幕間
「そこで何をしていらっしゃるんですか?」
僕が物陰からスタンの訓練の様子をじっと見ていると、いつから気付いていたのか、怪訝そうな顔をこっちに向けて、スタンが僕に問うてきた。
全く驚いた様子がない。まさかずっと前から気付いていたのかな?
視線ははっきりとこっちに向けられているので、僕は極まりの悪い気持ちを抱えて、隠れていた場所から出るとスタンのいる方へ向かった。
夕日がスタンの露わになった上半身を赤く染めている。吹き出た汗がキラキラと光っている。
「ちょっと……ね」
「ちょっとですか?」
「そう。えっと、君の訓練をね、見に来たんだ」
「物陰から?」
「そう……」
「何のために?」
「何日か前に、僕が君に尋ねたよね?どこで、訓練をしているのか」
「はい、確かにあなたから聞かれました」
「あの日、仕事帰りの道で急に思いついたんだよね。素振りの練習って、本当に素振りだけするのかなって」
「はぁ……」
「素振りの練習と言いながら、素振り以外のこともしてるんじゃないかって思って、実際に確かめに……」
「いらした、と……?まぁ、たしかに、ご覧になった通り、素振り以外の訓練もしますね。はい」
困惑顔のスタン。
「そうだよね……」
「えっと、気になるようでしたら聞いていただければそれで済むことかと」
「た、確かに……」
僕はそっと両手で顔を覆う。
確かにスタンの言う通りだ。何故僕は自分の仕事場からここまで結構離れているのに、わざわざこんなことを確認するためにここへ来てしまったのか。指摘されると、なんだか馬鹿みたいな話だなと自分でも分かる。しかも、物陰に隠れて見てるなんて。
でもあの時は良い考えだと思ったんだよね。
なんだか恥ずかしくて、僕は強引に話題を変えることにした。
「さっきまで、一緒に剣の打ち合いをしていた人が、君に剣の稽古をつけてくれるって言ってた人?」
「ええ、そうです。あの人のおかげで大分勘を取り戻しつつあります」
「すごい練習だったね。鬼気迫ると言うか……うまい表現が見つからないけど」
「かなり手加減してもらっています。私の変な癖なんかもよく気がついて、細かくアドバイスを戴けます。かなりの手練れですよ。剣の技術もさることながら、人となりや考え方や高潔さなど、見習うべき点を多くもっていらっしゃいます。なんだか、故郷の友人であり師だった人を思い出します」
「そうなんだ」
「はい。その人は私の悪友であり兄みたいな人でしたが、雰囲気が似ていて懐かしい気持ちになります」
珍しくスタンの口から故郷の話が出た。普段は一切そういう話はしないのに。
「……会いたい?その友人に」
「いえ、会うことはできません。私には会う資格がありません」
スタンは即座に否定した。
「どうして?」
「私には合わせる顔がありません。私は奴隷の身分に落とされて何年も音信不通でした。私は長男でした。当時、立派な跡継ぎとなるよう、厳しくしつけられ、教育を施されました。それと同時に、深い愛情も注いでもらいました。あの頃の私にはそれに気づくことができませんでしたが、今なら分かります。家族は私を愛してくれていました。父も母も弟たちも妹も、友人たちも。なのに、私にはもう彼らにその恩を返すことができないのです。私はもはや跡継ぎの望めない体になりました。さらに、私が突然いなくなったことで、きっと家族は色々な家から後ろ指を指されたことでしょう。その屈辱に耐え忍んで、今はきっと弟を次の後継者として、新しい道を進んでいるはずです。私が今更家に帰って何になるでしょう。悪戯に家を混乱させ、ふたたび社交界で私の家は笑いものになるのです。私は家名に傷をつけました。泥を塗りました。どうして今更のこのこ会いに行けるでしょうか。弟たちも妹もきっと家のためにできることを頑張っている。それが水泡に帰することでしょう。私は、彼らにいらぬ迷惑をかけたくはないのです」
「でも君は会いたいと思っている」
スタンはそれには何も答えなかった。
ただ、夕日をまぶしそうに眺めている。しかし、その口元は厳しく結ばれている。
僕も同じほうをみると、崩れた城壁の隙間から、子供が遊ぶ姿がちらちら見える。
風に乗って遠くから子供たちの高い笑い声が聞こえてきている。
「騎士ごっこですね」
スタンが目を細めて言う。
「スタンもやった?子供の頃」
「ええ、騎士ごっこが一番隙でしたね。それに鬼ごっこやかくれんぼなんかも。妹に突き合わされておままごともやらされました。相手をしないとすぐに泣き出したんです」
もう戻らない遠い過去をスタンはみている。夕日の中に、その幻を。楽しかった日々を。
「子供の頃、僕はかくれんぼが好きだったなぁ。隠れるのが得意だった。この辺りの子たちはあまり鬼ごっことかはしないみたいだけど、子供の遊びはいつの時も変わらないね。僕も友達とやったよ。繰り返し繰り返し。三百年以上も前だけどね」
僕にも見える。おませなモリー。怖がりのベン。ガキ大将のガイ。他にもたくさんの子供達が。会いたい。
「そうだ。実際に会うのが難しいなら、手紙を出すのはどうかな」
「手紙ですか」
「そう。家族が難しいなら、友達にでも?昔は手紙を出しても届くかは運だったけど、今は手紙を届けてくれる専門の人がいるんでしょ?会う会わないじゃなくて、一応生きてるよって伝えても、罰は当たらないんじゃないかな。過去の君や貴族としての君は知らないけれど、今の君はとても立派な、誰に出しても恥ずかしくない人物だと思うよ。それだけは忘れないで」
「……ええ。そうですね」
「考えてみてよ」
「はい」
「ところで、スタン。それ、寒くない?そろそろ風が冷たくなってきたよ」
僕はスタンが上半身裸であることを指摘する。スタンは今思い出したという風に、干してあった上着のところまで行く。その歩く姿はとても優雅だ。言葉遣いも。誰が見ても奴隷などとは思わないだろう。長く奴隷の生活をしていても、彼は貴族としての振る舞いを失っていない。きっと本人の心根とご両親の教育の賜物だということが伺える。
「ええ、そうですね。風邪をひかないように気をつけないと。ところで、実際のところどうなのですか?」
「何が?」
「ここに来た理由です。何かありましたか?」
服を身につけながらきいてきた。
「いや、もう用事は済んだんだ」
「と、言いますと?」
「素振りの練習なのかを見学に来ただけだから……」
自分で言ってて恥ずかしくなってきた。居たたまれない。あまりに馬鹿げた理由すぎる。
「本当に、本当にそれだけだったのですか?」
「うん……」
「でも、ここ、宿と反対方向ですし、結構遠いですよね?あの時、聞いてくだされば良かったのに」
「うん」
怪訝な顔をするスタン。
「えっと、ほら、だから、何日か前に、ふと思いついたんだよね」
「はい」
僕の声はしりすぼみに小さくなっていく。
「君をびっくりさせようって。思いついた時はすごい良い考えだと思ったんだけど……。君の言う通り、君に尋ねるだけで良かったんだよね」
「ほんとうにそれだけのために来たんですね」
さすがにこんな理由で来たと分かって、きっとスタンもあきれ顔をしているだろう。僕は目を合わせられない。
「そう。ごめんね。邪魔しちゃって」
「いえ」
恐る恐る顔を上げると、スタンが何かを考えるように明後日の方を見ている。
「それで、どうでしたか?私の訓練の様子は?」
「うん、すごいという言葉以外見つけられないよ!今日のあの稽古をつけてくれている人との打ち合い!見てるこっちがはらはらしちゃった。毎日あんな訓練をしてるの?」
「毎日ではないですね。数日に一度程度です。あの方も忙しい人ですので。それにこれは完全に好意で行われていることなので毎日はやれないですね」
「そっかぁ。じゃあたまたま今日来た僕は運が良かったんだね」
「そうかもしれません」
「いや、ほんとすごかった。打ち合いの後の一人の練習も、こう、すごい真剣な顔で集中してて、かっこよかったよ!」
「……そうですか」
「またこうやって見に来ても良いかな?仕事が終わって一人で宿に居てスタンを待っているのは、つまらないんだ」
「つまらなかったですか。それはすみません」
「いやいや。いいのいいの。さみしいと思うのは僕のせいだからね」
「そうですか、なるほど……。なるほど。ええと、私の訓練を見に行こうと思いついたのはいつ頃だとおっしゃっていましたっけ?」
スタンが何かを確かめるような顔で僕に尋ねてきた。
「え?三日?くらいまえかな」
「仕事上がりの帰り道で?」
「そう。帰り道で、ふっと思いついたんだよ」
「なるほど。よくわかりました」
スタンが何故か笑顔で僕の方を見る。つられて僕も笑ってしまう。
「実はユージンにお願いがあるんです」
「うん、何?」
スタンが急に深刻そうな顔をするので、僕は気持ち声を潜めて答えた。
「はい。実はですね、ここだけの話なんですけれど、一人の訓練というのは実はとても退屈でさみしいんですよ」
「あぁ、うん。わかる。一人はさみしいよね」
僕は頷く。
「はい。ですので、ユージンがお嫌でなければなのですが、こうして時々見学にきていただけると、とても励みになります」
「でも邪魔じゃない?見られていると集中できないと思うけど」
「いえいえ、そんなことはありません。やはり、こう、見られながら訓練しますと、何と言いますか、気持ちが昂るといいますか、そう、気合いが入ります」
「気合いが入る」
「はい。今日はあなたが来てくれたおかげで、いつも以上に、練習に張り合いが出ました」
「そうなんだ。良かった!」
「はい。なので、また見に来て下さると、とても訓練の助けになります」
「ほんとにまた来ていいの?」
「ええ。もちろんです」
「そっか。良かった」
「できれば、そうですね。夕方の五時の鐘とともに私はいつも仕事が終わります。その後少し休憩してから訓練を開始して七時の鐘に合わせて帰るようにしています。ですのでその間にいらしていただければ良いかと。終わったら一緒に宿まで帰りましょう」
「うん、わかった」
「では、明日から毎日来ていただけるということで」
「うん、明日も来るよ」
「私の自己満足に付き合わせる形になってしまい、誠に恐縮なのですが……」
スタンが眉尻を下げて申し訳なさそうな顔をする。スタンがそんな顔をするなんて、よほど一人の練習というのは退屈なのだろう。
「いやいや、全然!仕事終わりは、暇だし、スタンは帰りが遅いからさみしいしで、丁度いいよ」
僕がそう答えると、なんだかすっごく笑顔のスタン。
「では、約束も取り付けられたことですし、帰りましょう」
「うん、そうだね。僕お腹空いたよ」
「私もです。どこかで食べてから帰りますか?それとも買っていきますか?」
「たまには食べてから帰ろうよ」
僕らは並んで帰る。夕日の中を歩いて帰る。遠くから子供の声が聞こえる。
足取りは軽い。スタンが長い脚で優雅に歩く。僕の歩幅に合わせて。
「なんか、スタン、機嫌良さそうじゃない?」
「そう見えますか?」
「うん。なんか良いことあった?」
「ええ、まぁ、はい」
「そう。良かった。スタンが嬉しいなら僕も嬉しいよ」
そういうと、スタンが破顔した
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