I want...
あるむ
1.
「あ。ねえ、これあなたのでしょ?」
小さな声だけれど、ハッキリと聞こえた。その子が指差していたのは、さっきまで私が汗だくになりながら探していた、おもちゃの指輪だった。
図書室の広いテーブルの隅にちょこんと置かれている指輪は、赤いプラスチックのルビーがいかにもといった感じでついていて、台座の剥げかかった金色がみすぼらしいったらなかった。
「……ぁ……」
伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。そんな子供っぽいものを血眼で探していた事実を認めたくなかったから。こんなこと、自分以外の誰かに知られたら恥ずかしくて死んでしまう。何も言えないまま固まって動けない私は、仕方なく私と同じ制服を着た女子を見つめた。
「どうぞ~」
見たことのない女子だった。セミロングのまっすぐな髪が綺麗で、私のくせっ毛とは全然違う。色白で、目がくりっとして、小動物みたいな可愛さで、きっと男子からも女子からも人気の子に違いない。いかにもクラスの真ん中にいるような子が、どうして暗い図書室なんかにいるのだろう。
クラスに馴染めない、どころか教室にだって行けないような、私みたいな奴のことを笑いに来たのだろうか。その女子の手にある指輪もネタに使えば、しばらくは楽しめる話題になるだろうし。
「実は私もね、持ってるんだ」
目の前の女子はそう言うと、胸ポケットからおもちゃの指輪を取り出して見せた。ピカピカで新品同様のそれは、私のとは比べ物にならないくらい魅力的に見えた。白くて細長い綺麗な指にするりと嵌められた指輪は、その女子にとてもよく似合っていた。ただのプラスチックの安っぽくて子供っぽい指輪のはずなのに、チープさよりも愛らしさが引き立つようだった。
「お揃いだなって思ったら、なんだか嬉しくなっちゃってさ」
そうやってはにかむ姿に無性に腹が立った。
どうでもいいことのはずなのに、たかが子供のおもちゃごときのはずなのに、自分とはあまりに違いすぎることに、惨めな気持ちにもなった。なんでこんなに違うんだろう。
その姿から目をそらしたくて窓の外へ視線を移した。夕方のオレンジ色が濃くなっていくところで、光がじりじりと目の奥に刻まれるみたいだ。また今日が過ぎていくのを感じる。昨日と変わらない今日のはずが、こんな違いを目の前で突きつけられるなんて、思ってもみなかった。
「幸運の指輪だもんね、失くしたら焦っちゃう気持ち、わかるよ」
視界の隅でちらりと見れば、その女子はプラスチックのルビーを愛おしそうに撫でていた。
あんたに何がわかるって言うの。
そう思うと同時に、本当に心から共感しているようにも聞こえて、私の心はざわついた。
「……くだらない」
突き放すように吐き捨てた自分の言葉に、いくらか冷静になれた。
だいたい中学生にもなって、そんなおもちゃの指輪を売るために作られたエピソードを信じているなんて馬鹿みたいだ。いいことなんて一つもない。嘲笑されて、格下認定されて、可哀想な子と陰口を叩かれるだけ。
「あのさ、同じ指輪を今も大事にしてるなんて運命じゃない? 私、あなたと友達になりたいな」
「は?」
考えるより先に声が出た。人を疑ったことのないような無邪気でかわいい笑顔で言われたら、そりゃ拒否反応だって出る。
そんなふうに人畜無害を装っておきながら、それがおふざけの一環だなんて最悪のネタバラシをされるこっちの身にもなってほしい。どれだけ残酷なことをしているのか、自覚がない奴らのタチの悪さったらない。
「私、四組の蝶野かすみ。あなたは、一組の平松うたこちゃんだよね?」
「なんで、知ってんの」
びっくりして息が詰まりそうだった。教室にもほとんど行っていないのに、どうして私の名前を知っているのだろう。私はこの目の前の女子のことなんか、これっぽっちも知らないのに。
「それ」
いたずらっぽく笑った蝶野は、私の胸元を指差した。つられて視線を下ろすと、制服の胸ポケットにつけていた名札が目に入った。
「あ……」
理由を知れば、なんてことはない。真面目に名札をつけていた自分にイライラした。そんなことも忘れて怖がった自分にもイライラした。楽しそうにする蝶野にもイライラした。
「また明日遊びに来るね、うたこちゃん」
にこにこと手を振って、蝶野は図書室から出て行った。
友達になりたいとか言っておきながら、私の返事は必要ないのかよ。
最悪のネタバラシの可能性は低いけど、じゃあなんでそんなことを言ったのかがわからない。一体何がしたいんだろう。
久しぶりに呼ばれた名前に嫌悪感を覚えつつ、蝶野の軽やかな声で呼ばれるとなんだか心地よくてそれも悔しかった。
「はぁ……」
普段と違いすぎることだらけで、どっと噴き出た疲れが溜め息になった。かいていた汗もいつの間にか冷えて肌寒かった。
そもそも指輪を失くしたことが事の始まりで、自分の不注意さを呪った。同時に、それでも指輪を手放せない自分の幼稚さにも嫌気が差した。
「はぁ……」
机に置かれた指輪を手に取る。手の平に収まってしまう、よく知ってる指輪。指輪を握り込んで、改めてホッとしたら気が抜けた。
蝶野の存在よりもなによりも、指輪が見つかったことの安堵感の方が大きかった。
「よかった……」
蝶野がクラスで言いふらさないとも限らないけど、どうせ教室なんて行かないんだから関係がない。ひとまず、そういうことにする。
暗くなっていく図書室の中、私は束の間の安心感を噛みしめていた。
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