怪奇怪談児

這吹万理

追わずの屋敷

第1話 一文字和也 1

 2014年のこと。島田しまだ千春ちはるは親の仕事の都合で岩手県麻州おす市にはじめてやってきた。前の学校では友達はいなかったどころか、いじめられていた。周りに合わせることが出来ないし、目つきが悪かった。先輩には「喧嘩を売っているのか」と言われ、同級生はそれに便乗するし、教師陣には「生意気なやつだ」と陰口を叩かれた。だから転校で捨てがたいものはひとつもなかった。しかも、岩手は麻州を一歩出ればほんとうに田舎だし、なんなら麻州も田舎なので、のどかというのがお似合いのところだった。千春はこういう街並みが好きだった。


 転入初日は、極力目つきを良くして、明るく努めた。クラスメイトも転入してきた千春を気遣って、なるべく話しかけてきてくれていた。千春は、友達を作るチャンスだと思って、それに気前よく返していたけれど、そういうのになれていないからか、とても疲れてしまった。慣れればこういう疲れはなくなるのだろうが、今はとにかく疲れてしまっていた。


 放課後、ため息をつきながら帰路を歩いていると、路地から人が転がってきた。ぎょっとしてその人を見ると、見覚えがあった。たしかクラスメイトだ。とても明るくお調子者で、クラスの皆から「イッチー」と呼ばれていた一文字いちもんじ和也かずやだ。


 いったいどうしてこんなところで後転なんなしているんだ、「突風が吹いている訳でもなしに」と思っていると、和也は「わはは」と小さく笑いながら、服についた土汚れを叩いて落とし始めた。そして「また来ますからね」と大きく言った。飛んできた学生鞄と溢れ出た荷物を取って歩き出した。


 千春はそれを疑問に思って、首を傾げてから、その路地の方を見た。そこにはマンションがあって、一家が顔を覗かせていた。


「一文字! 一文字、一文字和也!」

「ん? おお!」


 千春が声を掛けると、和也はぺかーっと笑ってから口を開いた。


「君もこっちの方向か?」

「ああっ、でも、さっきのアレはなんだ。飛ばされたのか」

「あれは、頼まれ事を消化しようとしてたんだ」

「頼まれ事? 休んだ同級生の家か何かか?」

「あーいや」


 和也は言いにくそうにしてから、「そんなところかな」と答えた。


「でも、だとしたら突き飛ばされる理由がない。よっぽど嫌われているくらいの理由でもなければ」

「だよねー」


 和也はてきとうになって、笑った。千春は何かをごまかしていると直感的になって、それを知りたくなったがどうもこの一文字和也という男がクラスの中心的人物であるというのはぶっきらぼうな千春にもわかっていたので、イコール嫌われてしまえばクラスでの立場を失うということになる。妙な詮索はしないことにした。


「クラスには馴染めそう?」

「どうだろう」

「わかんねぇか。まぁ人間関係って一筋縄じゃいかないからね。俺も最近それを強く実感してるよ」


 呆れたように、和也は肩を竦めながら言った。


「でも、君にも此処で友達ができるといいな。……これは俺の自分勝手な考えなんだけどさ。この街を居辛い所と嫌って欲しくないんだ」


 と、そういう同行人を見てから、千春は「俺はこの街好きだよ」と答えた。気を遣っているように思うだろうが、これは根っからの本音で、千春はこの街が好きだった。それがわかったのか、和也は「よかった」と笑った。


 そして、千春はこの男の本領を見ることになる。


 ある時、千春の家に強盗が押し入った。幸い千春の家族に害はなかったし、なにかが盗まれるということもなかったが、窓を割られてしまった。そこに友人ふたりと自転車を漕いでいる和也がやってきて、千春を見つけると「ここ君の家だったのか!」と喜んで言った。


「なんかやべぇ事になってんじゃん。どうしたの?」

「強盗に入られたんだ。通報したけど怖いよなぁ……」

「ほほー。……犯人はまだこの家の敷地内に居るらしいな」


 和也がそう言うので、千春は驚いて、「どうしてそんな事が分かるんだ」と言った。和也は笑みを浮かべて、硝子の欠片を拾い上げた。


「まず、この足跡をみてもらえればわかるけど」

「足跡? 足跡どこだよ」

「砂利がわずかに動いてるだろ。君たち家族はきっと中から見える分、この侵入口から近くには近づいていないらしい。それが幸いした。警察はこの変化を見逃すだろうけど、俺がいるからにはそうはいかない。砂利を敷き詰めると、音が出るだろ?」

「だから防犯として家の敷地内に撒いてるんだ」

「そっ!」


 和也は嬉しそうに言った。


「だから犯人は砂利を踏みしめた。それがいけなかった。犯人の靴はランニングタイプのスニーカー。この砂利の沈み具合から分かる通り、身長はおよそ180センチ台。そして、窓硝子の割れ具合から184センチ。犯人は男。年齢は30代。腰の具合が悪く、視力もあまり良くないから眼鏡をかけていて、いつも腰を折ったような姿勢をとっている事がわかる。一応こういう判断に至る理屈はあるけどわからないだろうから今回は省くよ」

「それで……犯人はどこに」

「えーっと、それは多分──」


 そう言ったところで、30代で高身長の眼鏡をかけた男が「うあああ」と叫びながら飛び出してきて、和也を突き飛ばして逃げていった。


「逃げたぞ! 追いかけろーっ!」


 和也の友人ふたりが男を自転車で追い掛けて思い切り轢き飛ばした。


「捕まえた!」

「いってぇ……」


 和也は涙目で、傷ついた右手の平をチョンチョンと触って、顔をしかめていた。


「大丈夫?」


 千春が駆け寄ると、「いたい」とぐずぐずになり始めた。


「君、凄いね」

「なにが……?」

「全部当たってた! 身長とか眼鏡の事とか」

「ああ、うん。それは、俺にとっては当たり前のことなんだ。救急箱とかある……?」


 千春の母が手の怪我の手当てをしてやると、「ありがとうございます」とほんとうに嬉しそうに笑った。千春の母は、和也のことを、とても気持ちのいい少年だと思った。


「このご恩は忘れることが出来なさそうだ。なにか困ったことがあったらこの街博士の俺に相談してください!」

「いいの?」


 千春の母が訪ねた。


「はい! 俺この街が好きなんです。俺が愛するこの街を、誰にも嫌いになってほしくない」


 千春は「良いやつだ」と思って、こんなに良い奴がいるなんて、とうれしくなった。

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