第36話 無謀な会議
王国の軍本部に集まった重役たちは、険しい顔をして議論を交わしていた。会議室には緊張が漂い、王国の未来を左右する重要な決定が迫っていた。しかし、空気の中には、誰もが感じる重圧があった。連邦軍の攻撃と、予想以上に広がった感染症の影響で、王国軍は完全に動揺していた。
「進むべきか、撤退すべきか。」
議題が提示されると、まず最初にリリスが口を開いた。彼女の表情は冷徹で、普段の冷静さを欠いていた。
「我々は今、撤退すべきです。」
リリスは声を強く出して言った。その言葉が会議室に響くと、出席していた他の将軍たちは一瞬、驚きの表情を浮かべた。リリスの提案がまさか撤退だとは誰も予想していなかったからだ。
「撤退?」
グレゴリウスが呆れたように言った。
「今まで進軍してきたのに、撤退するというのか?我々が退却するなど、王国の名折れだ!」
彼の顔には、戦場で得た無数の傷と、常に冷徹な決断力を持つ戦士としての誇りがにじみ出ていた。
「しかし、兵士たちは既に壊滅的な状況です。感染症は広がり、戦線は混乱しています。連邦軍の奇襲も考慮すれば、これ以上前進すれば壊滅的な打撃を受けるだけです。」
リリスは冷静に指摘するが、その目には確かな疲労感が浮かんでいた。彼女はこの数日間、無数の死者と向き合い、指揮を取ってきた。そのため、今この瞬間に冷静な決断を下すことができるのは、他の誰よりもリリスだけだと自信を持っていた。
「馬鹿げたことを言うな、リリス。」
グレゴリウスは強い口調で言い放った。彼は既に決まった道を進むことに信念を持っていた。彼の目の前で今すぐ決断が下されなければならないという焦燥感が、彼の言葉に反映されていた。
「もし撤退するなら、我々は王国に屈服したことを意味する。そして、連邦軍の力を見誤ったことを認めることになる。」
グレゴリウスはその言葉を重々しく言った。彼は王国の未来を守る責任を感じていた。進むことで、王国の誇りと戦士としての名誉を守る――それが彼の信念だった。
「私も進軍すべきだと思う。」
エリアスが静かに口を開くと、全員が彼に注目した。エリアスの魔法の力は、王国軍にとって欠かせない要素であり、彼の言葉は重く受け止められた。
「回復魔法を使い、さらに兵士たちを戦力として立ち上がらせる。私の能力で彼らを立たせ、王国の名を守るために進軍すべきだ。」
エリアスは力強く言った。しかし、その声にはどこか自信のなさも見え隠れしていた。回復魔法の力を信じる彼にとって、連邦軍の奇襲と感染症に対する無力感は、これまで感じたことのない大きな不安の種であった。
「だが、リリスの言う通りだ。状況が悪化し続けている。」
エリアスは続けて言った。
「しかし、全軍撤退では意味がない。むしろ、今後進むべきかどうか決定すべきだ。」
エリアスの言葉に、グレゴリウスは不満そうな顔をしたものの、反論はしなかった。
会議室はしばらく静寂に包まれた。全員がその重い決断を前に黙り込んだ。誰もが胸に不安を抱えながら、次に何をするべきか考えている。
その時、翔太が重々しく席を立った。
「撤退? 戦って勝ち取るべきだ。」
翔太はその場で立ち上がり、全員に視線を向けた。彼の目は、今までの進軍の勢いを取り戻すために戦う決意を示していた。
「俺がいれば、王国軍は負けない。俺が雷を引き起こして道を開ける。奴らに負ける理由はない。」
翔太は、王国軍の士気を高めるために、自信満々に言い放った。その言葉に、少なからず兵士たちの気持ちは引き寄せられた。しかし、その反応はグレゴリウスとエリアスにとっても、彼の意見に依存することになってしまった。
「進軍だ。」
グレゴリウスが断言する。彼は決して後退を許さなかった。これが王国軍の誇りだと信じて、前進する以外の選択肢はないと感じていた。
リリスはその言葉を聞いても、心の中では何かが引っかかっていた。戦争の終わりが見えてこない。それでも、彼女は決して自分の意見を引き下げることなく、毅然として会議室を出る決断を下した。
「私が撤退を提案したのは、王国の未来を守るためです。私は兵士たちの意志を尊重します。」
リリスはその言葉を残し、重い足取りで部屋を後にした。
リリスは重い足取りで会議室を出た後、王国軍の兵士たちが集まる兵舎へ向かった。彼女の心は決して晴れない。会議で下した決断を実行に移すべきだったが、今の王国軍には絶望的な状況を変える力が欠けていた。感染症の広がりと兵士たちの疲弊――彼女はそれらを目の当たりにしていた。
兵士たちはすでに何人もが倒れ、他の者も動けなくなっていた。リリスはその中で、特に衰弱しきっている者たちに目を向けた。戦い続けるためには、これ以上犠牲者を出さないようにしなければならなかった。だが、いくら自分が指揮を執っても、兵士たちの状態は悪化していくばかりだ。
「どこに行くんだ?」
グレゴリウスが後ろから声をかけたが、リリスはその質問に答えることなく前を向いて歩き続けた。彼女の目は冷徹で、兵士たちを無駄にしてはならないという使命感に満ちていた。
リリスが向かう先は、王国軍の後方支援拠点であった。そこでは数名の回復魔法士が傷ついた兵士たちを治療しようと必死に働いているが、すでに限界が近かった。リリスはその拠点に到着すると、倒れた兵士たちを手早く確保し、後退する準備を始めた。
「どこへ連れて行くんだ?」
兵士の一人が尋ねたが、リリスはその質問にも答えなかった。目の前には、疲れ果て、もはや自分の足で歩けなくなった兵士たちが横たわっている。リリスは、彼らを無理に連れて行かねばならないと感じていた。王国軍の未来がかかっている。
「準備は整ったか?」
彼女は冷静に尋ねる。部隊の指揮官はリリスの指示に従って、少数の兵士を集めて後退準備を始めた。兵士たちの表情はどこか不安げで、みんな疲れ切っていた。食料や水も不足しており、疲労困憊の中で戦争が続いている。
リリスはその中から、特に重傷を負った兵士たちを選び、手際よく担架に乗せるよう指示した。彼女は一人一人を確認しながら、これ以上の犠牲者を出さないようにしていた。彼女の目の前にいるのは、もはや「戦士」ではなく、ただの命を守るために必死に生きようとする兵士たちだった。
「急ぎなさい、私たちは早く王国に戻らなければならない。」
リリスの声は冷静だが、その目には一抹の不安も感じられた。兵士たちはその命令に従い、リリスの後を追ってゆっくりと進んでいく。
後ろからは王国軍の部隊の混乱の音が聞こえてくるが、リリスはその音を無視して前に進み続けた。王国の本拠地に戻るためには、彼女が命じた撤退が必要だと確信していた。進む道は険しいが、彼女はその先に待つ戦争の終わりを、何度も心の中で描いていた。
だが、リリスが後ろを振り返ると、軍の士気は低く、ついてくる者の数が次第に少なくなっていった。倒れた兵士たちが足を引きずりながら、やっと歩く様子が見えた。リリスはその姿を見守りながら、ひとつ深いため息をついた。
「この戦争は、もう限界かもしれない。」
彼女は自分の心の中で呟いた。その言葉が、今後の戦局にどれだけの影響を与えることになるのか、リリスには分からなかった。しかし、今はただ王国に戻り、できる限りの支援をすることしかできなかった。
そして、彼女は再び前を向いて歩き出す。兵士たちを守り、王国に帰ること、それが今の彼女に与えられた最後の使命だった。
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