第20話

――何故父はあの男を跡継ぎに選んだのか。


日記の最後のページは、その一文が全てだった。本当に、堪えきれない心情を、ほんのわずかだけ吐露させた、或いは処理しきれなかった感情が漏れ出てしまった、そんな一文だった。

他のページも繰る。エドガンを支える弟の苦労が偲ばれる内容だった。財源の確保、税金の運用、公共事業、領地の経済、福祉。そういったことへの意見の対立にどんどん疲弊して行く様が、飛ばし飛ばしでも十分に伝わってくる。

「これは……」

貴族として学んできたスタンには、僕には分からないこと、見えていない実情もより理解できるのだろう。

「エドガン元男爵は、なかなか大胆な考えを持った方だったようですね」

スタンが言葉を探し探し言う。

「そして貴族らしい生活が好きだった」

ところどころ感情が乗って判別し難い文章を読みながらスタンが言葉を紡ぐ。

「ギリアムとなんらかの、主に税金についての方向性で食い違いがあったみたいだね」

「後半は対立と言っても良いかも知れません。ギリアムの苦労が偲ばれます」

日記の多くのページには、領地経済の安定のために税金をこれ以上上げるわけにはいかないという、ギリアムの気持ちと、お金を手に入れて、もっと暮らしをよくしたいというエドガンの意見への批判が綴られていた。

「エドガンが死んで、言い方は悪いけれどギリアムはほっとしたのかな」

「どうでしょうね」

日記のページはここで終わっているから、エドガンが死んだ後の彼の気持ちを知る術はなかった。

あれ?でも……。

「でも、町の人から不満があがっていたのはギリアム男爵のほうだったよね?」

「ええ、そうだと記憶しています」

「こんなに町の人の暮らしを考えていた人なのに、どうして?」

「分かりません。深い事情があってのことなのか、或いは、事情が大きく変わってしまったか」

「どうなんだろうね。政治や経済を勉強していない僕には難しい……」

「私にとっても難しいですよ」

「何か心情的に大きな変化が起きて、考えが全く変わってしまった、とかね」

「ええ、そうですね。何かが大きく変わってしまったせいで……」

スタンが途中で言葉を切った。僕は不思議に思って、スタンの顔を見ると、目まぐるしく何かを考えている風で、視線があちこちに移動している。

口に手を当て、まるで自分の言葉が勝手に漏れ出ることを恐れている風だ。

そして。

「まさか、そんなことがあり得るのか?」

スタンが呟く。どうやら、真実にたどり着いたようだ。

「分かったんだね」

「ええ……。いえ、証拠がないので確信はありません。可能性の一つです」

「でも、君はそれが真実だと思っている。そうなんでしょ?」

スタンは答えない。慎重な性格だから、確信を持てないことは口に出したくないのだと思う。

何かを深く悩む様子のスタンを見つめ、僕は椅子から立ち上がった。

「さぁ、じゃあすべての元凶の元へ行こう」

スタンは怪訝そうな顔をする。

「まだ、完全に分かったわけではありません。そういう可能性があると、そう思いついただけで」

「でも、一番ありそうなことだと思ってる」

「……はい」

「じゃあ、僕は君を信じる。僕には答えを出すことはできないから。現状を打破するために、君のその可能性の高い考えに乗ることにするよ。それに、これ以上ここに居続けるわけにはいかない。時間が経てば経つほど、きっと僕らには不利だ。そう思わない?」

「……はい。ですが、どうやってそこへ行くのですか?」

僕はスタンの隣に立つと、彼の手を引いて立たせる。

「君はもう道を知っている」

「よくわかりません」

僕はそのままスタンの手をとって、扉の前まで移動する。

「スタン。扉を開けて。君なら、道を開くことができる」

「何故、そう思うのですか?」

スタンが首を振る。そんな力は自分には無いのだと、態度で主張している。

けれど、僕は知っている。

「君にはできる。君が不確かな意見だと思っている君自身の考えを、僕が信じているように、君から見て不確かに見える僕のこの考えを信じて。お願い」

スタンが僕の顔を覗き込む。真意を探るように。

そして、彼はそっと扉に手を掛けた。

「さぁ」

果たして、扉は開き、その向こうには廊下が左右に伸びていた。二階の廊下だった。

スタンが驚いた顔で僕を見る。

「ほらね」

僕は無意識に微笑む。スタンがすごいことをスタン自身が証明してくれたから。鼻が高い。

「でも、一体どうして……」

「君は、あの歪んだ町をまっすぐに歩くことができたからだよ」

僕は答える。

「よくわかりません」

「君だけがあの歪んで傾いた道を、まっすぐにためらうことなく歩くことができていた。それは、君にしかできないことだった」

「ええと、何をおっしゃっているのかよく理解できません。自分では普通に歩いていただけです。あなたと違って何も見えていなかったから、普通に歩けただけではないのですか?私から見れば、町の全員が普通に歩いていましたよ。とても、私に特別な何かがあるようには思われません」

「そういうものだよ。自分の才能には自分でなかなか気づかないものだから。本当の自分を、自分では知ることは難しいものだから。思い込みは時には自分を騙してしまう」

納得のいっていないスタンに、僕は言葉を続ける。

「君だけが、今回の問題を解決することができる。なぜなら、君は進むことができるから。まっすぐに、どこまでも。目指す場所へ、迷うことなく。それが君の魂の形だから、きっとこの元凶の人物には君を退けることができない」

「何故?」

「彼は、心が弱いからだよ」

僕らの背後で扉が静かに閉まる。

「この廊下の端ですね。ですが、どっちでしょうか」

「答えはもうわかっている。耳を澄まして」

スタンが押し黙って、周囲の音を拾う。

遠くから、小さく微かに何者かのうめき声が響いてきた。

「あれは……?」

「目的の場所だ」

「君が見事当ててくれたんだ。君が道を僕に示してくれたから、僕は声の源を特定することができた」

その声は、西翼の突き当りから聞こえてきていた。

「スタン、自分を信じて。さぁ、行こう」

僕はスタンを促す。異変の始まった場所へ。

僕らは連れ立って歩く。長い廊下を、まっすぐに。

もう、屋敷の中はどこも歪んでいなかった。

そして、西の廊下の一番端には、立派な扉があった。

スタンが僕に目配せをしてから、率先して扉を開け放った。

中には……、男が一人いた。

蹲って、小さくなって、ただ、呻いていた。

全てのゆがみの元凶が、そこにいた。

「エドガン男爵」

スタンが声を掛けた。

びくりと肩を震わせて、男がこちらを見た。あの肖像画の顔だった。

その瞬間僕らは同時に壁に吹き飛ばされた。

衝撃。

全身が痙攣するほどの痛みだった。衝撃が終わり、僕らは床に落下した。

「ユージン、大丈夫ですか……?」

スタンの苦しそうな声が耳に届く。見ると起き上がる気配。大事ではないようだ。

一方僕の方は、いまだ痛みから抜け出せない。どこか骨にひびがはいっているかもしれない。

スタンがこちらに来ようとするのを、目で制する。大丈夫。

僕のことよりも、あれをなんとかしなくてはいけない。

「スタン、僕は平気だ。それよりも、彼を先になんとかしなければ」

スタンが顔をエドガンの方へ向ける。

「スタン。教えて。何故彼がエドガンなのか。過去にこの屋敷で何が起きたのか。真実の姿を教えて」

スタンが意を決したように口を開いた。

「十年前に死んだのはエドガンではなく、ギリアムだった。自然死だったのか殺されたのかはわかりません。ですが、エドガンは、それを機に、ギリアムに成り代わった。エドガンが死んだものとして、弟の立場から自身の葬式を挙げ、男爵になったのだろうと思っています」

「証拠は」

「ありません。ですが、私がそう考えた理由はあります」

「聞かせて」

「一つは、エリックが、叙爵が確定する前に問題解決の依頼をだしたこと。おかしいと思います。爵位を継ぐのは貴族としては大問題です。ギリアムが実際に死んでいない状態で発見されれば、ギリアムの甥である彼の叙爵は流れてしまいかねません。もちろん、爵位を継ぐ可能性の方が大きい。ですが、あと数年待てばよかった。待てば確実だったのに、もう行動を起こしていること。これは、エリック自身に爵位を継ぐ確信や保証がなければできない行為です。もう一つは、エドガンお気に入りの庭がそのまま維持されていたことです。エドガンの死後、ギリアムの領地運営はそこそこだったと、冒険者協会の男は言っていた。含みを持たせて。つまり体制に変化があったということ。領主のやり方をおおっぴらに批判はできませんから。つまり、エドガンのしたことを否定しようという意志が少なからずギリアムにはあったということ。また、エドガンの妻とその息子をこの町から遠ざけています。これはエドガンの死後の影響を排除しようとしての行動のように見えます。そのような考えの持ち主ならば、エドガンの愛した庭など、すぐに自分らしい庭へと作り変えてしまうでしょう」

スタンは思うままに自分の考えを言葉にしていく。

「でもやらなかった。このことから、わたしはギリアムに疑惑を持ちました。まだ形にはならない疑惑を。ですが、いくつかの証言が私の考えを一つの形にしました。執事が教会に対して罪悪感を感じていたことです。教会と男爵の関係とは何か。メイドのギリアムに対する謝罪。辞めていればよかったという言葉。そして、手紙の中の文章。メイドは臨時収入があったのではないかと思いました。母親の病状が恢復して良かったと書かれていたから。医者にかかるだけの金が手に入ったのではないかと思った。何故か。エドガンとギリアムの入れ替わりが、ギリアムの死後行われたから。葬式に出されたのはギリアムの死体。エドガンと偽って、埋葬された。二人は似た双子だから、発覚することはなかった。メイドが受け取ったのは、それを口外させないための買収の金。私はそう考えました」

部屋の中にうずくまる男が急に大声を上げて、のたうち回り始めた。

「さすがスタン。すごい!」

「そして、肖像画もそうです。一番目立つところに飾られているのが現当主ギリアムのものであるのなら、エドガン一家の肖像画の絵と一致するだろうか。あなたは言っていた。自信の無さそうな顔付き、油断なく周りを観察しているようなところがそっくりだったと。考え方が違うのに、双子であってもそこまで似るだろうか。なれば、同一人物だ。エドガンの肖像画が一番目立つ場所に飾られているということ。それは、つまり、エドガンは生きているということ」

スタンが言葉を切る。

「ですが、分からないこともあります。何故、成り代わったのかの、その理由です」

「それはね、スタン。彼が、自分の弱さを他者に押し付けなければ、自分を保つことのできない人間だったからだよ」

スタンが僕の次の言葉をじっと待つ。

「彼は自分がどう見られているかということを常に気にしていたんだ。だから、やりたいことを素直にすることができなかった。彼の不幸は、彼が男爵位を継いだことだろうね」

そう。それが、全ての始まり。

「彼自身はさほど優秀な人物ではないにも関わらず、領主となってしまった。卑怯な手を使って。それに対し、弟のギリアムは誠実で忍耐強く慈悲深い。領主として才覚があると言える人物だった。彼は弟を利用し、自分を立派な領主であるように人々に見せかけた。常に弟から自分の考えを否定され続けるということと引き換えではあったけれど。そして、弟の正論に徐々に我慢ができなくなっていった。そんなとき、目の上のたん瘤である弟が死んでしまった。弟が死んだとき、彼は卑怯な考えを思いついてしまった。弟に成りすまして好きにやることを。彼は彼の今までの実績を保ちたかった。それと同時に、初めて自分のやりたいように領地を治めるチャンスを有効に活用したかった。しかし、自分にさほど才能がないことも分かっていた。好きにやって失敗したとき、人々からの評価は地に堕ちる。彼はそのことと一番に恐れた。だから、弟に成り代わることを思いついた。弟の名声が地に堕ちても、彼には痛くもかゆくもないから。僕には彼の気持ちが理解できないけれどね」

そう言って、僕はちらりと蹲る男を見る。

「そうやって、彼は自分の弱さを弟に押し付けたんだ。けれど、その弱さを押し付ける本当の弟は現実にはいない。呪う相手がいないまま、何年も呪いは生み出され続けた。外へと追いやった彼の弱さや狡さは、行き場を失いどこへたどり着くこともなく、ぐるぐると回り続けた。そして、ついに三年前、歪みとなってこの町に影響をもたらした。結果、彼の歪んだ考え方と同じように、この町はねじくれてしまったんだ」

「そんな……」

「それだけではない。彼は自分の子供さえ、自身の気づかぬうちに敵視するようになった。子供がどんどん大きくなっていつか、自分の後を継ぐ。その時、良い領主となれればいいが、慣れるかは怪しい。なぜなら自分の子供だから。そして、なれたとしても、そうすると今度は自分だけができそこないだったという現実を知ることになる。彼は恐れた。また、息子が良い領主とならなかったら、自分の名声に傷がつくかもしれない。そんな些細なことが徐々に気になりだした。彼にとっては八方ふさがりだった。それほど、精神的に病み始めていたということでもある。この町の子供の犠牲者が多かったのはそのせい。彼の猜疑心が、子供たちに襲い掛かったんだ。頑張って長年支えてきたギリアム様は報われないね。だから。だから、彼は、君に頼ることにしたんだろうね……」

えっとスタンが声をあげるのと同時に、部屋に突然突風が吹き荒れ始めた。色々なものが、部屋にある本やペンやカップのみならず、椅子や花瓶などといったものまでが風に吹き飛ばされた。そして、高速で回転を始める。

その勢いはますます強まり、重厚な作りの書斎机が移動し始めた。

「見て、スタン。真実が暴かれ、罪が白日の下にさらされた。彼が、本当の姿を現す。人ならざる姿を……」

徐々に人としての輪郭が崩れ始めた。エドガンは、徐々に黒い霧のような塊へと姿を変えていった。人の形を保てない。

「あれが、自分の弱さを他人に押し付けた者の末路だよ……」

変化は急激に訪れた。

風とも呼べない大きな力が、再び二人を襲う。その勢いにあおられ、僕は浮き上がる。スタンが僕の手を掴もうとして、掴めず、僕は壁に再度打ち付けられた。

頭が朦朧とする。

スタンの声が遠くに聞こえる。

意識が途切れる直前、黒い影が部屋全体を床を這うようにして広がるのを見た。床に這いつくばる僕らの元にも、その闇は押し寄せ、全てを飲みこんだ。


※次回でねじれた町編はおしまいですたぶん

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る