【13】晁へ
「死にたくないか?」
朱峩は阿宜の眼を見据えて言った。
阿宜はその言葉に、無言で激しく頷く。
「お前が俺の命に従うのであれば、助けてやらんでもない」
「な、何でもします。
お願いです。
助けて下さい」
「実は<断点>に対する<通点>という場所があってな、そこを突けばお前は助かる。
どうだ、助けてやろうか?」
「ど、どうかお願いします。
助けて下さい」
すると朱峩は立ち上がり、這いつくばって彼に命乞いをする阿宜を、冷酷な眼で見降ろした。
「先ずはこれから問うことに答えろ。
何故お前は
「い、いえ。胡羅氾殿に手を貸しているなど、滅相もありません。
私はあの魯完という男に騙されたのです。
あの男が王命であると、私を
その言葉に反応したのは、二人のやり取りを聞いていた
「嘘を言うな!
先程姫に問い詰められて、胡羅氾の名を出したではないか!」
それを聞いた朱峩は、阿宜に険しい目を向けた。
「ほお、この期に及んで虚偽を吐くとは、いい度胸だな。
お前、今すぐ死んでみるか?」
「ひぃぃぃ。申し訳ございません。申し訳ございません。
二度と嘘は申しません。
何卒、何卒ご容赦下さい」
「ではもう一度だけ訊くぞ。
何故お前は
無様に這いつくばる阿宜を、朱峩は冷たい眼で見降ろして言った。
「胡羅氾殿とは以前から、互いに自国の国権を握り、時を合わせて晁を攻め取ろうと盟約していたのです。
それで今回、曄姫の捕獲に協力するよう依頼され、手を貸したのです」
「あなたは何を言っているのですか!
他国を侵すのは、<耀律(耀の国法)>で禁じられているのですよ!」
彼の言葉に声を上げたのは伽弥だった。
しかし阿宜は這いつくばったままの姿勢で彼女に顔を向け、憎々し気に言い放つ。
「世間知らずの姫君はこれだから困る。
今時<耀律>を守ろうという者など、どこにいるか。
誰かが法を破るのを、どの国でも待っておるのだ。
そして最初にそれを行うのは胡羅氾殿だろう。
お前が仮に曄に帰ったとしても、間もなく胡羅氾殿に国権を奪われる憂き目を見るだけなのだぞ」
「何を!」
その言葉を聞いて憤然とする伽弥たちを制して、朱峩は言った。
「屑の
そして再び阿宜を見下ろすと、冷たく言い放つ。
「これからお前は、曄姫一行と同道して、晁との国境まで向かうのだ。
お前の近衛の半数は引き連れて行って、一行を護衛させる。
国境に無事着いて、姫たちが無事に晁に渡った所で<通点>を突いてやろう。
意味が解るな?」
彼の言葉に叩頭して頷く阿宜を見て、朱峩は彼らのやり取りを、固唾を飲んで見守っている伽弥たちに笑いかけた。
「ここから晁境までは、辺境伯殿が護衛して下さるそうだ」
それを聞いた一同は、誰もがほっとした表情を浮かべた。
当面の危機が去ったことを、皆が察したからだった。
その時、街道を急ぎ足でこちらに近づいて来る人影が二つ見えた。
それは<土>との争闘の場に残して来た、
息せき切って朱峩に近づいた羅先は、「片付いたようですね」と笑いかける。
傍らでは伽弥と施麻が抱き合って、互いの無事を喜んでいた。
羅先は懐から<土>の
「あの者の遺体の埋葬は、近隣の者に貨を与えて依頼しておきました」
「すまんな。手数を掛けた」
その時、羅先と朱峩のそのやり取りを聞いた伽弥の侍女
「耀で死んだ姫の護衛士と同じ理由だ。
遺髪だけでも故国に持ち帰ってやろうと思ってな」
その言葉を聞いた鹿瑛は驚きで一瞬絶句したが、直ぐに表情を改める。
「朱峩殿。もしよろしければ、遺髪を私がお預かりしてもよろしいでしょうか?」
「別に構わんが、何故だ?」
「敵とは言え、同じ曄の民。
出来ますれば遺髪だけでも、丁重に葬って差し上げようかと思いまして」
それを聞いた朱峩は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、「まあよかろう」と言って、<金>と<土>の遺髪を彼女に手渡した。
そして阿宜の近衛兵に切らせた<木>の
三人の遺髪を受け取った鹿瑛は、朱峩に一礼すると伽弥の元に戻って行った。
それを見送った朱峩は、近隣から荷車を調達して、周辺の死体を乗せている兵たちに向かって言い放った。
「もしお前たちがこれから応援を募って、主を奪い返す算段をするというのならば、覚悟を決めて来いよ。
何人連れて来ようと、その時は容赦せん。
来た者は
俺にそれが出来ぬと思うなら、相手をしてやるから、遠慮なく掛かって来い」
その激烈な脅しに、兵たちは皆、震え上がって首を横に振った。
それを見届けた朱峩は、次に一行に随行する兵たちにむけて言った。
「これから晁境に向けて出立する。
お前たちは全員で隊列を組んで、一番前を進め。
いいな?」
彼の武威に恐れをなした兵士たちは皆、その命令に諾々と従うのだった。
そしてそれから旬日の間、伽弥一行は阿宜の支配下にある三つの街を通過して、晁との国境である共水支流の
目前に掛かった橋を渡れば、そこは
橋の手前で隊列を停めた朱峩は、阿宜の近衛兵に命令する。
「お前たちはここで待機しろ。
橋を渡ったら、主は解放してやる」
朱峩はそう言い捨てると、伽弥一行を促して国境の橋を渡った。
そして北岸に達すると、豨車の戸を開け阿宜を外に引きずり出す。
「ここでお前の役目は終わりだ。
ご苦労だったな」
その言葉を聞いた阿宜は、「早く<通点>を突いて下され」と、地にひれ伏して懇願する。
その言葉を聞いた朱峩は、笑いを含んで彼に耳打ちした。
「あれは嘘だ。
人を月余の後に殺せるような、そんな都合のよい方法など存在せぬよ。
せいぜい突いた場所が痛むくらいだから安心しろ。
命に別状なくてよかったな」
その言葉に呆然とする阿宜に向かって、朱峩は口調を変えて囁いた。
「ただし、この先曄姫には関わるな。
もしこれ以上関わるようなら、必ずお前を殺す。
分かったな」
そう言い捨てて立ち上がる朱峩に、阿宜は涙を浮かべて頷くだけだった。
彼の心には命が助かったという喜びと、朱峩への恐怖が満ち溢れていたのだ。
そんな阿宜を振り返りもせず、朱峩は伽弥一行を促して、晁の国へと踏み込んで行くのだった。
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