第13話 太田檸檬は困り果てる。③

 「ダブルスだと?勝手に決めるな。」


 硬式テニス部の男子が太田檸檬に詰め寄る。そりゃそうだろう。勝手に勝負をふっかける奴なんてそうそういない。ましてや決定事項を覆すような勝負だ。


 「そうだよ檸檬ちゃん、それにあの人って・・・知り合いなの?」


 吉井先輩と呼ばれる女子が俺を心配するように視線を送ってくる。そのまま助けてくれないかな。


 「知り合いです!部屋が隣なので!」

 

 それだけじゃ知り合いにならんだろう。それに今朝が初めましてなわけだし。吉井先輩もさすがに否定するはずだ。


 「そっか、お友達だったのね。」


 違っっっうっっっ!!!なんでそんなにすんなり受け入れられるの?それにしりあいから友達にランクアップされてるし。


 「そうなんです!だからあの人と組んで、ダブルスで勝負です!」


 いい加減こっちから否定しておかないとどんどん話が進んでしまいそうだ。ジロジロ周囲から見られるのも面倒だし。否定の口火を切ろうとするが、それに硬式テニス部の男子が割り込む。


 「あのなぁ、仮にダブルスで勝負したとしよう。あんたらが勝ったら、学連の申請を取り下げる。それで俺らが勝ったらどうするんだ。何もメリットがない。」


 俺が否定する隙を与えずに、話は進んでいく。


 「メリット・・・なら、あります!」


 少し戸惑う様子を見せる太田檸檬。決心ついたように、男子に一歩近づく。


 「私が負けたら、何でも言うこと聞きます。」


 先ほどまで騒がしいくらいに声を張り上げていたが、この一言だけは冷静に何か覚悟を決めたようだった。


 「ほう、何でも?それは本当に何でもいいんだな?例えば・・・私的な目的でも?」


 硬式テニス部の男子は、太田檸檬を下から上までじっくりと観察して、下卑た視線を送っている。


 「・・・はい。そう捉えてもらって構いません。」


 馬鹿かあいつは。自分を犠牲にしてまでソフトテニスサークルの活動を認めさせようとしているのか?何の義理があって?そもそも本当になぜここまで意地になっているのだろうか。


 「いいだろう。その勝負のった。」

 「檸檬ちゃんダメだよそんなの!」


 さすがに吉井先輩も止めに入る。


 「いいんです。これは私が提案した勝負なんです。吉井先輩には何の影響もないので安心してください。」


 ニコッと笑顔を作って、いつも通りの姿を吉井先輩へ見せる。

 俺も止めに入るべきなのだろう。しかし、この場に口を挟むことが出来ない。なぜなら太田檸檬が、チラチラと俺に視線を送ってくるからだ。「何も口出ししないで」と目で訴えてきている。勝手に決めといて、その上視線で俺に指図するとは、生意気にも程がある。


 「それで、ダブルスって言っても、硬式と軟式どっちでやるつもりなんだ?」

 「軟式でやらせてください。」


 硬式と軟式での大きな違いは、ボールの柔らかさだ。両方ともゴムであることに変わりはないのだが、硬式はゴムの周りをフェルト素材で覆われており、軟式はただのゴムだ。

 球をラケットで捉えた瞬間のインパクトの大きさは硬式の方が大きいが、軽く当たっただけでもそれなりに飛ばすことができる。その分体とラケットをうまく使わないとコート内に球を落とすことが出来ない。

 一方軟式は体の回転をしっかり使わないと遠くに球を飛ばすことは出来ない。あとは球に乗せる回転も重要だ。もちろん硬式においても言えることではあるが、球を飛ばす、ということに関しては軟式の方が難しい印象だ。

 基本的な体の使い方は同じであるから、硬式経験者が軟式をやろうと、その逆であろうとそれなりに球を打つことは可能だが、経験者からすれば別物と言わざるおえない。それゆえ、軟式経験者が硬式で硬式経験者に勝とうなんて到底無理な話だ。

 太田檸檬もそこは理解しているようで、軟式を提案したのだろう。


 「軟式ねぇ。つまりお前たちの有利な条件でこの勝負をやろうってわけだな?」

 「そうです。」


 当然の反応だ。さすがに一筋縄ではいかないと思っているのだろう。


 「それならこちらからも条件がある。それを飲んでくれたら軟式で勝負してやる。」

 「わかりました。内容を伺っても?」


 無言で硬式の男子学生が頷く。


 「時期の設定と練習についてだ。俺たちは2週間後に春季大会がある。それが終わってさらに1週間後に試合をすること。そしてその期間、硬式がこのコートを使うこと。軟式は外部のコートを使うこと。それに関して文句を言わないこと。」」


 なんか3つくらいに聞こえたけど、大きく括れば2つと判断できなくもないな。まぁ軟式で勝負してくれるってことが、こちらにとっては一番の有利ではあるから、妥当な条件といったところだ。

 それにしても、あっちの練習期間は一週間か。思ったより短い。一週間で調節できるということはそれなりに自信があるのかもしれない。


 「わかりました。それでやりましょう。」


 太田檸檬は首肯する。

 しばらく無言を貫いている吉井先輩は相変わらずおどおどしている。今の構図的にソフトテニスサークルVS硬式テニス部と言うより、太田檸檬VS硬式テニス部といった感じの個人競技になっている。そこに吉井先輩が介入する余地がない。


 「じゃあ決まりだな。せいぜい頑張るこった。」


 手に持ったラケットを振りながら、硬式テニス部の男子生徒はコートへ戻る。周りの外野もそれを見届けて散りじりになる。

 残ったのは、若干俯き加減の太田檸檬とどう声をかけるべきかあぐねいている吉井先輩、そして二人から少し距離を取る俺。テニスコートから硬式テニス部が活動する音だけが聞こえる。

 何か声をかけるべきなのだろうか。しかし、俺は巻き込まれた側、被害者といっても過言ではない。

 「面倒なことに巻き込みやがって。」もちろんこれが俺の本心。昔の俺ならすぐに言葉にしていたに違いない。けれど、TPOを判断できるようになっているが故、その言葉は今発するべきではないと理解している。

 正直、俺にとってソフトテニスサークルの存亡なんて関係ないし、興味もない。俺の承諾もなしに、太田檸檬が勝手に話していただけ。つまりは、この勝負断ることができる。そもそも俺の中で決まってもないことなのだから、そこに断るも何もないのだが。

 そもそもなぜ俺を選んだのか。俺がソフトテニス経験者と知っていたのか?なぜ吉井先輩をペアに選ばなかったのか?疑問しかない。

 いずれにせよ、俺は乗らない。

 俺は部外者、この場を他の外野と同じように無言で立ち去るのが1番の選択肢だ。来た道を戻ろうと一歩踏み出した時だった。

 後ろから早歩きで誰かが近づいてくる気配がして、気付いた時には俺の右腕が引っ張られていた。


 「檸檬ちゃん!」


 吉井先輩が太田檸檬を呼び止める。引っ張ったのはもちろん太田檸檬だった。吉井先輩の声に立ち止まるが、後ろを振り返らずに、俯きながら


 「すみません。先輩は気にしないでください。」


 そう言って再び俺の腕を引っ張り早歩きを始める。吉井先輩はどんな顔をしていただろう。呼び止めたその声に悲しみが含まれているのは俺でもわかった。だから、きっと「哀しい」顔をしているだろう。


 


 

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