第99話 スタッフロール

 地上から、数メートルほど浮いている感覚だった。落下の恐怖はなく、そこに「カメラ」があって視界共有しているのに近かった。

 荒地は見違えるように緑が増えていた。一番変化していたのは、畑の存在だ。

 固くひび割れた土地を耕し、土を足して、肥料を工夫したのだろう。栄養豊富な黒い土は、畦で区画されながら広範囲に広がっている。

 温泉水が沸く地形をうまく使い、水路が引かれている。現代のような野菜は入手できなくても、ヤマノイモや自然薯、ヨモギやドクダミなどを品種選別して育てているようだ。

 さほど遠くない川で魚を捕獲しているらしく、手製の魚網が川辺に固定してある。



 すべてが終わった世界が、もう一度始まろうとしている。

 人々の表情から絶望はほとんど消え、生きがいに輝いているように見えた。

 さらに驚くのは、その中の一人、畑作業にカズキが紛れていることだった。



 カズキは落ち着きのある青年になっていた。穏やかでありながら凛々しい顔つき、人とのコミュニケーションを取り戻した笑顔。

 周囲の態度から、今でもカズキがリーダーであり、尊敬されていることがうかがえる。

 略奪者の脅威は付きまとうが、それを乗り越えてきた強さをコロニー全員から感じ取れた。



 土汚れを汗拭き布で拭っているカズキに、畦の端から声をかける者がいた。

 人影は三人だ。

 6歳くらいの、カズキの美貌とエミの元気さを受け継いだ少女。4歳くらいの、ちょっとおとなしそうでやっぱり美形の少年。

 エミのお腹は重そうに大きく、新しい家族がもうすぐ増えることを示していた。



「おとうさーん! みーんーなー!

 ごはん、でーきたよーう!!」



 叫ぶ前にエミが、小さく「せーの」と言ったので、三人の声は揃っていた。

 よく通る元気な声。きっとこれが毎日の日課。

 カズキは輝くような笑顔になり、エミと子供たちに大きく手を振った。



 エミが、畦をとことこ歩いてカズキに近づく。カズキは、また妊婦が転びそうなことを! と慌てて駆け寄っていく。

 身重とは思えない軽快さでカズキに近づき、エミはカズキに飛びついた。人目もはばからずハグをする。

 少女と少年が続いて二人にハグをする。少女の首元には、キョウイチの遺品であるペンダントが輝いていた。



 カズキが笑う。エミが笑う。子どもたちが笑う。

 おひさまのようだと形容されたエミの笑顔は、いつしか、コロニー全員に伝染していた。

 


 ふと、エミが空を見上げた。巧貢は目が合ったかと驚いたが、エミが見ているのは眩しい太陽だった。

 世界の崩壊を招いた、くだらないデマの根源。今は誰もが理解している。

 太陽は今も昔もそこにあって、落ちては来ないのだと。



「おひさま!

 今日も一日、見守ってくれてありがとう~!!」



 エミの笑顔が画面いっぱいに広がった。



 美しいピアノミュージックが、BGMで流れ始めた。

 チャプタージャンプの時に似た、画面から投げ出される感覚。巧貢の視界は、世界の外側から画面を見る形になっていた。

 長女を肩車し、エミと長男とそれぞれ手を繋ぐカズキの背中に、スタッフロールが流れていた。



 画面がフェードアウトし、写真のような静止画像になった。紙芝居のように次々と画像が変わる。

 新生児の世話にてんてこ舞いのエミとカズキ。かわるがわる手伝うコロニーの皆。

 赤ちゃんの寝相がカズキそっくりで笑うエミ。

 2歳くらいになった娘を抱いて、エミが白い布を巻いただけのドレスを着ている。

 同じく、白い布をスーツ代わり羽織るカズキ。

 廃ホテルを掃除し、かつての宴会場で行われたささやかな子連れ結婚式。

 二人目の妊娠に驚くカズキ。笑うエミ。

 エミとカズキ以外にも、コロニーで次々に誕生するカップル。花冠で祝うエミ。

 武闘派コロニーとの交戦。亡くなった者の墓に花を供えるカズキ。

 三人目の出産は、カズキも冷静に立ち合えるほど落ち着いたようで、エミに赤子を見せて微笑み合っていた。

 


 画面が再びフェードアウトする。

 気が付くと、周囲は映画館のような場所だった。

 座席のひとつに座っている巧貢の前に、大きなスクリーンと、まだ流れているBGM。映像は黒塗りなっていて、スタッフの名前だけが白文字でゆっくりと流れている。



 ドラマは終わった。

 巧貢たちが介入した結果、ようやく訪れた幸せなエンディング。

 今池が望み、自分を投影し、泣きながら願った「妊婦が孤独にならない世界」。



『ストーリー共同開発:

 綿枝 巧貢 / Takumi Wataeda

 介音 綺人 / Ayato Kaine

 望月 新司 / Shinji Mochizuki

 加賀峰 芽依 / Mei Kagamine』



「え」



 二度見しようとしたら流れていってしまったスタッフロール。

 今、名前があったような? 見間違い? 確かに全員の名前があったような?



 映画館らしき空間に照明がともる。

 明るくなると、綺人、新司、芽依がばらばらの位置で椅子に座っているのが見えた。

 それぞれに視線を合わせ、小さく頷く。



 すべてをやり遂げることができた。

 鬼を斃し、門を封じた。惨劇は二度と起こらない。

 きっともう触れ合えない別世界の彼らを、スタートラインに導くこともできた。



「最後までご視聴、ありがとうございました」



 スクリーンの脇から今池が姿を現した。スクリーン中央に立ち、深々と頭を下げる。

 どうやらここは、『編集権限』で構築した映画館のようだ。

 


「私にもエンディングを下さい。

 私が夢見た、この場所で」



 母になりたいという願いは、芽依が受け入れてくれたことと、エミが母になったことで満たされた。

 もちろん、エミを羨ましいと思う自分もいた。しかし、世界を見守る立ち位置がそれを超えた。

 一時でも、エミを含んだ世界そのものの母になれたことを、今池は誇りに思った。



 もうひとつの夢は、仕事だった。

 ゴーストであった今池は、永遠に賞賛されることはない。

 いつかこんな大きな舞台で、映画監督のように挨拶がしてみたかった。

 自分が胸を張れる作品を背負って、堂々と立ってみたかった。



 全部叶ったから、もう、じゅうぶんです。



 今池は『はじまりの鬼』。

 救う術はない。放置すれば、『門』と密接につながる彼女を媒介に『門』が動き出す可能性がある。

 彼女の思考が冷静である保証もない。いつ狂乱するかわからない。

 なにより、彼女の体液は、感染する。



 巧貢は席を立った。細い通路をゆっくり歩き、段を踏みしめて降りた。

 今池は両膝をついた。祈るように胸の前で手を組み、頭を下げた。落としやすいように。



「マイケ!」



 綺人が大声で呼びかけた。今池は少しだけ反応した。



「野々村のより、お前が監督したほうが、演技し甲斐があったぜ!

 すげえいい話だった。

 最高の役、ありがとな!」



 今池は、小さく綺人のほうへ礼をした。



「マイケさん!

 僕、マイケさんの作品、技術、演出、ぜんぶほんとにすごいって思いました!

 このドラマ、僕は一生忘れません!」



 今池は、新司のほうへ小さく礼をした。



「……今池様。……。

 お、かあ、さんっ!!」



 今池は顔を上げてしまった。

 涙をぼたぼた流す芽依を見てしまった。



「私の名前、呼んでください!

 お母さんなんでしょう!?

 一度、だけでも、私を」



 今池の視界は涙でにじんで、芽依が見えなくなった。

 それでも今池は、精一杯の不器用な笑顔で返した。



「ありがとう……。

 これからも、あなたのおかあさまのように、あなたを見守りたいです。

 ……芽依」



 巧貢が、今池の正面に立つ。

 今池は再び深く頭を垂れた。



「……大丈夫?」


「はい」


「僕、あなたを尊敬します」


「……ありがとう、ございます」



 巧貢の手に、みつるぎが顕現する。

 青の神器は、痛みも苦しみもない、一瞬の開放を今池に与えた。





「うわあぁ!」


「ひゃあ!?」


「おっと、うお!」


「……ええっと」



 それぞれに個性的な声を上げながら、四人がぎりぎりでバランスを保つ。

 感覚が急変しすぎて、危うく倒れそうだった。



 薄いオフホワイトのカーテン。くすんだベージュの壁紙。一人暮らしの狭い部屋。

 今池佳代子の自室だった。

 時計を見る。一分も経過していない。ドラマ内部にいた時間は、現実に反映されなかったようだ。



「はあぁ……」



 綺人がカーペットにへたりこんだ。新司も芽依も、巧貢も後に続く。

 巧貢が手にしていた台本は、鬼の最期がそうであるように、黒い霧となって消えていった。



「体力は減ってねえけど、精神がやべえ。今すぐ寝たい」


「同感です。思いっきり爆睡したい気分です。

 う、コルセットがきつい。そういえば肋骨やられてたっけ……あれ?」



 巧貢は違和感に気づき、体を左右に捻ってみた。全く痛くない。

 ドラマ内で、今池が施した『画像編集』による治癒が現実に引き継がれている。

 巧貢の腕には、あの時拾った、衝撃に強いソーラー電池の腕時計がついたままだ。



「体、治ってますね……」


「ホントだ、痛くねえ。つーか肋骨のこと思いっきり忘れてた! ヤバかった!」



 芽依の首には、母の形見のペンダントが下がっている。

 そして芽依の左手には、さりげなく地味なアメジスト……ソラテレカラーの宝石で彩られたブレスレットがついていた。



 新司がズボンの後ろポケットの違和感に気づき、ごそごそと手を突っ込んだ。



「ポケットになにか入ってる……ああああ!!

 うわああ、わー、わーー!!

 ドラマ中、こんな顔してたんだアヤトさん! 僕の見てないシーン!!

 なにこの写真の束! お宝、お宝の山~!!」


「おい新司、あとでチェックさせろ。勝手にSNSに載せるなよ?」



 綺人のベルトには、使い込んだチェーンがチャームのように下がっている。

 カズキが愛用していたものだ。カズキは細かい武器や工具をひっかけて使っていたが、それがなければシンプルな鎖だった。

 ずっと見ていた『自分』の持ち物だ。カズキの命を守っていた一部。



 なにもかも終わっても、今池は自分の痕跡を少しだけ残した。

 孤独に消えていった女性の、ほんの小さな承認欲求。



「この時計、大事にします。実際すごい高価ですし」


「僕もこの写真は!! 家宝です!! 眺めて拝みます!!

 あっでも、本物がいないときにします!!」


「本物より写真が勝ったら、俺泣くわ」



 芽依は、アメジストのブレスレットに手を添えた。

 ほんの一瞬だけ存在した『お母さん』。

 形見が二つに増えちゃった。芽依は、ここで泣くのはぐっとこらえた。今は笑おう。悲しまないで送ろう。



「んじゃ、寝に帰るか。俺たちの拠点に」


「賛成です!」


「ふかふかベッド、限界まで堪能します!」


「二度となさそうですもんね、ペントハウススイート使うことなんて。

 写真とるのもいいですね」


「いいですねー! タクミさん、全員で記念写真とりましょ!」


「なんの記念だよ」



 苦笑しながら綺人が尋ねて、新司は彼らしい満面の笑顔で答えた。



「もちろん、全部終わった記念ですっ!」

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