第3話 赤い目が映すは喪失と

 眼前に広がる死霧を掻い潜り、降り掛かる黒い腕を切り落としながら疾走する。死龍は両翼を蠢かせ、脈打つ翼は腕では無く巨大な黒い刃となり、頭上に振り落とされる。


 龍は高い知能を持つと古くから伝わっているが、どうやら死龍も同様らしい……


「……躱せば同じだ」


 巨大な黒い刃を躱すと、大地に強く叩き付けられた刃が砂埃を巻き上げる。一瞬の隙にその刀身を駆け上り死龍の背へと飛び移る。そして、鱗の隙間から露出した屍肉を何度も抉り斬る。


「脆い……!!」


 しかし、またしても屍肉は形を変えて黒い刃となり、鱗の隙間から俺の首筋を狙い迫り来るも、それを剣で危なげなく弾く。


「ちッ……!」


 舌打ちと共に死龍の足元へと飛び降り、腹部へと潜り込む。鱗から露出した屍肉のみを的確に剣を通し、ダメージを与える。そして斬り裂かれた屍肉は形を変えて黒い刃となって迫るも、その刀身を足場にして死龍の背へと飛び移り、再生途中の屍肉をまたしても抉り斬る。


 攻撃パターンは全て見切った。


 飛び散るドドメ色と撒き散らす腐臭の中、再生を超える血染めの刃は、泣き叫ぶ様な死龍の咆哮を映す。


「これで終わりだ……ッ!!」


 剣を強く握り締め、首元へと大きく振り翳す。


 瞬間、鱗が歪み、屍肉が変形する。


「な……ッ!?」


 足場を無くした俺は体勢を立て直そうにも、泥濘のような屍肉に足を取られ、腐る鱗と屍肉の海に溺れ踠く。纏わり覆う腐海が黒い二本の巨大な手となり、両手で俺の身体を強く掴んだ。


「く……ッ!!油断したか……!!」


 死龍は全身の姿形を大きく変えて、二足歩行の黒い巨人と化していた。翼を無くし、骨を剥き出しにした身体は腐り爛れ、赤黒い屍肉を再生し続ける。


「お前も、俺と同じ……なのか……」


 死龍は俺の身体を空に掲げ、宙吊りになった眼球が俺の身体を舐め回すように観察する。


「醜い、な……ッ!」


 俺の言葉に反応したかの様に強く身体を握り締める。


「このまま、締め殺すつもりか……ッ!!」


 肉が軋み、骨が砕かれていくのが分かる。


「ぐぅ……ッ!!く、そ……ッ!!」

 

 焼き付いた血の味が広がり、モノクロになる視界と崩壊の音が生を強く実感させる。


「俺、は……まだ……ッ!!」


 漏れる息が死霧に溶け、激しく流れ出す無彩色に目を見開く。


 これは……ああ、走馬灯か。


 黒い目に宿す忘却が過去を隠し、何も見えず独り彷徨う。


 此処には誰もいない。


 此処に俺はいない。


 焼き付いた喪失が現実を差し出し嗤う。


 手を伸ばし求め掴もうとするが、闇を掻くばかりで果ての無い虚無をひたすらに歩き続ける。


『何者でも無いお前が……何故、手を伸ばす?何を求め彷徨う?』


 空白から覗く影が虚しさに問う。


「俺は聞きたったんだ……彼女の言葉を……」


『……たとえそれが無意味だとしても?』


「それでも良い……俺は」


 果ての無い影に誘われ、視界を染める。


『お前は……何も救えない』


 虚に揺れる目が深き闇を宿す。


『お前は此処で死ぬ運命だ』


 身体を強く握り締めていた両手から擦り抜け、残った力を振り絞り、刃で指を斬り落とす。


「異能が、戻った……!?」


 しかし、宙に晒された無防備な身体に、死龍が背に産み出した夥しい数の腕が襲い掛かる。


「くそ……ッ!!もう一度だけで良い!!力を戻せ!!」


 しかし、声は届かず無数の手が四肢を捕え、容赦無く身体を引き裂こうとする。


「力さえあれば、俺は……ッ!!」


 遠のく意識に必死に抗うが、塗り潰される視界と絶望に深く堕ちていく。


「お、俺は……僕、は……ッ!」


 いつだってそうだ。


「か、は……ッ」


 分かっていた筈だろう。


「あ……ア……」


 この世界に、救いなんてない。


『帰ってきたら……ずっと伝えたかった事があるの……だから』


 最果てから少女の声が聞こえる。


 それは手を伸ばしても決して、届くはずの無い遥か遠い記憶。


「ま、待ってくれ……ッ!俺は!!」


 それでも手を伸ばし求めるのは、彼女の言葉を聞きたいから。


 だから、彼女に逢いたい。


 彼女の想い、あの日の誓いだけは決して忘れない。


 だから、俺を……


『どうして、私を置いていったの?』


 それは手を伸ばしても決して、届くはずの無い遥か遠い現実。


 知らない部屋に差し込む赤い空と共に、知らない誰かの涙が静かに零れ落ちる。辺りを見渡せば赤く染まり、見下ろす悲劇が手を伸ばし離れて行く。


 首を締め付ける感覚が遠く離れてしまう。


 その幼い瞳は……


「お前は、誰だ?」


 刹那、首に掛けていたペンダントが赤く光る。

 

 その鈍い光を浴びた死龍はまたしても姿形を崩壊していき、四肢を掴んでいた無数の腕から自由を許される。


「うぁ、アアあぁアあああぁあ!!!!」


 無我夢中に剣を振り回しながら、受け身も取らずに地面に身体を叩きつけ、死龍へと飛び込む。生への咆哮と死への慟哭が激しく混じり合い、血肉を斬り裂き、肉塊をも存在を許さない。


 ただ、ただ、殺意のままに、斬り殺す。


 確かな鼓動と絶命。


 降り注ぐ真紅の雨は空から降り頻る雨音に濁り、腐敗した肉塊を激しく打つ。


「俺は……誰だ……?」


 鮮血に染まった頬を灰色の雨が洗い流し、喪失と死霧を優しく撫でる。


 屍肉と爛れ溢れる瞳は何も語らない。


 光を失った誓いを握り締め、赤い目を静かに瞑る。


 虚へ、再び……

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