28話 燃える星々-8 一緒なら、どこまでも

 怖がられるようなよくわからない力が、知らないうちから身についてても。

お父さんも、お母さんも居なかったとしても。

自分が恵まれてないなんて、もう思わなくなった。いつも、大好きな人達が居たから。


それは、エレナが気づかせてくれたこと。

私の側には、私の事を大事に思ってくれる人が居ること。大好きな人が居ること。

村で過ごしてた時も、この旅と戦いが始まってからも。

ずっと、大事で大切な人達と一緒に居られたから頑張れた。


だから、それこそが私なんだ。

今だって。


――


「――"ヘルド・スティグマ"ッッ!!」

「うわっ!?」


 始まって、いの一番の攻撃。

エリスの振るった刃から放たれる黒い衝撃波を、リリアは身を捩って回避する。

脳裏に浮かぶのは、前の戦闘時の事。

黒い衝撃波を受ければ激痛が全身を襲い、まともに動くことすら出来なくなった。

当然ながら、最も警戒する攻撃だった。


(あれには、当たらないようにしないと……!)


 すぐに体勢を立て直して、リリアは更に彼女へと踏み込んでいく。

警戒こそすれど、恐れも揺らぎも見えはしない。

そんな瞳と視線が重なって、エリスは微かに身震いを感じた。


(そこまで……! 末恐ろしくすら、感じる……!)


 そして向かい来るリリアに、エリスは更に刃を振るう。

更に二発放たれる黒い衝撃波に、リリアは今度は直剣を構えた。

彼女の意志に従い、刀身に眩いほどに集う精霊たち。

走る勢いを乗せて身体を回して、そしてリリアは直剣を振る。

まだ刃の届く距離には遥かに遠い、だがそれでよかった。


「"ショートインパルス"ッ!」


 リリアの一閃によって、刃に集った精霊たちが剣閃の光波として撃ち出される。

その銘が示す通り。得意技のステラドライブの派生形、

ステラドライブ・インパルスの前段だけを切り取ったような技だった。

そして。無論それは、エリスの放った黒い衝撃波を迎え撃つためのものである。

巨大な光波は二発の衝撃波へとぶつかり、爆ぜて。


「くうっ……」

「遅いっ!」

「っ!!」


 炸裂で塞がった視界を引き裂いて、既にエリスが踏み込んでいた。

黒い霧と赤黒い精霊を共に纏った刃が、今度は直接リリアへと振るわれる。

不意を打たれたが、身体はまだ動いた。ほぼ直感の元、リリアは剣を引き上げてそれを受ける。

押し合う力が拮抗して、そして2つの刃は鍔迫り合いへと移行する。


「はあああああああああ!!!」

「このおおおおおおおおおおっ!!!」


 雄叫びと共に、更に力を込めていく二人。

それを後押しするように、二人を包む輝く精霊が、黒い霧が勢力を増していく。

素早い剣戟から、力比べへと移行した戦い、の、ように見えて。


「……なんてね。"エグスアイビー"ッ!」

「わあッッ!?」


 リリアの意識がそれに傾いた、そのタイミングで。

不意のエリスの足踏みに合わせて、リリアの足元から黒い霧の触手が伸びる。


「終わりね、 "ヘルド――」


 数も、太さも。これまでの類似技の比ではなかった。一瞬で彼女を拘束しきるための、究極の不意打ち。

だが。驚きに包まれていたリリアの表情に、にっと明るさが浮かぶ。


「……こっちこそっ! "ステラブラスト"ッ!!」


 だが。その類似技を既に見ていたリリアだ。

対抗するように、既に精霊たちが包んでいた右足を一気に踏み抜く。

巨象のそれを思い起こされるような強烈な足踏み、そしてそこから広がる精霊たちが、辺り一面の床を一息に砕いた。


「くうっ!?」


 土壇場で"鉄の悪魔"の象徴的な鴉のような翼を広げ、空へと逃げ立つエリス。

彼女を捕らえんとしていた黒い霧は、この足踏みの衝撃で全てかき消されてしまった。

見上げる彼女と、再び目が合う。いや足踏みの反動によって、リリアもまた既に空中へと跳び立っていた。


「……はっ!?」

「"ステラスラスト"っ!!」


 その勢いのまま、精霊たちと共に。一瞬でリリアは彼女の背後まで払い抜けた。

剣閃の通り道を教える精霊たちは、その象徴的な翼を通り過ぎていて。

一瞬遅れて、裂かれた翼が大きく散った。


「っ――……!」


 バランスを崩して、エリスは藻掻きながら床へと落下していく。

幸運と言うべきか、飛び立った際に激しく動いてはいなかったことから床はそこまで遠くない。

だが、それよりも。

視線の先のリリアが、既に着地して体勢を整えていたことのほうがずっと問題だった。


(強いっ! リリアちゃん……貴方は、こんなにも……!)


 リリアの戦いぶりについては知らないわけではない。

だが今刃を交わす身となって、エリスは改めてそれを痛感していた。


(……きっと、嘘じゃないのね。身の回りの人達、皆を愛して。

 そのための力が、そんなに小さな身体にあるんだって)


 少女そのものである彼女の、地を穿つ剛力、精霊を操る能力。そしてなによりも、強い意志。

信じられないほどに強固な存在の強さを、彼女は痛感していた。

ある種、称賛とも言えるほどに。


「……でも」


 あるいは、モースも同じだったのかもしれない。

その賞賛は、自分という闇に光を映したが故に送ったもので。

リリアを見つめる瞳がその瞬間、激しい敵意で塗りつぶされた。


「……私は、そうなれなかったのッッ!! "エグスティア"ッッ!!」

「えっ!?」


 墜落の隙を突こうと、既に走り出していたリリアの不意を。

今度は、完全に突いていた。

落ちながらもリリアの方に向けられた腕から、蔦のような黒い霧が無数に伸びて。


「わ、きゃあッ!?」


 そして今度は、完全にリリアの手足を拘束することに成功する。

リリアは自分から距離を詰めていた。

それは今、致命の距離で拘束される事態を招いてしまっていた。


「くっ、離しっ……!!」

「捕まえたわ。終わりよ」


 黒い霧の絡みついた部分に集まる精霊たち。

膂力で無理やり解こうとするリリアだが、この好機を、彼女も逃すはずがなかった。

その刃に、再び二種の漆黒が纏う。


「――"ヘルド・スティグマ・レヴーニア"ッッ!!」


 そして。一瞬の間で、二度。

X字を描くように、神速の刃が振るわれた。

先のリリアの技のように、その軌跡を黒い剣閃が示す。


「あ、ぐうッッ!?」


 リリアの身体は間一髪、黒い霧の蔦を千切っていて。

その剣閃の軌跡と、完全に重なることから逃れていた。

だがその苦悶の声が示すように、完全に回避が出来たわけでもない。

最も早く深く伸びていた刃は、彼女の左肩の皮膚を、深くはないが切り裂いていた。


「く、うっ……うゔっッ!!?」


 跳び退いた先で。深い傷ではないその傷に、しかしリリアのうめき声はより強くなる。

黒い剣閃の効果は、その僅かな傷であっても例外なく発揮されていた。

立ち上がろうとして、苦痛に再び膝をついてしまうリリア。そこへ、エリスはゆっくりと近づく。


「終わりよ。今度こそ、容赦はしない」

「く……ううっ……!」


 その足元から、今度こそリリアを捕らえるため黒い霧が伸びる。

伏せるリリアにはそれが見えていたが、全身を回る苦痛がある。

それに制されて、対応することは叶わなかった。すぐに黒い霧は、彼女の体へと巻き付いていく。

完全に拘束し、この戦いを終わらせるために。


「ぐ、うっ……」


 その苦痛は今も変わらない。

脱出の動きのため、呼吸を入れる余裕もありはしない。


だが、ここで終わるわけにはいかない。

気付けば、その手は伸びていく黒い霧の一本を掴んでいた。

エリスがそれに気づいた時には既に、彼女の拳が輝く。


「何を……」

「”ステラブレイク”っっ!!」


 その輝きは、黒い霧の触手に逆流するように満ちていく。

それは一瞬のうちにリリアを縛る全てへ広がって。そして間を置かず、炸裂する。

広がる光が、黒い霧を打ち破る。より鋭くなったリリアの瞳が、エリスを捉えた。


「っ!?」

「……せやあっ!!」


 優位な状況から逆に奇襲を受ける形となって、明確な動揺を見せるエリス。

立ち上がったリリアが素早く横薙ぎを繰り出すが、それを辛うじて後ろ跳びで回避する。

追撃は無かった。その理由は、余裕の全く無いリリアの様子が物語っていた。


「はぁっ、はぁッ……!」

「効果がない、わけじゃないみたいね」

「なんのっ、まだまだっ!!」


 無理をして動いている。

エリスが見抜いたそれを、リリアは威勢のよい声を上げて尚も猛る。

やせ我慢、あるいは無理であることは一目瞭然。

だがその様子からは痛々しさは感じられず、寧ろ勇ましさが全面に溢れていた。

あるいは、その様子が心の何かに触れたか。彼女の語気が僅かに変わる。


「そうよね。苦しくても辛くても、前を向いて戦い続ける。それが、ヒーロー」

「っ、くうっ!」


 その最中にも、彼女は更に刃を走らせる。

それを剣で受けるリリアだが、先の鍔迫り合いよりも状況は遥かに悪い。

消耗している体の分圧し合うだけの力は維持できず、なんとか受けるという形で受け流す。

大きく後ずさったリリアを一瞥して、またエリスは口を開いた。


「っはぁ、はあっ……!」

「色んな人が、そんな貴方に希望を見てる。その理由もよく分かるわ。

 私にも居たもの。私の道を照らしてくれる、大好きなヒーローが」


(……居た)


 荒れる呼吸、震える体。それでもリリアは、その言葉を漏らさず聞いていた。

その、含みのあった言い回しも。そしてこれまで、彼女が口にした言葉の数々を思い出して。

リリアの逡巡は、一つの疑問にたどり着く。

彼女がこうする理由が、きっと自分も知っている者に関わっていることもわかって。


「……一体、何があったの? モースさんと」


 それがこの場で何よりも大きいと思ったからこそ。リリアはその疑問を、素直に口に出した。

エリスの瞳が僅かに揺れる。構えていた刃が、ゆっくりと降ろされていく。

それは、リリアの言葉に答える意思の表れでもあった。

逆に言えば。それは、彼女から見た好機である今を逃してでも話す意味がある。

彼女が、そう思ったということだった。


「そうね。貴方には教えておかなきゃ。私の道に立ちはだかる、最後のヒーローには」

「……」


 その態度に、リリアも剣を下ろす。

今、エリスが話す意志を見せているということの意味を、重く受け止めていた。

聞かなければならない、と。

あるいは、その意思も伝わったのか。話し始めたエリスの口調は柔らかかった。


「……私が物心ついたときから、お母さんは居なかった。私が生まれた時に亡くなったって聞いてる。

 それから数年だけお父さんが居たけど、すぐに居なくなった」

「えっ……?」

「詳しいことは知らないけど、多分この力のせいだと思う。

 だからずっと、兄さんと一緒に暮らしてきたの」


 彼女の話す内容は、決して明るい話ではない。

それでも声色が闇に沈んでいないのは、モースへの思いが理由なのは明らかだった。


「そんな生活だから、苦しいことばかりだった。でも兄さんは、私の何倍も苦しかったと思う。

 あなたぐらいの歳の時にはもう働いて、私を養ってくれた。

 体が弱くて、外に出ることすら気軽にできない私の分まで、ずっと」


 彼の事を語るエリスは、本当に穏やかで。

つい先程まで剣戟を重ね合っていた相手とは、とても思えないほどだった。

そして彼に向けた、温かい思いも強く伝わった。


「村の人たちは何も助けてくれなかった。私の力は、いつも恐怖ばかりを呼んでた。

 みんな怯えて近寄らなかった。兄さんだけが、私の側に居てくれた。

 兄さんだけが、をしなかった。だから兄さんが大好きだった。

 苦しかったし、兄さんはもっと辛かっただろうけど……私は、その時間が好きだったの。

 嫌な世界を見なくても、兄さんと一緒に過ごせる、あの時間が。でも……」


 そして。その穏やかな言葉の裏に垣間見た、哀しさも。

言い淀むように、声を潜めていくエリス。その深層を語ろうとした、その瞬間。


「……ーっ!?」


 その続きは、突如鳴り響いた爆音で遮られた。

彼女達が立つ高台から、エリスの背中側、屋内に続く方からの音だった。

そして。その正体である人影は、すぐにその入口から現れる。


「そうだ。その時間を壊したのは、オレだよ」


 同じく纏う、黒い霧が伝えたのだろうか。

現れたモースが、エリスが語っていた話の続きを口にしていた。

その姿に、リリアの瞳がぎゅっと収縮する。

彼がここに現れたということは、あることを示している。それに真っ先に考えが行った。

彼を相手取っていたバゼル、アカリ。それは、彼らの敗北を表していた。


「そんなっ! ふ、二人はっ!?」

「安心しな。殺しちゃいないよ、今は、だけどな。

 これからも生き残るかは、保証できない。まあ、それは皆同じことなんだけどよ」


 その安否に明確に狼狽えたリリアだったが、対する彼はあっさりとその生存を口にする。

彼の言葉も、戦いの場とは思えないほどに穏やかな――据わっているともいえるもので。

今は戦況で言えば、この場は圧倒的なまでにこの兄妹に傾いた。あるいは、それを示すようでもあった。


「……ある日。とある護衛の仕事をこなした後、その依頼主だった地元の名士から話が来た。

 自分の養子にならないか、ってな。

 小さな地方の話だけど……自慢じゃないが、オレの名前もそこそこ有名になってた頃だ。

 オレたちの境遇を知って、惚れ込まれた。ともかく、こんな生活を変えるチャンスだと思った」


 だが続く言葉は内容に反し、エリスとは真逆の暗い口調で語られていく。

それは、エリスが裏に隠していた暗い思いそのものなのだろう。

まるで懺悔のように綴られていくそれに、同じく聞いていたエリスも表情を暗くして。

そして今度は、彼女が口を開く。


「……私は、世界の事が嫌いだった。私の世界に、兄さん以外が入ってくることが耐えられなかった」

「オレが、そうしちまったんだ。あの家の中でしか生きられないように」


(エリスさんが、嫌がったって事……)


 痛みに強く触れる箇所であるからだろうか。

二人の言葉は具体的な言語化を避けたものではあるが、何があったかはリリアにも伝わった。

重い言葉。絞り出すように、モースは続けていく。


「オレは、エリスの事が大事だ。世界の何よりもな。でも……その時。エリスを重く感じちまった。

 村の奴らに金を握らせて、一芝居打ってもらうよう仕向けた。

 俺たちを村から追い出してもらうようにな。住処がなくなれば、どうやっても頼るしかなくなる。

 オレは大事に思いながら、エリスの事を見下してたんだ。

 騙してでも、都合のいい方向に転がればいいと思ってた。簡単に騙せるって、見下しちまってた」


 やがて、言葉の内容自体も懺悔そのものへと変わっていく。

そして、変わるのは彼だけではなかった。エリスの纏う雰囲気もまた、急変する。


「……そんなの、すぐ分かるに決まってるのにね」


(……っ!?)


 その言葉は、この場の雰囲気を一気に重くする。

今までのような悲しみや後悔だけではない。明確な怒りが、その語気に込められていた。


「環境が変われば、兄さんは私から遠くなる。それも怖かったけど……それよりも。

 見えちゃったの。兄さんの目が、世界と同じ、になってるのが。

 なんとか、何もしないでくれって言う目が」

「……そんな……」

「だから、分かったの。私の世界は、私だけが大事にしていた世界だったって」


 "鉄の悪魔"の鎧に身を包む彼女の、瞳だけが覗く顔。

その瞳が、悲しみと諦めと、空虚な絶望感で満ちていた。

視線が重なって、リリアは思わず呼吸を止める。

自分の感じた事のないほどに、暗く重い感情を抱いていると分かった。


「……村は滅んだ。オレの裏切りが、エリスにこの世界を諦めさせたんだ。

 その後。エリスのその能力に目をつけた奴らが、オレたちを拾った。それが今に繋がる、ってことさ」


 その怒りを受け止めるように、顔を伏せ、剣を握る指に力を込めるモース。

話していた時系列は、ついに現在まで到達した。それは、この場の終わりを示すものでもあった。

それを表すように、彼は懺悔の終わりと共にその両手剣を構える。


「でも。その人達の目的にも興味はないわ。

 私の嫌いな世界を、壊してしまえるのなら。もう、なんだっていい」

「だから、オレはもう間違えない。この町の人達には、辺境伯には恨みはねえ。そして、リリア達にもな。

 だけどエリスが全てを巻き込んで燃え尽きるって言うなら、オレも一緒に燃え尽きるだけだ」


 話を締めると共に、二人は改めて敵意を顕にする。

対話の場は終わり――リリアが圧倒的な劣勢となる、戦いの場へ戻るという意志。

そして対するリリアは、今。抱く感情にすら迷っていた。


(……どうしたら、よかったんだろう)


 強靭な精神力を持つとはいえ。まだ少女であるリリアだ。

この投げかけられた重い話と感情を、この時間に整理しきるのは難しかった、それでも。

考えるのは、辞めないようにしていた。まだ頭の中は纏まっていない。

だが、一つ分かることだけはあった。二人の敵意に押しつぶされる事無く、リリアは顔を上げる。


「違うよ、そんなの」


 今の二人は、もっと近い場所で間違ってる。それは、伝えなきゃ。


「関係のない人を巻き込むのは間違ってる、ってこと? 流石は、ヒーロー……」

「違うっ!!」


 感心、あるいは揶揄に近いような言い回しごと、リリアは否定する。

回復の為に伏せていた片膝を奮い立たせて、仁王立ちに立ち上がって。

そして、まとまらない思いをそのまま口にしていく。


「大好きな人に、軽んじられて裏切られたこと。大事な人に、騙すような事をして傷つけてしまったこと。

 それがどんなに痛くて苦しかったのか……きっと私には、想像も出来ないぐらいなんだろうけど……!」


 まだ、考えは纏まっていない。それでも。

先の話を聞いて、思ったことがあった。二人の取った道に、どうしても言いたいことがあった。

彼らが、目を背けていることに。


「でも今のあなた達は、それから逃げてるだけじゃないっ!

 信じて裏切られたくないから、裏切って傷つけたくないから! もう一度同じ痛みを受けたくないからっ!

 自棄になって、その痛みから目を逸らせる道を選んでるだけじゃないのっ!」

「……は?」


 リリアの叫びは、どのように響いただろうか。返されたエリスの声は、ずっと低く暗いものだった。

それでもリリアは一歩も引くこと無く、続けていく。


「今でも大事で大切なんでしょ、二人ともっ!

 なら向き合わなきゃ、痛みにも、相手につけちゃった傷にもっ!

 それでも大好きなんでしょっ!? だから、向き合わなきゃ!

 そのまま目を背け続けて、燃え尽きるのも仕方ないって付き合うだけなんて……違うよっ!!」


 心のままをそのまま口に出した、拙い言い回し。

だがモースも、先は反発していたエリスも。いつしか、静かにそれを聞いていた。

息を切らすほどの渾身で叫んでいたリリア。彼女を守るように、精霊たちが姿を現していく。

その姿を見つめる二人の瞳が、少しだけ、優しい色になって。


「……そうだな。でも」

「もう私達に、痛みに向き合う強さは残ってないの」


 だが。リリアの言葉は、瞳の奥の悲しみまでは消し去れなかった。

直後、二人の敵意が急速に高まっていく。

一瞬緩んだ敵意が、逆にリリアの不意を生み出していた。その足元が、黒く染まる。


『"エグスアイビー"!』

「っ、うわあっ!?」


 その不意を突いて伸びる、無数の黒い霧の触手。

巻き付くどころか、一瞬でリリアの身体を埋め尽くしていく。

今までの同じ技とは比較にならない規模で、一瞬のうちにリリアは指先さえ動かせなくなった。

唯一動かせる視線の先で、エリスとモースの立ち位置が重なる。


「私も貴方のように、人を信じられたら……」

「人を傷つけない、優しさがあったなら……きっと、違う生き方も出来たのかもしれねえな」


 離別のような言葉と共に、モースが掲げた両手剣に黒い霧が集まっていく。

剣先を延長、あるいは覆い尽くすように纏われて。いつしか、背丈の何倍にもなる巨剣の姿を成していた。


「だから……もう、終わりなのよ。リリアちゃん」 


 どう見ても、強力な攻撃の準備であることは分かった。

高まっていく敵意もそれを伝える。だが、どれだけ力を込めても身じろぎ一つ出来なかった。

黒き巨剣に、その敵意が漲る。そして、最期の時が訪れた。


『"エグス・ディスハーダ"ッッ!!』


「――っ!」


 真っ直ぐに振り下ろされる巨剣。

顎まで締められていて、もはや声も発する事が出来ない今。

しかしリリアは、それでも諦めはしなかった。それは、この窮地だけに向けたものではなかった。


(そんなことないっ、そんなことないっ!

 だって二人ともまだ、大好きじゃないっ! 相手のこと! 

 今は前のめりになって、その余裕がないけど……きっと、向き合えるはずだもん!)


 全身に集まる精霊たち。だがそれも、黒い霧に完全に抑え込まれている。

それでも、それでも。リリアは全身に力を込め続けた。

諦めるのはまだ早い。あの二人だって、そうだった。


(だから……勝たなきゃ、二人を止めなきゃっ!!)


 ただ、思いだけが満ち溢れていた。だが。

その全てが、黒き巨剣を前に徒労に消えようとして。


(なんだろう、この音)


 耳まで黒い霧に塞がれた今。その音は遠く、だが確かに聞こえた。

リリアはずっと近くで、聞いたことがある音だった。


その、直後。


「何っ!?」 

「わあっ!?」


 僅かに残っていた視線の先が、暴風で埋まる。

精霊術による命を受けた、可視化された風の精霊。

それによって起こされた大竜巻が、リリアを包みこんでいた。

凄まじい勢力のそれは、リリアを縛る黒い霧だけでなく、黒き巨剣さえも削り吹き飛ばしていた。


「……っ!」


 目を開いて、その中心に立って、リリアは言葉を失っていた。

既視感のある光景に、悟っていた。

尊き魂を連れる、この風の正体を。この風を、誰が呼んだのかを。

そして、リリアの眼の前が揺れる。


「どわあっ!? っと……あっぶねえ、流石に着地はひやひやだぜ」


 風に運ばれ、降り立つ一つの大きな影。

彼の宿痾からすれば。吹き飛ばされてきた、が正しいかもしれない。不格好な着地は、それを示していた。

だがそんなことはもう、どうでも良かった。

目の間で広がる、大きな翼。風に乗ることの出来ないその翼を、リリアは不格好に思ったことはなかった。


「ジェネぇっ……!」

「まあ、でも……完璧なタイミングだったみたいだな!」


 暴風を成していた精霊たちが、彼の到達を誇示するように晴れる。

その逆に、リリアの視界がぼやける。溢れ出す涙が、止まらなかった。


「ジェネ……! そうだよな……やっぱり、来やがったな!」

「……!」


 視界が晴れたことで、モース達にもその光景が伝わる。

リリアを守るように。ジェネがその眼前に立っていた。

それをある種、当てつけのようにすら感じて。二人からの視線には、怒りさえも籠もっていた。


「モースに、あれは!? 村で見たやつとは、ちょっと違うみてえだが」

「あれは……エリスさんだよ」


 そして。町から離れていたジェネは今、"鉄の悪魔"たるエリスの鎧を目にする。

素顔の分からないその正体を、涙を拭いつつ伝えるリリア。

ジェネの登場は救いであった。だが戦いは、だからこそ続いているのだから。

そして。それらから、今の状況を窺い知るジェネ。誰が、相手であるのかを。


「これってのは……そういういうこと、なんだな」

「うん。ジェネ、お願い。二人を止めなきゃいけないの!」

「ああ、分かった!」


 詳細な説明の出来る場面ではない。

それでもリリアの言葉に全幅の信頼を返して、ジェネは一歩前に出る。

対抗するように、モースも一歩前に出た。


「エリス、ジェネはオレに任せてくれ。オレがケリを付けたいんだ」

「うん、わかった」


 それはかつて同じ思いを共有した、友への決別の意図もあっただろうか。

立ち位置を交代するように、逆に一歩下がるエリス。

僅かな間の後。剣に黒い霧を纏わせ、モースは一気にジェネへと飛びかかった。


「ジェネっ! 立派に兄貴を努めやがってよっ!

 そうやって、お前も俺達が間違ってるって言うんだろうなッ!」

「っ、"切り裂け"ッ!」


 振り下ろされる両手剣を、精霊による風の刃を生成して受けるジェネ。

擬似的な鍔迫り合いの形に持ち込んで、ジェネは彼の言葉に答える。


「立派なんかじゃねえ! 情けないこと、悔しいことばっかりなんだ、俺だって!

 兄貴としても、仲間としてもなっ!」


 その答えに、ずっと考えていた事をぶつけて行く。

接することすら恐れた事も、自分の弱さに打ちのめされた事も。

悩み続けていた事に答えなんて出ていない。

悩んだだけで強くはなれない。置いてきた自分の問題だって、解決するはずはない。

それでも。


「でもな! だから俺は、俺から逃げねえことにしたんだ! リリアが……俺を信じてくれるから!!」


 渾身の猛りと共に、ジェネは更に叫ぶ。それが、今の心の全てだった。

対するモースの顔が、怒りに歪む。普段の彼の様子からすれば、恐るべき表情だった。

リリアの言葉と合わせて。ジェネの叫びは、彼の心を強く苛んでいたようだった。


「う……るせええっ!!」

「ぐ、ぐううううっ……!?」


 明確な激昂と共に、彼の剣に宿る黒い霧が増していく。

それが明確に勢力へと繋がり、押され始めるジェネの身体。

そこへ、小さな手が伸びる。直後、輝く精霊たちがジェネを包んだ。


「ジェネーっ!」


 彼を支えるように手をやるリリア。色んな思いを込めて、その名を呼んでいた。

彼の自認とは裏腹に。リリアはジェネを、一度も見損なったことなどなかった。

村を助けてもらった時からずっと、ずっと。どんな場面でも助けてくれる、頼れる兄貴分だった。

リリアが、あまり他人を頼る性分ではないだけで。

彼が呪い続けたその巨大な翼は。彼女にとっては、希望の象徴だった。


 精霊たちが囲む中。彼らの力だろうか。

切迫する場面に、言葉に出来なかった思いが流れ込む。

それは、いつかかけた、ジェネにとっての救いの言葉であり。

今度は、自分を主語にしたものだった。


――助けにきてくれて、ありがとう。

信じてたよ。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 全ての迷いと悩みを振り切って。

ジェネの全身を、更に渦巻く、黄金に輝く精霊たちが包んでいく。

まるでリリアのそれのように、身体の各部へと纏わり……どころか、溶け込むように一体化していく。


「な、何だっ……!?」

「ジェネっ!?」


(これは……? 精霊……?)


 相対するモースだけでなく、精霊たちの主であるリリアも困惑を隠せない。

そして当人のジェネもまた、自分に何が置きているのか把握は出来なかった。

ただ迷いはもう、生まれなかった。それは。


(いや、リリアの思いだ……!)


 曖昧になった心と身体、その両方で感じるそれが。

間違いなく彼女のものであると、直感していたからだった。

だから迷いなく、それを受け入れていく。

彼女を象徴する、勇気と明るさが心に満ちていくのを感じた。


(――っ!)


――


 その先で。ジェネは目を逸らし続けていた記憶をふと、思い出す。

苦しく、辛いことばかりだった時の……数少ない、そうではない記憶だった。

自分とよく似た、強い威厳を備えた龍人。それが誰かは、もう思い出すまでもなかった。

更に思い出していく。その彼が、語ったことを。


は、術に優れれば使えるというものではない。

 符牒を以って変質させる精霊術とは違う。我が意志を精霊たちが汲み、彼らと共に創り上げるものだ』


 もう少し、思い出す。

それはかの龍人の象徴的な技を真似しようとした、幼き日のことだった。


『これは、我らの象徴でもある。

 精霊たちの永遠の友として在らんとすれば、必ずや使えるようになるはずだ』


 素体である、黄金に輝く精霊たち。それを武器として成す術。里でも、これを使えるのは彼一人だった。

精霊術としては、初めての躓きで。へそを曲げる自分を撫でる、大きな手を思い出す。


『お前なら、きっと出来る』


 希望を捨てたのは、どちらが先だったろうか。今はもう、どうでも良かった。

ただ、今。自分を信じてくれる人のために。


――


 精霊術を構える左手、その反対側。

黄金に輝く精霊たちが、ジェネの右手一点に集まって、そして炸裂するように延びる。


「"ヴァールレガリア『龍王剣』"ッッ!!!」


 それは、眩い光の剣だった。

ジェネの体躯ほどもあるそれを、片手で構えて。そして。


「おらああああああああああああッッ!!!」

「なっ、うぐうっ!?」


 大きく、振り抜かれる光剣。

それは勢力を増しつつあった黒い霧、そして両手剣を一刀の下に吹き飛ばす。

勿論、その持ち主のモースも例外ではなかった。


「ぐうっ、あいつにこんな力が……!? いや……」

「兄さんっ!」


 なんとか受け身を取るモースに寄り添うエリス。

そこでようやく、ジェネの全身が目に入る。タイミングとしては、リリアも同じだった。


「ジェネ……!?」


 目を引くのは、光剣だけではなかった。

ジェネの所々の鱗、身体や甲殻の端が、精霊と一体化したかのように黄金に輝いていた。

まるで、精霊を纏うリリアのように。


「ジェネ、大丈夫!?」

「ここに来て新技ってことかよ、リリア? すごい奴だよ、ほんとに」

「え、ええ!? でも私、何も……」


 案じるリリアに、ジェネは冗談めかした、しかし状態の説明となる言葉を返す。

とはいえ、本人にはすぐには伝わらなかった。

リリアとしては、何の自覚もなかったからだ。困惑する彼女に、ジェネは笑って付け加える。


「わかるさ。これはお前の力だ。お前が喚ぶ精霊たちが、俺に力をくれてるみたいだ」

「本当に……!? 精霊たちみんな、ありがとう……!」 


 説明を受けてなおリリアにその実感は無かったものの、精霊に長けたジェネの説明を疑う理由もなかった。

ジェネの身体の、輝く部分に手を触れるリリア。確かに、慣れた感覚がした。

ずっと自分を守り続けてくれた精霊たちが、ジェネに力を貸している。それは何よりも、心強かった。


「それじゃあ……『リリルドライブ』!」

「それが技名か?」

「うん! それじゃあ……行こうっ!」


 ジェネに加えてリリアも精霊たちを纏い、そして再び向き直る。

溢れる精霊たちによって輝く二人と、まさに対になるように。

黒い霧が溢れていく中、明確な怒りと共にエリスが睨みつけていた。


「もう、戻れないって言ってるのに……!

 何もかも当てつけみたいに……不愉快よ……!」

「……丁度いいさ。オレもエリスから力を借りてて、ジェネもこれでリリアから力を借りるようになった。

 これで同条件、ってことだ!」


 モースも既に体勢を立て直して。

ジェネの新たな力は、その戦意には何の影響も及ぼさなかったようだ。

怒りと敵意に満ちた二人の目。それを、逸らすこと無く見つめて。


「まだ遅くなんかない! 絶対に止めるわ、二人とも!!」


 強く誓うように、もう一度だけ呼びかけて。

リリアは再び、剣を構えた。

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