第28話 「本と黒塚先輩の観察眼」

放課後、校舎裏のベンチ。座白は黒塚先輩の隣で文庫本を手にしていた。穏やかな風がページを揺らし、静かな時間が流れる。




「ねえ、座白君」


「……何ですか」


「何を読んでるの?」




黒塚先輩はいつものように涼しい顔で問いかけてくる。座白は少し顔を上げて、本の表紙を軽く見せる。




「ミステリー小説です」


「へえ、座白君らしい選択ね」




黒塚先輩はそう言いながら、少しだけ身を乗り出して続ける。




「ところで、座白君はある事実に気付いてる?」


「ある事実?」




唐突な質問に、座白は一瞬だけ本から視線を外した。黒塚先輩の表情はどこか意味深だ。




「例えば、車好きな人は車が目に入ると車のことを考えるし、カフェ好きな人はカフェが目に入るとカフェのことばかり考える。他の人にとってはどうでもいい情報が、その人にとっては特別重要になる……そんな感じ」




座白は軽く眉をひそめる。




「それで?」


「その点、私は本好きな人は、本に目が行くのだと思うの」




黒塚先輩の声にはどこか柔らかい響きがあった。視線が自然と座白の手元の本に向けられていることに気付いた座白は、ほんの少し苦笑する。




「先輩は本好きなんですね」


「ええ、そうよ」




黒塚先輩は微笑んで、目を閉じた。少しの沈黙が流れた後、ふとつぶやくように言葉を続ける。




「だからね、座白君がこうして本を読んでいるのを見ていると、少しだけ嬉しいの」


「それは……僕にとっては予想外ですね」




座白は軽く首を傾げる。




「本が好きな人を見ると、つい気になってしまうのよ。どうしてその本を選んだのかとか、何を感じながら読んでいるのか、とかね」


「そんなに観察されてるとは思ってませんでした」




座白の返事に、黒塚先輩は軽く笑った。




「観察ってほど大げさなものじゃないわ。ただ、私は本が好きなだけ。座白君はどう?」


「どうって、何がですか」


「本が好き?」




その質問に、座白は少し考えるように目線を上げた後、静かに答える。




「嫌いじゃないですね。ただ、どちらかというと暇つぶしに読む感じです」




その答えを聞いた黒塚先輩は、ほんの少し不満げに口をすぼめる。




「ふうん……じゃあ、座白君が心から楽しんで読んでる本って、どんな本なのかしら」


「さあ……それは、まだ見つかってないかもしれませんね」




黒塚先輩は少し考え込むように目を細め、そして満足したように頷く。




「じゃあ、いつか座白君に、私が好きな本を教えてあげるわ」


「期待しないで待ってます」




その淡々とした返事に、黒塚先輩はまた微笑む。




「ふふ、楽しみね」




夕暮れの空の下、二人の静かなやりとりだけが響いていた。

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