公爵令嬢、掌の上でリザルドを孵す

 ニアクリスタルの産卵から二週間が経ち月も間もなく変わろうとしている。

 ニアクリスタルはしっかりと抱卵をしていて医者の検診でも六つとも順調に育っていると報告を受けている。

 そして今日、サンクトゥルシアの元へ牧場から伝令が跳んできて、サンクトゥルシアもリレーのように伝令と入れ替わりで同じ道を逆向きで早足を進めた。

 サンクトゥルシアが牧場に到達すると、ニアクリスタルを複数人が棒で押さえて巣に入らないようにしており、リースが巣に屈んで卵を睨んでいた。

 巣に入るのを邪魔されているニアクリスタルだが抵抗もなく、彼女が地面に接するくらいに近付けた顔の側から、ピィピィとキーの高い鳴き声が聞こえる。

 サンクトゥルシアが目を凝らせば掌に乗りそうなサイズで親よりは幾分か丸っこいシルエットの生まれたてのリザルドが、母親のニアクリスタルに顔を擦り付けて甘えている。

「ああ、お嬢様。いらしたんですね。二つはもう孵りました。次がそろそろ孵りそうです」

 サンクトゥルシアの到着に気付いたリースが手招きをする。

「思ってたより危なくないのね?」

「まぁ、ニアクリスタルは特別です。大人しいってのが突き抜けたやつですから」

 つい五ヶ月前、弟の出産に際して城中に響き渡る絶叫をアンが上げていたのはサンクトゥルシアの記憶に新しい。

 人間ですらそうなのだから、動物の出産というのは危険が伴うと思っていた。ましてや生まれたばかりの子供を半分とは言え人の手で取り上げるのだから。

 リースは事前にリザルドの孵化の際に子供を取り上げるのは牧場で良くやられる手法だと聞かされていても、実際に目の当たりにすると戸惑いもする。

 リザルドの子供を生まれた瞬間から親から離すのは、子供の進化を計画している時、特に親とは違う宝鉱石で進化させたい時に取られるものである。

 リザルドの親は子供が生まれて直ぐに、自分の体に析出している宝鉱石を食べさせる。そうすることで子供の進化が促されて早い段階から強くなるのだ。

 しかしこれを許すと当然、子供には親の宝鉱石の因子が混ざり、他の宝鉱石で進化を狙っている場合には純度が下がってリザルドの素質が混濁してしまう。

 なのでリザルドの牧場では最初に孵った子供を親に預けて気を反らし、その間に他の子供を人の手で隔離する。

 サンクトゥルシアはリースから隔離するかどうか事前に相談を受けていて、半分をニアクリスタルの元で、半分を隔離して人工保育で育てるようにした。

 ニアクリスタルの子育て経験と自然な育成からは強い個体が期待出来る。彼女の水晶もピュアクリスタルリザルドを目指すのであればむしろ有意義だ。

 隔離する方はサンクトゥルシア含めて牧場の従業員に初心者が多いのが不安ではあるけれど、サンクトゥルシアが最終的に作出したいのはガーネット系列のカーディナルブラッドリザルドだ。こちらへ進化を促す子供達には、ニアクリスタルの純度の高い析出水晶であっても与えるのは避けたかった。

 サンクトゥルシアは次に殻を破りそうな卵を掌に乗せて指で突いているリースの横に膝を折る。

「こうして指で叩いてやって赤ん坊を呼ぶんです。リザルドだと口先で突きますね、その真似です」

 リースが突くと時折中の子供が反応しているようで卵が掌の中で揺れる。

「この子、私にやらせてくれる?」

「え? えっと、いいですけど、生まれてすぐでも噛まれたり引っ掻いたりしてきますから気を付けてくださいね? 弱っちいですけどその分加減も利かないんで、痛いですし出血することもあります。殻破ったら指を引っ込めてください」

「ええ、分かったわ」

 少し目を鋭くして釘を刺すリースに向けてサンクトゥルシアはしっかりと頷きを返して手杯てつきを作る。

 そこにリースがころんと卵を転がして来た。

 朝食に出た茹で卵と違って石みたいな硬さがなくて、熟れ過ぎた葡萄のような弾力と滑らかさがある。

 力加減を間違えたら突き破ってしまいそう、と少しの緊張で震える指先でサンクトゥルシアは卵の殻を突く。

 すると掌に足が踏ん張るような感触が返ってきた。この中に生きているリザルドの子供がいるんだとはっきりと伝わってくる。

 サンクトゥルシアは喉の奥を突く衝動をごくりと飲み込んで、隣で別の卵を取り上げたリースの手元を見ながら、同じリズムで手の中の卵を突く。

「いい感じです。上手ですよ」

「そう。ありがとう」

 リースの励ましにサンクトゥルシアも僅かに自信を付けて卵の中の胎児への刺激を繰り返す。

 五分か、十分か、四半刻は経っていないけれど確信は持てないくらいの時間が過ぎて、その瞬間は訪れる。

 ぷちり、と卵の殻が内側から破られた。

 サンクトゥルシアはリースに言われた通りに指を引っ込めてリザルドの赤ちゃんが自分で殻を食い破る様をじっと見守る。

 親よりも丸っこくて、けれど親のように突き出した吻が最初に殻から突き出てきた。

 懸命、という言葉がサンクトゥルシアの脳裏に浮かぶような忙しない動きでリザルドの子供は口を開け閉めして殻に開けた穴を広げる。

 そうして小さな、けれど確かに煌めいた瞳が覗いたかと思うと、顔を押し込んで外界へとリザルドの子供は現れた。

「ピャアウ!」

 その子はサンクトゥルシアの顔に向けて最初の一鳴きを上げた。

 随分と彩度の低い暗緑色でほとんど黒に見えるような色合いをしたリザルドだった。

 サンクトゥルシアの手の中で孵った子供は勇ましく体を揺らして卵の殻を引き千切って全身を空気に晒していく。

「生まれましたね。おめでとうございます。最初に自分の殻を食べるので、それで済むまではそのまま動かないでください」

「ええ……」

 サンクトゥルシアはリースの指示も半分聞き流して、リザルドの子供が自分で突き破った殻を啄むのをじっと見詰める。

 はぐはぐ、と殻を噛んでは飲み下していく姿は、掌に乗るような小さなサイズを相俟って、なんとも愛らしい。

 勝手に振れた尻尾で殻が顔の方へと転がって来ると、それまで啄んでいた大きな欠片を忘れたようにそちらに顔を向けて、素早い動きで首を伸ばして咀嚼を始める。

 試しにサンクトゥルシアが掌を傾けて先に食べていた殻を仔リザルドの近くへ転がすと、面白いくらいに素直にそちらに食い付きだす。

「可愛い……リース、この子は私が育てるわ」

「ん、分かりました。隔離の方ですね。満足したらその子はあっちにある籠に移して、あと二頭隔離するのを選んでくださいね」

 リースの反応はあっさりしたもので、サンクトゥルシアはちょっと不満をうたぐませる。公爵令嬢として頬を膨らませるようなみっともない行為はしないが、リースの涼しい横顔はキッと睨んでやった。

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