第11話 「あーん」
今日は最高気温三十八度。六月なのにどうしちゃったんだろう。温暖化の影響だろうか。俺はそんなことを考えながらいつも会社帰りに寄るスーパーに入る。
そういえばここ、余田さんの同級生の夕菜って女、いやいや女性がパートで勤めているスーパーなのだっけ。余田さんが鏡妙子さんに偶然出会ったのもここだ。
もし夕菜に出くわしてしまったらどうしよう。俺は一発ぶん殴る、いや、ビンタするかもしれない。
いやいやいや、そんな乱暴なことをしてはいけない。いくら俺が大好きな余田さんと中高生の頃そういう仲になっていたとしたって、暴力はいけない、暴力は。
そう思いながら俺の胸の中はむかむかしている。
だって、だってだよ、俺の大好きな余田さんに最初に触れた女だよ? しかも余田さんと仲良さそうにざっくばらんに話していたじゃないか。俺だってそんなふうにしゃべるまですごい時間がかかったのに。俺の知らない余田さんを知っているだなんて、しかもその裸まで見ただなんて許せる? 許せないよ。
そんなふうに怒りで腹の中を真っ黒に塗りつぶした俺は、入り口付近にはお盆用品が陳列された棚が立っていることに気がついた。俺たちが住む市は都会だ。都会のお盆は七月におこなう。
(俺んちは田舎だから八月がお盆だ)
余田さんがそう言ってた。
お盆といえば亡くなった大切な人たちをしのぶ行事。
亡くなった大切な人。俺にとって大切な人。
(聡)
こんな時、聡なら俺に、何て言ってくれるかな。
(おやおや、やきもちかい、誠司。君らしくないな。ほら、笑って。君には笑顔がよく似合うよ)
笑えないよ。想像の中でこしらえた聡の映像に俺はぷいと横を向く。
だって余田さんと夕菜は、あんなに仲良く話していたんだもん。まるで離れていた期間なんて存在しなかったみたいに。
とにかく頭を冷やそう。
聡が好きだった日本酒でも買って帰ろうか。ほんとうは生まれ故郷の地酒が好きなのだけど、辛口の日本酒なら何でもいけたっけ。
あとは、白身魚のカルパッチョを作ろう。聡が好きだったつまみだ。作ってお供えして、俺もいただこう。
今日帰っても余田さんはいない。物流部門の飲み会なんだそうだ。だから今晩の食事は俺一人ぶん用意すればいい。
買い物かごの中身は、辛口の日本酒の一合瓶、白身魚の刺身、俺の夕飯になる海鮮丼と季節の野菜サラダ。
まだむかむかしてる。頭を冷やそう。
いつもは寄らないアイスのショーケースの前に立つ。ちなみにこのショーケースは、俺が勤める会社で製造していたものだ。同業他社と合併したので、ショーケースの製造は今年度中に中止することになっている。
普段アイスなんて食べないし買わないけど、今日は買ってみようと思った。
余田さんのぶん、どうしよう。
甘いものが苦手な俺たちだから、買わなくてもいい。だけど、俺一人で食べるというのも、ちょっとなあ。
やっぱり買おう。
塩バニラなんてどうかな。
塩バニラのカップを二個、買い物かごに丁寧に入れ、俺はセルフレジで精算した。
聡が表紙を描いたハードカバーの歴史小説を食卓に立て、日本酒をグラスに注ぎ、カルパッチョを置く。
「聡、二回目のお盆だね。ちょっと早いけど、聡が好きなお酒とつまみを用意したからどうぞ」
スマホで無料動画サイトにアクセスし、聡が出演した動画を再生する。この歴史小説が原作になった、国営放送で一年間放映された歴史ドラマの番組宣伝動画だ。聡はイケオジだったので、今でもこれら一連の番宣動画は再生回数が多い。
聡の姿、聡の声、聡のまなざし。見るたびに嬉しくなる。
余田さんには言ってないけど、彼のいないところで、何度も何度も再生した。そのたびに俺は元気を取り戻した。
余田さんにとっての夕菜は、俺にとっての聡みたいなものなんだろうか。
いや、違う。違う気がする。単なる仲間。ワル仲間。
でも、うらやましい。俺なんて中高生の頃はただ、一人で勉強して読書して、それだけだったのに。中学校の三年間だけ陸上競技部に入っていたけど、部活の先輩後輩とも同級生とも仲良くなれなかった。一人で静かに本を読んでいるほうが俺には合っていたから、騒がしくしゃべったり、じゃれあったりするクラスメイトの輪の中に入っていけなかった。
余田さんには仲間がいる。ワルなんてぼっちが集まってただけと話していたけれど、抗争の様子を見るかぎり、結束は固いと感じた。
動画再生を止め、歴史小説を本棚に戻し、カルパッチョと海鮮丼と野菜サラダを食べ始める。
カルパッチョを口に運びながら思い出す。
(うまいよ。誠司も食べてごらん)
箸を向けると聡がひと口箸で取って手のひらを添えながら俺に言った。
(あーんして)
(やめてよ。子供じゃないんだから)
(いいから)
言われたとおりにした。恥ずかしい。聡は俺をいとしくてたまらないという目で見つめた。
(恥ずかしいことさせるなよ)
(いいじゃないか。俺と君は十八離れてるんだ、親子も同然だろう)
(親子じゃないよ。恋人同士!)
(君があんまりかわいいからさ。いつもありがとう、誠司)
聡は目の前にいないけれど、俺は照れ隠しに、日本酒をあおった。もともとグラス三分の一くらいしか入れていない。酒に弱い俺はそのあと、冷蔵庫から二リットルのミネラルウォーターを取り出して酒が入っていたグラスにあふれる直前まで注ぎ、一気に飲み干した。
そこへ「ただいま」と声がした。
余田さんだった。
海鮮丼も野菜サラダもまだ食べ終えていない。しかも食卓には普段買わない上に飲まない日本酒。カルパッチョに関しては「おかずで作ったんだ」と言い訳できるけど、日本酒があることは言い訳できない。飲みたくて買ったなんて言えない。
「おかえり」
余田さんは酒に強い。酔ったふうもなく俺の隣の席に座った。
「早かったね」
「早く帰ったほうがいい気がしてさ」
余田さんは俺に小さく笑う。
俺の心臓はバクバク言っている。あわてて海鮮丼と野菜サラダをかき込む。
「めずらしいじゃん、日野さん、早食いなんかして」
余田さんが皿の上にあるカルパッチョをつまんで口に運んだ。
「何これ。うまいじゃん」
「食べてないの」
「食ったよ」
つまんだ指を口に入れて舐める。そのしぐさが色っぽくて俺は赤くなる。
「ポン酒じゃん」
心臓が口から飛び出そうになった。ああ、もう、気づかれた。言い訳が思いつかない。
「正直に話したほうがいい?」
墓穴を掘った。下を向く俺に余田さんが頬杖をついてほほえむ。
「言いたくなきゃ言わなくていいよ」
ひと切れ残ったカルパッチョに俺は箸を伸ばす。すると余田さんが顔を寄せた。
「食わせてくれよ」
まさか、次に来る言葉は。求められる行動は。
余田さんを見る。笑ってる。
「この酔っ払い」
にらみつけても笑ってる。
「生中二杯だけしか飲んでねえよ。俺にとっちゃ飲んだうちに入らねえ」
「何をしろって言うんだよ」
「『あーん』してくれよ」
「なんでだよ」
箸を持つ手が震える。余田さんが体を寄せた。
「最近、日野さんに、迷惑かけてばっかだっただろ。夕菜のこととか」
なんでこんな時に昔の女の話が始まるんだよ。そのせいで俺はむかむかして、腹の中を真っ黒にしてたのに。
「俺はもう日野さんのものなんだよ。今日だって日野さん一人になっちゃうから、途中で帰ってきたんだぜ。俺、やるだろ? そういう勘、よくはたらくんだよ。だから、よしよししてくれよ」
それで「あーん」してくれって言ってるのか。わかるような、わからないような。
聡がほほえみながら俺を見ている気がした。
(誠司。余田くんに、してあげなさい)
俺はカルパッチョの最後のひと切れを箸で持ち上げた。
「あーんして」
余田さんが開けた口に入れる。閉じた口から箸を引き抜いた。余田さんが俺を見る。目つきに色気を感じて俺の体がぞくりとあわ立つ。
余田さんが俺を見つめたまま噛み、飲み下す。
そのままキスしてきた。
「もう」
怒ってにらみつけるけど、本心は抱きつきたくてたまらない。
「ポン酒飲んでた?」
「飲んでたさ」
「めずらしいじゃん」
「そういう日もあるんだよ」
聡にお供えしてたなんて言えない。
「そういや、来月、お盆だよな。三品にも何かお供えものするか」
だめだ。余田さんに隠し事なんかできない。
「怒らない?」
「言ってみな」
「夕菜さんのことでやきもち焼いてた。それで聡に日本酒とカルパッチョお供えした」
「何だそれ」
またキスされる。やっぱり酔っ払いだ。俺はぷいと横を向く。今度は抱きしめられた。頭をよしよしと撫でられる。でも、突き飛ばす気にはならない。余田さんの肩にこてっと頭を預ける。
「聡の動画も見てた」
よしよしは続く。こうなったらあれも話そう。
「アイス、買ってきた」
「なにアイス?」
「塩アイス。頭を冷やそうと思って。余田さんのぶんもある」
余田さんの手が止まる。止まった手が俺の背中に下りてくる。胸と胸が重なる。
「頭冷やすんなら、アイス食うより、もっといい方法があるぜ」
俺の耳もとで余田さんの熱い息とひそめた声がする。それらが俺の中に熱いままゆっくりと注がれる。恥ずかしくて、もっと注いでほしくて、俺は余田さんにしがみつく。
「どんな方法?」
答えはわかっている。わかっているけれど確かめたくなる。
「ポン酒どうすんだよ」
さらに耳に吐息がかかる。俺はまぶたを伏せた。
「あとで料理にでも使うよ」
「テーブルの上、終わったら、俺、片づけるよ」
「ありがと」
「何でもするぜ。日野さんがしてほしいこと、何でも」
食卓に乗ったままの丼の容器とか皿を視界の隅にとらえながら俺は余田さんと席を立つ。
やきもち焼いて損した。
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