第38話 復讐の終焉

王国から帰還したリリスは、言葉にできないほどの疲労を抱えていた。彼女が引き連れてきた兵士たちは、歩みも遅く、表情はどこか死にかけたように見える。あれほどの混乱と惨状の中で、ようやく王国に帰還できたのだ。だが、その帰還はどこか虚しさを感じさせるものであった。


「こんなに……こんなにも多くの兵士が……」


リリスは、弱々しく歩く兵士たちを見ながら呟いた。彼らは、強い意志を持つ者ばかりではなかった。むしろ、彼らの大半はすでに命を落としかけており、残された時間は長くはないことを感じ取っていた。感染は広がり、彼らの命は次第に蝕まれていた。


王国に到着したその時点で、王国の機能はすでに半分以上は停止していた。回復魔法の効力が届かない感染症が広がり、兵士たちが倒れていく様子を目の当たりにした者たちは、もはや何もできずに茫然としていた。リリスはその中で、ついに城内の一室にたどり着く。


部屋にいたのはフィオナだった。彼女もまた、リリスの帰還に驚きながらも、どこか無力感を漂わせていた。


「リリス……」


フィオナが言った。彼女の目には何かを決心したような強い意志が宿っていた。だが、その目を見ているリリスはすぐに感じ取った。今、二人に必要なのは、未来に向けての答えではなく、過去に何が起こったのかを理解することだった。


「颯太に……許してもらうことはできるのでしょうか。」


フィオナが静かに言った。リリスの目がわずかに震えた。二人の間にある沈黙が一層深くなる。


「許し……?」


リリスが声を出した。彼女は数秒、言葉を選ぶように黙り込む。やがて、彼女は息を吐き、言葉を続けた。


「もう、何もできないのかもしれません。あの人は……あまりにも傷ついてしまった。」


「それでも、私たちが、彼に許しを乞うことで、少しでも前に進む力を得られればと思って……」


フィオナは言葉を続けるが、その声は消え入りそうなほど小さかった。


リリスはその言葉を胸に刻みながらも、うなずけなかった。彼女は無意識に拳を握りしめ、深い苦悩を感じていた。



一方、颯太は王国に向けて進軍していた。彼はその時、冷徹な目をしていた。沙織は黙ってその後ろをついていった。彼の側にいることで、どれだけ自分が無力であるかを感じながらも、心の中で何かしらの決意を固めていた。


「颯太、もう……やめましょう。」


沙織がやっと口を開いた。彼女の声は震えており、心の中で何度も何度も、同じ言葉を繰り返していた。だが、颯太は何も答えなかった。進むべき道を決めたのは他でもない自分だったから。


王国に着くと、颯太はその荒廃した様子に内心で何の驚きも感じなかった。感染症が広がり、人々が倒れていく様子を見て、彼の中で芽生えたのは確かな手応えだ。それは、彼が進むべき道が正しいという確信だった。


「どうして……」


沙織はその景色を見て呆然とした。王国の兵士たち、民衆、そして町を包み込む混乱の中で、彼女の心は次第に壊れていった。颯太はその様子を無視して、黙々と前に進む。


その時、リリスとフィオナが現れた。二人の姿を見た颯太は一瞬立ち止まり、冷たい目で彼女たちを見つめた。


「颯太……」


リリスがゆっくりと歩み寄り、何かを言おうとする。だが、颯太の表情は変わらない。リリスは深呼吸し、言葉を続ける。


「お願いです。あなたに、許しを与えてください。私たちは、あなたに許してもらわないともう生きていけないのです。」


その言葉に、颯太の心の中で何かが弾ける音がした。だが、その感情を吐き出すことはなかった。冷徹に剣を手に取った彼は、リリスを見つめる。


「許しを与える……?」


颯太が呟く。沙織はその言葉を聞いて、心の中で震えるものを感じた。颯太が剣を持つ手が震えた。その剣をリリスに向けるつもりだった。


「だめ!」


その瞬間、沙織は自分を犠牲にしてリリスの前に立ちはだかった。颯太の剣がそのまま沙織の胸に向けて振り下ろされ、彼女はその一撃を受けた。


颯太の目に初めて動揺の色が浮かんだ。沙織はその場で膝をつき、血を流しながら言葉を絞り出した。


「お願い、もうこれ以上の復讐はやめて。あなたの手は、人を救うためにある手よ。医者としての誇りを取り戻して、お願い……!」


その言葉を聞いた瞬間、颯太の心が揺れ動いた。彼の中で、かつての優しさが戻るような感覚が広がっていった。それでも、心の中で彼の復讐心が焼けつくように燃え上がり、颯太はそれを抑えようと必死になった。


だが、沙織が再びその手を伸ばし、彼に言葉を投げかけた。


「あなたが救う手だった頃のあなたに戻って。これ以上、誰かを傷つけないで。私がその手を信じるから……」


沙織の言葉は、颯太の心に深く刺さる。彼の中でかすかな光が灯り、再び心の中に迷いが生まれた。


沙織はそのまま目を閉じ、命を失った。颯太はその瞬間、自分がどれだけ間違った道を進んでいたのかを思い知らされる。


「沙織……」


彼の中で、かつての優しさが戻り、過去の自分を取り戻す瞬間だった。


「申し訳ない、沙織……」


颯太はその場に膝をつき、沙織の冷たくなった体をしっかりと抱きしめながら、涙を流していた。彼の手は震え、心の中では無限に繰り返される後悔と痛みが渦巻いていた。これまで何度も誓った「命を救う」という誓いは、彼の目の前で無惨に砕け散った。彼が目を閉じるたびに、沙織が微笑む姿が浮かび上がる。だが、その笑顔は今、彼にとっては最も重い罪の象徴でしかなかった。


「どうして……どうしてこんなことをしてしまったんだ……」


彼は自分に問うように呟いた。その答えは、もはや彼の心の中には見当たらなかった。沙織の命を奪った手が、再び何もできないように思えた。彼の手のひらに広がった感覚は、かつての優しさでも希望でもなく、ただ冷徹で無力感に満ちていた。


しかし、沙織が最後に訴えた言葉が、颯太の心に再びひとしずくの光を差し込んだ。彼は深く息を吐き、沙織の顔を見つめながら、ゆっくりと手を伸ばした。


「沙織……」


その言葉は震えながらも、何かしらの決意を伴っていた。颯太は静かに彼女の遺体から手を離し、周囲に広がったウイルスの拡散を止める決意を固めた。彼は今、これまでの行いをすべて悔い改めるつもりだった。


颯太はその場で立ち上がり、静かに手を広げた。彼の体から放たれるエネルギーは、かつての医者としての誇りを背負いながら、今、王国の全ての病を癒すために使われようとしていた。力が手のひらに集まり、颯太はその力を解き放った。


「これで……終わりだ……」


彼の言葉は静かだったが、その中には決意と後悔が入り混じっていた。颯太は最後の力を振り絞り、王国全体に広がったウイルスを封じ込めていった。その過程は、彼がかつて行ったことを償うための行為であり、同時に彼自身を解放するための儀式でもあった。


だが、ウイルスが解除されていくにつれ、颯太の体力は次第に失われ、意識も薄れていった。彼の体は冷たくなり、足元がふらつき始める。もう、彼には何も感じる力が残っていなかった。ただ、沙織の顔を思い浮かべることで、ほんの少しだけ救われた気がした。


その時、突然、フィオナの声が聞こえた。


「颯太様!」


彼女の声には、深い悲しみと必死さが込められていた。


フィオナは、彼がウイルスを解除している間に近づいていた。彼女は、颯太が力を使い果たすのを見て、その場に駆け寄り、彼の肩を支えた。颯太はその手を感じながらも、力を振り絞って言葉を発した。


「もう、俺の手は……医者の手じゃない。」


その言葉に、フィオナは驚き、頬を震わせた。彼女は少し黙っていたが、やがて静かに言った。


「それでも、あなたの知識と技術は、私たちを救うためにあるべきものだと思うのです。」


彼女は優しく言葉を続ける。


「王国に広がった恐怖を止め、これからも人々を救い続けることができる。どうか、あなたの手で未来を変えて欲しい。お願いです、颯太様。」


颯太はその言葉を耳にし、少しだけ目を開けた。彼は自分がかつて抱いていた思いを思い出すように、深く息を吸い込んだ。しかし、その後、力を振り絞って答えることができなかった。


「もう……俺には、誰かを救う力が残っていない。」


颯太の声はかすかで、もう誰にも届かないかのように聞こえた。


「そんなことはない!」


フィオナは叫ぶように言った。その手で颯太の手を握りしめる。


「あなたの手は、決して悪い手じゃない。あなたは人を救うために生まれてきたんです!まだやり直せます!」


その言葉が、颯太の心に深く響いた。フィオナの目は真剣そのもので、颯太の目の前でゆっくりと涙を流していた。


颯太はその涙に目を閉じ、最後の力を振り絞った。彼の体はもう動かなくなり、次第に体温も失われていったが、心の中で一つの決意が生まれていた。それは、沙織のために、そして自分のために行動を起こすための決意だった。


「ありがとう、フィオナ様。」


颯太の口からその言葉が絞り出される。その後、彼は静かに息を引き取った。


彼の目の前で、世界がゆっくりと暗くなっていく。

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