Jasmine/Queen
空港に着いてもルイーゼはカミーユを離そうとはせず、そのままカミーユの愛車でシュヴァルツヴァルト邸に向かった。
「楽しかったわ、カミーユ。それじゃあ、また」
しばらくしてカミーユがシュヴァルツヴァルト邸を出る頃には、横殴りの雪が降っていた。
(シット!ついてねぇな……)
手に持っていたコートを羽織り、愛車である日本製のスポーツカーに乗り込む。
ざわつく心を宥めながら、車をロサンゼルスきっての歓楽街、サンセット・ブルーバードへと向かわせる。
車をサンセット・ブルーバードにあるセカンドハウスに置き、インターホンのボタンに手をかけたところで、手が止まった。
(商売女を買うのは俺様のフェミニズムに反するが、こんなメンタルじゃマイプリンセスを笑顔にゃできねぇな……)
セカンドハウスには3人いるカミーユの恋人のうち、誰かひとりは必ずいる。
だが、今のカミーユに彼女達を構ってやれる心の余裕はない。
自然とカミーユの足は歓楽街を路地へ入り、ガイドブックに載っていないような場所へと向かっていく。
(この際誰でもいい。俺様の心を満たしてくれるなら――)
「だーかーら、これからツレが来るんだよ!だからチェックインさせてくれっての!」
「お客様。当館ではトラブル防止のため、必ずお二人以上でチェックインしていただいておりまして……」
いかにもな店が立ち並ぶ一角にあるモーテル。そのフロントから、不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……マリカ・テラス?」
「マツリカだ、マツリカ・テラス!二度と間違えんな、ロレックス!」
ストリート系ファッションの小柄な人物がカミーユに歩み寄る。
キャップの下にある顔は、確かにF1レーサー
「……まあいいや。ちょうどよかった、一緒に泊まってくんない?大雪でデトロイト行きの飛行機止まっちゃって、一晩ロスで過ごさなきゃいけなくなってさ」
「……プリンセス。ここがどういう場所だか分かって言ってんのか?」
歓楽街のど真ん中にある、どぎついブルーの照明に照らされた建物。
少なくとも、女性が1人で宿泊するような場所ではないことは明白だ。
「この雪でタクシーもバスもマトモに走ってないし、この辺のまともなホテルはぜんぶ満室。FEの王子サマは哀れなアジア人に野宿して凍死しろって言うのか?」
茉莉花がカミーユの手を引き、再びフロントに向かう。
「コイツがツレだ。宿泊でチェックインしてもいいよな?」
フロントの女性が眉を顰める。
スーツを着込んだ
(プリンセスを寒空の下に放り出す訳にはいかねぇし、ここは恋人のフリをしておくか)
カミーユが茉莉花の腰に手を回し、体を引き寄せる。引き寄せた体は服の上からでも分かるほど冷たかった。
「すまなかったな、レディ。普段は可愛いプリンセスなんだが、凍えてちょいと気が立ってんだ。な?」
親密そうな様子のカミーユと茉莉花を見て不信感が和らいだのか、ようやく2人はチェックインすることができた。
**
茉莉花にシャワーを譲り、カミーユはジャケットをハンガーにかける。
(マツリカ・テラス……サーキットの魔女。クイーンが「殺してくれ」と俺様に頼むほどの女にゃ見えねぇが……)
ベッドに腰掛けると、ガラス張りのシャワールーム越しに、茉莉花の裸体のシルエットが浮かび上がっていた。
(……バストは慎ましやかだが、ヒップのラインは魅力的だな。スタミナがあって、情熱的なセックスが楽しめそうな体だ)
ぼんやりと茉莉花の裸体を空想して楽しんでいると、いつの間にか茉莉花が目の前に立っていた。
「もう上がったのか?プリンセス。体ぐらい拭いたら――」
「ロレックス」
茉莉花がベッドに腰掛けていたロレックスに跨る。
「アンタ、女なら誰でも抱くんだろ?」
「まあ、な」
カミーユの脳裏に、ルイーゼへの接待がよぎる。
あの魔女のような老人を拒まなかったのだから、「女なら誰でも」というのは間違いではない。
「……だったらさ、もらってくれよ。オレのハジメテ」
鍛え抜かれた体は、猥雑な照明に照らされて彫刻のように輝いていた。
「っ、冗談じゃねえ!俺様は来る者拒まず去る者追わずが心情だが、ヴァージンの女だけは抱かないって決めてんだ。たとえプリンセスの頼みでもな」
「……もう、これしか捨てられるモンがないんだよ」
茉莉花の髪から滴り落ちた水が、カミーユのシャツにシミを描く。
「フォーミュラレースに必要ないモンは全部捨ててきた。故郷も、家族も、喜びも……悲しみも。それでも、勝てなかった」
去る2039シーズン、10年のチャレンジを経てF1デビューした茉莉花の戦績は、お世辞にも良いとは言えなかった。
順位はいつも下から数えた方が早く、コースアウトしてしまうこともしばしば。F3・F2で数多の男性レーサーに臍を噛ませた『サーキットの魔女』は見る影もなかった。
「……なあ、カミーユ。オレは」
黒曜石のような瞳が不安げに揺れている。大きな丸い目を縁取るように、目元には濃いクマが刻まれていた。
「オレはあと、何を捨てれば、アンタらに勝てる?」
普段の茉莉花からは考えられないほど弱々しく、頼りない声だった。
「……だから、あんたは遅ぇんだよ。プリンセス」
自分に跨っている茉莉花の腕を引き寄せ、カミーユが囁く。
「今のあんたは空っぽだ。そんなつまらねぇ奴に、勝利の女神は微笑んじゃくれねぇ」
短い黒髪に指を通し、首筋にわざとらしくリップ音を立ててキスをする。
「なっ……なにすんだよ!」
「前言撤回だ、プリンセス。抱いてやるよ」
どうせ喜ばせるなら、高みで笑う女よりどん底で泣く女の方がいい。カミーユはそんな男だった。
「……俺様、あんたの笑顔が見てみたくなっちまった」
何も知らない子どものように純粋でまっさらな女を、自分好みの色に染め上げられる。
あまりの興奮と喜びに、カミーユの喉が鳴る。
「プリンセス、ベッドに」
カミーユに促されるまま、茉莉花は膝の上からベッドの上に移動する。
貧弱なサスペンションが、ぎしりと悲鳴を上げた。
「……ん、これでいいか?」
茉莉花が仰向けに横たわると、下腹部を覆う茂みが目に入った。
先程あれだけルイーゼの相手をしたも関わらず、黒々とした茂みの奥にある未開の地を開拓することを考えると、興奮を抑えきれない。
(全く……呆れちまう程、筋金入りの女好きだな。カミーユ・ロレックス)
「……大丈夫だ。俺様に全部任しとけ」
カミーユが茉莉花の体を撫でるたびに、押し殺した声が漏れ聞こえる。
「うひゃあっ!?な、なに、やっ、んん」
「やっぱりアンタ感じやすいんだな。知ってるか?触られてくすぐったいって感じる場所はな、」
カミーユが茉莉花の耳元に顔を寄せる。
短い髪から香るシャンプーの匂いが、カミーユの鼻腔をくすぐる。
「全部、性感帯になるんだぜ」
「や、ろれっくす……」
茉莉花の顔色は変わらないが、うっすらと汗をかいている。
「……プリンセス。カミーユ、って呼んでくれないか?」
カミーユの頼みに、茉莉花が小さく頷く。
「ん、あ、かみーゆ……」
甘い吐息が混じった、恥じらいを帯びたハスキーボイス。
頭の先から爪先まで余裕に満ち溢れていたルイーゼと違って、なんと悦ばせ甲斐のある反応だろうか。
「んう、っ、かみーゆ、だめ、はなして」
シーツを握りしめ身を捩らせる茉莉花の姿に、カミーユの胸中は喜びで満たされていった。
『サーキットの魔女』を殺すのは簡単だ。
今ここで、侵入を固く拒む膣をペニスでこじ開け、精を放てば、運が良ければ半年はレースに出られなくなる。
そうでなくとも、女であるならば快楽で籠絡することは容易い。
(だが……速くなるためにヴァージンを捨てようって奴が、俺様の腕に収まることに幸福を見出すか?)
カミーユの手が止まるのを見計らっていたかのように、着信音が室内に響いた。
「ちっ、間の悪ぃ……」
ベッドサイドに置いたバングルフォンを確認するが、着信履歴はない。
(俺様じゃあなくてプリンセスの方か。ほっときゃそのうち切れるが、どこのどいつかぐらいは確認しておくか)
「プリンセス。アンタの端末は?」
カミーユの問いかけに返答はない。
「……バッグの中、探すからな。後で文句を言うんじゃねぇぞ」
バスルームで手を洗い、スウェットと共に乱雑に投げ捨てられたウエストポーチを開ける。
今どき老人でも使っていないような型落ちのスマートフォンから、着信音が鳴っていた。
(登録名は……なんだ?中国語か?読めねぇ……)
液晶画面には「坂東社長」と表示されている。
カミーユが日本語を理解するならば、ルイーゼが口にした「バントー」と「
「ったく、無粋な奴だぜ」
応答拒否のボタンをタップし、スマートフォンをウエストポーチに戻す。
カツン、と小さな音と共に、何かが床に落ちた。
「これは……」
音の正体はピルケースだった。ケースには油性ペンで中身が書かれている。
(睡眠導入剤、痛み止め、ホルモン製剤……体の不調を力づくでねじ伏せるために、これだけの薬を常飲してるってことか)
F1レースでレーサーにかかる負担は少なくはない。
時速300kmを超えるスピードで走るためにかかる負荷はもちろん、1〜2週間おきに世界各地のサーキットを飛び回るため、時差ボケやストレスもレーサーにとって負担になる。
シーズンが終わると1週間入院するレーサーもいる程度には、F1レースは過酷なものだ。
茉莉花の場合は女性であるため、これらに加えてさらに月経にも対処し、万全のコンディションを維持しなくてはならない。
ストレスによる不眠を、負荷に悲鳴をあげる体を、月に一度やってくる排卵を、薬で黙らせてきたのだろう。フォーミュラデビューした10年前から、ずっと。
(そこまでしてでも、サーキットに立ちたいのか。マツリカ・テラス)
カミーユは、一瞬でも茉莉花を籠絡しようと考えた自身をひどく恥じた。
茉莉花は、カミーユが知るどのレーサーよりも、フォーミュラに一途で、真剣で、命懸けだった。
(それに比べてどうだ?カミーユ・ロレックス。確かにライセンスポイントはきっちり稼いじゃいるが、最終的には体でペルセウス・レーシングのシートを、F1レーサーの地位を手に入れたようなもんだろう!)
カミーユの脳裏に、ルージュの剥げた唇がフラッシュバックする。
(……こんな汚れた手で、唇で、プリンセスを抱けるわけがねぇ。今すぐプリンセスに断って、俺様だけでもチェックアウトしよう)
煩悶しながらカミーユがベッドに戻ると、茉莉花は規則正しい寝息を立てていた。
「この状況で寝るか?普通……」
カミーユはため息をつきながら、自身の着ているシャツを茉莉花に着せる。丈が少し長いが、寝巻き代わりにはなるだろう。
(……まあ、いいさ。プリンセスの幸福がサーキットにあるのなら、俺様はF1レーサーとして全力で挑んで、プリンセスを喜ばせるだけだ)
ベッドサイドに腰掛け、茉莉花の寝顔を眺める。リップも塗っていない裸の唇がだらしなく開いた、無防備な寝顔だ。
「……待ってろよ、プリンセス。いつか、アンタに恥じることのねぇレーサーになってやる」
カミーユの右手が、ベッドサイドから茉莉花の枕元に移る。
眠っている茉莉花を覗き込むような体勢だ。
「アンタを喜ばせることができるような、強く、速いレーサーになって」
唇と唇が触れそうな距離まで顔を寄せる。カミーユの青い瞳に、茉莉花のベリーショートの黒髪が映っている。
「その時こそ……サーキットで、アンタを殺してやる」
カミーユが心底楽しそうに、八重歯を剥き出しにして笑う。
下半身の熱はすっかりおさまってしまったが、カミーユの心は熱く燃えていた。
「だが、どうせ倒すなら、万全のメンタルのプリンセスの方がいいな……よし」
カミーユはバングルフォンを手に取り、電話をかける。
「もしもし、ソネットか?買ったきり着てねぇ服あるよな。その中から、いくつかワンピースを持ってきてくれ……ああ、できるだけ丈の短いヤツを頼む。俺様より小さなプリンセスでも着られるようなヤツをな」
【あら、また新しいコを見つけたのぉ?カミーユぅ】
スピーカーからは、拗ねたような口ぶりの甘ったるい声が聞こえてくる。
「そう妬くんじゃねぇ。プリンセスが自分なりの幸福を見つけたら、またお別れするさ」
【そぉ?まぁ、ならいいンだけどぉ……】
【ほっときなよ〜ソネット。カミーユの趣味なんだからさ〜、女のコハッピーにすんの】
ソネットとはまた違う女性の声が会話に割り込んでくる。
「なんだ、ガルシアもいんのか。ちょうどいい、明日の午前中、エステの予約を頼む」
【オッケ〜。ピッカピカにしたげるね〜そのプリンセスちゃん】
「あと、どっちでもいいんだが、モーテルまで俺様の車を持ってきてくれるか?」
【あ〜、今ちょっと呑んでるからドンナでもいい〜?】
ガルシアの口から3人目の恋人、ドンナの名前が出てくる。
「明日の朝に間に合うなら構わねぇさ。それじゃ、愛してるぜ。マイプリンセスたち」
マイクに向かってリップ音を立て、通話を終了する。
(余計なお世話かもしれねぇが……こうやって色々なことを教えていれば、いつか、プリンセスがサーキットの外に幸福を見つけるかもしれねぇ)
自分では茉莉花を幸福にできない。
欲と金に屈した自分に、茉莉花の手を取る資格はない。そう思ってはいても、カミーユは茉莉花を放って置けなかった。
「……アンタだけは、キレイなままでいてくれよ。マツリカ」
茉莉花の頭をそっと撫で、カミーユは眠りについた。
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