公爵令嬢、名付けを行う

 仔リザルド達が生まれてから新しい月に入った。

 自宅である城の敷地内に拓かれた牧場にやってきたサンクトゥルシアは入口横の事務所前に立っていたリースの姿に目を見開いた。

 ニアクリスタルをずっと育て、ニアクリスタルと一緒にサンクトゥルシアの牧場に移籍してきた小柄な厩務員は、六匹の小さなリザルド達に攀じ登られていたのだ。その顔も服装も雰囲気も、見るまでもなくボロボロで今にも土砂崩れでも起こしてしまいそうだ。

「なんていうか、大変そうね?」

「良ければ代わってもらえます?」

 普段のリースであれば決して公爵令嬢に向けてそんなぞんざいな口の利き方をしないのだが、余りにも疲労と苦労の積み重ねが溜まり過ぎて限界突破してしまっているらしい。

 しかしサンクトゥルシアはそんな従業員の訴えを軽く微笑むだけで受け流してしまう。

「みんな随分と器用に人の体に登るのね」

「ええ、まぁ、チビ共にとっちゃ大人の体に登るのが大事な体作りですからね。あ、こら、噛むな、髪を噛むな。んっ、そうやって体に筋肉付けて、それと大人の結晶を齧って自分の、ちげーよ、オレの髪食ってもお前の体になんも析出されてねぇっての! 何回言わせんだ、このバカ! すみません、で、えーと、大人の宝石や鉱石を齧って自分の体に取り込むんですよ。だから本能で登ります。登るだけならいいんですけど、齧ります。だから止めろって!」

 説明している間にもその通りに頭の上まで攀じ登ってきた仔リザルドに髪を齧られているリースと言ったら憐れでしかない。元から髪の手入れに力を入れていなくて跳ねているけれども、今は輪を掛けて枝毛に切れ毛、途中で一回転してしまっている毛、涎が乾いて固まっている毛などお世辞にも公爵家で務めている人物とは言い難い。

「最初に孵ったのはどの子?」

 見るに見かねた、という訳では全く以てないのだけれども、サンクトゥルシアはどれも似ていて区別出来ない仔リザルドのうちの一頭を求めて手を差し出した。

 リースは迷いなくふくらはぎに四つ足全部使って抱き着いていたリザルドを片手で抱き上げる。

「こいつです。普段はニアクリスタルのとこにいる方なので、肌に水晶がうっすらと出てて光を反射しているのが分かります?」

「ああ、そうね。確かに、半分の子は輝いているの、それでどっちが育てているかくらいは見分けられそうね」

 リースがついでで教えてくれた個体の違いをその目で確かめながら、サンクトゥルシアは最初に生まれた子供を受け取り、さらに後ろに控えていたカルペディエムがペンキの入ったバケツを手に提げてサンクトゥルシアの前に跪いた。

 サンクトゥルシアは器用に抱き上げた仔リザルドの腋に手を差し込んで前脚をカルペディエムに向けて伸ばさせる。

 カルペディエムは刷毛でサッと白いペンキをリザルドの前足の甲、拳を握り込むと蹄として機能する硬い瘤に塗った。

 サンクトゥルシアは前脚の甲にペンキを塗られたその子をリースの方に押し付けると次に生まれた子供を同じように要求する。

「どうせなら識別した奴から順番に除けていってほしいんですけど」

「でも、リースに登っている方がみんな落ち着いている様子じゃない。まだニアクリスタルに返す訳にもいかないのだから」

 そう、今日に限ってニアクリスタルに育てさせている子供も、人工飼育の子供達と一緒にしているのはきちんと理由がある。

 リース以外にも個体識別出来るようにペンキを塗っているのは実はついでの用事で、今日一番の目的はこの後、仔リザルド達を鑑定してもらうことだ。

 熟練のリザルド鑑定士の目でそれぞれの素質や健康を詳らかに検めて貰い、それを元にそれぞれどう育てていくのかを検討するのは最高品質のリザルドを生産するには必須の行程だと言える。

 何はともあれ、その前にこうして個体識別出来るように色分けして鑑定途中で中身が入違わないようにしている。

 そしてその色を決めたのはサンクトゥルシアである。

 生まれた順番に、白、青、金、水色、橙色、銀色に前脚の甲を塗り分けられた子供達の中には、塗られたペンキが気になるのかリースから落ちて頻りに自分の色を見ているのもいる。

「最初の仔は、ホノル・ビェールイ」

 白く塗られたその子は地味な肌の色にはっきりと浮かぶペンキも気にならないようでリースのお腹から頭頂部を目指している最中だ。

「次はホノル・スィーニィ」

 二番目に生まれてこちらもニアクリスタルに育てさせている青の仔は尻餅を付いて前脚の甲の匂いを嗅いだり舐めてみたりとチェックを入れている。リザルドは元々悪食を極めているので、松脂や油煙も含まれているペンキを口に入れても何の心配もない。

「わたしが取り上げた仔は、ホノル・ザラトーイ」

 リースの頭の上に陣取った金色の仔はそれが自分の名前だと悟ったのか、それとも孵った時に掌に乗せてくれていたサンクトゥルシアの声が自分に向いたのが嬉しかったのか、幼さで高い声で鳴いて返事をした。

「ホノル・ガルボーイ」

 ニアクリスタルに預けられた最後の一頭、水色の仔はリースの肩で後ろ立ちしてザラトーイから頭頂部を奪ってやろうと狙っている。

「ホノル・アラーン」

 オレンジに塗られたその子はリースの背中に器用に寛いでいる。

「最後の仔がホノル・シリェーブ」

 こちらも銀色に輝く顔料が気になるようでリースの足の後ろでじっと自分の前脚の甲を見詰めている。銀色にするために輝きが含まれたペンキが、実母から離された自分にもやっと宝鉱石が析出したのかと思っているのかもしれない。

「それぞれ名前の意味と同じ色で分けたわ」

 ゲムリザルディア子爵に約束した通り、律儀に彼のファーストネームを冠名にした上でフルネームで名付けを宣告したサンクトゥルシアは、最後にそうリースに向けて付け足した。名前の意味も知っていた方が良い育成が出来ると考えているのかもしれない。

「色? あんま聞いたことない言葉ですけど、どこの言語のです?」

「わたくしが取引をしている極北の国の言葉よ。極寒の地で生活するからか、寡黙ながら力強さを秘めた振る舞いをする民族なのよ」

「はーん……?」

 リザルド一辺倒な人生を歩んでいるせいで政治や民族には至って疎いリースは教えられてもちっともピンと来なかった。

 ただ語感がエスニックでやけに耳に残り、それと勇猛な印象は確かに受けると思ったくらいだ。

「あとで紙に書いて一覧貰っていいですか? あ、色付きでお願いします。耳馴染みがなさすぎていっぺんに覚えきる自信ないんで」

「はぁ」

 リースが余りにも詰まらない返事しかしないものだから、サンクトゥルシアは聞こえよがしに溜息を吐いてしまった。

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