいえ】


視界がかすんだ。


「消…滅……?」

舌がもつれ、胃が引きつるのを感じた。


吐き気がこみ上げてきた。


『わ…わたし、頭がおかしくなってるのか……?』


耳を裂くような悲鳴が近くで響いた。


女子生徒が須川のメッセージを読み、迷わず【はい】を押したのだ。次の瞬間、彼女の身体は光に包まれ、消え去った。


『夢か……? いや、悪夢なのか? 極限状態では…脳は必死の手段を取るものだ……こ、このメッセージを俺は誤解しているだけかもしれない……』


須川翔は絶望に飲み込まれつつあるのを感じ、教室に残った五人を見回した。


彼らの顔には疑念が浮かんでいたが、その目は混乱と恐怖で曇っていた。


「須川! これ、どういう意味だ!?」

教室の奥から、がっしりした体格の男子が叫んだ。顔面は蒼白で、引きつっていた。


頭がクラクラする中、須川はその男子を、まるで喋る豚でも見るような、軽蔑すれすれの表情で見下した。しかし、その侮蔑の色は現れた瞬間に消え去った。


「須、須川さん……そのメッセージは……私たちが……?」

ずっと須川の隣で硬直していた痩せた男子が、ようやく口を開いた。


その声はかすれ、震えていた――まるで、恐怖のあまり言葉を続ける勇気がないかのように。最後まで言い切れなかったが、それで十分だった。教室に残った全員が、彼の言わんとすることを正確に理解していた。


『みんながこのメッセージを理解できるなら……つまり……俺の誤解じゃないんだ』


須川は答えなかった。視線は、目の前に浮かぶメッセージから離れない。


指は震えながら、【はい】のボタンの上で静止していた――引き寄せられ、同時に拒絶されているかのように。


痩せた男子は彼をじっと見つめた。


その目には恐怖と諦念が混ざっていた。そしてその瞬間、彼は悟った――自分が読んだものは現実なのだと。


それが最後の押し手となった。迷いはもうない。目の前のボタンを押した。


男子の身体は即座に輝きだした。次の瞬間、その姿は光のピクセルに分解し、空中に消えていった。


「これって……本当のことじゃないよね……?」

眼鏡の女生徒が声を震わせて問いかけた。もう一人のクラスメイトが消えていくのを見て、彼女の視線は教室中を狂ったようにさまよった。


返事はなかった。ただ、次々と消えていく仲間たちの光景があるだけだった。それぞれが選択を下し、その身体は空中で分解していく――どの選択肢を選んだかは明らかだった。


ついに、残ったのは二人きり。


壁に向かって後退しながら手を震わせる女生徒と、石化したように動かない須川翔。彼の指は、ボタンの数センチ上で静止したままだった。


「須、須川さん……あなたは……?」

女生徒は口ごもったが、質問を終える前に言葉は消えていった。


須川の表情は、不慣れな目には少し無関心で困惑しているように見えたかもしれない。しかし現実は違った。彼の顔の全ての筋と筋肉が緊張し、瞳孔は完全に収縮していた。呼吸は内側で荒く、見えない重いオーラが周囲に形成されつつあった。


『俺は……本当にこの選択で死ぬのか?』

内側は渦巻き、まるで何かが内側から彼を丸ごと食い尽くそうとしているようだった。


須川はメッセージから目を離せなかった。


彼の思考は渦巻いていた。悩みのない者なら、ためらいもせず前の質問で【はい】を選んだだろう。だが彼にとって、全てを捨て去ることはそう簡単なことではなかった。


歯を食いしばった。肺の中の空気が重く、吐き出しにくい。


『ここまで頑張ってきたのに……』

左手で胸を強く押さえた。


終わりのない試験勉強、両親の期待、自らを高めようとした努力。


『何のためだ? こんな形で終わるために……?』


一瞬、彼はうつむいて、前髪が顔を覆うに任せた。表情は隠れていたが、今や強く握り締めた拳が震えていた。


『ジレンマなんて言うと仰々しい…結局は生きるか死ぬかだけだ!』


その言葉が脳裏で反響した。叫びたい、何かを殴りたい。だが、たださらに強く手を握り締めるだけだった。


ほとんど無意識に、生存本能の反射のように、【いいえ】を押した。するとテキストが変わった。


プレイヤー:須川翔、新規キャラクターを作成しますか?】


【はい】【いいえ】


『クソッ!』


突然、彼の内側で何かが爆発した。手を上げ、怒りと恐怖が混ざった状態でボタンを叩いた。視線はまだ床に向けたままだったが、決断は下されていた。


そして、予想外の感覚が突然襲った。


痛みも絶望もない。温かな電流が全身を駆け抜け、まるでぬるま湯に浸かっているようだった。心地よく、ほとんど快感に近い。


教室が周囲から溶け始め、ピクセル化したモザイクのように一片ずつ崩れていった。耳を満たす低音の轟音――胸の奥底から湧き上がってくるような鈍い振動が鳴り響いた。


彼は一瞬、現実にしがみつこうとした。その時、彼は先ほど話しかけてきた女生徒の表情をかすかに捉えた。


どういうわけか、須川の唇が動いた。自分でも意識しない言葉が零れ落ちた。


次の瞬間、女生徒の身体も青い光に包まれ、すべてがかき消されるように消え去った。


何も残らなかった。

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