19. 勝利

 前屈みになったままギルティナが飛び掛かってくる。


 とっさにマホちゃんを担いで身を躱したけど、ギルティナが打ち下ろした拳は床を深々と陥没させて、階下に通じる小さな穴を作ってしまった。

 こんなの一撃でも食らったら、とてもタダじゃ済まない!


「ぎゃあああっ! たた、助けてっ」

「ちょ! 暴れないで、マホちゃん‼」

「私を助けるんでしょ⁉ だったら早くなんとかしてよぉ‼」

「わかってますからっ」


 取り急ぎ、気絶しているメミィの後ろへとマホちゃんを放り投げた。

 もしもの時はメミィの頑丈な体を盾にしてね!


「ふしゅるるるる……っ」

「あっ。拳が……‼」


 ギルティナの拳は酷く傷ついていた。

 さっき床をぶち抜いたパンチはまさに一撃必殺の威力だったけど、同時に限界を超えた一撃だったんだ。

 とんでもない力を得た代わりに、ギルティナは自分の肉体すら壊してしまう。

 このまま戦い続ければ、間違いなく彼女は死んでしまう。


「ルシアさん、彼女にかけた法術を解いて! このままじゃ――」

「そうしてほしければ、自ら命を絶ちなさい! 今のギルは、あなたが生存している限り死ぬまで戦い続けるバーサーカーなのですよ‼」

「酷い……っ。あんまりだよ‼」


 仲間を死なせかねない状況なのに、ルシアさんは平然としている。

 こんな酷い人だとは思わなかった――いや。これが彼女の本性なんだ。

 ……許せないっ。


「ギルティナ、正気に戻って! このままルシアさんに利用されるままでいいの⁉」

「うおおおおおっ」


 ギルティナにあたしの言葉はまったく届いていない。

 彼女の猛攻は止まらず、すぐさまあたしを追いかけてくる。

 全身の筋肉は軋んでいるし、闘気の流れも滅茶苦茶で、どこを攻撃してくるか検討がつかなくなってしまった。

 今はもう勘で躱し続けるしかない。


『グゥよ。貴様、なぜ反撃をしない』

「だって、攻撃すればギルティナが……っ」

『やらねばやられるぞ』

「でも、殺したくないっ」

『甘い娘だ。裏切られ、殺されかけ、それでもなお敵の女を殺したくないと?』

「だって……人間同士で殺し合うなんて間違ってるでしょ‼」

『……』

「いぎっ」


 パン様と話すことで集中が削がれて、ギルティナの拳が頬をかすめた。

 それだけでほっぺたの皮膚がえぐり取られてしまった。

 なんて威力……まともに食らったら、今のあたしでも絶対に死んじゃう!


『グゥよ。貴様にはまだわからぬかもしれぬが、殺してやることが救いになることもある』

「集中できないっ。話しかけないでってば!」

『望まぬ戦いを強いられたのなら、尚更だ』

「何言ってるかわかんないよっ」

『ギルティナは確かに生粋の格闘士ウォーリアなのだろう。余から見ても、凄まじく鍛え上げられた肉体に、練り上げられた技量を持っている。それゆえに、あの女神官プリーストにいいように使われることが無念なのだ』

「だから何言ってるのさっ⁉」

『貴様には視えぬのか、ギルティナの無念が! 魂の慟哭が‼』

「ドーコク⁉」


 直後、ギルティナの拳が床に突き刺さった。

 あたしはすぐさま肩を蹴って彼女から距離を取り、その姿を見据えた。


『奴は今、屈辱に魂を震わせているぞ』

「魂……」


 ギルティナから噴き上がる赤黒い煙は勢いを増している。

 まるで体内の血が沸騰して煙を上げているみたい。

 それに、表情もますます人間離れしてきた。

 両目が赤く充血して、血が頬を伝っている。


『視えたか?』

「まるで泣いてるみたい」

『魂の慟哭が血涙という形で肉体の表面に現れたのだろう。あやつは自身の意思とは無関係に戦いを強制される哀れな操り人形――今、奴を助けられるのは貴様しかおらぬ』

「うううっ」

『どの道ギルティナの肉体は限界だ。もう長くあるまい。奴が自壊する前に、貴様の手で止めてやれ。同じ格闘士ウォーリアとして――真の決着と共に送り出してやるがよい』

「ううううぅぅ~~~っ」


 ギルティナが闘気を放出しながら走ってきた。

 手足の筋肉が裂け、血が飛び散っている。

 それでもなお彼女は走るのをやめない。

 真っすぐにあたしへと向かってくる。


『悪意に利用されたまま果てるより、その方がよっぽど救われよう‼』

「うわあああぁぁぁ‼」


 闘気を練りだした時、あたしはすでにギルティナの間合いにいた。

 でも、それは向こうも同じこと。


 お互い同時に拳を突き出す。

 その刹那、あたしはさらに足を踏み込み、腰を捩じり、肘から先を回転させて、全身全霊の闘気を拳に乗せた。

 ほんの少しだけ早く、あたしの拳がギルティナへと届く。


「回転集中・グースクリュー‼」


 分厚い腹筋を突き破った――そう思った。


「えっ⁉」


 拳が腹筋にめりこむ感覚があったのは一瞬。

 すぐにあたしの拳は分厚い腹筋に押し返されてしまった。


 見れば、ギルティナの全身から放出されていた闘気が腹回りに集中している。

 闘気を一点に集めたことで、あたしの渾身の一撃でもお腹を突き抜けなかったんだ。


「……ガキのくせに大したもんやで」

「ギルティナ⁉」

「気合の入ったパンチをもろて、なんとなしに目ぇ覚めてしもたよ――」


 ギルティナは吐血した。

 腹筋で止めたとはいえ、あたしの一撃はたしかにギルティナを打っていた。

 内臓がただじゃ済まないのは当然のこと。

 なのに、ギルティナは血を吐きながらも笑っていた。


「――どうせ負けるなら、真っ向から敗北を認めたいやろ?」

「……」

「ウチの負けや。強なったなぁ、グゥ」

「うん。あなたのおかげで強くなれたよ」


 ギルティナはニカッと笑った後、両膝を折った。

 闘気は四散し、体から噴き上がっていた煙も消えていく。

 ……決着だ。


「あっ」


 そう思った直後、あたしの腹部に鋭い痛みが走る。

 何が起こったのかと見下ろしてみると、お腹に銀色の剣が突き刺さっていた。

 その剣はギルティナのお腹を貫通し、あたしにまで届いていたのだ。


『グゥ‼』


 パン様の慌てる声なんて、らしくない・・・・・

 これ、もしかしたらヤバいかも……。


「ワレェ……何をしくさる、ルシアァァァ‼」

「ここしかないと思ったもので。ギルも、ただ負けるのではつまらないでしょう」

「ふざけ……ぐはっ」


 一気に剣が引き抜かれて、あたしのお腹から血が噴き出た。

 ギルティナが倒れて見えたのは、血まみれの剣を舌で舐め上げているルシアさんの姿。


「素晴らしい強さでしたよ、グゥさん。でも、隙を見せてはダメでしょう?」

「ルシ……ッ」


 力が入らない。

 血が止まらない。

 痛みが引かない。


 どこで剣を手に入れたのかと思ったら、ルシアさんが持っているのはリーダーの神聖武装だった。

 彼から奪っただけでなく、勝手に鞘から抜いてこんな真似まで……。


「もう動けないでしょう。もしもの時に備えて、剣身に麻痺薬と血の凝固を妨げる薬を塗っておいたのです。その傷ではもう助かりませんよ、ご苦労様♪」

「あがっ」


 急に体が冷たくなってきた。

 ……何これ?


 前にお腹が空き過ぎて倒れた時とはまったく違う、嫌な冷たさを感じる。

 あたし、もしかして死んじゃうの……⁉


「さて。鏡を渡してもらいましょうか、マホさん?」

「誰が渡すかっ! 魔火炎・フレイマ‼」


 マホちゃんが杖先から炎の魔法を放った。

 でも、ルシアさんは剣を一振りして軽々と炎を散らしてしまう。

 ……この人、神官プリーストなのに剣が使えるの?


「無駄ですよ。詠唱の伴わない簡易魔法など造作もありません。私を殺したいなら、真っ当な魔法を使ってくださいね。まぁ、詠唱が終わるまでに斬りますけど」

「あ、あんた、神官プリーストじゃなかったの⁉ なんで剣が扱えるのよっ」

「そんなこと、これから死ぬあなたに教える必要ありますか?」

「ひぃっ! こ、こっちにこないでっ‼」


 ルシアさんがマホちゃんの方へと歩き始めた。


 いけない。

 このままじゃマホちゃんが……。

 でも、どうしても体が動かせない。


『天使のような笑顔の下に悪魔の本性を秘めていたか。外道だな、あの女』

「パン……様……」


 あたしの目の前には、怒髪天を衝いている――ように感じる――パン様の姿がある。


『そもそも狂禍の法術は、教会勢力の暗部に属する者が使う下法。あのルシアという女、真っ当な神官プリーストではない。このまま好きにさせるのは気に食わぬ』

「パン様――」


 ……ぐぅ。


 死にかけている時でも、お腹は空く。


「――むぐっ‼」


 突然、パン様が先っぽをあたしの口に突っ込んできた。


『余を食せ、グゥ! あの外道に裁きの鉄槌を食らわ――』


 口上の途中だったけど、あたしの口に触れたパン様の体――三分の二くらい――は、すでに喉を通って胃袋に直行している。

 しっかり噛んでもいないのに、舌を滑って喉を落ちていくパン様の欠片は、一瞬にして飢えも痛みも寒さも吹き飛ばしてくれた。


「……なんですって?」


 あたしが立ち上がったことに気付くや、ルシアさんは困惑の表情を見せた。


「親身になってリーダーを支えていたあなたのこと、すっごく尊敬していた。なのに、何度あたし達・・・・を裏切れば気が済むの」

「馬鹿な。確かに急所を突いたはず! なぜ立ち上がれるの⁉」

「やっつけてやる……外道のルシア‼」


 全身から立ち昇る闘気が、まるで熱湯に身を浸しているかのように熱い。

 気持ちも昂っているのか、暴れたい欲求が抑えられない。

 これほど誰かを殴りたいと思ったのは、生まれて始めて‼

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